雷撃、火炎、覚悟<下>
「戦ってる途中で悪いけど、質問してもいい?」
クナイを投げながら舜鈴は首を傾げた。
「……めんどくせぇから手短にな」
久遠牧師はクナイを弾いてあくびをもらした。そんな彼に、舜鈴は言う。
「貴方妖偽教団じゃないでしょ」
確定に近い質問だった。久遠牧師の動きが一瞬止まる。
その隙にクナイを放つと、生身の頬にかすめることができた。
「……何でそう思うんや?」
傷を付けられたことに怒っているのか、久遠牧師の顔が歪んだ。
「だって感じられないんだもの」
一方舜鈴は冷静である。冷静なまま、間合いを広げた。
「半妖特有の、狂熱が」
『傀儡姫』が久遠牧師の頭に刃の五指を振り下ろしたのはその時である。
「っく」
久遠牧師は腕を振り上げた。何とか防ぐものの、無理な大勢だったためにぐらりとよろめく。
舜鈴はそこを狙って手の中に仕込んでいた、毒を塗った針を放った。針は見事、久遠牧師のこめかみに当たる。
「っ……!」
「終わりだよ」
久遠牧師の身体が傾いた。眠たげだった目も今はこれでもかというぐらい見開かれている。
「実のところ、どこの誰かなんてキョーミ無いね。ただ邪魔者がいなくなればいい」
舜鈴は長い髪を後ろに払い、今度こそその場を後にした。
「ザァイジエン、どこかの誰かさん」
誰もいなくなった場所で、男は起き上がった。
「全く……容赦無いなぁ。こんなん羽根で防がな死んでたやん。せやからめんどくさいっつったのに」
どこかで戦っているだろう上司に文句を呟きつつ、男は面倒そうに立ち上がった。
「全く……先に退場すんで。はよ終わらせろよ」
喋るのさえ面倒だというような口調で、男はその場を去ったのである。
―――
猛は槍を片手で持ちながら走り出した。
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
火炎をまとった槍を突き出し、亜紅太法師の腹を狙う。
「甘い、甘いぞ橘猛!」
だが亜紅太法師は、それを手の平で受け止めた。
「なっ……」
「未熟なおぬしに、それがしを狩れるものかぁ!」
亜紅太法師は受け止めた槍を猛ごと投げ飛ばす。猛は五メートルも吹っ飛び、地面に転がるはめになった。
「って……くそっ」
しかし猛も負けてはいられない。すぐ立ち上がり、槍の先を地面に突き刺した。
「地伏鋼槍」
ビキビキ、と地面の土が槍を覆った。
土は柄の半分ほどまではい上がり、その辺りで猛は槍を構え直した。
「鋼より硬い一撃だ。喰らえ!」
だんっ、と地面を蹴る。身を低くし、抵抗を最小限に抑える。
速く、速く、速く――
スピードと破壊力を持った攻撃が、亜紅太法師を貫く――!
「だから甘いと言っておるのだ」
バリイィィィィィィィィィィィィィィィィン!!
槍を覆った大地の外殻が、亜紅太法師の一撃で砕かれた。
「五行思想というのを知っておるだろう?」
亜紅太法師は、呆然とする猛の顔に己の顔を近付けた。
「そこで言うておるではないか。地は木に勝てぬのだよ」
次に目の前に迫ったのは、木の五指。猛は反射的に身を縮めた。
「ぐぁっ……」
腕、脚、頬の肉を、何かがえぐっていく。目の前には、幾多にも枝わかれした木の指。
(指が、伸びてわかれたのかっ)
まさに木の枝のようにわかれ、伸びた指に身体をえぐられたのだと気付いた時には、遅かった。
「っあ゛……」
裂かれたのではなかった。えぐられたのでもなかった。
貫いていた。貫かれていた。腕を、脚を、手を、足を。
「脆いのう」
亜紅太法師は笑った。
くっくっと低く、卑しく。
「脆い、脆い。貴様の母も、これほど脆かったんだろうよ」
「……」
お袋。
お袋は、こいつのことをどう思っていたんだろう。
猛はぼんやりとした頭で考える。
怒ってたんだろうなぁ、理解できなかったんだろうなぁ。
俺も、理解できないや……
「さて、そろそろ殺してやろう」
亜紅太法師は笑みを深くした。
亜紅太法師。
この男が、元退魔師だなんて信じられない。
流亜の裏切りも、未だに信じられない。
羽衣姫の身体がお袋だってことも信じられない。
この状況だって。
負けそうになってることが、信じられない。
何も……信じられない。
何もかも、信じれない。
――信じたくない。
「まずは、その母親の面影を残す顔を潰そうか」
亜紅太法師の背中からめしぃ、と音を立てて何かが突き破ってきた。
木だ。先が鋭く尖った、幹並に太い木の槍だ。
顔に突き出されれば、顔どころか頭蓋そのものが砕けてしまうだろう。
「貴様の顔を見ていると……それがしの気が収まらん。それに、これで橘の血も絶えることになる」
ぴしぴしと音を立ててながら、木の槍は振りかぶられる。
「死ね、橘猛!」
目前に穂先が迫っても、猛は動けないでいた。
そんな中で思い出すのは、死んだ家族のことだった。
―――
祖父は、生きた伝説だった。
壊れた封印からあふれ出た妖魔数百匹を、たった一人で倒したという。
嘘かもしれない。
でも嘘じゃないかもしれない。
祖父が多くの妖魔を倒したことは事実であり、またその子である母も、その実力を受け継いでいた。
なのに、俺は。
その二人の直系である俺は、十一歳になるまで武器を扱うことすらできなかった。
今だって弱い。
今だって、一生かかっても二人を超えられない自信がある。
それを聞いた父は「弱気で強気な自信だな」とわけの解らないことを言った。
俺はただ事実を見ているだけだ。
真実を言っているだけだ。
絶対だから、自信があるのだ。
なのに、どうしてこの『姫』は。
いっそ傲慢と言っていいほど気高いのに、なぜ俺を選んだ?
祖父でも母でもない。弱くて脆い俺を。
誰か、教えてくれ……
……。
……あぁ、そうだった。
いないんだった。教えてくれる人は、もう。
どこにも、いないんだ。
一人も、いない。
バキイィィィィィィィィィィィィッ
折れた。
自分の動きを封じていたものを、折ってやった。
「! な、なっ……」
亜紅太法師は目を見開いた。
かなりの硬度を誇っていた自分の木の指がまとめて折られたのだから、当然の反応だろうが。
「き、貴様……どこにそんな力を!」
「へ、へへ」
猛は笑いながら、振るった槍を持ち直した。この槍で、木の指を斬ったのだ。
木の指は両腕両脚に刺さったままだ。少し動くだけで皮膚に血がにじむのが解った。
「刺さったままでは動けんぞ……どちらにせよ、無駄なこと」
「抜くよりましだろ」
猛は顔を歪ませながらも槍を構えた。
正直なところ、痛みは折れた(実際は斬ったのだが)木の指を抜いた方が楽になるだろう。
しかしそうしてしまえば、辛うじて止まっている血が吹き出してしまう。
出血多量で死ぬよりは、傷の痛みで動きが鈍くなる方がいい。
勝機が、無くなるわけじゃない。
むしろ走馬灯のように頭の中で流れていった考えが『鉤槍姫』の使い方を思い出させてくれた。
ただ、まずは確認したいことがある。
「あんたさっき、五行思想の話したろ?」
「ん……?」
「それによりゃ、火は木に勝つはずなんだ。なのに何で、あんた俺の炎が平気なんだよ」
「……そんなことか」
亜紅太法師は馬鹿馬鹿しそうに答えた。
「簡単なこと。貴様の炎よりそれがしの方が強いだけだ。相性うんぬんではなく、ただの実力差だ」
「……そっか。なら安心だ」
猛がそう言うと同時に、ごっ、と炎が槍を包んだ。
「つまりはグーより強いチョキの方が勝つってことだろ? なら強いグーに、俺がなればいい」
炎が膨れ上がった。猛の腕を飲み込み、肩まで覆う。
「我ながら情けねぇや。『鉤槍姫』に選ばれた理由を、今頃気付くなんてな」
「どういうことだ?」
「つまりさ」
猛は痛みに耐えながら腰を低く落とした。
「関係無ぇんだよ。強弱なんて。ようは『姫』が気に入ったかどうかなんだ。使用者としてじゃない、肉体としてふさわしいか……結局それだけのことだ」
炎がちりちりと、腕に刺さった木の指を焦がした。さっきはその炎も、ものともしなかったのに。
「『姫』の力を扱いきれるかどうかは俺達次第ってことだ。こいつらは協力なんて言葉を知らないからな」
「……わけの解らんことを」
亜紅太法師の身体からみしぃ、という音が響いた。
全身が変色していく。いや、覆われていく。
木の皮に。木そのものに。
「姫シリーズも、しょせんその程度。一度効かなかった技は結局二度と効かないのだ」
目の前にいたのは木の人形、否、木の人間だった。
目はある。人の形もしている。面影だって残っている。
しかしそれは、人間ではなかった。
「それが本性か……」
醜いな、と猛は呟く。
「調子に乗るな、小童が」
口らしき洞から、声が流れた。木の皮が割れるような声である。
「まぐれでそれがしの指と槍を斬っても、それはそれがしの脅威にならん」
「……あんた勘違いしてねぇか?」
今度は猛が馬鹿にしたように言い返す番だった。
槍の炎はもはや猛の首近くまでせり上がっている。
「今までの攻撃力が、『鉤槍姫』の本当の威力だと? 馬鹿馬鹿しいぜ……だって」
槍の先が、亜紅太法師に向けられた。
「姫シリーズは、いや姫シリーズに限らず、退魔武器は精神力を注ぎ込められてこそ真価を発揮する!」
だから受け入れなければ。
死も、現状も、何もかも。
何もかも――!
「今度こそ滅しろ、亜紅太法師!」
「今度こそ死ぬがいい、橘猛!」
互いの武器が振り上げられる。
「例えどれほど強くなろうと無駄! それがしの身体はもはや鋼鉄などは比べ物にならん!!」
亜紅太法師は勝ち誇ったように叫んだ。
「さっき言ったろ」
猛はしかし、ふと冷静な顔付きになった。
「強いチョキには強いグーだってな――!」
槍はまだ届かない。まだ貫けない。
だが炎は、先んじて亜紅太法師を飲み込んだ。
「槍火炎舞・龍尾!」
槍から放たれた炎は、亜紅太法師の全身を包み込んだ。
「ぐ、あ、あぁぁぁぁぁ!? こ、これは……」
「びっくりするぐらい火力が上がったろ。これも『姫』を受け入れたからさ」
姫シリーズは精神を乗っ取り、身体を奪う魔性の退魔武器。
己を保つために、使用者は『姫』の意志に逆らわなければならない。
だが同時に――受け入れなければならないのだ。
受け入れなければ、逆らい過ぎなければ、『姫』の力を解放することができる。
無論、身体を乗っ取られる一歩手前なのだが――しかし。
「あんただって解ってるだろ。半妖になることがどれだけ危険で、救われることがないか。俺達姫持ちだってそうだ」
槍からは未だ炎が放出している。
猛の気力を吸い出すように――
「いつ乗っ取られるか解らない。だけど、そうしてでも力が欲しい! 妖魔を狩る力が!!」
「……!」
「今度こそ」
ごぉっ、と炎が更に膨れ上がった。
猛の血のように、赤々と。
猛の復讐心のように、隆々と。
「消えろ!」
炎が火柱となって天を突き上げた。
「い、いや……だ」
火中の半妖は――木に意志を取り込まれた人間は悲鳴をもらす。
涙など無い。あったとしても、すぐに蒸発してしまっているだろう。
なのに――人外のその顔は、泣いているようだった。
「それがしは……おれは……しに、たくな」
ゴオォォォォッ
炎が半妖の姿を隠した。微かに見えていた影も、やがて消滅する。
猛は無言で槍の構えをといた。すると、炎はあとかたも無く消える。炎が燃え盛っていた跡すら残らない。
あるのは灰だ。
人のものでも半妖のものでもない。
木の――灰だった。
「う、ぐ……」
猛は槍で自分を支えるように立っていたが、やがて力無く膝を着いた。
手足の傷が酷く痛む。だがそれより、心が痛かった。
今にも折れそうで、しかし折れれば『姫』に身体を乗っ取られる。
これからはこの痛みにも耐えねばなるまい。
退魔師として戦う限り、退魔師として生き続ける限り、ずっと。
でも今は。
からん、と乾いた音を立てて、槍が手から落ちる。顔が歪むのを感じると同時に、視界がぼやけた。
「……親父、お袋、みんな」
退魔師としてではない。一人の少年として、親を亡くした子供として、猛は泣いた。
―――
この状況をどう理解できようか。
紗矢は痛む腹を押さえた。痛みからして、あばらにひびが入ったかもしれない。顔にはさほど出てないだろうが。
「しかし……まいった」
口調はのんびり、声はかすれがちに、紗矢は呟いた。
「まさかこんな展開になるとは。王道なのか邪道なのか、よく解らない」
目の前の少女には何を言っても、無駄かもしれない。こんな意味の無い会話に反応できるとは思えなかった。
「目を覚ませ、と言っても聞こえないだろうなぁ、当然」
そんな声に応えたわけではないだろうが、少女は武器を持ち上げた。
『姫』の名を冠する、その鉄球を。