雷撃、火炎、覚悟<中>
風馬は目を見開いた。
こんなぶっつけ本番で部分解除するとは、雷雲は何を考えているんだ!
勝ち方は他にもいくらでもある。例えば武器を捨てるとか。
一番危ない手かもしれないが、最も危険なのは慣れない武器を降り続けることなのだ。
もし刀を慣れてもいないのに扱っていたら、その内刃は斬ってはいけないものを斬ってしまう。最悪、己自身をも斬るだろう。
武器にこだわりすぎて自滅などよく聞くし、珍しくもない。
だからこそ、止めないといけないのに――
何で動かないんだ!
足も腕も、首さえもぴくりとさえしない。まぶただけが、乾きをいとうようにまばたきを繰り返すのみである。
「くそっ……どうやったら動くんだ」
銃は持ったままだ。指さえ動けば、引き金を引くことができる。
これ以上、見てるだけで終わりたくないのに。なのに。
「っ、雷雲ーーー!」
叫びが少年に届いたかは、風馬には解らなかった。
耳に届くのは雷鳴だった。
ばちばちと電気のはぜる音。それだけで、耳の奥がびーんとしびれた。
「……っはあぁ。成功だっ」
雷雲はいつの間にか止めていた息を吐き出した。
自身の精神に異常は無い。ただ、絶え間無く『声』は聞こえてきた。
『私にその身体をちょうだい』
『その幼く血気にあふれた身体を』
『生気のかよわない物体の器は嫌』
『血肉を持ったその器が欲しい!』
耳には依然、はじける音しか聞こえない。声は、脳に直接がんがん響いていた。
正直、胸が悪くなるような声だ。こんな声を聞きながら戦うと思うと、あまりいい気分ではなかった。
だが、これしか自分の勝つ道が見えないのも事実である。
雷雲はスパークをまとった槌を持ち上げた。
「行くぜ!」
唇に笑みを作り、だんっと地面を蹴った。
「意味も無く跳びおって……!?」
修験狸の目が見開かれた。
驚くのも無理は無い。肉体はごく普通のはずの子供が、十メートルも飛び上がったのだから。
「鉄槌・雷」
雷雲は空中に身を置いたまま、槌を降り下ろした。
槌にまとわり付いてるスパークが膨れ上がる――!
バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチィッ
とたん放たれる雷撃。白い雷槌は真っ直ぐそのまま、修験狸に落ちた。
「お、おぉっ、おぉぉぉぉぉ!?」
「元からさ、衝撃波を放つぐらいならできたんだ」
直立したまま叫ぶ修験狸に対し、地面に降り立った雷雲は、少しだけ胸を張った。
「でも地面とか……そーゆー伝えるものが無かったらできなかったんだよ。でも雷撃なら、それ必要無いんだよなー」
得意になって優越感にひたる雷雲。そのため、風馬が大声を上げたのには驚いた。
「馬鹿! 前見ろ前ー!!」
「へ?」
恍惚として閉じていた目を開けると。
ドガアァッ
腹に何かが叩き付けられた。
「は、ぁっ……!?」
防御など間に合うわけも無く、肺の酸素を全て吐き出してしまった。
スニーカーの底を滑らせ、家屋にぶつかる前に止まるも随分後退させられてしまう。
「はっ、な、なに、何……!?」
酸素が足りないせいでうまく喋れない。脳も状況に付いていけなかった。
「甘いぞ、小僧」
修験狸は全身をくすぶらせながら、それでも立っていた。
無傷ではないようだが、体力はまだ残っているようである。
しかしもっとも目が行ったのは、そんなところではない。
「な、何だよ……その腕……」
彼の、右腕である。
伸びている。確かに元々ひょろりと長い腕だったが、地面にひじ辺りがこするほどではなかったはずだ。
第一、さっきまで左手同様、右手の平は人間のそれの形をしていた。
けして巨大ボールの形などではなかった!
雷雲は腹の痛みも忘れ、その腕に見入った。
手(もはやそれは手と呼べるかは解らないが)は大人が膝を抱えたほどの大きさに膨れている。こいつは手長妖魔と融合したのか?
「誰が手長妖魔じゃ」
雷雲は飛び上がった。
「こ、心読んだ!?」
「いや、雷雲口にしてる。心の声ただ漏れ……」
風馬の指摘に、雷雲は「あれ?」と目を瞬かせた。
「まぁいいや」
「いや、よくない」
「それよりじいちゃん、その腕何?」
「聞けよ」
風馬のツッコミをスルーし、雷雲は首を傾げる。今はそっちの方が気になっていた。
「……大したことはしとらんよ。法術で腕を変形させただけじゃ」
修験狸は一瞬沈黙した後、そう答えた。
「法術ってそんなことできんの? おもしれー」
「面白がるところかの……」
「だって面白いじゃん」
雷雲はにやっと笑った。強がりでも何でもなく、ただの心の底からわき起こった笑いだった。
「じゃあさ、それ破ったら俺の勝ちにしてもいい?」
「かまわんが……勝ち目が薄くなるぞ」
「んなこと無いって」
雷雲は槌をゆっくり持ち上げた。
腹の痛みはもうおさまっている。代わりにいつもの調子が戻ってきた。
『卯槌姫』の声も、もう気にならない。
「だって俺が勝つし」
槌のスパークが激しくなった。
「雷対法術だ!」
「……やれやれ、なめくさっておるのう。じゃが」
修験狸の、髭に隠れた口元が歪められた。
「それに乗るのも悪くないのう!」
しゅるしゅると腕が元に戻った。が、すぐ筋肉が盛り上がる。しなびた老人の腕が、隆々とした筋肉に包まれる。
「来るがいい、雷雲よ!」
「絶対勝つ!」
お互い戦闘態勢を取った。雷雲は雷をまとった槌を、修験狸は筋骨隆々な腕を持ち上げる。
「直接対決でどうかのう」
「いいじゃん、それ」
戦闘法を決め――
二人の武器はぶつかり合った。
「ぐぁっ」
こっちにまで飛んできた衝撃波に、風馬は思わず目を閉じた。
ぶわりと髪が持ち上げられる。そのまま倒れそうになるのを、何とか踏ん張って耐えた。
そこで、身体の自由が戻っていることに気が付いた。
修験狸の意識が完全に雷雲の方に向いたんだろうか。そう思って、慌てて目を開ける。
そして、目の前の光景に愕然とした。
雷のドームが、そこにあった。
雷雲と修験狸を中心に、雷が二人を覆っている。
雷雲が意識的に出したのか、それとも自然とこうなってしまったのか。どちらにせよ、これでは二人に近寄れない。
中は雷の障壁にはばまれて影しか見えなかった。
雷雲の槌と修験狸の拳がぶつかり合っているように見える。影のみだが、拮抗しているように思えた。
「す、凄い」
両者一歩も引かない。動かない。否、動けないのかもしれない。
少しでも気を抜けば、このバランスは崩れてしまうだろう。気を緩めた者の敗北という形で。
もし雷のドームにはばまれてなくとも、風馬は手出しできなかったろう。
もし無理に手を出して拮抗を崩し、それが雷雲のマイナスに働いたら……
――そんなこと、考えたくもない。
「雷雲、雷雲、雷雲、雷雲」
負けるな、負けるな、負けるな、負けるな。
「雷雲!!」
風馬が叫んだとたん――
バアァァァァァァァァァァァァァァンッ
雷のドームは破裂した。
スパークの膜がばらばらと落ちて、地面に触れる前に消える。そんな光景を呆然と眺めた後、風馬は我に返った。
「ら、雷雲」
少年の名を呼び、はっきり見えるようになったその姿を見る。
雷雲は立っていた。
そして。
無傷、だった。
「あー、面白かった」
「……」
「いきなりドームできんだもん。これ凄ぇや」
「……」
「でもこれで俺の勝利! うん、うん」
「……」
「あ、風馬。見てた? 俺の完全勝へぶっ!」
風馬は雷雲につかつかと近付き、その頭をどついた。
いつものように。
いつもより強く。
「こんの阿呆! 人心配させておいて、何だその気楽さはっ」
「え!? 心配してたの?」
「当たり前だ!」
「じゃぁ何でどつくんだよ!」
「おまえが度し難い阿呆だからだ!」
「さっきからアホアホって風馬でも許さね」
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
雷雲の怒りは笑い声により遮られた。
風馬と雷雲は笑声の方を見る。笑っていたのは、やはり修験狸だった。
雷雲と違い、修験狸はぼろぼろだ。白い髭は焼け焦げ、服もぼろ衣同然で、肌にもところどころ火傷がある。
あの攻撃を受けてそれだけで済んだのは驚きだが、大ダメージを受けたことには違いない。
しかし大笑いをしている姿は、そんなことつゆにも感じられない。むしろこちらが負けた気分になるぐらいだった。
「いや……はは、すがすがしく負けたわい。こんな気分は何百年ぶりかのう」
「あんた……いくつだよ」
風馬がそう訊かずにはいられないような言い方だった。
「ん? 千数百ぐらいかの」
「な、奈良後期から平安初期にかけてぐらい、か?」
さらりと言われたとんでもない年数に、風馬の頬はひきつった。
「すげー……長生きだな、このじっちゃん」
そういう問題ではないぞ、雷雲。
風馬は内心でツッコんだ。
「はは……人間はいつも想像を越えてくれる。特におぬしらのような種類の者は……」
また収まらない笑いを無理矢理引っ込めたような顔で、修験狸はごほんとせき払いした。
「さて……約束じゃったな。わしに勝ったら、ある情報をくれてやると」
風馬と雷雲の間に緊張が走った。
そうだ。その情報が欲しくて雷雲はこの老人と戦ったのだ。
風馬はそれが履行されることに懐疑的だったのだが、ちゃんと守ってくれるらしい。
「……その情報とは、羽衣姫に関連することか?」
「うむ」
風馬の問いに、修験狸は重々しく頷いた。
「羽衣姫……あれは、あの者は、もともとは降魔武器などという悪しき存在ではなかった」
「え……」
風馬は目を見開いた。
そんなはずがない。どの文献でも羽衣姫は降魔武器と記されている。人の魂を喰らう、凶悪にして強悪な武器だと。
だが、それに続く修験狸の言葉は更なる衝撃を与えた。
「羽衣姫は、その昔――人間じゃった」