第二十四話 雷撃、火炎、覚悟<上>
「ここどこッスか」
「解んない」
「平安京の中みたいッスけど……空間まで変わったってことは……」
「それは無いね。気の流れが同じ」
「にしても便利ッスね。その気がどうとかいうの」
「李家、というか道士は、日本の退魔師とは戦い方が少し違うからね」
「例えば?」
「そうだね……術系統とか? うちは練丹術とか風水とか使ってるし」
「レンタン術はともかく、風水は日本でも使われてますよ」
「元は同じだけど、術法が違うと思うよ。多分」
「ふぅん。やっぱ国柄ッスかねぇ」
無駄話終了。
足元が沈んだかと思えば別の場所に出ていたため、とりあえず猛と舜鈴は会話を交わした。
別に理由は無い。強いて言えば混乱した頭を整理するためである。
いきなり知らない場所に放り出されたら普通は何も言えなくなるのだが、そこは不測の状況に慣れた退魔師。少し話しただけで冷静になれた。
もっとも冷静になれたからといって、この状況がどうなるわけではないが。
「それで……どうやって戻ろっか」
舜鈴はふむ、と唸った。
周りに人影はいない。風景、というか平屋の造りは皆同じなので、おおよその場所の検討もつかない。いわば、迷子状態である。
「いきなり足元が沈んでどこか解らない場所に出て……偶然じゃぁないですよね」
健は槍を持ち直した。鋭くした目を、すぅっと辺りに向ける。
「否、だよねぇ。どうやったかは知らないけど、うまく分離されちゃったみたい」
舜鈴の傍らには、いつの間にか『傀儡姫』がいた。顔には仮面が付けられている。
「いつも思うんスけど、それ一体どっから?」
「秘密。それより」
舜鈴は黒く塗り潰された天井を見つめた。
「上」
「え?」
舜鈴が口にしたのは中国語で、その意味は解らなかったが、上を見たので多分上だろうと猛は目線を上に向けた。
目に映ったのは、黒い何かである。小さな黒いそれが、幾つも飛来してきた。
それの光が、同色であるはずの空で刃のように輝いている。
……刃?
「……って、攻撃!?」
言うまでもない。
それは羽根の弾雨だった!
慌てて避けようとするも、間に合うはずが無い。気付くのが遅かったのだ。
ならせめて受ける攻撃を減らそうと身をかがめた時、舜鈴が前についっ、と出た。
「まかせて」
舜鈴はにこやかに微笑み、両手を前に出した。ぼう、と彼女の両手が発光する。
光が舜鈴と猛を取り囲むと同時に、黒い物体が落ちてきた。
ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ
鈍く響く、突き刺さる音。しかし――二人の身体に、それは届かなかった。
黒い羽根が突き刺さったのは、光る半透明の障壁である。舜鈴が腕を下ろすと同時に、消えてしまったが。
「羽根……鳥?」
舜鈴が片眉を上げると――
「んん……避けられたんか」
上空から眠そうな声が落ちてきた。
興味の無さそうな、もの凄く気だるそうな。
ようするに敵に対しての口調ではない。
「まぁええわ。挨拶みたいなもんやさかい。でもわりと本気で飛ばして……もうええわ、めんどくさい」
だるい声と共に、一人、いや一匹――とにかく半妖が降りてきた。
まだ若い、二十歳そこそこの男だった。両腕に翼のように黒い羽根がびっしり生えている。両頬辺りにも、黒い鱗のような羽根があった。
しかしそんな異様で異容な姿でありながら、その顔はあくまで気の無い顔だった。
気というか生気が無い。ついでに言うと覇気も無い。
一発で倒されそうな顔だった。
「あやー……あぁいう人って、盛り上がりに欠けるね」
「いや、戦いに盛り上がりを求めることは間違いじゃ」
猛は気が抜けた。
が、明確な殺気を感じ、ハッと振り返る。
「それがしに気付くとは、さすがだな」
平屋の影から現れたのは、腕が木のように変形した男。
「亜紅太法師……!」
「今度こそ貴様に流れる橘の血、絶やす!」
亜紅太法師が眼前にまで迫ってきた。
その目を憎しみで、ぎらぎらと輝かせながら。
―――
第一撃は雷雲からだった。
下段に構えた槌を、走りながら振り上げる。
顎を狙ったそれを、修験狸は背中をそらして避け、雷雲が振り切ったところで頭突きを喰らわせた。
雷雲は呻き、後ろに後退する。額がずきずきと痛んだ。
「っつー! な、なんて石頭だよっ」
「馬鹿! 気を抜くんじゃないっ」
風馬の声と一緒に、腹に衝撃が与えられた。
「っが」
「ぬるいのう、餓鬼」
拳をめり込ませた修験狸は、目を剥く雷雲の顔を覗き込んだ。
「戦いで気ぃ抜くとは、未熟にもほどがある」
そのまま雷雲の服のえりを掴み、地面に叩き付けた。
「雷雲!」
その様子を見た風馬は、思わず走り出す。だが、すぐ足を止めた。
止まった、という方が正しいかもしれない。足は、二、三歩踏み出しただけで動かなくなった。
「邪魔をしないでもらおう」
修験狸はにや、と笑った。
「殺しはせんよ。加減はしとる。そもそもわしは、近接戦向きでなくての」
「き、さま……!」
「こうやって法術を使う方が性に合ってる」
苦悶の表情を浮かべる風馬に対し、修験狸の表情はすずしげだ。
口元を更に歪ませ、続ける。
「わしを他の半端者達と一緒にするな。……まぁ熾堕と、裏切った月読は別格じゃがな」
ふむ、と唸り、目を細める修験狸に、風馬は眉をひそめた。
なぜその二人を別格にするのか。月読――葵はまだ解るが、しかし熾堕は? あの圧倒的な力のことを言ってるのか。
しかしそれを問うことはできなかった。修験狸が、起き上がった雷雲に向き直ったからである。
「まだ立ち上がれるか。根性はありおる。が……その武器の力を持て余しておるのが残念だの」
修験狸の言う通りだ。雷雲は己の武器を使いこなせていない。
そもそも槌に、決まった型など無い。剣や銃、槍のように流派があるわけでもない。
それは文菜も同じなのだが、彼女は独自の戦闘スタイルを確立している。一方、雷雲はそれを作り出すには幼過ぎた。
つまり、雷雲は素人同然なのである。それをずば抜けて高い身体能力で補ってるにすぎない。
結論を言えば、雷雲は『卯槌姫』を扱えてない。
武器を使う者として、これは致命的な問題である。
「……うるせぇよ」
それを理解できないほど雷雲は幼くなかったし――
「それでも、ぜってー勝つ!」
しかしそれを認めるほどに成長してもいなかった。
「うらぁ!」
雷雲は槌をぶんっと薙いだ。が、あっさり避けられる。
今度は修験狸の裏拳が襲ってきた。雷雲は槌で受け止めるも、ぐらりとよろめく。
そこに顔面を狙った拳が飛んでた。とっさに空いた手で防ぐが、勢いは殺せず後ろの家の壁に叩き付けられた。
背中に激痛が走り、座り込みこそしなかったものの、その場に立ち尽くす。
そんな雷雲を追撃せず、修験狸はじっと見つめていた。
じぃっと、じろじろと。
観察するように。値踏みするように。
ただ、じぃっと。
「くそったれっ……」
一方雷雲は悪態をついた。
それしかできなかった。動いても、簡単にさばかれてしまうことを悟ったからだ。
自分の動きに無駄が多いことぐらい解っている。ただそれを認めたくなかった。
子供っぽい意地だ。子供扱いされたくないがゆえの、浅はかな行動だ。
そんなこと、解っている。
解っているかといって、認めたくない。
意地を張り続ける。そのために、この男に勝たなければならない。
でも……どうすれば勝てる?
(扱いきれてない。んなこと解ってるよ! だって、部分解除だってできないし)
いや、できないというより、試したことが無いのだ。
試す必要が無かったのだ。桐生家のみんなに守られていたから。
守られて――それに甘えていた。
なんて情けない。たった四つしか違わない悠や猛、文菜はしっかり戦ってるじゃないか。
四という差がそれなりに大きいということを、雷雲は理解していなかった。
しかしだからこそ、その小さな胸に覚悟が芽生えた。
倒したいんじゃない。倒さなければならないじゃない。
絶対に倒す。
「『卯槌姫』――」
危険なのは解っている。自分の精神など、姫シリーズはあっという間に飲み込むだろう。
それでも、迷わない。
「部分解除!」
敵を倒す。念頭にあったのは、ただそれだけだった。
―――
背後の戦闘音に振り返ると、健が木のような腕を持つ男と交戦を始めていた。
「あっちがあぁだと……私は貴方とかな」
舜鈴が声をかけても、男の反応は薄かった。
ぬぼー……と、視線を合わせるだけである。というか、目が死んでる。
「ねぇ、聞いてる?」
「……聞いてるけどなぁ」
男が気だるげに口を開いた。
「正直めんどくさいねん。何でめんどくさいかってーと……それ言うのもめんどくさいわ」
「……」
舜鈴はじっと男を観察した。
その姿以外は、別段怪しいところは無い。自分のように武器を隠している様子も無かった。
とはいえ、不用心に近付くにはまだ相手の手を知らなさ過ぎる。
「……『傀儡姫』、部分解除」
そう舜鈴が言ったとたん、人形の剣を持った両手が袖の中に引っ込み、代わりに一メートルはある合計十本の鋭い刃が現れた。まるで十指が刃となったかのように。
「おぉ?」
男の眠たげな半眼がちょっとだけ見開かれる。
「剣傀儡」
人形が走り出した。触れれば当たり前に斬れるその刃の指を、男の顔に突き出す――
ガイィィィィィィィィィィンッ
が、受け止められた。
「考えるのがめんどくさいぐらい直線的やなぁ」
その翼のような腕で、完璧に。
「これで終わりちゃうよなぁ」
「当然」
舜鈴はふっと笑みを返した。それと同時に、人形が男との間合いを取る。
「白傀儡」
刃の指が引っ込んだ。
代わりに元の人に近い手と、その手に携えられた二つの巨大な鉄扇が袖から飛び出した。
人形が再び男に迫る。しかし、さっきと動きは明らかに違った。
踊るような――否、まさに舞踏そのものの足さばきで予備動作に移ったのである。
当然男は先程の動きに合わせた防御をしたため、その動きについていけない。
それでもぎりぎり腕を持ち上げた。薙いだ鉄扇がその腕に接触する。
しかしそれだけだった。それで攻撃をするわけでもなく、ただ触れただけで鉄扇は止まる。
それとほぼ同時に、人形はその場で回転した。
防御された方とは逆の鉄扇を、男の首へ振っていた。
しかし男の動きは思った以上に速い。腕をはばたかせると空中に逃れた。
ここでようやく一瞬。常人では残像しか見えなかっただろう。
「……驚いた」
半目だった男のめが、ここで初めて完全に開かれた。
「姿、というか武器が変わると動きも変わるのか。どう操ってるんか教えてほしいわ」
「そんな暇、あるわけないでしょ」
舜鈴はくすくす笑った。
「後ろ、がら空き」
背後に回った『傀儡姫』に気付かない男の図が、とてもおかしくて。
「っな……」
「天傀儡」
男の脳天に人形の踵落としが炸裂した。
防ぎようの無い不意討ちに、男は速度を上げて落下する。墜落した時には、地面がべこりとへこんだ。
一方、攻撃をしかけた人形はまだ空にいる。
鉄扇はもう持っていない。代わりに、薄い衣をまとっている。それを使って空中に浮かんでいるのだ。
「ふん、あっけない。……そういえば、名前訊いてなかったなぁ」
母から礼儀はちゃんとするよう言われているのに。自分も名乗っていない。
「……まぁいいか」
それより早く猛のところに行かなくては。
舜鈴はくるりと方向転換した。
「……めんどくさいほど驚いた」
ぴた、と筋肉が自動的に停止した。
ただ首だけが、くるりと元来た道を振り返る。
「お嬢ちゃん……今本当に死にかけたわ、俺。別に責めてるわけやないけど」
土ぼこりが背中から落ちる。あれほど強く叩き付けたのだ。折れてないにしろ、全身にひびは入っているはずである。
なのに、その男は立ち上がった。
「……キョンシーなの? 貴方」
「何や、それ」
男は面倒そうに眉をひそめた。
……とりあえず、祖国にいるゾンビ妖魔ではないらしい。
「いやな、めんどくさいけど名乗ってなかったなと。俺は久遠牧師や」
「牧師、ねぇ」
舜鈴の頬に冷たい汗が伝った。
予想外だ。まさかと思うがこの男、全身があの硬い羽根に覆われてるんではなかろうか。だから立てたのではないか?
だとしたら、生半可な攻撃は効かないだろう。
……面白い。
舜鈴は両手に三本ずつ、クナイを持った。『傀儡姫』は降りてきて、刃の指を構える。
「中国道士総本山、李家第五子にして当主第一候補、李舜鈴」
舜鈴はすぅっと微笑んだ。
気高く、思わず頭を垂れてしまいそうな美しい微笑を魅せたのである。
「お手柔らかに、久遠牧師殿」
「……めんどくせぇ」
黒いクナイと黒い羽根が空中でぶつかりあった。