第三話 マリオネットメイデン<上>
私は見えない糸で繋がれていた。
決して操り手に逆らわないように。
『大丈夫よ。私が守るから』
それが、私を束縛していることに気付いたのはいつだったか。
父の棺を前にしながら、私は泣けなかった。
人形は泣かない。それが当たり前。
でも、私は人間。なのになぜ泣けない?
葬儀に来た人たちの声、こんなに近いのに、どうして聞こえない?
聞こえない、何も、何も……
「心配しなくても大丈夫よ」
どうして、あの女の声しか聞こえない?
「私が、守ってあげるから」
私は――
―――
『女の子って、どういうのが好きなんだ?』
「……はぁ?」
幼馴染みのいきなりの電話に、若菜は眉をひそめた。
「ちょっと流星。一体何なのよ? 説明して」
『わ、悪ぃ。実はさ……』
流星の話では、来週誕生日の女の子にプレゼントを送りたいのだが、どんな物がいいか、ということらしい。
その話を聞いたとたん、若菜は少し顔を曇らせた。
しかし声にはそれをおくびにも出さず、言葉を重ねる。
「それで私に訊くために電話したわけ? 少しは自分で考えなさいよ」
『昨日夜中にずっと考えて浮かばなかったんだよ。だからこうして訊いてんのに……』
流星はしょげかえった声を出した。
「まったく……。解ったわよ。一緒に考えたげる。今から出られる?」
『ん? おう』
「じゃ、決まり。一緒にプレゼント探しに出かけたげるわ」
『マジ? サンキュー若菜!』
流星の声の調子が上がった。
若菜は複雑な気持ちで「じゃ、私んちに来てね」と言って電話を切った。
「……あーあ。流星にも好きな娘ができたかー」
何だろう、モヤモヤする。
……嫉妬、かな。
「……サイアク」
今の気分を呟き、若菜はため息をついた。
―――
アクセサリーショップは、思った以上に空いていた。
平日な上に、セールも何も無いからかもしれない。
「女の子にプレゼントするなら、やっぱアクセでしょ」
若菜の言葉に、流星は納得する。
確かに、おしゃれなものが嫌いな女子はいない。
「その子、おしゃれ好き?」
「おう。ダサい服着てるとこは、見たことねーな」
流星は悠の服装を思い出した。……今気付いたが、全部足が剥き出しになる服だった。
「……美人なの?」
「ん? あ、あぁ……」
あれが美人じゃないなら、この世界に美人はいない。そう思える。
「特徴とかある? あ、これ可愛いー」
近くの棚を見ながら、若菜は尋ねた。
「そう、だな……あ」
流星は、鏡の前で飾り付きゴムを見つめる女性達を見て、一つ思い出した。
「あいつ、長い黒髪が自慢だっつってたっけ」
「あいつ?」
若菜は棚から顔を上げた。
「プレゼントあげる奴のことだよ。椿悠っていうんだけどな」
「ふぅん……そう」
若菜の顔が、一瞬暗くなった。
流星は首を傾げるが、大して気にせずに髪飾りのコーナーに近付いた。
「髪飾りにするの?」
「おう。何がいいかな」
流星は手近の黒い花型の髪留めを手に取った。
「黒髪に黒じゃ映えないわよ」
「そ、そっか」
流星は髪留めを元に戻し、目線をスライドさせていく。
「何色がいいかな」
「その娘、何色が好きなの?」
「黒と青……あ、紫も好きって言ってた」
「じゃ、色は青か紫のどっちかね。あとは形だけど……」
二人がかりで探しても、ピンと来るものは見つからない。
流星は諦めかけ、別のにしようと移動しかけた時、肩をつつかれた。
振り返ると、セミロングの黒髪の女性が背後に立っていた。
少し頬に赤みのさした童顔の女性で、ふくよかな顔立ちだが瞳は空虚で何も映していない。
二十歳ぐらいだろうか。服装は地味で、派手な店内では場違いな印象を受けた。
「何ですか?」
「これ、君が探してるプレゼントにぴったりだと思うけど」
女性は右手を突き出した。
手の平に乗っているのは、銀細工の髪留めだった。蝶の形をしていて、青い石が一つ付いている。
シンプルだが、悠に似合いそうだった。
しかし、なぜ彼女は流星がプレゼントを探しているのを知っているんだろうか?
先程の会話が聞こえたんだろうかと思ったが、驚くことに違うらしかった。
「美少女な想い人を持って苦労するだろうけど、頑張って。そのために誕生日プレゼント買いに来たんだろ」
「……は?」
「あぁそれと、南の大通りには行かない方がいい」
それじゃ、と彼女は手を振って店の出入口に足を向けた。
「あ、ちょっと待っ……」
「どうしたの?」
「いや、えっと……あれ?」
一瞬若菜を見た後、再び女性に目を戻した時には、彼女の姿はもう無かった。
「ホントにどうしたの? ……あ、それ買うの?」
「え……」
流星は自身の手の平を見下ろした。
先程の女性が持っていた髪留めが、手の中で輝いている。
渡された記憶は無い。なのに手の中には、さっきの髪留め。
白昼夢でも見たのだろうか。だとしたら、さっきのあのセリフは?
「な、なぁ若菜。南側の大通りで、何かあったか?」
訊くと、若菜は目を丸くした。
「あんた……もしかして知らないの?」
「何が?」
「今朝のニュース見てないの? 男の人が、お腹メッタ刺しにされて殺されたの。確か名前は沢木……」
「もしかして、沢木義孝って人か?」
「そう。なんだ、知ってるんじゃない。女の人に殺されたらしいけど、自業自得よ。犯人、だまされた人らしいし……」
流星は、途中から若菜の話を聞いてなかった。
『痛い目見るのは彼だから』
悠の言葉が、脳裏に甦る。
彼女は解っていたのだ。沢木が殺されることを。
だから助かる道を示した。
悠に金を払って庇護を求めるか、警察に行って自由を代価に安全を確保するか。
しかし、あの男はどちらも選ばなかった。
その結果が、死とは――
……いや、今はそんなことより、さっきの女性。
悠のことはおろか、沢木のことまで知っていた。
あの女性は、一体何者なんだ!?
―――
どこにでもある、ただの小さな民家。
それが悠の、この家に対する感想である。
依頼人の家の中を見渡し、悠は眉をひそめた。
依頼内容はポルターガイストの調査。
家具や食器の位置が動いたり、酷い時には急に何かが粉々に砕けたりしたりするという。
いつも目の前で起こるので、依頼人は恐怖に取り憑かれているようだった。
で、依頼人の西野澄加は、不安そうな顔付きで悠の前に紅茶のカップを置いた。
「ポルターガイストが起こり始めたのは、いつから?」
紅茶に手をつけずに尋ねると、澄加は少し考える素振りをした後、声をひそめた。
「その……夫が亡くなってすぐですから、二週間前からです」
「ふぅん。他に家族は?」
「娘が一人。今年で二十歳になります」
「大学生?」
「はい」
澄加が頷くのを見て、悠はふむ、と腕を組んだ。
端から見れば、妙な光景だろう。
澄加は今年で五十歳になる。
悠とは三回り近く違うわけで、そんな彼女が年下の少女にへこへこしてるのだから。
ただ、悠はそんな場面に一ミリも違和感を感じなかったが。
「でも澄加、さん。私が見る限り、霊等の気配はしないけど」
「そんなことありませんっ。確かに変なことが起きてるんです!」
「別に否定はしてないでしょ」
ヒステリックな声音に、悠は困った顔を浮かべた。
しかし実際霊気も無ければ、妖気も感じられない。
もしかして、これは……
悠が口を開きかけた時、ただいま、という声が、玄関から聞こえた。
娘が帰ってきたらしい。
リビングのドアが開いた。
「おかえり。早いのね」
「一つ休講になった」
ほんわかした見た目とは裏腹に、口調は冷たい女性だった。
雰囲気のせいか、聞いた年齢より大人っぽく見える。
「娘の紗矢です。紗矢、こっちは……」
「退魔師」
ぼそりと紗矢の口から紡がれた言葉に、悠は目を見開いた。
紗矢を凝視していると、彼女は少しだけぽってりした唇を綻ばせた。
「……邪魔みたいだから、部屋に行く」
紗矢は悠と澄加に背を向けた。
「え、ちょっと!」
母親の制止も聞かず、紗矢はリビングから出ていった。
「……はぁ。すみません、礼儀のなってない娘で」
「いえ……」
悠は無意識の返事を返した。
あの人……もしかして。
「彼女と、話をさせてくれる?」
「え? は、はぁ……」
澄加は不審がりながらも了承してくれた。
二階の紗矢の部屋をノックすると、簡単に入室が許可された。
「紗矢、貴女と話がしたいって、この人が」
澄加が言い終わる前に、紗矢の目が悠を捉えた。
少々不釣り合いな女の子らしい部屋の勉強机に座った紗矢は、悠に無言の問いかけをした。
悠が頷くと、紗矢は座ったまま母親に向き直った。
「お母さん。悪いけど、出てくれる? この娘と二人きりで話がしたい」
「え、ええ」
澄加は頷いて出ていく。
気配が遠ざかると、紗矢は悠の瞳を覗き込んだ。
「……君はあたしと『似て』いるな」
その言葉に、悠は唇を噛んだ。