第二十三話 分散<上>
暗い部屋。その部屋の主は酷くいらだっていた。
羽衣姫はかり、と自分のものではない自分の爪を噛む。大きな瞳は、怒りでつり上がっていた。
「どうして……どうして……妾は無敵だというのに……」
どうしてあの一撃で、自分は一時的でも動きを止められたのか。
「封印が解けたからでしょう」
突然響いた声に、羽衣姫はハッとした。
そういえば熾堕もいたのだ、と今更ながら思い出す。
「……どういうことん?」
問えば、闇からすぅっと姿を現した銀の美丈夫は長い銀髪を後ろに払った。
「知っているはずですよ。封印は確かに貴女の力を封じていた。ですが、貴女を守りもしていました」
「……」
「封印は、一種の強力な防術にもなっていました。人柱を殺すことは、守を代償に力を得たも同然」
熾堕はくすりと笑った。冷笑でも嘲笑でもない、ただ唇がゆるんだだけの笑い。
しかしそれは、羽衣姫のしゃくに触った。
「失敗しましたね、羽衣姫様。力ではなく、守りを得るべきだっ」
熾堕の声が途切れた。
途切らせたのだ。羽衣姫が熾堕の頭を砕いて。
「お喋りねん、熾堕ちゃん」
羽衣姫は腕から伸ばした太い帯を戻し、付いた紅い血をなめ取った。
「でもぉ、いい男は、黙っていた方が見栄えがいいわん……♪」
「……そうですか」
頭の無い、血まみれの身体が起き上がった。ゾンビさながらに、ゆらりと。
「しかし、俺は観賞用にされるのは遠慮したいですね」
立ち上がった時には、熾堕の頭は完全に元に戻っていた。
何ごとも無かったように。何もされてないというように。
頭蓋をこなごなにしたのに、全くこの男はどういう身体をしているのだろう。
全ての傷、全ての死。己に降りかかった全て、この男は無効にできる。
どういう要因だろうと、どういう災難であろうと、この男には無いのと、あるいは起きていないのと同じだ。
例え、自分の攻撃であろうとも。
本人はそのことを「地上の理に当てはまらないから」などと言っている。
馬鹿馬鹿しい、理は地上にしかない。なぜなら地上にしか生物はいないから。
その理に当てはまらないのなら、もはやそれは生物ではない。
だが熾堕は生物だ。なら地上の理は彼にも適用されるはず。
この再生能力には別の理由があるはずだ。そう、何か理由が……
『理由など無いよ』
脳裏に突然、封じ込めていた声が響いた。
そう、あの男は言ったのだ。
理由など無い、と。
『なぜ貴女などに私をやらねばならない』
あの男は妾を拒否した。
『内に醜い淫魔を持つ貴女などに』
あの男は妾を醜いと言い。
『どうしてこの身をささげれるというのか』
嘲笑ったのだ!
「あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 憎い憎い憎い憎い嫌い嫌い嫌い嫌い! どうして妾の思い通りにならないのっ。どうして? どうして!? 全て妾のものでしょう? 妾に従うものでしょう!?」
頭を振り乱し、叫ぶ。今の羽衣姫の瞳には何も映っていなかった。
ただ憎いと嫌いと、自分の唇ではない自分の唇でくり返すのみである。
一人その身をねじるように叫び出した羽衣姫を、熾堕は冷めた目で見つめていた。
「止めなくてよろしいので?」
背後にいきなり現れた部下に驚きもせず、熾堕は肩をすくめる。
「また頭を潰されるのが落ちだろう。何の痛痒も感じんが、気持ちのいいことではないし」
そう言えば、フードを目深に被った部下は「ですが」と口を開いた。
「部下としては、貴方の頭が砕かれる様を見たくありません」
「……ですがの使い方、おかしくないか?」
「私が言いたいのは、先程の攻撃は避けられた方がよかったのではということです」
部下は熾堕の横に立ち、じぃっとこちらを見上げてきた。
熾堕は部下を見返し、ふ、と苦笑した。
「いきなりだったからな。どのみち避けきることはできないだろうさ」
「ですが」
「ここではあれが絶対」
熾堕は視線を羽衣姫に向け、その後背中を向けた。
「ここであれより強いものはいてはいけない。……そういう考えで、俺の力の大半を封印した。身体がついていかないのは当然だろう」
「それに」と、熾堕は静かにその部屋を去りながら言葉を続ける。
「あそこで避けてみろ。更にあれは暴れるだろう。なら、素直に受けるしかないさ」
「……」
部下は後ろを歩きながら無言になった。
納得はしていないようだが、一応譲歩してくれたようである。
熾堕は苦笑しながらも廊下を進んだ。
室内とは違い、随分時代錯誤な造りの建物である。いや、室内も和洋の違いだけで充分時代錯誤か。
確か、寝殿造と呼ばれる建築様式のはずだ。かつての日本で建てられた屋敷の部屋は、それぞれ屋敷に合わない西洋などの造りにされている。
自分にあてがわれた部屋は、白い壁に黒い家具が必要最低限以下しか置かれていない。和とはほど遠い部屋だ。
もっとも、熾堕はその部屋で一度も休息を取ったことは無かったが。
「……ところで、椿 悠達はもうこの空間内に入ったのか?」
「はい」
ふと思い出して尋ねれば、部下は細い顎を引いて頷いた。……若干まだ不機嫌そうだったが。
「そう怒るな。あと数刻の辛抱だ」
「承知しております。ですが、貴方のシナリオが少々……」
部下はそのまま押し黙った。
熾堕に何かを言われたわけではなく、言おうとしたことがこの場ではかなりまずいと気付いたからである。
気付けば、幹部達が集まっている場所にいたのである。
紫宸殿と呼ばれる建物である。右に桜、左に橘の木が置かれており、その奥に紫宸殿がある。
ちなみに桜は現在、いや過去から未来に置いても咲いていない。咲いたことがない。
そしてその手前に、幹部達が集合していた。
中には人柱狩りに参加していなかった、留守を預かっていた者達もいる。
今、妖偽教団の手元にある戦力は彼らしかいなかった。雑魚達は椿家討伐に当てている。
つまり、迎え討つ者は自分達だけなのだが――そこで、熾堕は首を傾げた。
「おい、一人足らないぞ」
異彩を放つ彼らの中でもかなり目立った服装の『彼女』がいないことに、熾堕は片眉を上げる。
「あいつなら、羽衣姫様んとこだろ」
この中ではあまり目立たない方の獏僧が、やれやれとばかりに首を振った。
「それに、元々俺ら日陰モンの中でも更に表に出ねェ奴だし。いつものことだろ」
「……そうだな」
熾堕はため息をついた。実はそいつが彼にとって一番の不安要素なのだが――この際しかたない。
「全員気付いていると思うが、退魔師共がここに来ている。とはいえ、ごく少数」
「それで、一気に私達が袋叩きにするわけ?」
苦妃徒太夫の問いを、熾堕は「いや」と否定する。
「連携でもされたらマズい。俺達は協力して戦うことが苦手だからな」
「……身も蓋も無いわね」
顔をしかめつつも否定はしない。彼女も解っているのだ。自分達はお互いの力を相殺してしまうことに。
「じゃ、どうするの? 奴らがそう簡単にバラけるとは思えないけど」
「バラけるのを待つんじゃない。バラけさせるんだよ」
熾堕は笑みを作り、視線を幹部の一人に向けた。
黒いコートを着た女だ。ウェーブがかった黒髪に、アジア人離れした西洋風の整った顔立ちで、年齢を感じさせない雰囲気である。
「薔薇司教、頼むぞ」
「……ええ。当然よ」
女――薔薇司教は黒い手袋をはめた手で髪を後ろに払った。
「全ては羽衣姫様の御ため、ね……」
―――
流星は眉間にしわを寄せていた。
不快や不機嫌の表れではなく、また後悔し出す自分に嫌気が差したのだ。
「流星、どうしたの?」
悠が首を傾げた。すでに刀を抜いており、臨戦態勢である。
「ん……何でもない」
「そう。でもま、別に道案内しろとは言わないから安心してよ」
木の小屋が並ぶ風景を見渡しながらの言葉に、流星は「ん?」と顔を上げる。
「でも、道解んのか?」
「ここ、平安京を模してるんだよな」
答えたのは風馬だ。彼は銃弾を確かめている。
「だったら、それを考えて進めばいいわけだ。俺、大学は歴史専攻してたから、だいたい道覚えてる」
「ていうか……真っ直ぐ進んだら行き着く気がするんスけど」
猛は目の前の大きな道を眺めた。
「朱雀大路だと思うし、ここ」
「あら。だったら羅城門は、私達が降りてきた後ろの小屋?」
日影は首をひねった。
「……羅城『門』というより、羅城『小屋』だな」
城であるかも怪しい、と紗矢は腕を組む。
「あれ? 羅城門じゃなくて羅生門じゃなかった?」
「それは小説」
雷雲の疑問に、文菜が答える。
「あれ、一緒じゃないの? 言い方が違うだけで」
雄輝の言葉に舜鈴が首を傾げた。
「私は中国で平安京のことは学ばなかったけど、確か唐代の長安の都が平城京のモデルになったとか」
「ちょっとストップ!」
流星は慌てて制止をかけた。更に口を動かそうとした一同は押し黙る。
「な、何か当初の目的、忘れてねぇ?」
「忘れてないよ」
当然というように悠が見返してきた。
その割には話が脇道にそれていた気がする。
もう少しでついていけなくなった、と流星は顔をしかめた。
「……ま、ここに留まってても仕方無いし、進もうか」
悠が一歩踏み出した。
「気を付けろ。何があるか解らない」
紗矢の言葉に、一同は頷く。
無論誰も油断などしていない。最後の戦いだというのに、気が抜けるわけないのだ。
一見無駄な会話も、必要以上の緊張を解きほぐすためである。
……もっとも、流星はそこまで気が回らなかったのだけど。
ただ、目の前で持ち上げられた長い髪をまとめる髪留めに視線が行った。
「悠、それ……」
流星が声をかけると、悠はにこりと笑った。
「最後の戦いで、髪が邪魔で負けたなんてオチは嫌だもの」
悠は髪を綺麗にまとめ上げた。白く細いうなじにどきりとしたのは、流星だけではなかったりする。
「あー……早く行きましょう」
雄輝がごほんとせきで色々とごまかした。
進み出す一同。周りは音を失ったように沈黙していた。
例えばここは実物大のジオラマのような、最初から人が住まない前提で造られたような、そんな不自然さを伴っていた。
その中で歩く生きた自分達は、さぞ異質に見えるだろう。生物ではなく静物の方が、この場にはふさわしい。
そこまで考えていたわけではないけれど、ただ、一度目の時には感じられなかった違和感に、流星は顔をしかめた。
そのことを口にするより早く、感覚が消失する。
違和感の、ではない。それはまだ身体にまとわり付いたままだ。
消えたのは、背後の気配。
「……えっ」
流星は振り返った。悠と、彼女の少し後ろにいた朱崋も、同じく。
いない。
誰もいなかった。
仲間が、一人も。
呆然と、さっきまで仲間がいたはずのところを見つめる。
周りを見渡しても、姿も影も、髪の毛一本すら見当たらない。
「み、みんな……? どこ行ったんだ!?」
流星は声を張り上げた。
答えは、返ってこない。
「どこかに強制的に飛ばされたみたいだね」
悠は眉間にしわを寄せた。
「でも誰が……近くにいないと転移なんてできないのに」
悠の言葉が途切れる。流星はハッとして振り返った。
「おォー、うまくバラけたな」
顔にタトゥーを彫った青年は笑った。そして、隣の銀へ目を向ける。
「今んとこおまえの作戦通りだなァ、熾堕」
「どうかな」
銀の髪に銀の双眸の美丈夫は唇を歪めた。
「全てが思い通りにはならないさ」
「熾堕……!」
悠が刀を持ち上げた。
「おまえ達が何かしたの?」
「正確には、俺達の仲間だぜ」
タトゥー男――もとい、獏僧はまたもや笑い、目を流星に向けた。
「よォ。俺的にはおまえに仲間になってほしいけど、羽衣姫様が殺せって言うから殺すぜ」
「……望むところだ。俺もおまえを倒す!」
流星は小刀を抜いた。
「今ごろ他の奴らも仲間がもてなしてるはずだ。あの世で再会しな」
獏僧の皮膚の下から、灰色の皮が現れた。めりめりと人間の皮膚が破れ、半身が灰色の妖魔と化す。
「熾堕、俺は鬼童子をやるぜ」
「……ふむ。なら俺は椿 悠か」
「できるもんならやってみろ」
「倒される自覚、少しは持ちなよ」
戦いは――互いの言葉が終わると同時に始まった。