戦意<下>
流星が出ていった後、急に飛び出した猛を日影は追いかけていた。
「どこ行っちゃったのかしら、全く」
すぐ追いかけたからそう引き離されてはいないはずだが。
小走りになった日影は、廊下の端で膝を抱える少年を見付けた。
「猛! いきなり出てっちゃって、どうしたの?」
駆け寄ると、彼はすっと顔を上げた。
眉根を寄せ、瞳は光を失っている。怒りによるものとはいえ、先程まで元気があったのに今はどこか暗い。
「……本当にどうしたの?」
日影はしゃがんで、猛と視線を合わせた。
大人びた容貌を持つ少年は、整った顔を歪めた。
「日影さん、俺……解んなくなってきた」
大きな身体を縮こませるようにして、両膝に顔をうずめる。
「俺、どうしても恭弥さんが許せなくて、憎もうとしたけどでも、悠が恭弥さんに生きてほしいって言うのを聞いたら……」
どうやら少し前まで悠がいたらしい。今は自分達以外、誰もいないが。
「本当は誰も憎みたくないんス……憎しみの顔は、あんなに歪んでんだって思うと……でも、でもっ……」
「怒りを抑えきれない?」
後を引き継ぐと、猛はためらいがちに顎を引いた。
「……沙矢さんの言葉、否定できないです。俺は他の人はどうでもいい。家族が殺されたことに怒ってる」
「猛君……」
「もし家族が生きてたら、きっと恭弥さんをかばってた。……身勝手にもほどがある」
ぎり、と奥歯を噛み締める音がした。日影の目の前で、猛の頬がぬれていく。
「良心に従えばいいのか怒りに従えばいいのか、俺には解らない。解らないんだ……」
声が震えている。十四歳の少年だ。心は自分以上に揺れているのだろう。
そういう自分も彼と二つしか変わらない。彼みたいに心の内を吐き出してしまいたかった。
でもそうするほど自分は子供ではなく、それをうまく表現できるほど大人でもなかった。
正直今回のことは予想外だった。
親しい人間が、誰よりも優しい人間が下した非情な決断。
その罪を言及するのか、許すのか。日影にはその選択権は無い気がした。
紗矢と刀弥の話を信じるなら、桐生家に恭弥は関わっていない。
関わったのは、裏切った流亜。
自分の双子の弟。今となっては、たった一人の肉親だった。
家族同然に過ごした雷雲と風馬はいるけれど、血の繋がった者はもういない。
独りなんだ。猛と同じように、支えてくれる家族はもういない。
「……ふ」
急に目が熱くなった。猛の顔がぼやけて見える。
「う、ふっ……ふぇっ」
「え、ちょっ、日影さん……!?」
猛の慌てた声が聞こえてきた。その間にも目の熱はどんどん酷くなって、ついにはあふれてしまった。
「え、えぇ!? うわ、俺のせいスか!?」
「ちがっ……ごめん、自分の置かれた状況思い出して……」
日影は目元をぬぐった。
「なんか猛君見てると、私も君と同じ独りなんだって……思っちゃって。流亜も、いないし」
「あ……」
目は小さく声を上げ、そして黙り込んだ。
目をしばたかせ、視界をはっきりさせた日影が彼を見ると、なぜか申しわけなさそうな顔をしていた。
「日影さんは、恨みますか?」
突然の問いに、日影は首を傾げる。
「誰を?」
「流亜さんを狩った、悠を」
しばらくして問いかけの意味が解り、日影は苦微笑を浮かべた。
「恨めないわよ。私も同じことしてたろうから」
猛の目が見開かれた。ありえないとでも言いたげだ。
「きっとそうするしか止められなかったもの。もっとも私は、刺し違え覚悟だったでしょうけど」
「……」
「悠はそれを見抜いてたのね。あの時別々にしたのはそのせい。そして自分の手で……」
後が続かなかった。瞳の熱がまたよみがえり、流亜の裏切りを聞かされた時のことを思い出す。
「……っ、悠は馬鹿よね。私達のために、何もかも背負おうとして。人間そのものには、びっくりするぐらい冷たいくせに」
「そう、ですね」
猛も力無く同意した。
「そういえばあいつ、燐のことあしらってるけど見捨てたりはしないんスよね。仲間は、絶対裏切ろうとはしないんだ」
猛の顔を再度見ると、なぜか寂しそうな顔をしていた。
「強いんスよ。こけそうにはなるけど、折れることは無い。強過ぎて、付いていけないや」
「それが悠を諦めた理由?」
「まぁそうで……何で知ってんスか!?」
頷きかけた猛は、座ったまま飛び上がった。
「私、同じ小学校だったじゃない。悠の取り合い、有名だったわよ」
「うっわ……恥っ」
猛は真っ赤な顔を両手で覆った。
「ガード固かったらしいじゃない。悠は綺麗過ぎるから、逆にライバル少なそうだけど」
「その少ないライバルが強敵なんス! 燐も、アメリカ式アタックとんでもねーし」
父親の影響ッスね、と断言した後、猛はふと表情を改めた。
「でも俺、本気で好きだったのに、何か駄目になっちゃったんです」
「駄目?」
「……悠が母親を殺した後」
猛は顔を少しだけうつむかせた。
「人殺して、今にも壊れそうなのに……家出て事務所開くって聞いて、俺じゃ一緒にいるの無理だなって悟ったんですよ。小五にして」
はー、と吐き出された息は、どこか憂いを帯びていた。
「何であんなに強いかな。きっと心はズタボロだ。なのに、何であんなにしっかりしてられるんだろう」
人間は弱い。ちょっとしたことでぐらつくし、楽な方へと流れてしまう。
だけど悠は己を曲げず、どんなことがあっても信念を変えなかった。
それは容易ではない。彼女の言うように、「自分次第」とはなかなかいかないのだ。
いや、変わるか否かも、彼女に言わせれば自分次第なのか。
もしかしたら、彼女はいつも自分に言い聞かせてるのかもしれない。
「どうするかは全て、自分次第」なんだと。
だから、あんなにも強い。いや。
「強く、あろうとしているからからかしらね」
「え……?」
日影の呟きに、猛は顔を上げた。
「どういう……?」
「あの娘は強くあろうとしてるのよ。ぶれそうになるたびに、『口癖』を言って軌道修正してる。それでも、まっすぐいるのは簡単じゃないけど」
日影は思わず唇がゆるむのを感じた。
「ほんと、年下なのに尊敬しちゃうわ。どうしてあぁも強いのか」
日影は頬をぬぐい、立ち上がった。
「さて、そろそろ戻りましょ」
「あ、あの」
踵を返しかけた日影は、猛に呼び止められて足を止めた。
「日影さんは、行くんですか? 妖偽教団のところへ」
「……行くわ。奴らは家族の仇だし、それに」
日影はにこっと笑いかけてやった。
「親友だけを戦わせるわけにはいかないしね」
そう言って、今度こそその場を後にしようとして――再び足を止めた。
耳に聞きなれた、不吉な音を聞いたからだ。
「これって……戦闘音?」
―――
「敵の襲撃だ!」
「何人、いや何匹だ!?」
「妖魔及び半妖が数十、いや百数十!」
「守りはどうなってる?」
「配置はどうなってる!?」
庭ではすでに戦闘があちこちで始まっていた。
屋敷の方へ入れまいと皆必死になって止めているが、明らかに妖魔の方が数が多い。
だが、今までと比べれば少ない方だった。
「はあぁ!」
流星は小刀を凪いだ。炎のかまいたちが妖魔を数体焼き斬る。
「二の手――」
悠の刀が目ではとらえられない速さで動いた。
「百華裂刃!」
彼女の前方にいた妖魔が例外無く全身を斬り裂かれる。
肉片になっていく妖魔達には目もくれず、悠は闇夜の下で刀を煌めかせた。
「全員守りをかためろ! 雑魚にかまうな! 屋敷そのものに結界を張るんだ!!」
悠が大声で指示を出した。退魔師達は素早くそれに対応する。
「悠、これは一体どういうことだ!?」
流星は妖魔を薙ぎ倒しながら悠に駆け寄った。
「妖偽教団の奴ら、残りの兵力を使って椿家を潰しにかかったようだね」
流星と背中合わせになりながら、悠はどこまでも平静な声で答えを返す。
「それってやばいんじゃねーのか!?」
「待ちなよ流星。逆に言えばそれは」
悠は刀を前に突き出した。
切っ先が妖魔の喉を突き破り、首の後ろから黒い血と共にその刃先が姿を現す。
悠が手首をひねると、潰れた犬のような頭が吹っ飛んだ。
容赦無い凄惨な攻撃に流星は言葉を失いかけたが、悠の次の言葉に慌てて耳を傾けた。
「ここに攻撃を一点集中させている。つまり、アジトの方は手薄ということだよ」
「あ……!」
流星も今気付いた。
確かにここに戦力を集めているなら、アジトの方はほぼすっからかんということだ。
それに連日の戦闘で妖魔の数も減っているはず。葵も随分減らしてくれたはずだ。
数が少ないと感じたのはそのためだ。もはや、手元に戦力はほとんど残っていないのだろう。
「勿論これは一つの説。もしかしたら大部分をアジトへ残しているかもしれないし、どちらにせよ、ここからどうやって抜けるか……」
悠はゾンビの身体をけさがけに斬った。美しい顔はしかめられている。
「どうにかして抜けたいけど、残ったみんなでどうにかなるかどうか……」
『行ってください!』
いきなり声を、それも複数でかけられた。しかも大声。
驚く悠と流星が振り返ると、屋敷を囲むようにして守っていた退魔師達が口々に叫んでいた。
「我々のことは気にせず!」
「早く行ってください!」
「お兄様方のことはおまかせを!」
力強く言う彼らに、二人は顔を見合わせる。
ためらう二人の前で、いきなり妖魔がまとめて吹っ飛んだ。
思わず流星は目でその妖魔を追い、次いで逆方向に目をやった。
「え、え、って刀弥さん!?」
妖魔を殴り飛ばしたのは、『如意ノ手』を装備した刀弥だった。
「ったく。誰をまかせろって?」
刀弥はぐるぅりと退魔師達を睨み付け、『如意ノ手』をはめた手をぶんっと振った。
「恭弥はともかく、俺は守られる側じゃない! 束ねる者だっ」
大喝した後、刀弥は悠と流星の方を見た。
「早く行け。朱崋の転移術なら、そう時間はかからねぇだろ?」
「でも……」
まだためらう悠に、妖魔が飛びかかった。
「悠!」
流星の声で我に返ったのか、悠は刀を振り上げようとした。
「ッギャ!」
しかし刃が届く前に、妖魔はクナイに貫かれて絶命する。
悠は刀を下ろし、クナイが飛んできた方に目をやった。
「間に合った」
ツインテールをなびかせた少女は、微笑しながら駆け寄った。
「舜鈴……いいの? 恭兄の傍にいなくて」
悠が尋ねると、舜鈴は少しだけ笑顔をかげらせた。
「いたいよ……一緒に。でも、何もしないわけにも、いかないから」
だから、と舜鈴は少しだけ前に出た。
「私も行く。一緒に。恭弥のために、何かしたい」
舜鈴は真っ直ぐ悠の瞳を覗き込んだ。
悠も正面から舜鈴の目を見返し、やがてふっと笑った。
「いいよ。戦力は多い方がいい」
「うん! 謝謝、悠!」
舜鈴の顔がぱぁっと明るくなった。
「じゃ、当然私達も一緒よね」
また声がかかった。
顔をその方へ向けると、日影や雄輝達が走り寄ってくるのが見えた。
その中には、猛の姿もある。
「あ、あれ? 一緒に行かないんじゃなかったのか?」
流星が言うと、猛はうつむいた。やがてぼそぼそと口を動かす。
「恭弥さんは許せないけど……羽衣姫はもっと許せない。だから」
「君さ」
悠は猛に近付き、彼の胸を軽く小突いた。
「も少し自分の気持ちに素直になったら?」
にっと笑う悠に、猛も困り顔に笑みを浮かべた。
「これで全員? これ以上、長居は無用だよ」
自分達を取り囲む妖魔達に目をやり、悠は刀を構えた。
「できるなら、今夜中に終わらせたい」
「誰かを忘れてないか?」
たん、とすぐ傍に立つ者達がいた。
「沙矢さん! それに、えっと……文菜、ちゃん?」
「呼び捨てでいい」
沙矢にくっついていた文菜は、流星にそっけなく言った。
「一人は寂しいんだって」
しかし沙矢にカミングアウトされ、肩を跳ね上げさせた。
「結局恭兄の思惑通り」
「姫持ち全員集合……」
悠と流星は再び顔を見合わせた。
「こうなること見越してたのか、あいつ」
「さぁね。朱崋!」
悠が声を張り上げると、銀毛と九本の尾を持った大きな狐がすぅっと姿を現した。
「転移する。全員飛ばせる?」
『それが悠様のお望みなら』
狐が静かに頭を下げると、目の前の景色が消失した。
行ったか……
刀弥はふと、顔を歪めた。
悠と一緒に行ってやれない自分が情けなかった。
できることなら共に戦いたい。だが、自分にはここを守るという役目がある。
それに、ここにいれば恭弥を守ってやることができるのだ。だから、ここを離れるわけにはいかない。
刀弥は少しずつ距離をせばめていく妖魔達を見、咆哮を上げるように言った。
「絶対ここを守りきれ!!」
『おう!!』
退魔師達の力強い声が、妖魔を押しのけるように応えた。
―――
最初に目に映ったのは、錆びた門だった。
「ここが妖偽教団のアジトか……?」
風馬が呟いた。
「見たとこ、ただのボロ屋敷だけど……」
雷雲は片眉を上げる。
「で、ここのどこだって?」
悠の視線を受け、浮遊感に少し酔っていた流星は我に返った。
「あ、ここの地下。確か平安京と同じ造りになってて、ダイリのリョウセイデンに羽衣姫がいるとか……」
「……それ、清涼殿じゃない?」
間を置いての悠の指摘に、流星は「あ……」と声を上げる。
……皆の目が冷たかった。
「さて。流星無視して家探ししようか」
「わー! マジなんだってっ」
このままでは冗談抜きで放って置かれると思った流星は、わたわたと悠達の前に回り込んだ。
「俺ここの地下から出てきたしっ。それに月読が……葵さんが教えてくれたんだ!」
悠の耳がぴくんと反応した。いぶかしなげな顔で見上げてくる。
「それ……本当?」
「今言ったって意味無ぇだろ」
流星は顔をしかめた。
「俺、あいつらに一回捕まったんだよ、今日。その時葵さんに助けてもらって、でも……」
後が続かなかった。
後悔せずにはいられないのだ。やはりあの時、無理にでも一緒にいればよかったと。
一緒にいたら呪いを解く方法が見付かったかもしれないし、死ぬことだって無かったかもしれない。
やっぱり駄目だ。誰にも死んでほしくない。
人間でも半妖でも、殺したくないし生きててほしい。
――そう思うことは、やはり偽善なのだろうか。
苦妃徒太夫に言われたことは、未だ胸に突き刺さったままだ。
突き刺さったまま、まだうずいている。このまま自分は、戦えるのだろうか。
「葵姉は」
悠はぽつりと言葉を落とした。
「『椿 葵』として死んだんだね」
「え……?」
流星は一瞬首を傾げる。
少し考えたが、「多分……」としか返せなかった。
しかし、悠はその答えで納得したらしい。「そっか」と安心したようにため息をついた。
意を決したように屋敷を睨み付け、一歩踏み出す。
「最後の戦いだ。みんな、気を抜くなよ」
『おう!!』
全員、進み出した。眼前の風景を見据えながら。