戦意<中>
人柱が羽衣姫を守っていた。
そう切り出されて、姫持ち達は言葉を失った。
大広間である。椿家の退魔師達はいない。刀弥の話は、彼らの忠義心を揺らがしかねない。今そうするのは得策ではなかった。
恭弥は自室で寝かされている。
寝かされている、というのは正しくないかもしれない。なにしろ彼は、精神そのものを失っているのだから。
肉体の方は紗矢がいつの間にか呼んだ雨彦が看てるが、目を開けることは無いだろう。
それより今は、刀弥の話である。
刀弥と――恭弥の『作戦』に加担していた紗矢は、悠達にとってとんでもない話をしてくれた。
人柱狩り。妖偽教団が行っていたそれを、恭弥はスムーズになるよう氷華と式神を使って暗躍していたのだ。
なぜそんな必要があるのか。それは人柱にかけられた封印にあった。
封印とはその名の通り封じる術である。そして解かれないようあらゆる防術がかけられている。
そこまではいい。問題は、封印をかけられたものを攻撃できるか。
答えは否、である。
攻撃したら封印が解けるとか、そういうことではない。攻撃そのものが効かないのだ。
封印と防術は似ている。どちらも守る術だ。
元をたどってみると、封印と防術の呪術の起源はなんと同じだった。
羽衣姫の場合、かけられた封印は強力なものだ。しかも、人柱が変わるたびにかけ直されるようなものだった。
つまり、強力な防術をかけられ続けられているのと同じなのである。
それに気付いた恭弥は、自分を含めた人柱がいる限り羽衣姫を倒せないと悟った。
そのため、人柱を妖偽教団に殺させるよう仕組んだのだ。紗矢の話では、最初は被害を最小限に納めようとしたらしい。
だが妖偽教団の攻撃は予想以上に苛烈だった。羽衣姫をよみがえらせてから、団内を充分過ぎるほど強化していたらしい。
だから、羽衣姫に対抗しうる姫持ち達だけでも助けられるようにした。
ちなみに恭弥が関与したのは梅見家からであり、桐生家の日影達が生き残ったのは偶然だった。
梅見家では当主以下、全員は無理でも多人数を助けようとしたが、当主である梅見霧彦は頑として申し出を受けなかった。
また、悠と流星が羽衣姫と接触したこと、橘家当主の身体を乗っ取られたことは恭弥にとって計算外だった。
それでも恭弥の計画は、多少の曲折はあったもののほぼ完遂していた。あと羽衣姫を倒すだけである。
そう。あとそれだけ。
羽衣姫を倒すということはこの戦いが始まってから一貫して変わらない最終目的であり、そのために戦ってきたところもあった。
何より、退魔師達の悲願でもある。羽衣姫の存在は多くの人間の命を奪い、妖偽教団まで作り出したのだから。
だから、こんなところで揺らぐとは思わなかった。
「俺、嫌だ」
言い出したのは猛である。
今こそ羽衣姫を倒す時、という時に何を言い出すんだと、全員猛を見た。
「悠達はまだいいよ。家族だし、情がある。目をつむればいいだけだ」
「猛? 何を言ってるの?」
悠は幼馴染みの発言に眉をひそめる。猛はその視線にもひるまなかった。
「でも俺は、俺達は」
猛の目には涙がにじんでいた。炎のように瞳が揺らめいている。
「家族を殺された。その原因は恭弥さんが作ったも同然じゃないか。恭弥さんが殺したも同然じゃないか!」
抑え付けていたものを吐き出したような言い方だった。顔も酷く歪んでいる。
「羽衣姫を倒すだけならいい。でも同時に、恭弥さんを救うことになるなら俺、俺は……」
「……私も」
文菜が低い声を出した。
「正直、恭弥さんのために戦いたくない。みんな同じ気持ちだと思う」
「……どっちにしろ、この人数でアジトに乗り込むのは無謀だな」
風馬がぼそりと発言した。
姫持ち全員を助けられたわけじゃないし、姫持ちが全ての家にいたわけじゃない。
姫持ちではない流星や風馬を入れても、突入できるのは九人しかいない。
そこから二人抜けるだけでも、かなり厳しかった。
「雄輝さんは? 雄輝さんは何とも思わないんですか!?」
「え……」
猛にいきなり話をふっかけられ、雄輝は目を丸くした。目じりが下がり、たれ目がよけいにたれ目になる。
「俺は……恭弥君を恨まないわけじゃないけど……でも」
「でも?」
「あっと……一応感謝もしてるんだ?」
雄輝の発言に、猛は信じられないという顔をした。
「何、で……」
「俺、どうやって生き残ったか覚えてないんだけど。もし生きれたのが恭弥君のお陰なら、礼が言いたい。言いたいから戦う」
戦う理由は、それで充分かな。
最初は戸惑いがちだったが、最後はしっかりした物言いだった。
元より雄輝は弱気な男だが、意志は強い。こうと言ったら遠回りながらも貫き通す男だった。
つまり、戦ってくれるということか。
「ありがとうな、雄輝」
「いや、俺姫持ちの中では弱い方なんで、あまり役には立てないかもだけど……」
危なかったら逃げるし、と情けない発言を刀弥に返す雄輝。だが、共に来てくれるだけありがたかった。
「勿論あたしも行く。片棒かついだ以上、最後までかつぐさ」
紗矢は『卯杖姫』を胸元に引き寄せながら言った。
「パワーはさほどないが、サポートはできると思う」
「……ありがとう」
悠が小さく頭を下げた。
「……どうして」
猛が信じられないものでも見るかのような目で、悠達を睨み付けた。
「恭弥さんのせいでたくさんの人が死んだんだぞ! 恭弥さんの計画とやらのせいでっ。もっと別の方法があったはずなのに!」
叫ぶ声は皆の心を代弁しているようだった。
どうしてこの方法を取った?
もっと他の方法は無かったか?
どうして、どうして、どうして!
言い出したらきりが無い。だがどれだけ言っても何も変わらない。
猛は揺れ続ける瞳を紗矢に向けた。
「片棒かついだあんただって同罪だよ。どうして気付いたなら止めなかった!? どうして促進するような真似したんだよ!?」
「……」
「何とか言えよ、なぁ!」
「……人間は、哀しいぐらいにエゴの塊だな」
何の脈絡も無い言葉に、猛の勢いが削がれた。
全員が注目する中で、紗矢の唇がもそもそ動く。
「君はたくさんの命が奪われたことに、さして憤ってはいないだろう?」
「なっ」
「あたしに嘘はつけないよ。君が怒っているのは、理不尽と私怨ゆえだ。それを恭弥君やあたしに向けてるだけだろう」
「違う、俺は、俺……」
「建前でそれを覆い隠して、その理不尽に関わってるあたし達を責めて自分を保ってるに過ぎない。本当は解ってるんだろう? これしか方法がなかったと」
「違う!」
猛は怒鳴り声を上げて紗矢を睨み付けた。
しかし紗矢と目が合うと、すぐさま目をそらす。顔には狼狽が浮かんでいた。
「文菜ちゃん、君も気付いてるだろう」
いきなり名前を呼ばれ、文菜の身体がぴくんと震えた。
「退魔師は使うか使わないか関係無く術を学ぶ。その過程で恭弥君と同じ結論に至った人間は少なくないはずだ。あたしもその一人だしな」
沈黙。結論に至っていようとなかろうと、先程の話で全員ほぼ納得しているのだ。反論しようにもできるはずがない。
ただ猛と文菜はそれを信じたくなくて、無意味で虚しい反抗をしているだけだった。
「猛、文菜」
悠が立ち上がりながら二人に視線を向けた。
「別に来たくないならこなくていいし、戦いたくないなら戦わなくていい。別にそれを責めたりしないし、責めるつもりもない」
悠は視線を外し、ふすまに近付く。そのまま開けると、日の光が入ってきた。
もうすでに夕方で、日の光は赤色を帯びている。
「それが君達の意思なら、それに従えばいい。行くか否か、全ては、君達次第だよ」
部屋を出ていく悠。一瞬華奢な肩が震えているのに気付いた流星は、立ち上がって彼女を追いかけた。
「待てよ悠!」
廊下を早足で進む悠だが、半分走っている流星にすぐ追い付かれる。
腕を掴み、こちらを向かせた流星は、悠の頬がぬれていることに気付いた。
予想していたのに、流星は必要以上にうろたえる。
「え、あ、えっ、もしかして腕、力入れ過ぎた!?」
結果、的外れで見当外れなことを言ってしまった。
「違う、違うの……」
悠は目じりをぬぐった。そうしながらしゃくり上げている。
「気、張ってて……出たと同時に切れちゃったの……。流星のせいじゃないの」
「そ、そっか……」
流星はぱっと手を離して頬をかいた。
そういえば、何で自分は悠を追いかけたんだろう。
自分はどうしたいんだ。悠に対して、どうしたい?
……というか、泣いてる女の子はどう慰めればいいんだ?
女子に免疫が無い流星は少し混乱してしまった。
(頭撫でてやればいいの? いや、そこは抱き締め……恋人か! いや、でも何度か抱き締めて……ってうわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!)
脳が沸騰しそうな流星は、自分の顔がどんどん赤くなっていくのに気付かなかった。
その様子を見ていた悠は。
「……ぷ、ふふっ」
吹き出してしまった。
「え……何で笑うの!?」
「だって顔……変だよ? 汗吹き出してるし」
「マジで!?」
流星は額をぬぐった。手の甲にじっとりとした汗がにじむ。
「うぇ……嫌な汗」
「くすくす……変なの」
悠は笑いながら髪を耳にかけた。
「……うち、他と違って被害少なかったね」
木や花がめちゃくちゃになった中庭を見つめ、悠は呟く。
庭や家屋は一部破壊されたが、退魔師達の被害は思ったより少ない。
今までの襲撃を踏まえて対策を行っていたのもあるが、恭弥の行動が大きかった。
紗矢の話では、恭弥は氷華に一時的に人柱の呪術を肩代わりをしてもらっていたらしい。
肩代わりと言ってもほんの一部で、起き上がれないほどの苦痛が伴っていたはずだ。
なのに恭弥は起き上がり、悠達の元に行くまでに他の退魔師達を助けていったそうだ。
誰より苦しかったはずなのに。
誰より皆の無事に安心して微笑んで。
そして――逝った。
「全く……酷いんだが優しいんだが解んないよ」
悠はまだ少し笑いながら呟いた。
「……悠」
流星は口を開き、ゆっくり尋ねた。
「どうして恭弥を助けるんだ?」
悠の視線がこちらに向く。流星は動揺すること無く続けた。
「猛の言う通り、人柱を殺す手助けをすることが罪なら、それは凄ぇでけぇ罪だ。そんな兄を、どうして助けたいんだ?」
とんでもない問いだった。つい口について出た言葉だが、悠の傷をえぐるかもしれない。
流星は押し黙った。悠は視線を庭に戻し、紅い唇を開く。
「そんなの決まってるじゃない。生きてほしいから。ただ、それだけだよ」
その後、みぞうち辺りに軽い衝撃。流星が視線を下ろすと、悠のつむじが目に映った。
「ゆ、悠?」
「……それに恭兄が死なないといけないなら、直接人を殺した私は、とっくに死なないといけないよ」
声が震えていた。声だけじゃない。全身が震えている。
あまりにも弱々しい。頼りなげにすがりついてくる。
「助けなきゃ。助けたい。恭兄は私達を助けるためにああなった。今度は私が、私達が助ける番」
しかし顔を上げた時には、その震えも止まっていた。
顔にも弱気など浮かんでいない。凛とした、ハッとするほど美しい顔だ。
「そのために、付いてくるよね。流星」
「……当たり前だろ!」
流星はにっと唇の両端を上げた。
「俺も恭弥には死んでほしくない。……それに、行かないっつったら無理矢理引っ張ってくだろ」
「当然」
悠はふふんと笑った。しかしすぐ、その笑みを消す。
「多分、日影達も来てくれると思う。とはいえ、苦しい戦いになることには変わらない」
「あぁ。妖魔はまだいるだろうし、幹部は誰も倒せてない」
月読を除いて、と流星は心の中で付け加えた。
助けられなかった命だ。もっと他に方法があったかもしれなかったのに。
でも時間が無かった。……多分、恭弥もそうだったんだと思う。
時間が無くて、他に方法が無くて。犠牲になる命を思った時、一体どんな気持ちだったろう。
だが、今はそんなことを考えてもしょうがない。
「最後の戦いだよ。千年前の因縁に決着を着けるためのね」
悠はどこを見るわけでもなく、何も無い虚空を睨み付けた。