第二十二話 戦意<上>
手が落ちた。
虚ろな目。血の気の無い顔。
知らない。こんなの知らない。
違う。こんなの違う。
これは……これは……
恭兄なんかじゃ……
「嫌あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
悠が悲鳴を上げた。頭を抱え、大きく目を見開いている。
空気が揺れた気がした。耳の奥がびんびん鳴っている。
流星は抵抗するのも忘れ、呆然とそれを見つめていた。
(恭弥が死んだ? いや、そんなはずない。あれは身代わりだ。違う、恭弥じゃない。違う違う違う違う違う!)
頭の中で何度念じようと、目の前の現実が変わることはない。
恭弥は力無く四肢を投げ出し、半開きの瞳を空中に向けている。
呪符になることも、今なお流れている血が止まることも無かった。
突き付けられた現実は、変えようがない。
「嘘だ……」
頬に、熱いものが流れ落ちる。だがそれをぬぐうことさえ、まだできなかった。
「う、あ゛ぁ……」
羽衣姫は苦悶の声を上げていた。
本体と肉体は傷など負ってはいない。だが、なぜか身体が思うように動かなかった。
(どうして……力が復活して、妾は完全になったのに……!)
千年前と同じ、あるいはそれ以上の力を手に入れたのに、身体の自由が効かない。
そして、何より羽衣姫が愕然としたことは。
(誰も妾を、見ていない……!?)
誰一人として自分に視線を向けていなかった。全く別方向を見ている。
まるで、自分を拒絶しているかのように――
(許さない。許さない許さない許さない!)
自分を拒むことは罪だ。
自分に従うことが正義だ。
そうでない者には――罰をやらねばなるまい。
羽衣姫は手から布帯を飛ばした。一番近くにいた退魔師二人を巻き取り、浮かび上がらせる。
その二人が上げた悲鳴に気付いたのか、全員が羽衣姫を振り返った。
自然と羽衣姫の唇が緩む。それでいい、と思いながら二人を締め付けた。
絞め殺す、なんて甘いことはしない。絞め潰してやる。
浮かんだ二人の足から血のしずくが垂れた。めきめきと骨の砕ける音を立てて二人の身体が原形から離れていく。
「て、めっ……」
刀弥が身体を起こそうとした。が、やはり動かない。
「ほほほほほ。今まで妾をわずらわせてきた存在もこれで終わり♪ 妾に殺され妾の力のかてとなりなさいん♪」
一際大きな音を立てて二人の身体から力が抜けた。
こと切れた二人を投げ捨て、次の獲物へと伸ばす。
「もっとも妾を侮辱した愚か者、椿 悠ちゃん♪ そんなに哀しければ兄の元へ連れてってあげるん!」
生き物のようにくねる布帯は悠の背中を――
バチイィィィィィィィィィィッ
跳ね返された。弾き返された。
「え……!」 なぜ、と思った。
完全なはずなのに。この時代に置いて鉄壁なはずなのに。
斬られた。
『剣姫』が振るわれたかと思うと、その刃が布帯を斬り裂いたのだ。
「今まで誰も、傷付けられなかった羽衣姫を……」
誰かが呟いた。それは誰かなんて羽衣姫に解らなかったし興味も無かったが、現実に引き戻されるには充分だった。
「っ、よくも、よくも妾の身体をぉぉ!」
羽衣姫の咆哮。しかし悠はそれに身体縮めたりはしなかった。
ただ振り返り、顔を上げる。その顔に、羽衣姫はひっ、と小さく悲鳴を上げた。
浮かんでいた表情は、まるで幽鬼のようだった。
憎しみと哀しみと苦しみがごちゃまぜになって、鋭く暗い光を灯した切れ長の瞳からは今なお涙が流れている。
そんな顔見慣れてる。見飽きてる。
なのになぜだ。身体中が震えて止まらない!
「っ……熾堕ちゃん!」
羽衣姫は部下に目をやった。
腕を組み、静観を決め込んでいたらしい熾堕は片眉を上げた。
だがすぐ翼をはばたかせ、傍まで飛んでくる。
「今すぐアジトに転移して! 早く!!」
「……はっ」
熾堕は「失礼」と断りを入れて羽衣姫を抱え上げた。そのまま転移するかと思いきや、銀の双眸を悠に向ける。
「星が――」
口が動くが、最初しか聞こえなかった。
羽衣姫が焦りの声で「熾堕ちゃん!」と呼ぶと、熾堕は目を閉じる。
とたん、視界から退魔師達の姿は消えた。
―――
羽衣姫と熾堕がいなくなったとたん、身体の自由が戻ってきた。
ふっ、と身体が楽になり、立ち上がれるようになる。
「悠様!」
誰かが流星の脇を通り過ぎていった。
見るとそれは朱崋であり、初めてその無感動な顔に焦りをにじませている。
朱崋は倒れそうになった悠を支え、尾で恭弥の腹に触れた。
「こ、これは、まさか……」
今度は驚きの表情に変わる。珍しく感情の変化が前に出ていた。
「悠様、恭弥様が、恭弥様は生きております!」
ざわ、と空気が揺れた。
「え、だって、そんな、本当……!?」
悠はへたり込んだ。目からはまた涙があふれ出ている。
「ええ。ですが、これは……」
朱崋の眉間にしわが寄った。その間に、恭弥の傷口は塞がっていく。
血が止まり、大きな傷の穴が塞がり――
しかし恭弥は動かなかった。
悠は呆然と兄の顔を見つめた。
「どうして……生きてるんでしょ? どうして生きてるのに起きないの? ねぇ朱崋!」
叫び出す主に、朱崋は恐れたように後退り、「おそらく」と切り出した。
「恭弥様のお身体には、現在魂がございません。ゆえに、身体が生きていても精神が無いので起きることができないのかと……」
「魂が、無い……!?」
悠は目を見開いた。
悠だけではない。全員が驚いて言葉を失った。
「で、でも恭弥は生きてるんだろ!? なら何で魂が抜けてるんだよ!」
流星が言うと、朱崋は顔を上げた。
「幽体離脱というものがあります。身体から魂が抜けること自体は、さほど珍しくないのです」
では恭弥の魂はどこにあるのか。そう問うと朱崋はうつむいた。
誰も恭弥の魂のゆくえなど知るはずがない。霊とは違い、魂は視認することも難しいのだ。どこに行ったか、見た者はおそらくいないだろう。
希望が絶望に変わるのは早かった。皆沈みきった顔を歪ませる。
しかし、悠の呟きによってその空気は一転した。
「……羽衣姫」
全員顔を上げた。悠の方はぶつぶつと何か言っている。
「そうだ……降魔武器の性質……失念してた……となると恭兄の魂だけじゃ……」
「ゆ、悠……? 一体何の話を……」
流星が声をかけると、悠は立ち上がって身体をこちらに向けた。
もう、泣いてなどいない。
「恭兄の魂。おそらく羽衣姫の中だ」
全員固まった。というか空気そのものが固まった。
「ちょ、待て。何でそんな突拍子も無いこと……」
「突拍子ではないよ。前に病院で話したこと、覚えてる?」
何とか口をきくことができた流星に、逆に問う悠。こっちが質問したいのだが。
「病院……? って、前恭弥の練習試合見た時か?」
「そう。その時話したでしょ? 羽衣姫の――降魔武器の性質を」
まず降魔武器という単語自体忘れていたのだが。
だが周りが「そうか!」とか「確かに……」とか言ってるため、何だか言いそびれてしまった。
「降魔武器の性質。それは殺した人間の魂を取り込むこと」
覚えてるか、そんな一ヶ月前のことっ。
そう叫ぼうかと考えた流星だが、結局口を閉ざした。空気を読んだのである。
「勿論これは性質のみを上げただけ。いわば仮死状態の恭兄の魂が羽衣姫の中にあるとは言い切れないし、あったとしても無事とは限らない」
だけど、と悠はしっかりした口調で、さっきまで泣いていたとは思えない口調で言った。
「かといってこのまま手をこまねいているつもりはないし、どちらにせよ羽衣姫を放っておく気もない。早く体力を取り戻して奴らの居場所を突き止めないと……」
「あ、そのことなんだけど」
流星ははたと思い出した。今の今まで忘れていたことである。
「妖偽教団のアジト、俺知ってる」
一瞬の沈黙。
数秒であるはずの時間がなぜか数十分にも感じた後――
『……はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』
絶叫と視線がいっせいに流星に畳みかけた。
「ちょっと流星! 何でそんな大切なこと言わなかったの!?」
「言う前に羽衣姫が襲撃してきたんだよ!」
ぎろりと睨み付けてくる悠に、流星は座ったまま後ろに下がった。
「前に行った、あのボロ屋敷! 敵が罠張ってたとこがアジトだったんだよっ」
「な……!」
悠は絶句したようだった。前めのりの姿勢のまま、固まってしまっている。
しかしすぐさま自失から復活し、「なるほどね」と納得した。
「なら、あの時床下に流れていた妖気も説明がつく。場所さえ解ればこっちのもの……」
「なぁ」
と。悠の言葉を遮る者がいた。
「……刀兄?」
悠は急に声を上げた兄に目を向けた。
「どうしたの?」
「……みんなに」
刀弥はすうっ、と息を吸い、はあ、と吐いた。背後には、いつの間にか紗矢が立っている。
そういえば彼女はこの戦いの中、どこにいたのだろうか。姿は見えなかったし、別の場所で戦ってるようでもなかった。怪我をしている様子も無い。
しかし話をしているのは刀弥なので、皆刀弥に注目した。
「みんなに、話さなければならないことがある」
刀弥の声は、僅かに震えていた。