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HUNTER  作者: 沙伊
63/137

      散華<下>




 何も、誰も恨まなかったわけじゃなかった。


 家族と離された時、毒を盛られた時、人柱になった時。

 どうして自分が、と叫びたかった。

 なのに……どうしてか、直前で引っ込んでしまう。

 自分に向けられる目が普通と違うからなのか、思った以上に自分は現状を受け入れているからなのか。

 解らない。けれど、自分は哀しむことができないから、それが一因かもしれない。

 悲嘆も悲観もできない。ただただ現状を受け入れるだけ。

 あまりにも人間として欠けた心だ。それゆえに感じられるはずのことも感じられない。

 だからか。

 苦しみも痛みも恨みも怒りも何もかも。笑うことでかき消していた。

 哀しませたくなかったから。



 最初は何が起きたのか解らなかった。

 しかし視線を下ろし、我ながら冷静に現在身に起きていることを把握する。

(あぁそうか。腹を貫かれたのか)

 そう認識したとたん、恭弥の身体に激痛が巡った。

「っ……!」

 あまりの痛みに叫ぶことができない。どちらにせよ、喉を掴まれているため声は出ない。

「つまらない舞だったけど、妾の手間をはぶいてくれたことだけはほめてあげるわん♪」

 羽衣姫の囁きに、恭弥は視線だけ彼女の方へ向けた。

 羽衣姫は心底嬉しそうに、慈愛を込めた声をかけてきた。

「もう貴方は用済みよん♪」

 腹から刃と化した腕が引き抜かれた。

 身体をむしばむ痛みは更に酷くなったが、服を濡らす血の温かさになぜかほっとした。

 しかしそう感じたのもつかの間、気付いた時には空中に放り出されていた。

 地面を転がり、木の根元で止まる。周りには誰もいなかった。

 それは当然で、皆がいるのとは反対方向に放り投げられたのだ。

 恐らくは治療されないためだろう。――我ながら、どこまでも冷静である。

(そんな心配、しなくていいんだが)

 この傷を治す気は無かった。

 最後の布石は打ったし、後は自分が死ぬだけだ。

 ようやく、終わりが近付いた。

 先祖が作り出したこの『悲劇』が、やっと終わる。

「さぁ、とどめを刺してあげるわ♪」

 羽衣姫が一歩踏み出した。刃は、まだ血でぬらぬら光っている。

「やめろ!」

 誰かが叫んだ。同時に何かが弾けるようなバチバチという音が響く。

 恭弥は閉じかけていた目を再び開いた。

「……ゆう……」

 悠だ。悠が叫びながら、熾堕の術を力任せに解こうとしている。

 かなり無茶な行動だ。実際、術に無理矢理抗おうとしたせいで皮膚が裂け、血が吹き出している。

「あらあらん♪ 無駄なことを」

 悠の必死な抵抗を見て、羽衣姫は笑った。

「無理をすると身体が壊れるわよん♪ 諦めて兄が殺される様を見てたらどーお?」

「黙れ! おまえに何が解る!? おまえに、おまえなんかに!」

 悠は刀を持った手を前に突き出した。

「家族を失いたくない気持ちが解るもんか!」

 刀が振り下ろされた。

 動かないはずの腕が動き、刀を振るう。それだけでも驚きなのに、技まで発動された。

 地面をはうようにして突き進む衝撃波は、羽衣姫と衝突して彼女を飲み込む。

 先程まで鉄壁を誇っていた羽衣姫の防御が、その時初めて崩れた。

 衝撃波によってたおやかな身体は吹っ飛び、地面に伏してしまう。

 皆驚愕して羽衣姫と悠を見比べる。だが悠は気にもとめず、ボロボロの身体を引きずるようにして恭弥に駆け寄った。

「きょ、に……」

 恭弥の傍にぺたんと座り込んだ悠は、酷く弱々しかった。

「恭兄、死んじゃ嫌だよぉ」

 大きな瞳から涙がこぼれ出た。大粒のそれを頬に受け、恭弥はあっ、と思う。

 昔、三年前にも同じようなことがあった。

 あの日――あの時に――


   ―――


 父から聞かされた話は、まだ中学生だった恭弥に大きな衝撃を与えた。

「悠が、継母(かあ)さんを……殺した?」

 信じられない、と恭弥はふとんの中で呟いた。そんなことをする必要が悠にあるものか。

 しかし父は――奏司は冗談を言う人ではない。特に、こんな悪ふざけなど言うわけが無かった。

「衝動的なものだったらしい……倉の刀で。よりによって、あの刀で……」

 奏司は畳に向かって重々しいため息を吐き出した。

「いつ、そんなこと……」

「おまえの目が覚める三日前だ」

「……」

 恭弥は拳を握った。

「僕のせい、ですよね……」

 哀しいとは思わなかった。ただ、ふがいなさが自分を責めている気がした。

「僕が毒なんて飲んだから……」

「それは違う! 悪いのは毒を盛った蘭だ。そしてそれに気付かなかった私だ。だから哀しまなくていい」

 父の言葉に、恭弥はあいまいに笑うしかなかった。

 哀しくはなかった。ただ悔しかった。

 妹を守ってやれなかった。負う必要の無い罪を背負わせてしまった。

 悠はどうしているだろう。会いたい。会って謝りたい。

 ごめんな、と。おまえを守ってやれなくて、ごめんなと。

 しかし毒と、人柱になった影響で、しばらくはふとんから起き上がれないだろう。

 どうしようかと思案していると、からりとふすまが開いた。

「悠……」

 父が口にした名前に、恭弥は驚いて顔をふすまの方に向けた。

 妹は確かにいた。だが、その姿は生者かどうか疑わしいほどにやつれていた。

 瞳は光を失い、手は力無くだらりと下げられている。目の下にはくまもできていた。

 ほんの数日でここまで変わってしまうのかと、恭弥は言葉を失った。

 恭弥はそのまま動けなかったが、父は何かに気付いたようだった。

 立ち上がり、「私は戻ろう」と小さく言って退出してしまった。

 部屋に沈黙が漂う。恭弥はどう声をかけようか迷っていたし、悠も同じ気持ちだったのだと思う。

 そのまま数分が経ち――悠が枕元に、ちょうど先程まで奏司が座っていた場所に、崩れるようにへたり込んだ。

「ゆ、悠?」

 恭弥は横たわったまま、妹の顔を覗き込んだ。

「……嫌だよぉ」

 口をついたのは拒絶の言葉。悠が何を拒絶しているかは、すぐに解った。

「死んじゃ嫌だよぉ」

 ポロポロと落ちてくる涙。それを頬に受けながら、恭弥は再びかける言葉を見失った。

「わた、私……母さん殺しちゃった。この手で、さ、刺して」

「悠」

「刀、が語りかけてきて……私あれが、『剣姫』だなんて知らなくて」

「悠、もういいから」

「殺すつもりなんて無かったのに! 母さんがき、恭兄のこと殺そうとして」

「もういいんだ」

「私、こんな……こんなこと……」

「もう、いいんだよ」

 恭弥は手を伸ばし、悠の頬に触れた。指で目元の涙をぬぐい、笑いかけてやる。

「誰もおまえを責めはしない。少なくとも、僕はおまえを恨んじゃいないよ」

「でも恭兄がそうなったの、私の……母さんのせいで……」

 悠はしゃくり上げた。あふれる涙が恭弥の指先をぬらす。

 涙から感じる温かみに、恭弥はそこから全身が温かくなっていくのを感じた。

 この娘は自分のために泣いてくれているんだ。そう思うと、心に何かが染み渡るようだった。

 大切にしたい。兄が自分をそうしてくれるように、自分はこの娘を守りたかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 だから、泣かないでほしい。たった一人の妹には、笑っててほしい。

「ごめ、なさ……」

「僕の方こそ、ごめん」

 優しく頬を撫でて笑いかけると、悠の肩がぴくんとはねた。

 なぜ謝られているのか解らない、という顔だ。まぁ当然だろうが。

 しかし恭弥は、言葉を止めなかった。

「ごめん、ごめんな」

 悠の目からはまだ涙が流れている。目が充血してはれていて、それでもなお美しかった。

 自分とよく似た顔。でも自分よりずっと、この娘は強く輝ける。

 輝いて――きっと誰かに愛されるんだろう。

 もしその誰かを悠自身も好いたなら、その誰かが悠を守ってくれる。

 でも、それまでは自分が守らなければならない。

 なのに、自分は守れず傷付けてしまった。

 だから、謝りたい。

「守ってやれなくて、ごめん」

 言って、微笑んでやる。

 悠は目を見開いて、ただ兄を凝視するだけだった。

「あ……」

 小さく声を上げ、眉尻を下げる。何度か目をしばたかせ、ようやく涙をぬぐった。

 乱暴に拳でこすったせいで、目元が赤くなる。しかしそれには気にもとめず、悠は「お願い」と口にした。

「約束、して」

 さっきまでかすれた声だったのが、今はもう平素に戻っている。だが、まだ震えが残っていた。

「お願い……私より先に死なないで……私を、置いていかないで」

「……」

 恭弥は押し黙った。

 人柱として呪印を背に受けた以上、あまり長生きはできない。精神が病んで狂い死ぬのが、寿命より早いからだ。

 それに、元より虚弱なこの身体が、健康体の妹より長生きする可能などほぼ無い。

 昔から家の力を保つために血縁者との婚姻を繰り返したゆえ、身体の弱い者や問題を抱える人間が多い椿家。

 兄の刀弥は片腕に問題を持ち、それをおぎなうためその腕に『如意ノ手』をはめて戦う。

 亡くなった母も椿家の分家の娘だったが、やはり自分と同じく弱い身体だった。

 悠のように全く問題無く産まれた人間は、この家には珍しい。

 椿家の負の側面によってこんな弱い身体を持ってしまった自分が長生きなど、あまりにも無謀過ぎる。

 でも、それがこの娘の望みなら。

 なら少しでも頑張ってみようか。

 もう傷付くことが無いように。

「……解った」

 恭弥は笑みを深くした。

「約束する。おまえを置いて死んだりしない」

「……本当?」

 悠は不安げに表情をかげらせたまま首を傾げた。

「勿論。僕が約束を破ったことがあるか?」

 問いかけると、悠は目の端からこぼれた涙をまたぬぐい、首を振った。

「うぅん。いつも、守ってくれる」

「だろう? だから泣くな」

 恭弥は悠の頬から手を離し、その黒髪をぽんぽんと叩いた。

「大丈夫。ちゃんと生きるから」

 恭弥はしっかり約束してやった。

 そう、約束した。

 生きると、約束したんだ。

 なのに。


   ―――


 何で忘れていたんだろう。

 あんなに強く約束したのに、忘れるなんて。

 覚えていたら、こんな選択しなかったかもしれない。

「やだ……嫌だよ……死んじゃ嫌ぁ」

 あの時よりずっと強くなった妹。なのにこんなにも泣きじゃくっている。


 この娘を残して僕は死ぬのか。

 僕はなぜ死ななければならないのか。

 ――この結果を僕が望んだからだ。


 恭弥は手を伸ばした。幸い右手は汚れていない。涙をふいてやることができる。

 約束を守れなかった。

 こんなにも傷付けてしまった。

 謝っても謝りきれない。

 この娘だけじゃない。多くの人間を傷付け死なせてしまったのは、自分の独断のせいだ。

 自分の選択が間違っているとは思わない。だが正しいとも思えなかった。

 正しいはずがなかった。自分は、こんなにも妹を傷付けている。

 妹だけではない。多くの人達を、自分は傷付けてしまった。

 なんて自分勝手で酷い人間だろう。たった一つ感情が欠けてるだけで、こんなにも残酷になれるのか。

 罪をつぐなえないまま死んだら、兄はどう思うだろうか。あるいは友は?

(あぁ、でもせめて)

 妹には謝りたかった。約束を破ったことをわびたかった。

「ごめん」

 あの時と同じように涙を指でぬぐい、謝罪の言葉を口にすると、やはりあの時と同じように悠の肩がぴくんと跳ねた。

「ごめん、ごめんな」

「恭、兄?」

「約束守れなくて、ごめん」

 視界がかすんで見える。声も、だんだん遠くなっていっている。

 目の前の悠はまだ泣いているのか。

 叫ぶ声。この声は兄か? それとも流星? 二人の声は似てるから解らない。

 羽衣姫はどうなってるだろう。

 椿家の退魔師達はどうしてるだろう。

 姫持ち達はどんな気持ちだろう。

 兄さんと悠は……

 ……あぁ、もう。


 何も見えない、何も聞こえない。何も、何も……





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