散華<中>
刀が振り下ろされる。巨大な刃がそれを受け止める。
ハイヒールが蹴り上げられた。少女はそれを上体を後ろに投げて避ける。その反動で、少女の長い足が振り上がった。
女はそれを避け、刃を薙ぐ。少女は刀で動きを止め、横に跳んで勢いを減じさせる。
目にも止まらぬスピードで行われる戦いに、流星はつばを飲み込んだ。
速過ぎて目が付いていかない。割って入る気も起きない。
しかし、かと言って目をそらすこともできなかった。
「……っげほっ。う゛ぅ」
だから、咳き込む声に必要以上に驚いてしまった。
「! だ、大丈夫か、おいっ」
喉を押さえてうずくまる猛に、流星は視線を向けた。
「えげづ、な……喉、いで……」
「喋んない方がいいってっ」
流星は慌てて猛の傍にしゃがみ込んだ。
「悠、は……」
「戦ってる。今んとこ互角だ。もしかすると勝てるかもしれない!」
流星は期待を込めて悠を見た。ちょうど、刀で羽衣姫の攻撃をしのいだところである。
「今は、そうでも……後々どうなるか……げほっ、それにあれ……」
喉の痛みがましになってきたのか、普通の調子に戻ってきている猛の声が低められた。
「怒り狂ってるって、感じだ。正気に戻ったら……戦えなくなるかもしれない」
「……」
流星は口を閉ざした。
確かにその通りだ。あれは怒りに身を任せた戦闘であり、その怒りが消えてしまったら、どうなるか解らない。
「で、でも悠は強いし」
「強いのは認める」
いきなり背後に鉄球少女が現れた。流星と猛は思わずびくぅぅっ、と全身を震わせる。
「でも今は、普段の理性的な動きとはほど遠い」
「心臓に悪いからその登場やめろ! げほっ」
猛は叫んだ直後、案の定また咳き込んでしまった。
「と、ところでこの娘、何者?」
流星は少しだけ少女から離れた。装飾された鉄球が、正直なところ怖い。
「野蔦文菜。俺らと同じ姫持ちッスよ……。その鉄球は『打球姫』」
「打球……野球かよ」
こんな状況下でツッコむ流星である。
ドガアァァッ
何かが後ろの木に叩き付けられた。
驚いて振り向く流星の視界に、ずるずると座り込む悠の姿が映る。
「悠!!」
流星が駆け寄ろうとすると、悠は刀を向けてきた。
「邪魔だよ……!」
「お、おまえ……」
流星は悠の姿を見て絶句する。
ボロボロだった。服は裂けて、白い肌は傷だらけだ。速過ぎて気が付かなかったが、かなり押されていたらしい。
「ああぁぁ。妾は強くなった」
思わず出た、という体の声に、全員視線をそちらに向けた。
羽衣姫が、こちらを見ている。
見ているけど、見ていない。
別のところを、見ている。
「この力があれば、誰も拒否しない。誰も、妾を拒まないのよ……♪」
うっとりした声。何かに酔っているのか、言ってる意味が解らない。
流星達がそれの不気味さに、僅かに後ずさった時だった。
「悠、みんな!」
庭の向こう側――屋敷の方から、刀弥、日影、風馬、雷雲が走ってるくるのが見えた。
助けが来たことで、流星はほっと気を緩ませた。これだけいれば、羽衣姫を倒せるかもしれない。
更に、どこからか舜鈴も駆け付けてきた。他にもぞろぞろと、椿家の退魔師達も姿を現す。
全員すでに戦闘をどこかでしていたのか、疲れた顔をしていた。
しかし、これだけいれば羽衣姫も――
「多勢に無勢とはよく言うが」
たん、と。軽やかに地に降り立つ音がした。
嫌でも目につく銀色と黒色に、流星は呻く。
「熾堕……!」
「実力的には……多勢に多勢か?」
美丈夫は振り返り、にこりと微笑む。その彼の頭上に――突如として巨大な黒い手が振り下ろされた。
熾堕は翼を出したまま背後に跳躍する。はばたく音と共に、長身が十メートル上空まで浮かんだ。
「椿家当主……油断も隙も無いな」
「訂正する。代理だよ!」
鎧腕が伸びた。人間の腕としてはありえない長さまで伸び、鋭い爪を振り下ろす。
熾堕は更に上昇することでそれを避け、ぐんっと急下降した。刀弥も伸びた鎧腕を戻す。が、熾堕の方が速い。
熾堕の左足が振り下ろされた。刀弥はそれを生身の腕で防ぎ、戻ってきた鎧腕の拳で熾堕を殴り飛ばす。
もろに脇腹に入った。口から血をほとばしらせ、熾堕は三メートルは吹っ飛ぶ。
しかし黒翼が大きく動くと、空中でぴたっと止まった。
「……兄妹だからか。動きが椿 悠と似ている」
半反転していた身体を直立に戻し、熾堕は呟いた。
「皮肉でも言いたいのか」
不機嫌そうに顔を歪ませる刀弥に、熾堕は「いや」と首を横に振った。
「再確認しただけだ。兄弟は似る……そう、似るんだ。逆の道を進んでいても」
その時一瞬、熾堕の眉間にしわが寄った。
不快さを表しているわけではないようだ。不機嫌さを表しているわけでも、ない。
ただ、常にひょうひょうとして掴みどころの無いこの男の仮面が、ほんの僅かにほころんだ――そんな感じだった。
「……羽衣姫様、陶酔なさっておられる場合ではないでしょう」
しかし熾堕はすぐさま表情を戻し、羽衣姫に声をかけた。
「最後の人柱を殺さなければならんでしょう。ここは俺にお任せを」
「っ、させるか……!?」
走り出そうとした刀弥の身体が崩れるように倒れた。
刀弥だけではない。日影達や舜鈴、他の退魔師達まで同じように地面に伏してしまった。
「え、何で、どうして……!?」
流星は愕然として周りを見渡す。が、そうしてられたのも数秒だった。
「!? ぐ、あっ……」
身体が地面に抑え付けられた。
背中や頭を踏みつけられているような感覚で、腕で地面を押し返しても上身はびくともしない。
何とか首だけを動かし、悠達を見る。全員同じような状態だ。
「少しだけ本気を出した。しばらく大人しくしてもらおう」
熾堕はにっこり微笑んだ。
「く、そっ……!?」
流星は顔を羽衣姫に向け、そこでありえない光景を目の当たりにする。
羽衣姫の正面に、一人の青年が立っていた。
正面とはいえ五メートルほど離れている。だが、危険なのに変わりは無い。
更に、その青年というのがここにいてはいけない人物だった。
「恭弥……」
人形のように美しいその横顔に、流星は呆然と呟くと、視界の端で悠が顔を上げた。大きな目が更に大きくなる。
「恭兄! 何でここにいるのっ。早くここから離れて!」
「……」
恭弥がこちらを振り返った。
笑ってる。恐怖心も何も感じられない、ただただ静かな笑みだった。
「どこを見ているのん♪」
羽衣姫が恭弥との間合いを詰めた。唇の端を吊り上げ、刃を頭上へ振り下ろす。
恭弥はたんと地面を蹴り、後ろへ跳んだ。
地面をうがった腕の刃が土をまき散らす。その土を払いながら、恭弥は呪符を取り出した。
「走嵐――」
呪符が手の中でぴくんと動き、離れる。狼の形になったと思うと、一気に巨大化した。
そうして地へ足を着いた恭弥の膝ががくんと崩れる。それでも切れ長の瞳は、しっかり羽衣姫を見据えていた。
襲いかかって狼を、羽衣姫は眉一つ動かさずに一文字に斬り裂いた。
首を斬られ、前足を振り上げたまま横倒しになる大狼。地に伏した時には、呪符に戻っていた。
「んー、式神に力が無いわねん」
羽衣姫はくすくす笑った。
「当然でしょうけどん♪ 妾の力のせいで、理性を保つのも大変じゃなくて?」
「……」
「外を出歩いてるだけでも拍手ものよん♪ どうしてうごけるのぉ?」
「……」
恭弥は答えなかった。
よろよろと立ち上がり、また呪符を取り出した。
「式神形変術」
呪符がぐにゃりと歪み、一メートルほどにまで伸びる。
「武器化、『草薙ノ剣』」
刀へと変化した呪符を、恭弥は力強く握った。
走り出す。恭弥の刀が、羽衣姫に振り下ろされる。
刀を腕の刃で受け止めた羽衣姫は、もう一方の腕を槍へと変えた。
恭弥は突き出された槍を身体をひねることで避け、身体を引く。
しかし羽衣姫はそれを追撃し、刃と槍を同時に振り下ろした。
避ける恭弥。しかしふらついていたために完全には避けられず、血の筋をほとばしらせた。
「この程度? ねぇこの程度? ねぇねぇねぇねぇ!」
羽衣姫は笑いながら武器と化した両腕を振り続ける。一方恭弥は防戦するのに必死に見えた。
「恭弥、いい加減止めろ!」
刀弥が震える声で叫んだ。
「これ以上やったら、これ以上やったら……!」
しかし刀弥の声は聞こえていないのか、恭弥はふらふらしながらも攻撃を受け止め、受け流す。その間にも、傷は増えていった。
恭弥の意図が解らない。これじゃあまるで、死ぬために戦ってるようじゃないか。
流星は死、という単語を頭に浮かべ、全身を震わせた。
家族の死、友人の死、月読の――葵の死。そして名も知らない退魔師達の死。
それらが頭の中でぐるぐる回る。止めようにも、決壊したようにその想いはあふれ出た。
「嫌だ、嫌だ」
またあんな思いをするのは。
また無力感を感じるのは。
また、死を見ることは。
「……ぬな。死ぬな、恭弥!」
流星が叫んだ瞬間、恭弥の視線が僅かにこちらを向いた。
そのほんの少しの隙を、都合よく見逃す羽衣姫ではない。
「! がっ」
恭弥の腹に羽衣姫の膝が叩き込まれた。
一番近くにあった木に背中を叩き付ける恭弥。動けなくなった彼の頭上に、刃と槍の腕が振り下ろされた。
「これで終わりぃ♪」
「ぐっ」
恭弥は顔を歪めながら上体をひねった。腕から赤い線を引きながら、持った刀の刃に人差し指を添える。
「武器化――『与一ノ弓』」
刀がぐにゃりと伸びた。細長く、そしてゆるやかなカーブを形取り、両端を繋ぐように糸がぴんと張る。
恭弥が糸――弦を引くと、光を集束したような矢がつがえられた。
矢が羽衣姫に向かって放たれる。小爆発を起こし、羽衣姫の周りが煙で見えなくなった。
「や、やったのか……?」
流星は気が抜けたように呟き、次には驚愕で叫んだ。
「危ない!」
遅かった。煙から伸びた手は、恭弥の細い喉元を掴んでいた。
「この程度ん? 期待外れもいいとこね」
恭弥の身体を持ち上げ、羽衣姫はつまらなそうに唇をとがらした。
「人柱最強と言われるぐらいだものん。でもぉ、大した力じゃ」
バシィ、と羽衣姫の顔面に呪符が貼り付けられた。
人型ではない。長方形の札だ。
「爆」
呪符から手を離し、恭弥はすぐさま印を切って口の中で呟いた。
バアァンッ
爆発が羽衣姫の頭を包んだ。
ざわめく周囲。今度こそ倒したと思ったのだ。
首を掴んだ手はそのままで、煙が晴れていく。
だが羽衣姫は。
無傷、だった。
「……興冷めよん」
次の瞬間。声を上げる間も無く目も見開く間も無く。
容赦も無く慈悲も無く。
恭弥の身体は、貫かれた。