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HUNTER  作者: 沙伊
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    憎愛の女(ひと)<下>




 沢木(サワキ)義孝(ヨシタカ)という男は、目に見えて憔悴していた。

 まだ若い(といっても流星とは一回りは違う)はずなのに、完全に老け込んでいる。

「ほ、本当に除霊できるんだろうな?」

 沢木は血走った目で尋ねた。

 あまり寝れてないのだろう。隈も濃い。

 何より、まとう霊気が半端じゃ無かった。


 沢木はある日、散歩途中で目に止まった寺に立ち寄った。

 寺の境内には、一人の着物姿の女性がいたという。生気の無い女で、不気味に思い、すぐ帰ろうとした時、いきなり腕を掴まれた。

 掴んだのはその女で、だいぶ離れた場所にいたはずなのに一瞬ですぐ傍に立っていた。

 女の顔はまるで骸骨のようで、人のそれではなかったという。

 そして女は、こう言ったのだ。

「私のこと、忘れたの?」と。

 無論、沢木にはそんな女は見覚えは無かった。

 腕を掴む女の手を振り払い、その場を全速力で離れたという。

 しかしそれ以来、悪夢や幻覚を見るようになったそうだ……


 沢木は完全に怯えていた。

 今も、落ち着き無さげに目を泳がせている。

 悠の話では、死霊が一体、生き霊が数体憑いているらしい。

 それ以上は何も言わなかったが、相当質の悪い霊が憑いているのは確かだった。

 なんせ、依頼人がこの状態だ。ただの霊なわけがない。

「とりあえず落ち着いて。部屋の中心へ」

 悠はすでに抜き身の刀を持っていた。霊にすぐ対処するためだろう。

 沢木は、おどおどしながら仁奈に手を引かれるようにして部屋の中心に向かった。

「凄ぇおびえようだな」

「かなり酷い目にあってるみたいなんですよ」

 燐は少し同情的に言った。

「しかし……生き霊が数体ですか。どこで恨みを買ったんでしょう?」

「さぁ? どこで買ったのかな?」

 悠は不敵に笑った。

 何か知ってるな、こいつ。

 流星は悠を見下ろした。

「ふふ……でも、これだけは言えるよ」

 悠は弧を描く唇をなぞった。

「女の恨みは、蛇となって男を殺す」


『……は?』


 流星と燐の声が、綺麗に重なった。

「……」

「……」

 男二人は顔を見合わせる。

「どういう意味だ?」

「さ、さぁ?」

 悠に目で問いかけるが、彼女は妖しげな笑みを浮かべただけだった。


 何だ、今の笑い!?


 なぜか背筋が凍った二人だった。



 一方、悠は沢木の傍まで歩み寄った。

 沢木は悠から目を離さない。さっきのすがるような弱々しい光と一緒に、好色な影が見え隠れしている。

「じっとしててね」

 悠の言葉に頷く沢木。目線は悠に固定されたままだが。

 悠は沢木の視線に少し顔をしかめつつ、軽く目を閉じた。

 聞いたことの無い旋律が、悠の口からこぼれる。

「……歌?」

「いえ。これは経ですよ。随分オリジナル化されてますけど」

「オリジナルとかできんの?」

「はい」

 流星は色々解らなくなってきた。


 ゆら……


「――!?」

 突然揺れた風景に、流星は目を瞬いた。

 一瞬目がおかしくなったのかと思ったが、違う。空間そのものが揺らいでいる。

「ぐ、ぅあっ……」

 沢木はうずくまった。口からは苦悶の声が漏れる。

「姿を現しますよ」

「何が?」

「……悪霊です」

 燐の言葉と同時に、沢木の身体から黒い煙が吹き出した。

「あれが、悪霊か……?」

「ええ。まだ形をとってませんが、そのうち有形になりますよ」

 言ってる間に、煙は一つにまとまっていく。

「死にたくなかったら、結界から出た方がいいよ」

「っひぃ!」

 沢木が悲鳴を上げた。

 ちなみに悪霊に反応したのではなく、悠に刃を向けられたためである。

 沢木は這いつくばるようにして流星達の傍に寄った。

 それはいいのだが、なんと流星と燐を盾にした。

「ちょっ、あんた何してんだよ!」

「情けないですね……」

「うるさい、黙れっ」

 年下二人に非難されても、沢木は前に出ようとはしなかった。

「……まぁ、結界の外とはいえ、一般人が前に出るのは賢明な判断とは言えませんが」

 燐は何とも言えない顔をした。

 煙は人の形になり、やがて消える。その跡にいたのは。

「あ、あの女!」

 沢木が流星の耳元で叫んだ。

「あいつだ、俺が会ったのはっ」

「あの(ひと)……?」

 流星は耳鳴りする右耳を押さえながら、煙から現れた女を見つめた。

 落ち着いた色合いの着物を着ており、結われていない髪が、うつむいた顔を隠している。

「特に……変わったとこはねぇけど」

「……妙ですね。気配は悪霊そのものなんですが」

 燐は不思議そうな顔をした。

「悠! 大丈夫なのか?」

 声をかけると、悠は顔だけをこちらに向けた。

「心配しなくても大丈夫だよ。思ったより……」

「……憎い」

「え?」

 悠が首を戻した。


 ガッ


「ぐっ!?」

 女が手を伸ばして悠の首を掴んだ。

「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!」

 女の声は、地獄の底から響くような声だった。

 上げた顔は般若のようで、口からは大きな牙が剥き出しになっている。


 これは……妖魔か!?


 流星は前に飛び出ようとした。

「! 華凰院さん何を……!?」

「悠が殺されかかってんだぞ!? 見てられねぇよっ」

 流星は注連縄の中に片足を踏み入れた。

「わー! ちょ、ストップストォップ!!」

 燐が流星を羽交い締めして引き戻した。

「離せよ!」

「貴方が行ってどうなるんですかっ。悠の邪魔になるし、第一」

 燐は、その細い身体から考えられないほど強い力で、流星を抑えた。

「非力な貴方が行ったところで、何か変わりますか!?」

「――!!」

 一番痛いところを突かれた。

 自分は確かに、何の力も持たない。

 ただ、霊が見えるだけで、妖魔を倒す力は無い。

 なのに……何で俺は、ここにいる?


 ズバッ


 何かが斬り裂かれる音がした。

 見ると、悠が刀で女の胸元を横薙ぎにしたところだった。

「げほっ……まったく。誰を恨んでるかは知らないけど、八つ当たりしないでくれる?」

 悠は喉をさすりながら女を睨んだ。

「……なぜ」

 女は斬られた胸元を押さえながら、ゆらりと顔を上げた。

「なぜ!」


 ズギュルゥッ……


 女の脇腹から、手が幾つも飛び出した。

「お、お兄ちゃん……これ、もしかして」

「そのよう、ですね」

「? い、一体何だよ」

 鬼堂兄妹の声に、流星は顔を二人に向けた。

「合体してしまったんですよ。悪霊が、彼に憑いていた生き霊達と。あの手は生き霊達の手です」

「は!?」

 流星は沢木を振り返った。

 沢木は驚きと恐怖の入り交じった顔でひいひい言っていた。

「私は……て、い……」

 女の声が聞き取れなくなってきた。

 声が小さくなったのではなく、声帯が変質し始めたせいだ。

 声だけでなく、姿も変わり始めた。

 足はくっつき、長虫のようになる。虚ろだった目は金色に禍々しく輝き、肌に青黒い鱗が現れる。無数に生えた手もあいまって、まるで百足と蛇をかけ合わせたような化物になった。

 体躯も二メートル近くになり、天井に届くほどにまでなった。とぐろを巻いた下半身も合わせると、もっと大きいかもしれない。

「グ……グギャアァァァァァァァァァ!!」

「ひぃっ」

 沢木が尻餅を着いた。

 恐ろしさのあまり失禁してしまったようで、仁奈が慌てて彼から離れる。

「哀れな姿。憎愛のせいで、ここまで歪むなんて」

 悠は地面を蹴り、刀を振り上げた。


 バキィッ


「! あぐっ」

 悪霊の長い尾が、目にも止まらぬ速さで悠を打った。

「悠!?」

 流星は思わず叫ぶが、悠は空中で体勢を立て直し、軽やかに地面に降り立った。

「……ったぁ。舌噛んじゃった」

 口元を押さえる悠は、怪我らしい怪我は特に無かった。

 ただ、衝撃の際にゴムが取れてしまったらしく、髪がほどけている。

「予想以上に速いね。ちょっとびっくりしたよ。でも」

 悠は唇の端を持ち上げた。

「私に勝てるほどの力でもない」

 悪霊の腕が何本も伸びてくる。

 悠は避けない。ただ、かすむような速さで刀を振った。


 ザザザザザザザザンッ


 黒い血が、白い壁をまだらに染めた。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 悪霊が絶叫する。

 手を失った腕が、流星達に血を振りまいた。

「うわっ。血、血がッ」

「大丈夫ですよ。悪霊が消滅すれば、この血も消えますから」

「だ、だからって……」

 人間のものよりきつい臭いの血に、流星は顔を歪めた。

 悪霊は腕を失ってもなお、戦意を失わなかった。

 長い尾を振り上げ、悠を押し潰そうとする。

 悠はバックステップでそれを避けた。まだまだ余裕がありそうだ。


 ピシッ……


『……!?』

 全員、特に燐がそのひび割れたような音に目を見開いた。

「マズい! 悠、結界が壊れかけています!!」

「なっ」

 悠は不敵な表情を崩した。

「どうして!?」

「解りません! 外部からの干渉が無い限り、こんなことが起こるはず無いんですかっ」

 燐は注連縄に走り寄った。

 縄が千切れかけてる。放っておけば、本当に千切れてしまうだろう。

 燐はズボンのポケットから紙を一枚取り出した。いや、札か。

 口の中で何やら呟き、その札を注連縄に貼り付ける。

 突然札がスパークを放った。

「悠、結界は僕の術でも、五分ともちません! 遊んでないで、早く終わらせてくださいっ」


 遊んでたのかよ!?


 流星が唖然として悠を見ると、彼女はつまらなそうな顔をしていた。

「せっかく手応えある敵なのに……だからすぐに倒さなかったのに」

「こ……このアホーーーー! すぐ倒せるんだったらさっさとやれよっ」

「うるさい、馬鹿」

「誰が馬鹿だっ」

 悠は聞こえないフリを決め込んだようで、ぷいと顔を逸らした。

「はぁ……。一気に終わらせるよ」

 悠の姿が消えた。


 ザンッ


 気付いた時には、悪霊の首と胴体は離れていた。

 頭を失った部分から、盛大に血が吹き出て天井を汚す。頭の方は、黒い血をまき散らしながら地面に墜落した。ごろごろと転がり、流星達の足元まで来る。

「ひ、ひぃっ」

 沢木は再び悲鳴を上げた。

 流星は顔をひきつらせつつも、悪霊の顔を凝視した。

 悪霊の顔は、すでに鬼の顔ではない。哀れなほど歪んだ、女の顔だった。

「ど、して……」

 女の唇が動いた。

「わた、しは……あ、貴方だけを想って……」

 女の瞳は、涙に濡れていた。その目を、沢木に向ける。

「み、見るな! お、お俺はおまえなんて知らない!!」

「し、らな……?」

「見るな! 見るな見るな見るな見るな!!」

 沢木はへたり込んだまま後ずさった。

「……ど、して?」

 女の目から、涙が溢れ出た。

 血色でもなく、ただの涙だ。哀しいほど透明で、美しい涙……

「私を、わ、すれ……た……」

 女の頭は、時を早送りしたように風化していった。

 肌はミイラのように干からび、髪も艶を失う。

 とうとう骨だけになり、その骨も崩れ、後にはもう、何も残らなかった。

「……一体」

 流星は何も無い床を見つめたまま、ぼそりと呟いた。

「三十ほど年前、一人の女性がある寺院で自殺しました」

 朱崋が独り言のように言った。

「遺書には、ある男性に裏切られたと書かれてあったそうです。お腹には、赤ん坊がいたそうですわ」

「え……それって」

「今でいう、結婚詐欺ってやつだよ」

 悠が戻ってきた。結界の中には、もう何もない。今気付いたが、血は跡形もなく消え去っていた。

「何人もの女性を騙した男でね、でもその女性が自殺した一年後に、騙した女の一人に刺殺されてる」

 自業自得だけど、と言って、燐の方を見た。

「お疲れ様」

「正直……ぶっ倒れるかと……ぜぇ、思いま、ましたよ……」

 息を切らした燐に、仁奈が駆け寄る。それを見送った後、悠は沢木の前に立った。

「報酬は十万。今ある?」

「あ、あぁ……」

 ほっと息をついて、沢木は懐から財布を取り出した。

「待った。まだ話の途中だよ」

「え……?」

「上乗せ代として……そうだな」

 悠は朱崋の方に目線を投げた。

 朱崋が頷くのを見て、悠はにんまり笑う。

「選んで。一千万払って私に保護されるか、詐欺師として警察に捕まるか」

「なっ」

「え!?」

 流星は目を丸くした。

「は、こいつ詐欺師!?」

「うん。結婚詐欺師」

 悠はくすくすと笑った。

「相当もうけてるらしいじゃない。一千万ぐらい、わけないよね」

「な、なん……」

「まぁ、払いたくないなら警察に行ってもかまわないよ。知り合いの刑事を紹介してあげる」

 悠はしゃがんで沢木と目線を合わせた。

「ねぇ、どうするの? 全ては、貴方次第だよ」

「っ……」

 沢木は脂汗をかいて目をキョトキョトさせた。

 しかし、やがて立ち上がって、その場から逃げるように立ち去った。

「ほ、ほっといていいのか?」

「いいよ、別に。痛い目見るのは彼だから」

 言葉の真意はわからないが、悠はもう沢木に興味を無くしたらしい。

 朱崋から受け取った鞘に刀を収め、背中を伸ばす。

「ん~。じゃ、帰ろうか。今何時?」

「六時五十一分です」

「思ってたより遅くなったね。じゃ、帰らせてもらうよ」

 悠は燐に背中を向けた。

「あ、待ってください。渡したい物があるんです」

 息を整えた燐は、ポケットから綺麗な紙で包まれた、小さな何かを取り出した。

 プレゼントのように見える。でもなぜ?

「来週の五月四日が、君の誕生日でしたよね」

 燐は悠の手を取って、彼女の手の平に包みを乗せた。

「本当は誕生日に渡したかったんですけど……いつ会えるかわからないので」

「ふぅん。開けていい?」

「勿論です」

 悠は丁寧な手付きで包みを開けた。

「……ネックレスか。君にしては、センスいいじゃない」

 中身は、片翼を象ったチャームの付いた、シルバーネックレスだった。

「ありがたくもらっておくよ。……ん? 流星、どうしたの? 固まっちゃって」

「……おまえ誕生日、来週なのか?」

「うん。実はまだ十三歳で、来週の金曜十四になるの」

 そう言われたとたん、流星は顔色を悪くした。

「お、俺何も用意してねぇよ! え、どうしようっ」

「……知らなかったんでしょ? 別に私はかまわないけど」

「俺の気が済まねぇの! あー、じゃあ来週までにプレゼント用意しとくっ。絶対!!」

 流星の勢いに悠はきょとんとしていたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。

「じゃ、楽しみにしてるね」

「え、あ、おう……」

 笑顔を向けられ、流星はもごもごと口の中で意味の無い言葉を繰り返した。

 その様子を、燐は複雑な顔で見ている。

「……面倒です、色々と」

 朱崋の呟きは、仁奈にしか届かなかった。


   ―――


 女は目を開け、息をついた。

 術は失敗した。本来の目的も……


「失敗か?」


 鬼堂宅から少し離れた場所にある公園に立ち尽くしていた女性は、背後を睨んだ。

「気配を消して人の後ろに立つのは、あまりいい趣味とは言えないわよ、熾堕(シダ)

 闇夜にそう投げかけると、青年が一人、姿を現した。

 暗闇に映える見事な白銀の髪を背中を覆うほどにまで伸ばし、痩身を黒衣で包んでいる。中性的かつ整いすぎた顔立ちは女はおろか、男をも魅了するだろう。銀灰色の双眸はどこか達観したように落ち着き払っていた。

 熾堕と呼ばれた男は、薄く引き締まった唇を歪めた。

「驚かすつもりは無かったんだがな。それで、失敗か?」

「どちらとも言えないわ。そっちは?」

「順調。ここまでいくと、退魔師も地に堕ちたな。まったく気付かんとは」

 熾堕は肩をすくめ、女性の服装を見つめた。

「……何?」

「いや。寒くないのか? その格好」

 女は黒いコートを羽織り、その下には巫女装束を着ている。

 四月の終わり頃とはいえ、夜空の下では少し肌寒いだろう。

「別に。大したこと無いわ」

「ならいいがな。それより、面白いものを見つけたんた」

 熾堕の言葉に、女は片眉を持ち上げて見せる。熾堕はふっと笑って、背を向けた。

「明日教えてやるよ。椿 悠にぶつけたら、きっと面白いことになる。じゃ、また明日な、月読(ツクヨミ)

 瞬きしている間に、熾堕の姿は消えていた。

 女――月読は短くため息をつくと、夜空を仰ぎ見た。

「……悠」

 囁くような声は闇の中に吸い込まれ、やがて消えた。




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