呪術の師弟<中>
血の臭いがした。
それはどこから漂ってきているのか解らなくなるぐらい、四方八方から臭っていた。
特に、この家屋内が一番酷い。
壁にも床にも血が飛び散っている。高い天井には、さすがに血は無かった。
唯一の救いは、床に倒れている血の主達が生きていることだろう。
「日影! 猛、ちょっと!!」
悠は日影と猛の元に走り寄った。ニーハイが汚れるのも気にせず膝を着き、二人の首元に手をやる。
「生きて、いるのか……?」
「かろうじてね。でも危ない。一応致命傷は無いけど……でも、何で……」
血染めの部屋に青ざめる流星は、悠の話を半分以上聞いていなかった。
呆然と辺りを見渡す。本当にここにいる人間は生きているのか、と疑いたくなった。
荒い息が聞こえてくる。確かに生きてるのだろう。しかし放っておけば、全員死ぬのではないか?
「致命傷は無いし……出血ほど傷は深くないから、死にはしないよ」
すぐ近くで声が聞こえた。右側を見ると、誰かが上体を起こしている。
「さ、紗矢さん!」
流星は慌てて駆け寄り、紗矢を抱き起こした。
「何があったんですか!? 敵……?」
「あぁ。妖偽教団の人間だ……一人だが、あの男……式神を使った」
式神と聞き、流星はますます青ざめた。
「それって退魔師ってことですか? じゃ、裏切り者……?」
「……裏切り者は裏切り者だろうがな」
紗矢は顔を歪めて立ち上がろうとした。
服に血が更ににじんだのを見て、流星は再び座らせる。
「無茶しないでくださいよ! 怪我人なんですからっ」
「あぁ……それより、さっき言っていた男が」
紗矢はゆるゆると息を吐いた。
「人柱を……連れていった。おそらく、もう羽衣姫に殺されている」
「っ! ゆ、悠っ」
「聞いてる」
悠は立ち上がり、細顎を引いた。後ろでは、いつの間に現れた朱崋が日影と猛の治療をしている。
「彼女の言う通り、もう殺されているだろうね……まだ殺されてないにしても、術師が自分が進んだ道筋を教えるようなことはしないだろう」
「じゃ、追いかけるのは……」
みなまで言う前に、悠は首を横に振った。
「そんな……じゃああと、恭弥を入れて二人しかいないじゃねぇか!」
流星は思わず大声を出した。
「……さっき何か言おうとしたよね」
考える素振りを見せていた悠は、流星には答えずに紗矢に目を向けた。
「一体、相手は何者なの?」
「……名を聞けば解る」
紗矢は少しだけ身体を動かして座り直した。
「その式神使いの名は、龍石」
「……!!」
悠の目が見開かれた。唇と肩がわななき、目がつり上がる。
「あの人がっ……! 私達を、恭兄を裏切るなんて!」
「な、何? 何だ?」
あまりの剣幕に、流星は思わず後ずさった。
「どうしたんだよ! そのリュウセキって人、何なんだ?」
流星が困惑していると、悠はパッと顔を上げた。
表情が歪んでおり、また泣き出すのではないかと流星はどきりとした。
「龍石は……」
悠は赤い唇をぎゅっと噛んだ。
「龍石は、恭兄の師匠だよ」
―――
白辛家襲撃から三日たった。
鼻がむっとする湿気の臭いがかすめ、肌にまとわりつく。それを感じながら、流星は息を吐き出した。
「まだ着かねぇのか?」
「もう少しかかるかな……」
答えたのは恭弥だ。周りの木々を眺めながら、ぬかるんだ土を踏み締めている。
森の中だった。雨明けの朝特有の湿った空気を漂わせる深い森。道なりに進んでいるが、そもそもここが道なのかすら解らない。
なのに恭弥の足取りに迷いは無かった。
「恭兄、ここに来るのって何年振り?」
悠の問いに、恭弥は足を止めて振り返った。
「……四年振りかな」
「なのによく場所覚えていられるよね」
悠はあきれとも感心ともとれるため息をついた。
龍石からの手紙が恭弥の元に届いたのは、一昨日の夜のことだった。
多くは書かれておらず、ただ会いたいとだけ書かれていた。
どう見ても罠なのは明白で、しかし恭弥は行くと言い張った。
普段柔和な恭弥だが、一度決めたら絶対にやるという頑固さも持ち合わせていたらしい。過去にも、周りに反対されつつ、結局最後までやりとげたことがあるようだ。
刀弥との押し問答の末、最後は兄の方が折れたのである。言いくるめられた、という表現の方が正しいかもしれないが。
しかし人柱という立場上、やはり条件はつけられた。
護衛である。道中、そして会ってから、何があるか解ったものじゃない。
それで悠と流星が同行することになったのだ。この点は恭弥もすんなり承諾した。
で、現在三人(と一匹?)は龍石が居を構える東京外の森の奥まで来ているのだが……
「と、遠すぎる……」
流星はその場にしゃがみ込んだ。
もう息が絶え絶えだ。体力には自信があったが、すでにがらがらに崩れてきている。
「確かに、少し面倒になってきたね」
悠も立ち止まり、流星があげた髪留めを付け直した。
「ここで一旦休憩しようか。恭兄、あとどれぐらい?」
「十分弱かな。遅くとも二十分はかからないはずだ」
恭弥は額に薄くにじんだ汗をぬぐった。
「そう。じゃ、私は朱崋とその辺を見てくるから、流星と恭兄はここで休んでて」
悠はそう言って朱崋と共に道(どう見ても踏み固められた地面にしか見えないが)を外れた方へ歩き出した。
残された流星と恭弥は顔を見合わせた。
「休んでろっても、なぁ」
「座る場所も何も無いからな」
十七の男二人が森の中でぽつんと立っている。何とも寂しい光景だが、本人達はこの状況に戸惑うしかなかった。
「あーもー。足疲れてんのに足休めらんねーじゃん」
「だな。まぁ……座って服が汚れるよりいいだろう」
恭弥の苦笑に、流星は顔をしかめた。
「……よく笑ってられるよな。今から会う人、おまえを裏切ったんだろ」
目を瞬く恭弥に、流星はますます顔を歪めた。
「怒ったり……そういうこと、しないのかよ」
「……そう、だな。怒るべきなんだよな、僕は」
恭弥は淡く微笑んだ。
「でも、何でだろうな。怒りとか、そういう感情がわいてこないんだ」
「何で……」
「さあ? 僕は普通とは違うからな。自分でも、よく解らない」
恭弥は終始笑顔だった。にこにこと、穏やか過ぎるぐらい穏やかで。
「……おまえほんわかし過ぎ。つか天然?」
「ハハハ」
あきれ返る流星に対し、恭弥は声を上げて笑った。
「自覚はしてる。だが直す気も無いな」
「あー、何か怒ってる俺が馬鹿みたいだ」
敵のところに向かう途中だというのに、交わされるのは気楽な会話だった。
普通ならありえない。恭弥に感化されているのだろうか、と流星は思う。
(こいつ、悠と似てるけどやっぱ違うな)
悠と違う人間だということになぜかほっとしつつ、流星は再び口を開いた。
「あの、さ」
「ん?」
「恭弥は哀しいって感情がマヒしてるって、本当か?」
ゆっくり問えば、恭弥は目を瞬いて首を傾げた。
「誰から聞いたんだ?」
「……刀弥さん」
「兄さんか……」
恭弥はふっと息を吐いた。
「その通りだ。僕は哀しむという感情が無い。封じ込められている、という方が妥当かもしれないが」
恭弥は笑顔を消し、睨み付けるように遠くを見つめた。
「哀しまないから、自分で言うのはあれだが……普通の人間より、非情な考えができる。でも、それは人としてどうなんだろうな」
「俺に訊かれても……」
流星は返答できずにうつむいた。
流星にとっては哀しむことができるのは普通のことで、もしもできなかったらなんて考えたこともない。
「哀しむ感情が邪魔だと思う人もいるが、僕はそう思えない。哀しみは時として人の暴走を止めてくれることもある」
恭弥は「だが」と再び微笑した。
「深い哀しみは人を大きく狂わせる。考えるたび、僕は感情を取り戻したいのかどうか解らなくなる。いや、そもそもどうしたら戻れるのかすら、解らない」
微笑む顔は、酷く寂しげだった。
彼は感情を取り戻したくないわけじゃない。ただ、解らないだけだ。その時、自分はどうなるのか。
取り戻して、その後自分はどうなるのか、それを知るのが怖いだけだ。
知ることは怖い。なぜなら、それは知らないことだからだ。知った後どうなるかなんて、誰も解らない。
「今から師匠に会って、本当に裏切られてるんだとしたら……その時僕は哀しめるんだろうか。それとも、それ以外のことで……?」
恭弥の言葉はすでに独白になっていた。笑みも残滓すら残っていない。ただ無表情のまま、ここではないとこかを見つめていた。
流星は何も言えないまま、黙って恭弥の横顔を眺めるしかなかった。
悠以上に、何を考えているのか解らない。それは彼に一部の感情が欠けているからなのか、それとも別の理由なのか。
両者が黙って時間の経過を持っていると、足音が聞こえてきた。
二人が顔を上げると、悠と朱崋を連れて歩いてくるのが見えた。
行った時と表情がさほど変わってないところから見て、特に何も無かったようだ。
「そろそろ行こう。この辺りには罠もしかけられてみたいだし」
「お、おう」
流星は悠に歩み寄った。恭弥も遅れて彼女に近付く。
「ねぇ、恭兄。あとちょっとって言ってたよね」
「あぁ。多分、そう長く歩かなくてもいいと思う」
恭弥は頷き、先頭を歩き出した。
悠も踏み出そうとして――流星の方を振り返った。
「……どうしたの?」
「あ、いや……」
流星は口ごもった。
「……とりあえず歩こ。それで話して」
ふいに悠は流星の手を取り、彼を引っ張った。
悠の行動にどきりとして転びそうになるも、流星はなんとか歩き始めた。
「で……恭兄と何かあったの?」
悠はじっと見上げてきた。その瞳に促されるまま、流星は先程のやり取りを小声で放す。
聞き終えた後、悠は眉をひそめて地面を見下ろした。
「何で急にそんなこと……」
「悠にも解んねぇのか?」
「うん」
悠は顎を引き、目を軽く伏せた。
「恭兄って、何考えてるか解らない時があるんだよね。頭よ過ぎるし、それが原因かもしれない」
悠は流星の手を強く握った。
「いつもひとり歩きしてる気がするの。一人じゃないけど独り。……昔の私と同じ」
悠は目を開き、恭弥の背中を見据えた。
「恭兄は何でも一人で背負い込もうとする。それは恭兄が強いからだけど、でも強いからって、何でもできるわけじゃないよね」
「……うん」
流星は悠の手を握り返した。
「私、恭兄にいっぱい迷惑かけた。苦しめた。……だから、今度は助けたい」
悠はほんの少しだけ微笑んだ。あまりに綺麗な笑みに、流星の心臓が飛び跳ねる。
「人柱としてじゃない。罪滅ぼしでもない。恭兄自身の命を守りたいの。誰かに言われたわけでもない。これは私が決めたこと」
悠はふ、と息をついた。
「何かをするか否か、全ては、私次第なんだから」
悠の澄んだ瞳に、強い光が宿った。いつもの、揺るがない光が。
「……そのセリフ、何か久し振りだな」
「そう? 口癖なんだけど、これ」
流星が笑うと、悠は自身の唇をなぞった。その手が、足と一緒にぴたりと止まる。
「悠?」
首を傾げた流星は悠の視線を追い――固まった。
いつの間に出現したのか、朱塗りの鳥居が立っていた。
木のはえてない開けた場所に立った、全長十メートルはありそうな巨大な鳥居だ。
自然の中にいきなり現れた人工物に、流星は目を見開くしかない。
「何だ……これ」
鳥居を見上げ、それだけ呟いた。
「恭兄……これって」
悠が声をかけると、じっと鳥居の先を見つめていた恭弥は「あぁ」と細顎を引いた。
「結界の入口だ」
恭弥は手を伸ばし、鳥居で隔てられた向こう側へ突っ込んだ。
恭弥の手が消えた!?
向こう側に行った部分だけが、切り取られたかのように消失したのだ!
「きょっ……腕!」
「見えなくなっただけだよ」
口をあんぐり開ける流星の肩を、悠は軽くこづいた。
「建物などを隠す結界だね。でも、入口があるってことは……」
「あぁ。歓迎されているようだ」
恭弥は鳥居をくぐった。腕だけでなく、全身が見えなくなる。
「私達も行くよ」
悠は流星から手を離し、さっさと鳥居をくぐってしまった。
残された流星は、汗じとの顔を朱崋に向けた。
「先にお進みください」
……そう言われては進むしかなかった。