防戦<中>
流星の拳が当たったとたん、ドアがバラバラに壊れてしまった。
「おいおい……鉄で補強されたドアだぜ。なんちゅー馬鹿力だよ」
獏僧と名乗った男は廊下に逃れた。
顔に冷や汗がにじむ。その顔は、半分が灰色の分厚い皮に覆われていた。
顔だけではない。腕も同じような皮に覆われている。しかも五指が太くなり、爪が指先全体を覆うようになった。
獏僧は嫌な緑色をした瞳をぎらつかせ、笑う。
「いい化物さ加減だねェ。羽衣姫様が欲しがるのも解るよ」
「俺は化物じゃない。人間だ」
流星はそう反論して小刀を構え直した。
「人間だァ? ハッ、笑わせんじゃねェよ。見た目は鬼で馬鹿力、しかも黒い炎を操って。これを化物と呼ばずに何とする?」
「……そういうおまえはどうなんだ?」
流星は腰を低く落としながら尋ねた。
「俺? 俺は化物だよ。化物の中の化物さ」
獏僧は楽しげに言った。
「てめェも認めたらどうだよ。もうすでに角まで出てんぜ。てめェを見た人間、百人中百人が化物って言うだろうぜ」
言われ、流星は自分の額に触れてみた。
眉の上部部が盛り上がっている。左右どちらもだ。これ以上大きくなれば、額の皮膚を突き破るかもしれない。
「本当ならすでに理性が無くなって暴れまくってる頃なんだが……その数珠のおかげか? まだおまえがかろうじて人型でいるのは」
獏僧の視線が流星の手首にはまった数珠にそそがれた。
流星はハッとして数珠を見下ろす。
(悠、もしかして……)
流星は奥歯を噛み締めると、だっと走り出した。
「いきなりか!」
獏僧は右手を上げた。
黒い炎をまとった小刀と異形となった右手がぶつかり合う。
防がれたのと同時に、流星は右足を振り上げた。
獏僧は後ろに下がるも、避けきれずに顎に蹴りを喰らう。
しかし流星が足を下ろすと同時に頭突きをしてきた。
直撃した頭を押さえながら、流星はたまらず後退する。廊下の床がきしんだ音を立てた。
無理して戦えば床が抜けるかもしれない。しかし、それを気にして勝てるほど相手が甘いとも思えなかった。
(何より悠の心がいつまでもつか解らない! 早くここから出ねぇと!)
流星は小刀の炎をかまいたちにして放った。
獏僧はそれを左手でかき消し、流星に突っ込んでいく。
流星は炎を長い刃にして獏僧へ横凪ぎに振った。獏僧は紙一重でそれを避け、流星に飛びかかる。
流星は振り下ろされた右手を受け止め、よろよろと後退した。
とん、と背中に壁がぶつかる。もう後が無かった。
「終わりだ」
舌なめずりするような獏僧の声。それを、流星はにっと笑って押し返した。
「かかった」
刃の炎が膨張した。
「な、なぁ!?」
獏僧の狼狽した声。それを封じ込めるように、彼の身体を黒い炎が包んだ。
「っぎゃあァァァァァァァァ! てめっ、何をっ……」
「炎に包まれたおまえを想像しただけだよ」
廊下でのたうち回る獏僧をそのままにし、流星は再び室内に入った。
「悠、おいしっかりしろ!」
流星が上体を起こしてみるも、悠は一向に目を覚まさない。
その代わり、ぶつぶつと呟いていた言葉が明瞭に聞こえてきた。
「ゆ、う……?」
呆然としている流星の前で、白い頬に涙が伝う。悠は何度も同じ言葉を繰り返していた。
産まれてきて、ごめんなさいと。
何でそんなことを言うのか全く解らなかったが、その言葉はあまりにも哀しいもので、流星は言葉を失う。
しかしすぐにハッとすると悠を抱きかかえて立ち上がった。
「逃がすかよ」
言葉が背中に投げかけられた。
振り返ると同時に全身に衝撃を喰らう。
「が、はっ……」
悠をかばいながらふんばるも、耐えきれずに後ろの壁に衝突した。
ずるずると座り込む流星の前に、全身を焦げ付かせた獏僧が顔をしかめさせて立った。
「全く……とんでもねェ餓鬼だぜ。こっちの計画が大狂いだ」
獏僧の指先を覆う爪が鋭くとがる。それを見た流星はぎゅっと悠を片腕で抱き寄せた。
「……おい、邪魔なんだけどよ」
「うるせぇ」
「そいつは親殺した餓鬼だぜ。かばう必要あんのか?」
「うるせぇよ!」
流星はきっ、と顔を上げ、獏僧を睨み付けた。
よほど凄い形相だったのか、獏僧はひきつった顔で後ずさる。
「おまえに悠の気持ちが解るかよ! 悠はおまえらとは違う。殺しなんてしたくなかったんだ!」
「……そいつ、母親を憎んでたみたいだけど?」
「それでも、殺したいとは思わなかったはずだ! いや、例え殺したいと思っていても、悠は人殺しの哀しさや虚しさを知ってる。殺しをして喜んでるおまえらとは違う!」
流星は小刀を持ち上げた。
「俺はおまえ達みたいな奴らの仲間にはならない。俺の力は、守るために使う!」
流星がそう言った時――
ダンッ
目の前に銀色の何かが飛び込んできた。
ふわりと広がる九本の尾に、流星は目を瞬かせる。
「し、朱崋……?」
『ご無事ですか、流星様』
銀色の狐はくるりと振り返って軽く頭を下げた。
「や、やっぱり朱崋!? ってかその姿……」
『私の本来の姿です』
狐はそう言って(それが声なのかどうかあいまいだけども)獏僧に向き直った。
『半妖、この方達に手出しは無用。去りなさい』
「天狐か……戦いたくねェがそうもいかねェんだよ!」
獏僧は腕を狐に向かって振り下ろした。
狐は横に避け、その際に流星の学ランの襟をくわえる。
「え、え、えぇぇぇぇ!?」
そのままもの凄い速度で引きずられていく流星は、悲鳴を上げるしかなかった。
「っち。逃げたか」
獏僧は人間の姿に戻りながら舌打ちした。
追いかけてもいいが、あいにく足が遅いので追い付くのは無理だろう。
「あー俺何でスピード無い妖魔と合体したんだろ……せめて鴉天狗とかなら飛べたのによォ」
呟きつつも、今の状態がベストだということは解っている。
それぞれの人間には適応というものがある。半妖は自分にもっとも『近い』妖魔と融合しなければならない。
そうでないと肉体を喰われるし、しかし、それでも半妖は常に精神を喰われる危険性がある。それを避けるための人肉喰らいだ。
適応できなければ喰われる。
喰わなければ喰われる。
しかし得られる力は……大きい。
「……けっ、まァいいか。次がある」
唇を歪ませ、獏僧は腕を組んだ。
「いずれ気付くさ。守る力なんざありゃしねェと」
触れた壁が少し崩れる。それを見つめながら、獏僧は目を細めた。
「力を持つ者は破壊者だ。それ以上にもそれ以下にもなれねェんだよ」
―――
屋敷の外に出た。
しかも門とか裏口とかではなく、塀を跳び越えて。
「ぐえっ……首、しまる……」
『失礼いたしました』
首をばんばん叩いた流星を、狐はようやく離した。
流星は息を長々と吐き、無意識の内に悠を抱き締める。
「……あ、そういえば『剣姫』……」
『すでに回収しております』
狐が右前足で刀を前に出した。
紅の柄の刀……『剣姫』だ。
『ここは一旦退きましょう。……ですがその前に、流星様のお姿をお姿を戻さなければ』
「そ、そういえば……」
流星はまだ自分が鬼であることに気が付いた。
「そうだな……このカッコじゃ戻るに戻れないし……人間に……」
間。
「……戻り方解んねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
流星は絶叫した。
ここは住宅街であり、人に見られたらかなりやばいのだが、幸いにも誰も来なかった。
「え、どうすんの!? 俺一生このまま!? あれ、でもこの間戻ってたよな……でもほとんど覚えてねぇよ! 意味無ぇよ!」
一人で騒ぐ流星。見た目が見た目なので、暴れまくってるようにしか見えない。
そんな彼に、狐は尾で持ち上げた『剣姫』の鞘で一撃を喰らわせた。
「あだっ、何す……」
『そんなことではいつまでたっても戻れませんよ』
狐の一言に、流星は目を見開いた。
「へっ……どういう?」
『その姿は、いわば興奮状態です。怒りなどが色濃く表に出ている状態。心を落ち着かせれば、元に戻れます』
流星は狐の言葉に顔をしかめる。
「落ち着かせるっても……」
『目を閉じて……静かに。そう、そのまま深呼吸。吐息の音だけを意識してください』
狐に言われるまま、流星は呼吸を繰り返した。
そるとふと、何かが消失したような感覚を覚え、目を開けた。
手が元に戻っている。額に触れてみるが、角など無かった。
「よかったぁ……」
流星はほっと息をついた。
『では、椿家に転移します』
「え、でも人柱は?」
流星は小刀を鞘に戻しながら尋ねた。
『すでに戦いが始まっていますが、今から行けば、かえって邪魔でしょう。それに、悠様のこともありますし』
「そう、だったな」
未だ目を覚まさない悠を、流星はぎゅっと抱き寄せた。
『では、転移いたします』
言下と共に視界がぶれた。
何度か目をしばたかせた後、見慣れた椿家を確認して力が抜けた。
悠を落とすことは無かったものの、その場にへたり込んでしまう。
「大丈夫ですか?」
いつの間にか人型に戻っていた朱崋が顔を覗き込んできた。
「大丈夫……。それより、恭弥と刀弥さんは」
立ち上がろうとした流星が顔を上げると、着流し姿の青年が走り寄ってくるのが見えた。
「刀弥さん……」
「悠、流星? 一体どうしたんだ!?」
刀弥ははだしのまま駆けつけると、悠の様子を見て眉をひそめた。
「何があった?」
「あの……」
一言で説明するのは難しい。長々と説明しても伝えられる自信も無い。
流星が言いかねていると、刀弥は膝を着き、悠の額に触れた。
「……とりあえず、悠を家の中へ。話はそれからだ」
刀弥の言葉に、流星は黙って頷いた。
流星は大広間の畳の上にほこりだらけの学ランを置いた。
流星自身は何とも無いが、制服は少しボロボロになってしまっている。まぁ洗えば何とかなるだろう。
「……おまえの話、いまいち解らないが」
目の前に座った刀弥はハアァ、とため息をついて片手で顔を覆った。
「しかしおまえが知らないことを……俺達しか知らないことをおまえが知ってるとなると、信じるしかないな」
刀弥の顔は酷く辛そうだった。
当たり前だ。あれは他人に触れられたい過去ではあるまい。
「……刀弥さん、大学行ってたんですね」
「……あぁ。一年でやめたがな。今行ってたら、四回生か」
沈黙。
互いに何も喋らないし動きもしない。
女中が二人の目の前に茶を置いて出ていくまで、それは続いた。
「……悠は」
先に口を開いたのは、流星だった。
「多分悪夢にうなされてたんだと思いますけど……うわごとみたいに何度も繰り返していました。産まれてきてごめんなさいって」
刀弥の表情が変わった。顔から手を離し、呆然とする。
「あいつはまだ、そんなことを……」
固まってしまった刀弥に、流星は「刀弥さん?」と声をかけた。
「だ、大丈夫ですか?」
「あっ。あぁ、まぁ……」
刀弥は我に返ったように流星を見返した。
「悪ぃ……あいつはまだ三年前のことを自分のせいだと考えてると思うと、何かな」
「自分のせい……」
流星は何と返していいか解らず、口を閉ざした。
「これ以上は悠に訊いてくれ……。俺が言えるのは、おまえが見たことは、三年前に確かにあったというだけだ」
刀弥の表情はすでにいつも通りに戻っている。しかし切れ長の瞳はぐらぐら揺れていた。
「三年前、あの日は一気に色んなことが起きた。空は穏やかな青なのに、この家では騒がしくてさ。義母兼叔母が死んで、人柱だった大伯父が狂い死んで、弟が人柱に選ばれて……」
「選ばれて……?」
流星は刀弥の言葉を繰り返した。
「毒を盛られたばっかで、それで人柱に選ばれたんですか!?」
「椿家の中じゃ、あいつが一番適任だったんだ。親父の奴、恭弥に呪をかけた時は今にも発狂しそうな顔してたよ」
刀弥は目元を押さえてため息をついた。
「そしてそれからなんだよ……恭弥が泣かなくなったのは」