第十八話 防戦<上>
熾堕は一直線に走り出す。
向かう先にいるのは……風馬。
「風馬!」
「くっ」
日影の声に我に返ったか、風馬は腰のホルダーから銃を引き抜いた。
遅滞無く銃を構え、素早く引金を引く。
銃声が二度響いた。風馬は更に引金を引こうと指に力を込める。
しかし熾堕は先に放たれた二発の銃弾を上体をひねって避けた。
一息で間合いを詰め、裏拳で銃の軌道をそらす。よろめいた風馬に、回し蹴りを喰らわせた。
銃声と共に、風馬は家屋の障子に突っ込んだ。障子はバラバラになり、風馬は昏倒してしまう。
「っの野郎!」
雷雲は日影の制止も聞かずに跳び上がり、槌を振り上げた。
骨さえ粉々に砕くであろう一撃を、熾堕は左手でたやすく受け止める。
「ふむ、なかなか。だが」
熾堕は槌ごと雷雲を投げ飛ばした。
五メートルも離れた木に叩き付けられ、雷雲は動けなくなってしまう。
身体の向きを変えようと熾堕が振り返った瞬間、日影は扇を開いて振った。
「六の舞、桜乱剣!」
扇を向けられた熾堕の周りを、無数の白い花びらが覆った。
「桜の下には死体が埋まってる……桜のように、その花びらを血で染めなさい!」
日影が言ったとたん、花びらは熾堕の全身を斬り裂いた。
声を上げることもなく、肉を斬る音を響かせ続ける熾堕。
銀髪や白い肌が血まみれになるまでその攻撃は続くが……なぜか倒れない。
息はあっても、あれだけめった斬りされたのだ。筋肉はずたぼろで、立っていられるはずがない。
攻撃が止み、明らかに失血死にいたるほどの大量の血が地面に染み込んでも、熾堕は立っていた。
「ど、して……」
日影は後ずさった。
「ふん……椿 悠といい、退魔師の女は容赦無い」
熾堕はまだらに赤く染まった前髪をかき上げた。
吹き出していた血の量が減じている。数秒もしない内に、血は完全に止まってしまった。
「そんな馬鹿な」
雄輝がぼそっと呟いた。声が震えている。
「こんなに早く傷が塞がる妖魔なんて、聞いたこと無いぞ!」
「妖魔と一緒にされるのは心外だな」
熾堕の眉間にしわが寄った。
「まぁ仕方が無いことか。それより」
熾堕はぐるりと退魔師を見渡した。
「かかってこいよ。どこを攻撃しても、無駄だがな」
「なら頭はどうだ」
かちり、という音が聞こえた瞬間、爆発音と共に熾堕の頭が吹っ飛んだ。
熾堕の身体は頭に引きずられるようにして倒れる。もうぴくりとも動かなかった。
「頭に銃弾受けて、生きてる奴はいないだろ」
風馬は構えていた銃を下ろして短く息を吐いた。
「大丈夫ッスか!?」
猛が問えば、風馬は障子の残骸から立ち上がりながら「あぁ」と頷いた。
「しかし何だ、あいつは。悠からあの男のことは聞いていたが、あそこまでとは思ってなかった」
風馬がそう言った時、衝羽根家の退魔師達四人が駆け付けてきた。
「皆さん、向こうで妖魔達が……」
「門を破ってきたの?」
舜鈴に尋ねられ、一人が頷いた。
「よし。全員そっちに……」
歩きかけた風馬の足が止まった。
風馬だけではない。全員根を張ったように、その場から動けず、ある一点を凝視する。
熾堕が立ち上がった。
「頭を撃たれて死なない生き物はいない、か。その通りだな。もっとも」
熾堕はけふっと一発の弾丸を吐き出した。ぬぐったこめかみに、銃創は無い。
「それは地上の理だろう? 俺には当てはまらない」
誰も何も言わなかった。いや、言えなかった。
目の前で起きている現実は、数秒で処理するのは不可能なものだった。
「ふん……手応えの無い。おまえ達はかなりの実力者だと思っていたのは、俺の買い被りか」
熾堕は酷く失望したような顔をした。
「俺も向こうに行くか……しかし服がこんなにボロボロじゃなぁ……」
熾堕が考えあぐねいているのを見て、猛は熾堕の前に立った。
「熾堕!」
「ん?」
槍を構えた猛は、僅かに震えながらも声を張り上げた。
「おまえ、橘家の人間を殺したか?」
しばしの沈黙。やがて、熾堕の薄い唇に微笑が浮かんだ。
「さあ?」
その、相手を小馬鹿にしたような笑いに、猛は表情を厳しくした。
「『鉤槍姫』、部分解除!」
両手使いで槍を振り上げ、熾堕に向かって突き出す。
「業火魔槍!」
柄まで覆う炎と共に、槍の刃で熾堕の胸を狙う。
ガイィィィィィィィィィィィンッ
「なっ……」
「さすがにこれ以上は示しがつかないだろう?」
槍は止められていた。
いつの間にか熾堕の手に握られていたレイピアに防がれたのだ。
「そろそろ本腰を入れさせてもらう!」
右膝が猛の腹に打ち込まれた。
猛は吹っ飛ばされ、地面をごろごろ転がる。
それを追撃しようと走り出した熾堕の頭上に刃が振り下ろされた。
熾堕は足を止め、レイピアを持ち上げる。火花を散らして刃同士がぶつかり合った。
その反動で地面に降り立ったそれを、熾堕は目を細めて見つめた。
「『傀儡姫』か……」
そう呟き、上体をひねる。さっきまで熾堕の胴があった場所をクナイが通り過ぎた。
「敵はまだまだいるってこと、忘れないで!」
舜鈴は両手に逆手でクナイを持ち、熾堕に向かっていった。
右のクナイを一閃。熾堕がそれを受け止めると、左のクナイも振るう。
熾堕が身体をななめにしてそれを避けると、舜鈴は右足を振り上げた。
熾堕は身を後ろに投げて回避する。舜鈴もまた蹴りの勢いを殺さずに大回転で後ろに下がった。
「『蹴鞠姫』、部分解除!」
張り上げられた声と共に何かが熾堕に襲いかかった。
熾堕はレイピアでそれを弾き返す。球体のそれは、雄輝の元へ戻っていった。
「ふぅん……変わった武器だな」
熾堕はサッカーボールのように雄輝が踏みつけている球を見つめた。
黒地に紅がかった金の美しい模様が描かれた鞠だ。模様は梅か桜だろうか。はたまた想像上の花かもしれない。
「……ビビってるわりにはキレのあるシュートだったな」
熾堕は視線を雄輝に向けた。
「ま、負けるわけにはいかないんだ」
雄輝は鞠から足を下ろした。
「おまえらに殺された、仲間のためにも!」
勢いよく鞠が蹴飛ばされた。スパークをまとい、閃光のように熾堕に突っ込む。
今度は熾堕も受け止めなかった。さすがに危険と感じたのだろうか。
「逃がさないわよ!」
日影が扇を垂直に構え、その場で一回転した。
「十の舞、流蛟!」
扇の先から水があふれ出たと思うと、それが四本の足を持つ蛇をかたちどった。
水の蛇は大口を開け、熾堕を飲み込む。
「雄輝、さっきのをもう一発よ!」
「は、はいっ」
雄輝は戻ってきた鞠を水蛇に向かって蹴り飛ばした。
スパークをまとった鞠は水蛇にぶつかり、電流を走らせる。水中で電撃がはじけるのがはっきり見えた。
「よし、今度こそ……!」
歓声を上げかけた日影の表情が固まった。
水蛇の様子がおかしい。膨張したり、収縮したりしている。
それを何度か繰り返した後、盛大な音を立てて水蛇が破裂した。
飛び散る水。全員がその水を頭から被った。
「随分な真似をしてくれるな」
水蛇から出てきた熾堕が、全身を水浸しにしながら濡れて艶やかに輝く銀髪をかき上げた。
上半身の服はぼろぼろでもはや布切れでしかない。細く引き締まった身体には傷一つ無かった。
「そんな……嘘……」
日影は後ずさった。
日影だけではない。濡れねずみとなった全員が恐怖で動けなくなる。
「ふん……終わりか?」
熾堕は薄く笑って一歩踏み出した。が、その足が止まる。
突然家屋の一部が爆破されたからだ。爆破に巻き込まれたこの家の退魔師達は、残骸に押し潰されて見えなくなる。
「何だっ」
猛は振り返り、爆破された場所を見つめる。
「随分ななりだな、熾堕よ」
土煙からゆらりと、一人の男が現れた。背後からは、怒号と悲鳴が聞こえてくる。
「手を貸そうか? ぬしには借りがある」
「……それには及ばないよ、亜紅妥法師」
熾堕は右腕に残っていたそでの布を引き裂き、地面に捨てた。
「こいつらは、俺の獲物だ」
構えられるレイピアに、猛達の身体が固まった。
向こうの離れから火の手が上がる。家屋が崩れる音もするが、気を向けるだけの余裕は無かった。
誰もが緊張して物音一つ立てられない中で、熾堕の姿が消えた。
いや、消えたのではない。姿勢を低くしつつ走り出したのだ。
腕を伸ばし、まだ木の根元でうずくまっている雷雲の首を掴む。
「まずは一人」
熾堕は剣を持ち上げた。
「貴様!」
風馬が熾堕の背に銃口を向けた。
熾堕は唇の端を持ち上げ、風馬に向かって雷雲を投げ付ける。
雷雲を受け止めた風馬に、熾堕は間合いを詰めて蹴りを放った。
雷雲と共に蹴り飛ばされる風馬。入れ替わりに舜鈴が『傀儡姫』と共に突っ込んでいった。
『傀儡姫』の剣を受け止めた熾堕に、舜鈴がクナイで腹を狙う。
しかし熾堕が左膝を振り上げたために後退せざるをえなくなってしまった。
更に熾堕は『傀儡姫』を拳で殴り飛ばす。人形の身体が空中へ舞った。
「くっ……『傀儡姫』、部分解除!」
舜鈴が叫ぶと『傀儡姫』が地面に降り立った。
剣はいつの間にか消えている。しかも手の代わりに両袖から五本ずつ、合計十本の細身の刃が飛び出していた。
「へぇ」
熾堕は面白そうに唸る。
『傀儡姫』は地面は蹴って右手を一閃させた。熾堕はそれを受け止め、弾き返す。
人形は上半身をひねり、右足を旋回させた。
蹴りを受け止めた熾堕は剣を横凪ぎにする。
人形は上半身をそらし、人間ではできない動きでそれを避ける。
戦いを息を止めて見つめていた猛は、先程の男がまだいることに気付いた。
右手が茶色い。木の枝のような腕だ。しかしそれ以外に奇妙な特徴は無い。
(……半妖か)
猛は槍を握り直すと、亜紅妥法師とかいう男に向かって走った。
驚いたように振り向く亜紅妥法師に、槍を振りかぶる。
「はあっ」
「ぬう!」
槍と木と化した腕がぶつかり合った。
「……! 貴様は橘家の……」
亜紅妥法師の顔色が変わった。
槍を弾き、猛との間合いを取る。
「……俺はあんたを知らない。何者だ?」
猛は槍を油断無く構えながら眉をひそめた。
「知らないのも無理は無い。それがしは十年前に橘家を去ったのだからな」
「十年前……? 橘家を去った……?」
十年前というと、自分が四歳の時か。
一瞬悩んだ後、ハッと思い至る。
「あんたまさか……禁術を使ったせいで御神木に取り込まれたお袋の内弟子か!」
「いかにも。あの女め……それがしをないがしろにしおって……」
ミシリ、と音を立てて、亜紅妥法師の顔の皮膚が裂けた。その下から、木の皮のようなものがあらわになる。
「貴様はあの女の息子! 生かしておけるものか!」
亜紅妥法師の木の腕が猛の首へ勢いよく伸びた。
(ヤベッ……)
猛は槍を持ち上げようとしたが、間に合わない。
ボアァァァァァッ
「ぬお!?」
亜紅妥法師の腕が突然炎上した。
「炎神招来」
火の玉を放ち、亜紅妥法師の動きを封じた『彼女』は、健を見て首を傾げた。
「君は味方……で合ってるな?」
「あ、あの……?」
「あぁ、合っているな。一瞬間違ってたらどうしようかと思ったよ。橘 猛君」
「え……!?」
猛は目を丸くした。
なぜこの女は自分の名前を知っているんだろうか。
「何者だ、貴様……!?」
亜紅妥法師が呻くと、彼女は少しだけ眉根を寄せた。
「わざわざ名乗らなければならないか? 敵に……まぁいいか」
名乗るほど有名でもないが、と前置きして、彼女は手に持っていた杖を構えた。
「西野 紗矢。『卯杖姫』の所有者だ」