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HUNTER  作者: 沙伊
51/137

     死花<下>





 朝の風景だった。

 椿一家が広間の畳の上に正座し、朝食をとっている。

 一番奥にいる壮年の男性――悠達の父を、流星はぼんやりな眺めていた。

 白髪混じりの黒髪、精悍かつ整った顔立ちは刀弥と似通っており、切れ長の漆黒の瞳は子供達に共通していた。

 なぜ、この人は蘭と結婚したんだろうが。前妻である百合の面影を、彼女に求めたのか。

 彼は――父は、妻の歪んだ何かに気付いているのだろうか。

 何てことはない朝の風景。せいぜい、現代より少し若い刀弥が、しきりに恭弥の傷を心配しているぐらいだ。

 恭弥はそんな兄の様子に、困ったような笑顔で、薬用の白湯を口に含んだ。

「……!」

 しかし、恭弥は目を見開いた直後、突然白湯の入った湯飲みを畳に投げつけた。

「恭弥……?」

 刀弥と父は、片膝になって恭弥を見つめる。悠は大きな目を見開き、兄と湯飲みを見比べていた。

 一方恭弥は身体を小刻みに震わせた後、激しく咳き込んだ。何度かそれを繰り返し、最後に血塊を吐き出す。

 一瞬の沈黙。止まった空気が、恭弥が倒れたことにより動き出した。

「恭弥? 恭弥ぁ!?」

「おい、しっかりしろっ」

 駆け寄る兄と父。倒れたまま動かない兄。騒ぎ立てる女中達。

 ここでようやく、悠は我に返ったように立ち上がった。兄の方へ、近付こうとする。

「駄目よ」

 しかし、母に阻まれた。

 蘭は娘の腕を掴み、動きを止めているのだ。

「母さん、離して! 恭兄が……」


「当然よ」


 悠はもがくのを止めた。熱を帯びた母の声に、表情を固くして振り返る。

 流星は同じように蘭の顔を見て、背筋が凍り付いた。

 最初の時見た、あの狂気に満ちた顔を蘭が浮かべていたからだ。

「当然よ……死んで当然なの」

 口唇の端が裂けんばかりにつり上がる。らんらんと輝く瞳は、狂熱に浮かされていた。

「あれは、死んで当然なのよ」


 景色が一転した。


 明るい室内から、暗い物置に変わっている。いきなりの変化に付いていけず、流星は辺りを見渡した。

 様々なものが乱雑に置かれている。窓から僅かに見える空は、妙に澄んでいた。

「いきなり何だ!? き、恭弥はどうなった!?」

 現代で生きているのだから、死んではいないだろうが……気になる。

(そういえば……悠は?)

 これは悠の記憶なのだから、悠がいないはずないのに……


「母さんでしょ?」


 凛とした声が響いた。

 振り返ると、悠が母と対峙している。 悠はいささか顔色が悪いが、背筋を伸ばして立つ様は、現代に通じるところがあった。

「母さんが恭兄の白湯に毒を入れたんだ」

「何を言ってるの? わけが解らないわ」

 蘭はにっこり微笑んだ。しかし苛立ちを隠しきれないのか、頬がひきつっている。

「母さんが珍しく料理を運んだって聞いたよ。それに、毒を入れたと思われる小さな包み紙も見付けた。指紋を調べれば、母さんの指紋が出るはず」

「それだけで……」

「母さんの部屋も調べた。案の定、毒が出てきたよ。恭兄に盛られたものと、おそらく同じものが」

「……」

「他にもナイフやハンマー……殺傷力の高いものも隠されてた。入手経路は、多分近くの工具屋でしょ?」

 否定を許さない、畳みかけるような言葉。蘭はしばらく沈黙を保った後、ふっと息をついた。

「あれが死にかけたのは一昨日。たった二日で調べたの?」

「……正確には一日も無かったけどね」

「そう……本当に頭のいい子」

 蘭は悠の左頬にそっと触れた。

「それで、その証拠は? 移動させたのかしら?」

「……さぁね」

 悠がそう言ったとたん、蘭の手が左頬を捉えた。

 重なった木箱に突っ込む悠。倒れた娘を、蘭は金切り声で怒鳴り付けた。

「言いなさい! 今すぐ!」

 蘭の顔が、おどろしいほど歪む。近くの柱にかかっている鬼女の面と大差無いように思えた。

「本当に頭のいい娘だこと! 馬鹿でよかったのに……どうして私の子供なのに、あの女に似ているの!?」

「あの、女……?」

 悠は殴られた頬を押さえながら上体を起こした。

「誰のことを言ってるの……?」

「おまえの伯母のことよ」

 蘭は忌々しげに呟いた。

「双子なのに……姉というだけであの女は全ての才能を私から奪い取った! 勉強ができる頭も、澄んだ歌声も、豊かな芸術センスも! 上げ出したらきりが無いっ」

 髪を振り乱し、嫉妬に狂う姿は鬼としか言いようがなかった。

 流星は生まれつき鬼を身に宿す。しかし、彼女は心の内から鬼に――妖魔に喰われ始めていた。

 悠と同じ顔だと言うのに、恭弥同じ顔だと言うのに、なんという差だろうか!

「あの女が死んで、やっと愛する人と結ばれたのに、あの人はあの女と同じ私の『顔』しか見てくれない! それに、あれは」

 蘭の瞳に、暗い光が灯った。

「あの女の最後の子供は、あの女とそっくりだった! 顔も仕種も何もかも! だから殺そうとしたのに、なぜ生きている!?」

 叫び続ける母を、悠は呆然と見つめていた。しかしその顔に、みるみる怒りが広がっていく。

「う、あっ……!?」

 流星は頭を抱えた。脳の中に悠の想いが――怒りが、直接流れ込んできたからだ。


 それだけで恭兄を殺そうとしたの?

 それだけで恭兄に酷いことを言ったの?

 それだけで恭兄に酷いことをしたの?

 それだけで……たったそれだけで!


 しゃらん、と鞘走りの音が響いた。

 顔を上げると、悠の右手に一本の刀が握られている。ぶつかった時にこぼれたものなのか、鞘が床に転げていた。

 そして刀の方は。

 紅の柄、白銀の刀身、見る者全てを魅了する美しい刀。あれは……まさか……

「な、何を持っているの!?」

 蘭は悲鳴を上げて、悠を凝視した。悠は立ち上がり、ゆらりと構える。

「どうして……」

 動いた。勢いよく踏み込み、切っ先が空気をかきわけていく。

「やめろ、悠!」

 届かないと解っているのに、流星は制止の声を上げた。


 ドスッ


 鈍い、何かを突き破る音が聞こえた。

「あ、あ、あ」

 流星は後ずさった。

 動かない女。動けない少女。女に突き刺さった刀は、少女が握り締める刀は、血に濡れて更に美しく輝いている。

 じわり、と白い着物に紅がにじんだ。描かれた牡丹の華上に、紅華が咲いていく。

「こ、こんなことって……こんなことって」

 流星は両手で頭を抱えた。

「こんな、こと……」

 やがて意識が遠のいていく。

「ゆ、う……」

 伸ばした手は、少女に届かなかった。


   ―――


 目覚めは突然だった。

「っぶはぁ! はぁ、はぁ、はぁ……」

 目を開けたとたん、さっきまで全速力で走ったかのように息が絶え絶えになっていた。心臓が突き出そうな感覚だ。

 目の前に広がるのは古びた白い天井で、よく見れば空気中にほこりが飛んでいた。

「よーォ。起きたか?」

 いきなり声をかけられ、流星は飛び起きた。

 よどんだ空気の部屋。大した広さではなく、廃墟の一室、という感じだ。

 いや、ここはまさに廃墟。

 自分は確か、依頼でここに来て、それで……

(そうだ。あの時、この部屋に引っ張られてそのまま悠の記憶に……)

 流星は首を動かして声の方を見る。赤メッシュに顔刺青の男は、にやりと唇を歪めた。

「どうだ? 目覚めは」

「……何だ、あれ」

 流星は渇れた声を絞り出した。

「あれは……あれは、一体……」

「んー? 解んなかったのかよ。その娘の記憶だ」

 男は流星の傍を指差した。流星はハッと振り返る。

「悠!?」

 悠はまだ倒れていた。顔は青白く、不明瞭な言葉を口から発している。

「そいつはまだ悪夢を見てもらってるよ。心が壊れるまでそうやってるつもり」

「何でそんなことをっ……」

 低く問えば、男はにんまり笑った。

「羽衣姫様がおまえをご所望なんだよ、鬼童子ィ」

「何っ……」

「その身に鬼を宿す人間。話じゃ、とんでもねェ力持ってんだろ」

 男は値踏みするような目で流星を見つめた。

「その娘がいなければ、退魔師の味方する理由無くなるよなァ。だっておまえは俺らと同じだから」

 男は一歩進んだ。近付いてくるかと思いきや、それ以上寄ってこない。

 足元を見れば、入った時に見た陣が変わらず発光している。

「なァ、認めちまえよ。自分は化物だってな。楽になるぜ」

「……」

「おまえはその娘に惚れてるようだが、どうせその娘はおまえを化物扱いしてるんだろ」

「……くも」

「あん?」

 男が少し身を乗り出した瞬間、流星は間合いを一気に積めて拳を振り下ろした。

「がはっ」

 無防備にも突っ立っていた男は、抵抗もできずに殴り飛ばされる。

 壁に叩き付けられ、男は目を見開いて座り込んだ。

「げほっ……てめェ、俺ァ戦闘向きじゃねぇんだよ」

 腫れ上がった頬を押さえて呻く男を、流星は見下ろした。

「よくも悠を傷付けたな……」

「傷付けたァ? アホか。あいつは自分の過去に勝手に傷付いてるだけだぜ。俺知らね」

 馬鹿馬鹿しそうに言い放つ男に、流星はもう一度拳を振り上げた。


 ガゴォッ


 床が砕けた。木片が散らばり、陣の辺りまでひびが入る。

「っとォ。……おいおい嘘だろ」

 今度は何とか避けた男は、ひきつった笑みを浮かべた。

「それがおまえの本当の姿か、華鳳院 流星!」

 言われ、流星は自身の手を見下ろした。

 マニキュアを縫ったように黒く、鋭くとがった爪だ。人の爪ではないことは、明らかだった。

 おそらく、他のところにも身体の変化は表れはじめているだろう。

「……それでも」

 人間なんだ。

 悠達が認めてくれた通り、俺は。

「おまえを倒す!」

「……面白ェっ」

 男は唇を歪ませた。

「さっき俺は戦闘向きじゃねェって言ったがな、だからって弱ェわけじゃねェ!」

 腰を低く落とし、舌で上唇をなめる。

「何せ俺は、妖偽教団の幹部だからな!」

 男の姿が、変質し始める。

 流星もまた、小刀を抜く。黒い炎が、空気を焦がした。


   ―――


「大丈夫なんスか?」

 猛は槍を抱えながら日影に尋ねた。

 衝羽根(ツクバネ)家の屋敷の中庭。説明するまでも無く、彼らは人柱護衛のためにいた。

「悠達のこと? 大丈夫よ、少しなら二人がいなくても対抗できる」

「や、悠や流星さんのことじゃなくて」

 顔の前で手を振り、目線を庭の隅に突っ立ってる人物に向ける。

 その青年は、短い茶髪を掴むように抱え、縮こまっていた。

「大丈夫か、弱気さん」

「弱気じゃなくて雄輝(ユウキ)。……でも、同じ姫持ちとは思えないメンタルの弱さね」

 図体の割に小さく見える白いパーカーを着た背中に、猛と日影はため息を投げつけた。

「ある意味、しょうがないかもな」

 風馬が近付いてきた。雷雲はなぜか彼に肩車されている。小柄な少年なので、風馬は特に苦にした様子は無いが。

「家族を失ったばかりだ。そうすぐ立ち直れるもんじゃない」

「……それもそうね」

 日影は思うところがあったのか、唇を噛んでうつむいた。

 それを見て、猛はあっと思う。

 日影は今朝、流亜の裏切りを知ったばかりだ。家族を失った、というくだりで、その時のショックを思い出したのかもしれない。

「あぁ~! やっぱ駄目だっ。怖いし緊張するっ」

 茶髪の男――伊吹(イブキ)雄輝は頭をがしがしかいた。ウェーブがかった髪が、くしゃくしゃになる。

「俺だけ帰っちゃ駄目ですかね」


『駄目です』


「……ですよねー」

 全員に否定され、雄輝は涙目になった。

「気持ちは解るけどサ」

 舜鈴はツインテールを指でくるくるからめながら肩をすくめた。

「弱々しくしてたらそこにつけ込まれちゃうよ。奴らは……妖魔達はまさに、闇そのものなんだから」

 ふと顔を上げる舜鈴。全員つられて上を向き。


 パリイィィィィィィィィィィィィィィンッ


 結界が破られる音を聞いた。

 あ然とする一同の前に、一人の男が降り立つ。

「なっ……」

 猛は立ち上がり、槍を構える。ほとんど反射的な動きだった。

「嘘だろ……たった一人の力で、結界を破るなんて!」

 雷雲を下ろした風馬は叫んだ。

「まさかこの男が先陣切ってくるなんてね」

 舜鈴はすでにクナイを構えている。隣には『傀儡姫』立っていた。

「何、なの……? こいつは……」

 日影が呟くように言った。

 男に、猛は見覚えがあった。

 陽光に煌めく長い銀髪、全てを見透かしたような銀の双眸、彫刻の如く完璧な顔立ち。

「妖偽教団幹部――」

 背中にあった黒翼がすぅっと消える。彼は前髪をかき上げ、薄い唇を歪めた。

「熾堕、参る」

 黒衣をまとった長身が動き出した。





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