憎愛の女(ひと)<中>
隣町には来たことが無い。
自分が住んでいる町での買い物で充分だし、遠出する必要も今まで無かった。
だから、この町がこれほど綺麗だとは知らなかった。
「俺らが住んでる町より、服とかの店が多いな……道も割と綺麗だし」
流星は素直に感想を述べた。
彼が住んでいる町は、どちらかと言えば住宅が多い。店が少ないわけじゃないが、ここと比べると無い方だろう。
「流星はこっち来たこと無いんだ」
悠は流星の方に振り向いた。
しゃれた服を着ている周りの人達の中に、見事に溶け込んでいる。
上は白いパーカーに黒地に銀の十字架がプリントされたシャツを着ていた。下はパーカーと同色のミニスカートとブーツを履いている。
首にはいつもの十字架付き黒チョーカー、長い髪はポニーテールにされていた。
普段とさほど変わらない、地味な格好の自分と朱崋とはエラい違いだ。
「この辺りはブティックが多いから、みんなおしゃれに気を使ってる。だから今度来る時はもうちょっと服に気を使いなよ」
「……仕事でこっちに来たのに」
流星はやや不服感を込めて言った。
わざわざ隣町に来たのは、悠の仕事仲間に今回の依頼達成を手伝ってもらうためだ。
悠曰く、結界は専門家に頼むのが普通らしい。
結界やその他の呪術はそれを得意とする人々がいるらしく、除霊の際には彼らに結界を頼むそうだ。悠はたいがい、幼馴染みの呪術師に結界を頼むらしい。
……ただ、できれば行きたくないと言っていたが。
「なぁ、そういえば昨日言ってた呪術師の名前、何て言うんだ?」
「あれ? 言ってなかった?」
「おう」
「……鬼堂燐って言うの。この通りの先にある住宅街に住んでるんだよ」
「へぇ。どんな奴?」
「実力は確かなんだけど、性格がちょっとね……」
悠はため息をついた。
「結界を張るのは彼の役目だから、会わなきゃいけないんだけど……」
悠がこんな疲れた顔で話すのは本当に珍しい。
流星はだんだん不安になっていくのだった。
住宅街は人通りが少なかった。というか、人がいなかった。
平日だからかもしれない。皆、仕事か学校だろう。
本来なら流星も学校に行かなければならないのだが、この間の事件のせいで休校中だ。
「ここだよ。燐の家は」
黒い屋根に白い壁の、質素な家の前で悠は止まった。
「家族はいないのか?」
割と大きな家を見上げ、流星は尋ねる。門の横にあるガレージには、黒い自転車が一台あるだけだった。
「妹と一緒に住んでる。両親は海外だよ。仕事だって」
「……ふーん」
悠の言葉から察するに、鬼堂燐とはかなり親しいようだ。
幼馴染みだから当然だろうが、何だか……面白くない。
流星の思いなど知らない悠は、インターホンを押した。
しばらくの間を置き、玄関の扉が開く。
家から出てきたのは、人形のように整った顔立ちの美少年だった。
薄い唇には微笑を浮かべ、涼やかな目に収まっているのは青がかったグレーの瞳だ。白すぎる肌は女性のように滑らかで、色素の薄い茶色の髪は、太陽の光で金色に輝いていた。
少年は悠を視認したとたん、彼女に走り寄った。
「悠! 本当に、本当にお久しぶりですっ」
ガバッ
何の前触れもなく少年は悠に抱き付き、
「離せ! この顔だけ変態男!!」
何の前触れもなく悠に蹴っ飛ばされた。
腹に直撃を喰らい、地面につっぷす美少年。
流星は唖然としつつも、悠が彼に会いたくない理由が解った。
「り~ん~。抱き付くなって、何度言えばわかるの!?」
「い、いいじゃないですか! アメリカではこれぐらい挨拶の範囲内ですよ?」
「ここは日本だよ。君の生まれ故郷じゃない」
悠は額を押さえた。
「それより、準備できてる?」
「ええ。ところで……依頼人の姿が見えませんが、彼はどこに?」
立ち上がりながら、燐は悠に尋ねた。
普段は静かで落ち着いた声のようだ。とても年下とは思えない。
「仕事があるから後から来るって」
「そうですか。……えっと」
燐は首を巡らせ、流星を見た。
「……貴方が華凰院流星さんですか?」
なぜ俺の名前を知っている?
そう思いつつも頷く。
「そうですか……貴方が……」
燐の声に、殺気が含まれて響いた。
一体何なんだ!?
ぞくっとする流星に、悠は不思議そうな顔をした。今の殺気には気付かなかったようである。
「ねぇ、中に入れてよ」
少しいら立ちを込めた悠の言葉に、燐は頷く。
「じゃぁ、どうぞ」
悠を先頭に、三人は家の中に入った。
中は広く、少し薄暗かったが、それ以外はいたって普通の家だった。とても呪術師の家には見えない。
「あれ? 仁奈がいないね。地下?」
「はい。準備を手伝ってくれたんです」
きょろきょろと辺りを見渡す悠が訊くと、燐は頷きを返す。
外野から見れば、絵になる二人だ。
片や超絶レベルの美少女、片やビスクドール並の美形。絵にならないはずがない。
……ますます面白くない。
むすっとする流星の腕を、朱崋がつついた。
「じっとなさっていたら、置いていかれますよ」
「あっ」
悠と燐は、すでに靴を脱いで奥に進んでいた。
「なっ、ちょっと待てよ!」
流星は慌てて赤いスニーカーを脱いだ。
前言撤回。この家は普通じゃない。
普通の民家に、こんな広い地下室があるわけない。
このコンクリートでできた地下室は、上に建つ家の総面積と同じ広さをほこっていそうだ。四角い部屋の四隅には赤いろうそくが立てられ、これから怪談話でもするのかと思わされた。
そして、部屋の中心を囲むようにして、注連縄が張られている。あれが結界だろうか?
「仁奈、悠達が来ましたよ」
燐が注連縄をチェックする少女に声をかけた。
「あ、お兄ちゃん」
振り向いた少女は、兄と同じ面影を持っていた。
セミロングの髪も丸い瞳も、燐と同じ色をしている。表情は幼いが、人形のような顔立ちは、燐と似通っていた。
年はまだ十かそこらだろう。見た目的な年齢は、朱崋と変わらない。
「仁奈、久しぶり」
「悠さん、お久しぶりです! ……あの、そっちの人は?」
仁奈は大きな瞳を流星に向けた。
「うちでバイトしてる華凰院流星。いい奴だよ、馬鹿だけど」
「誰が馬鹿だ!」
流星が憤慨するのを、悠は笑って受け流した。
……その様子を見て、燐が睨んできた。
「あ、そぉだ。悠さん達、お昼食べました?」
仁奈がぽんと手を叩いて尋ねてきた。
「まだだけど……」
「じゃ、うちで食べていきません? 依頼人、まだ来ないんでしょ?」
「そう、だね。夕方ごろって言ってたかな」
「それじゃあ決まりですね!」
仁奈は淡いピンク色のワンピースをひるがえした。
「わたし、準備してきますね」
「手伝います」
「あ、俺も」
流星と朱崋は、仁奈に続いた。
「悠はどうする?」
「私は燐に話があるの。だから後で行くよ」
悠はちろっと、燐を横目で見た。
何だろう、もやもやする。
自分の中の気持ちに、流星は顔をしかめた。
「……ちゃんと来いよ」
「解ってるよ。当たり前でしょ」
悠はクスッと笑った。それだけで、何だかつっかえがとれた気がする。
……単純だよな、俺って。
流星はため息をこらえて部屋を出た。
「話とは何ですか?」
燐は小首を傾げた。
「その前に、いつもその仕種したら? オジサン達に人気出るよ」
「僕は男にモテたくありませんよ」
すねた声を出す燐に、悠は少し笑った。
燐は少々やっかいな性格だが、悠が気を許せる数少ない人間だった。幼いころからの付き合いで、気心も知れてる。
「それで、話というのは何ですか? まさか、僕の想いを受け止めてくれる気に!?」
「そんなわけないでしょ」
「……ですよねー」
燐はちょっと傷付いたようだった。目が笑ってない。
「そうじゃなくて。ちょっと気になることがあるの」
悠はパーカーのポケットから、一枚の紙を取り出した。
人型をしており、筆で文字が書かれている。
「式神、ですね。一体誰の?」
「解らない。何の気配も残っていないの。それに、姿は黒い蛾だった」
「黒い蛾って……まさか、彼らですか?」
燐は灰色の瞳に、驚愕の色を浮かべた。
「さすがにすぐ気付いたね」
「当たり前ですよ。黒い蛾は、『妖偽教団』のマークの一部なんですから」
燐は信じられないという顔をしていた。
まぁ、気持ちは解らないでもないが。
「黒い蛾と赤い月……それが彼らのマークだったね」
「ええ」
「実はね、この間も彼らの仕業らしき依頼があった。ある少女が半妖魔化していたよ」
悠は囁くように言った。
「勿論、奴ら以外にも妖魔化できる術を知っている奴はいるし、それを一般人に教える外道もいるけど……これがあるからね」
悠は紙をぐしゃりと握り潰した。
「どうも、狙われてるようだね、私は」
「……しかし、もし本当に妖偽教団なら、狙うのは貴女ではなく、貴女のお兄さん達なのでは?」
燐の意見はもっともだ。しかし、自分が狙われる理由が無いわけじゃない。
「確かに、お兄達と違って私自身が狙われる理由は無いよ。でも、奴らの狙いが私でなく、『剣姫』だとしたら?」
悠の言葉に、燐は一瞬いぶかしげな顔をした。しかし、すぐ思い到ったようだ。
「なるほど……それなら辻褄が合う。所有者もろとも消すという魂胆ですか」
「だろうね。だって」
悠の言葉を遮るようにして、地下室のドアが開いた。
「お兄ちゃん、悠さん。お昼の用意がてきたよー」
「あぁ、今行きます」
燐はぱっと笑顔を作って仁奈に向けた。
仁奈は笑い返すと、ドアを開けたまま、また部屋から姿を消した。
「……ところで、『剣姫』は今どこに?」
「朱崋に預かってもらってる。ずっと持っているわけにもいかないからね。服にも合わないし」
悠は自身の服を見下ろした。
「君はいつも、服装に気を使ってますね」
「当然でしょ、女の子だもん。行こ」
悠は燐の肩を軽く叩いて、ドアの方へ歩きだした。
燐は揺れる黒髪に手を伸ばしかけ、寸でで止めた。
彼女は触れられることが好きじゃない。むしろ嫌いだ。
それは人嫌い――というか人を憎悪の対象にしているから、当然だろうが。
(もどかしいですね。好きな人に触れられないのは)
できることなら、その髪に触れたい。
華奢なその身体を腕の中に閉じ込めたい。
その紅い唇に、口付けをしたい。
時折、狂気めいた感情に支配される時がある。
全てを壊して、悠を手に入れてしまいたい衝動に駆られそうになる。
――しかし、悠の目を見ると、それが嘘のように消えていくのだ。
人の醜い部分を見続けているために、人という種族を憎む少女。
なのに、その漆黒の瞳は限り無く澄んでいて、穢れることは無かった。
それは、今でも変わらない。たとえ、彼女の心に一人の人間が居座っていたとしても。
「……しかし、諦めませんよ僕は。必ず、貴女を手に入れてみせます」
含み笑いを浮かべ、燐は悠の後に続いた。
―――
悠は燐と何の話をしているのか。流星は後からそのことが気になってきた。
「なぁ朱崋、悠と燐って奴の間には、何も無ぇよな」
「何も、とは?」
「だからその……特別な関係じゃねぇか?」
「ただの幼馴染みですわ。悠様にとっては」
「そ、そうか」
朱崋の言い方が引っかかるが、少なくとも悠は何とも思っていないわけだ。
大丈夫、まだチャンスはある!
流星はリビングのソファーに座りながら、自分に言い聞かせた。
「……流星様」
「ん?」
なぜか立ったままの朱崋に目を向けると、なぜか彼女は切実な顔をしていた。
普段から無表情を貫く彼女がこんな顔をするのは、非常に珍しい。
「今のお気持ちを……悠様に対するお気持ちを、どうか忘れないでください」
「え……」
「あの方のためにも」
「それって、どういう……」
「お兄ちゃんと悠さん来たよー!」
突然仁奈が入ってきたので、流星は訊きそびれてしまった。
「? 流星、どうかしたの? 具合でも悪いの?」
「は? 何で」
「アホ面が、ますますアホ面になってる」
「だ、誰がアホ面だ!」
「アホ面はアホ面だよ」
ねぇ、と悠は燐と仁奈に同意を求める。鬼堂兄妹は微妙な笑みを浮かべて顔を見合わせた。
「否定してくれよー!!」
流星は絶叫した。
この時、流星の頭からは、朱崋に対する疑問は抜け落ちていた。