邪教徒<中>
今日が日曜日でよかったと思う。
若菜の小言を電話で聞かなくてすむのだから。
流星は軒先に座りながら背筋をうん、と伸ばした。
明日葉家の屋敷。例に洩れず、山の中の日本庭園を誇る豪邸である。
細部は異なるものの、造りは椿家の屋敷に似ていた。
(二分して護衛かぁ……)
流星は昨日のことを思い出した。
恭弥の提案で、椿家と桐生家の手勢を二分することになった。
勿論、椿家の護りのことがあるのでそう割けるわけがない。
なので、悠、流星、桐生家の生き残り組と猛、そして舜鈴がそれぞれ二分して護衛に当たることになった。
明日葉家は流星、日影、雷雲、風馬。伊吹家は悠と流亜、舜鈴と猛が担当することになる。
これは恭弥ではなく、悠が提案した振り分けだ。自分と悠が別々なのが気に入らないが、何か考えがあるのだろうと無理矢理納得している。
しかし桐生家の裏切り者が解ってない今、自分はかなり危ない状況に置かれていると言えた。
(あの三人の内の誰かが裏切り者なのに俺一人とか……せめて朱崋がいてくれたって)
「どうしたの? 頭抱えて」
「ぅわっ!?」
背後から声をかけられ、流星は飛び上がった。
「ひ、ひひひ日影さん……」
「そんな驚かなくても。あと呼び捨てでいいわよ。私の方が年下だし」
日影は自分の顔を指差した。
「私十六。貴方十七でしょ」
「ま、まぁ……つうか年下に思えねぇんだけど」
流星は目をあらぬ方向に向けながら頬をかいた。
流星はまだ、日影裏切り者説を捨てていない。過剰に驚いたのもそのためだ。
(もし日影……が裏切り者なら、俺なんか簡単に殺られる)
流星はごくっとつばを飲み込んだ。
とりあえず気を緩めず、彼女が裏切り者かどうか判断するために幾つか質問をぶつけることにした。
「あの、さ」
「ん?」
流星の隣に座った日影は首を傾げる。
「何?」
「あー……妖偽教団のこと、どう思う?」
いい質問が思い浮かばず、そんな突拍子も無い質問になってしまった。
「妖偽教団の、こと?」
案の定、日影は目を丸くする。しかしややあって口を開いた。
「ある意味、存在しても仕方無いものかもね」
「え?」
流星は膝を強く握って眉をひそめた。
「どういう意味だよ」
「光があれば闇があるように、善があれば悪がある。つまり、どんなものにだって対極なものがあるものよ」
日影の言いたいことが解らず、流星は眉間にしわを寄せた。
「平和を願う人達がいる一方で、悲劇を求める人がいる。妖偽教団は、後者の集まりなのよ」
「……」
「別に奴らのやってることを肯定してるわけじゃないよ。ただ平和を望む人がいる一方で、全然別のことを望む人がいる」
日影は空を仰いだ。昼の空には、かすんだ雲が幾つか浮かんでいる。
「なぜかいつも釣り合っているのよ。光が濃くなるほど……人々の希望が増すほど、闇も色濃く、絶望も増す」
「それって……妖魔の数にも影響してるんじゃねぇのか?」
流星はふと気付いたことを口にした。
「妖魔は人の闇から生まれる。光が濃くなると闇も濃くなるなら、妖魔の数も……」
「ええ、増えるわよ。よく昔より今の方が平和になったっていうけど、現代だって、めくってみたら底無しの闇がある」
日影は軽く目を伏せた。
「人が増えれば闇も増す。正味の話、昔より現代の方が強いわよ、妖魔」
「マジ!?」
流星はゾッとした。
これから更に強く恐ろしい妖魔と出会うかもしれないと思うと、生きた心地がしない。
「で、でも何で……?」
「原因の一つは平和ボケね」
日影は肩をすくめた。
「平和に慣れ過ぎたのよ、人は。不幸や悲劇もどこか遠いことに感じて、自分には起こらないと思い込んでる」
日影の話に、流星は聞き入っていた。当初の目的は完璧に忘れている。
「でももし自分にそれらが振りかかったら、現代人は絶望するわ。どうして自分だけってね。貴方にも覚えがあるんじゃない?」
「へっ……?」
流星はいきなりの問いかけに間抜けな声を出した。
「何言って……」
「聞いたの、貴方のこと。一夜で家族を全員失って……思ったんじゃない? どうして自分だけって」
「……」
言葉が出てこなかった。全くその通りだからだ。
ニュースや新聞で誰かが死んだと聞いても、人が死んだという実感は湧かない。
誰が誰を殺したと聞いても、それをその日の出来事として片付けていた。
今思うと、自分の周りでそんなことは起こり得ないと過信していたのかもしれない。
日常が壊れる可能性も、何かを失う可能性も考えてなかったのかもしれない。
だからこそ、家族の死に何もかもが壊れたかのような錯覚を起こしたのだ。
内側から信じていたものが喰い破られる感覚は、忘れたくても忘れられない。
あれが絶望というなら、妖魔は。
「妖魔は、永遠に消えてなくなったりしないのか。ずっと、あの化物達は存在し続けるのか」
意識して口についた言葉ではない。しかし日影は、それを質問だと思ったらしい。
少し考える素振りを見せた後口を開いた。
「一つだけ、妖魔を消す方法があるけど」
「! 本当か?」
流星は顔を上げて、日影の次の言葉を待った。
日影の唇が動く。
「人がいなくなれば、妖魔もいなくなるわ」
流星の背筋が凍った。
日影の言葉に、そして表情に、感情が込もってないように見えたからだ。
流星の中で、また猜疑心が目覚める。膝を握る手に力が込もった。
「……日影は」
喉がからからに渇いている。流星は唇を湿らせた。
「日影は、流亜と離れて何をしてたんだ?」
「え?」
日影は目を丸くした。
「一昨日、流亜が言ってたんだ。あんたが急にいなくなったって。どこ行ってたんだ?」
「ちょっと華鳳院君。何か勘違いしてない?」
日影はむっとしたような表情をした。
「急にいなくなったのは、流亜の方よ」
「は……?」
「だから、流亜がどっか行っちゃったんだって」
日影は額を押さえてため息をついた。
「探そうとしたらゾンビ達に阻まれるし、気付いたら雷雲と風馬がいるポイントに押しやられてたし、おまけにいつの間にか流亜は悠と合流してて」
「ちょっ、待てよ! いなくなったのは流亜の方なのか?」
慌てて尋ねると、日影は細い顎を引いた。
「そうよ。でも、それがどうかしたの?」
「それは……」
流星は口ごもりながらも必死で考えた。
(いなくなったのは流亜の方? でもそれが嘘の可能性も……だけど、雷雲や風馬と一緒に戻ってきたのは事実だ)
流星は額を押さえた。
(雷雲達もグルってことは? 裏切り者は一人とは限らないし……。でも、もし本当なら?)
流星はサッと青ざめた。
思い至った結論は、日影が裏切り者であるよりも悪いかもしれない。
「……? 華鳳院君どうし」
パリイィィィィィィィィィンッ
日影の言葉を遮るようにガラスが壊れたような音が響き渡った。
「な、何だ!?」
流星は空を仰ぎ見た。
「これは……結界が破られた音だわ!」
残響に負けないようにか、日影は声を張り上げた。
「来たのかっ」
流星はホルダーから小刀を抜いた。
「人柱を討たれるわけにはいかないわ。行きましょ!」
「おう!」
二人が立ち上がって走りだそうとした時だった。
「行かせないわよ」
二人の両手足に、黒い髪が巻き付いた。
―――
悠は伊吹家の庭にある松の木にもたれかかっていた。
「……だから! 何で俺だけ伊吹家護衛なんだよっ」
流亜はいらいらしたように頭をかきむしった。
「俺と流星って奴を入れ換えりゃあいいだろ? こういうのはチームワークが必要だから、俺は日影達と行動すべきだっ」
「落ち着いてくださいよ」
たえらなくなったのか、猛が慌てて止めに入った。
「悠には悠の考えがあんだって。な、悠!」
振り返った猛に言われ、悠は肩をすくめる。
「さぁ? どうかな」
「秘密主義者なのもあいかわらずネ」
舜鈴が空を見上げながら言った。
「何か視える?」
訊くと、舜鈴は視線を動かさずに顎を引いた。
「明日葉家の方……襲撃始まったみたい」
『……!』
流亜と猛が目を見開いた。
「最初の狙いはあっちか!」
猛が呻くと同時に、流亜は走り出す。
「どこ行くの?」
悠が尋ねると、流亜は足を止めて振り返った。
「明日葉家に決まってんだろ! 日影達が心配だし、それに」
「今度こそ日影達を殺すつもり?」
場が静まった。
目と口をめいっぱい開けた流亜に、悠は更に言葉を投げかける。
「それとも、ここを手薄にして同時襲撃させるつもり?」
「ちょっ、待てって! 何の話だ?」
流亜は悠の言葉を遮った。
「何だそれ。俺が裏切り者とでも言いたいのかよっ」
流亜は悠に詰め寄る。
「もし俺が裏切り者なら! 自分からその存在を教えるわけねぇだろっ。第一証拠は!?」
「証拠は無いよ。でも」
悠は余裕の表情を崩さないまま、胸の前で腕を組んだ。
「証拠が無いことが、逆に証拠になっている」
「何っ……!?」
「朱崋に生き残り組のことを調べさせた。でも偽の情報が多くて判断できなかった。唯一、君を除いてはね」
悠は流亜の目を覗き込んだ。流亜の瞳に動揺が走る。
「多分他の生き残りに疑いをかけたかったんだろうけど、ミスったね。自分にも偽情報を付けるべきだった」
悠が見つめる目に力を込めると、流亜は後ずさった。
顔には汗が浮かび、瞳をきょときょとと落ち着かなく動かしている。
「それから……例えば猛」
「え、お、俺?」
いきなり名指しされ、猛は目を瞬かせた。
「君の知る桐生 流亜ってどんな人?」
「どんなって……」
猛は一瞬眉をひそめた後、口を開いた。
「一言で言うと、破壊主義っつーか……妖魔を狩ることに快楽を見出してるみたいな……妖偽教団のやることにも、何でか好意的だったし」
実に言いにくそうだが、それはまぎれもない事実だ。
悠の記憶でも、流亜にはそういう傾向があった。
「猛の言う通り。でもこの戦いでは、そんな様子無かった」
「それは……改心したんだよ。自分の考えが間違ってたって」
「人間の本質はそう簡単に変えられないものだよ」
悠はじろりと流亜を睨んだ。
「何か本人にとってショックなできごとが起きない限りね。でもそんなこと無かったはず」
「っ……」
「それに昨日」
悠が言葉を重ねるごとに、流亜の視線は下に向いていく。
もうここからではどんな表情か解らなかった。
「私が裏切った奴らは妖魔に喰われたんじゃないかって言った時、それは無いって断言したよね」
「……」
「なぜ断言できたか。それは、君が裏切った奴らがどうしているか知ってるからでしょ? そしてそれを知ることができたのは」
悠は指先を流亜に付き付けた。
「君もまた、裏切り者だからだ」
「……」
流亜の肩がふるふると震えた。ばれたことに対する緊張からなのか……または別の理由なのか。
「あとこれは私の推測だけど、これらの計画は君一人で考えたことなんじゃないの?」
悠の言葉は7なおも続いた。
「妖偽教団が考えたにしてはずさん過ぎる。さっき上げた点から見て、おそらく自分で計画を立て、自ら桐生家を裏切ったんだ」
違う? と小首を傾げて見せる悠を前に、流亜の口から嗚咽がもれた。
いや、嗚咽ではない。
喉奥から絞り出すようなこの声は――
「……プハァハハハハハハハ!」
流亜は突然顔を上げ、笑いだした。
「さすが椿の姫! よく解ったな。いつから感付いてた?」
「あの村のことはともかく、裏切り者に関しては敵が言うはずが無い。知られてない方が動きやすいからね。私達を疑心暗鬼にするための作戦だったんだろうけど」
悠は髪を後ろに払った。
「なるほど……最初からか」
流亜は嫌な笑みを張り付けたまま唸る。
「無駄が多過ぎたんだよ」
悠は木に立てかけてあった刀を手に取った。
「じゃ、あの女の人が言ってた桐の裏切り者ってのも、疑いを他の奴らに向けるため?」
猛の言葉に、流亜は片眉を上げた。
「女? 誰のことを言ってんだ。さっき悠が指摘した通り、このことは俺が一人でやったことだぜ。協力者はいない」
「え。じゃあ、あれは……」
「それより」
猛を遮り、悠は刀の鞘を掴んだ。
「一つ訊きたい。なぜ桐生家を裏切った?」
「……なぜ?」
流亜はにいぃっと唇を歪ませた。
「妖偽教団に入りたかったからに決まってんだろ! ずっと憧れてたんだ……」
流亜の目がすぅっと細められる。
「壊す、奪う、殺す。サイッコーじゃないか。人間のあるべき姿。快楽だよ」
言ってる間に、流亜の骨格がごきりと歪んだ。
ゴキッメキッグキィッ
耳を塞ぎたくなるような音が鼓膜を震わす。
こちらの異変に気付いたのか、辺りから様々な声が上がった。
「どうした!?」
「半妖だ、桐生家の者が半妖に!」
「そんな、我々を裏切ったのか!?」
ざわめく周囲。中庭だったため、動揺の波はすぐ広がった。
その間にも、流亜の身体は変形していく。
上半身の筋肉は膨張し、爪は猛獣のように鋭く、そして黒くなる。口は耳まで裂け、やすりのような歯が見え隠れした。
瞳は血色に変色し、露出した肌に黒い毛がざあっと広がる。獣じみてきた顔は更に獣に近付いた。
「狼……?」
舜鈴が呟く通り、上半身は狂暴な狼のそれだった。下半身はそのままなので、酷くアンバランスだが。
「おいおい満月どころか夜でもないのに狼男出現かよ」
猛は軽口を叩きながら槍を構えた。
「待って、猛」
悠は刀を抜かないまま制止をかけた。
「こいつは私が狩る」
「……ハァ?」
流亜は鼻を鳴らした。
「刀鞘になおしたまま俺と戦うのか?」
まるるで獣の咆哮のような声だ。人の名残があるため、聞き取れなくはないが。
「もう一つ訊きたいんだけど」
それらを総無視して、悠は刀を左手に持ち替えた。
「おまえ、桐生家の人を喰った?」
視界の端で、猛と舜鈴の顔が強張るのが見えた。同時に、流亜の唇がめくれあがる。
「あぁ、喰った。うまかったぜ」
「……そう」
悠は刀を握る手に力を込め、歩き出した。
「おいおい歩きかよ。せめて走るか刀抜けよ」
「……」
悠は答えない。足も止めない。
「俺を殺す気あんの? まさか素手で勝てるとか考えてんじゃねぇよな」
「……」
悠は唇すら動かさない。
そのまま――
流亜の脇を通り過ぎた。
「……おい」
いらだちを含んだ声を上げ、流亜が振り返った。
「何だよ、逃げんのか?」
「……逃げる?」
悠は刀を収めながら流亜から少し離れた場所で立ち止まった。
「もう終わったよ」
チン、と刃が鞘に収まりきったとたん。
流亜の上半身と下半身が離れた。
獣顔に呆然とした表情が張り付く。
上半身が地面に落ちたとたん、その顔に苦悶の表情が浮かんだ。
「てめえぇぇぇぇぇぇ! 何、しやがった……!」
「四の手――風抜斬。あえて解説を付けるならそうだね、居合抜きの進化形ってところかな」
悠は冷厳な声で流亜に言い放った。
「苦しみながら死ね、裏切り者」