第十五話 邪教徒<上>
現れたのは、一人の少女だった。
おそらく流星より年下。身長も悠と変わらない。
腰まで伸ばした亜麻色の髪をツインテールにしており、小造りの整った顔立ちをしている。肌は陶磁器のように白く、琥珀の少しつり上がった瞳はやたら大きい。
よくできた人形のような美少女の登場に、流星は戸惑う。
「え、誰……?」
流星が目を瞬いている間に、少女はミニスカートのポケットから何かを取り出した。
小さな、薄茶のボールだ。それが三つ、右手の指の間にはさまれる。
「退くよ」
少女はそう言ってボールを地面に叩き付けた。
ボフンッ
ボールが割れたと思った瞬間、煙が辺りにたち込めた。
「こっち! 早くっ」
少女の声と同時に、腕が引っ張られる。
否応無しに、流星は走り出すはめになった。
煙が晴れた時には、すでに悠達の姿は無い。
「逃げられましたね」
月読の言葉に、羽衣姫は「そうねぇん」と肩をすくめた。
「気配、たどれるぅ?」
「いえ……術か何かで完全に消したようですね」
月読は首を横に振った。
「残念。……興が冷めちゃったわん」
羽衣姫はつまらなそうに眉をひそめる。
「妾は帰るわ♪ 後始末、お願いねん」
「はっ」
月読は深々と頭を下げた。顔を上げた時には、羽衣姫の姿は消えている。
辺りを見渡しても人はおらず、死体が二つ、転がっているだけだ。
「……おごりも慢心も無ければ生きていられたのに、馬鹿な子達……」
頬に熱いしずくが伝う。
「でも、私が一番愚かだわ」
嘆く声は、誰の耳にも届かなかった。
―――
路地裏を抜けたところで、少女はようやく足を止めた。
「ここまで来ればダイジョブね」
「……あのっ、さぁっ」
流星は汗だくの顔を上げた。
「手、離してくんねぇ? つ、疲れたんだけど!」
「あ……ゴメン」
少女は今流星の存在に気付いたような顔をした後、パッと手を離した。
「あいかわらずだね」
単独で走っていた悠はクスリと笑った。
「傀儡姫の操り方も様になってきてるじゃない」
「まぁね。道士……じゃない、コッチでは退魔師だっけ。その家の娘だしね」
少女は悠に笑い返し、流星に向き直った。
「バジメマシテ、流星サン。私、中国から来た李舜鈴です。ヨロシク!」
「え、中国……? ってことは中国人!?」
流星は目を見開いた。
「な、何で? っていうか今、傀儡姫って……」
姫、と付くということは、姫シリーズということだろう。
しかし、この少女――舜鈴は武器など持ってなさそうだ。彼女の後ろに控えている短髪の少女は剣を持っているが……
(……待てよ)
流星はふと眉をひそめた。
悠が口にした名称は、傀儡姫。
傀儡……人形……?
「――!?」
流星は短髪少女を再度見、指差した。
「ま、まさかそれ、人形か!?」
「当たり。よくできてるでしょ」
「そういうレベルじゃねぇよ!」
流星は悠にそうツッコまずにはいられなかった。
「だいたい、姫シリーズは日本で造られたんだろ。何で中国人のその娘が持ってんだよ」
その意見に、少女二人は顔を見合わせ、悠が口を開いた。
「姫シリーズは長い年月を経て幾つか……ていうか大半が国外に流出したの。理由は一つ」
悠はぴっと人差し指を立てた。
「美術的価値が高いからだよ。部分解除されない限り危険は無いし、一般人から見ても相当な業物だからね。戦後、真価を知らない外国人なんかが国に持ち帰ってしまったの」
「江戸の鎖国以前にも、当時の中国やポルトガルとかに流れたりしてたらしいよ。日本国内では十五しか残ってないって聞いた」
舜鈴は肩をすくめた。
「何でそんなことに……。退魔武器って、凄ぇ重要なものじゃ」
「そこまでは、ね。ただ、当時は姫シリーズの大半は幕府や朝廷が所有していたとしか知らないし」
悠は流星にそう言って、舜鈴に向き直った。
「……で? さっきの羽衣姫に対する発言から察するに、一緒に戦ってくれるの?」
「勿論。ヨロシクネ、悠チャン」
舜鈴はにっこり微笑んで手を差し出した。
舜鈴の術で気配を消しながら椿家に戻ると、いきなり怒号に迎えられた。
「いない、だと!? そんなはずない!」
焦ったような言い振りに、流星は耳鳴りする耳を押さえて「何だ?」と間抜けな声を上げる。
山を自力で登った疲れを忘れてしまうほどの驚きに固まっていると、また声が空気を震わせた。
「確かに来たはずだ、うちの人柱と姫持ちがっ」
「だから今外出中で……あ」
玄関の方へ行ってみると、壮年をとうに過ぎた男と刀弥が口論している。刀弥の方はこちらを見てほっと息をついた。
「おまえら帰ってきたのか! 今笹宮家の使いが……あれ? 舜鈴?」
刀弥は舜鈴を見て目を丸くした。
「何で日本に……それに笹宮兄妹は?」
そのことを訊かれ、流星は思わず下を向いた。
「刀兄、二人は……死んだよ」
悠は前に出て、冷静な顔付きを見せた。
「羽衣姫と月読に、殺されたんだ」
「なっ……」
刀弥は目を見開いた。
「本当か!? それに月読って確か……」
刀弥は途中で言葉を濁した。
一方、刀弥にまくしたてていた男性は両膝を着く。
「……もう、終わりだ」
頭を抱え、瞳を揺らす姿は情けないと思うと同時に……妙な恐怖感を流星に与えた。
「わ、私達は……みんな殺されるんだ……羽衣姫に、全員が……」
「震える前に、やるべきことがあるのでは?」
突然響いた声に、全員そちらを見た。
恭弥だ。玄関から出てきて、男をじっと見下ろしている。
「羽衣姫の性格上、人柱を殺したから笹宮家を襲わない、という考えは無いでしょう。この戦いを派手に演出するために襲撃を行うはず」
恭弥は厳しい表情で男の目を見つめた。男の震えがぴたっと止まる。
「すでに僕から逃げるよう連絡しました。貴方は彼らと合流してください」
「いや、私は、その……解り、ました……」
男は立ち上がって門の方へ走っていった。
車は? と問いかける刀弥にいい、と返し男はそのまま帰っていく。
「……解ったのか? 人柱が死んだこと」
刀弥に問われ、恭弥は顎を引いた。
「人数が減ったせいだろう。羽衣姫の力を強く感じるようになった。人柱のことも……」
恭弥は軽く目を伏せ、再び開けた時には舜鈴と向き直った。
「……久しぶりだな、舜鈴」
「っ……」
恭弥が微笑を浮かべると、舜鈴の肩がぷるぷると震えた。
顔をうつむかせ、地面を見つめる舜鈴を流星は不思議に思い、声をかけようとして――
「会いたかった、恭弥ぁ!」
――危うく吹っ飛ばされそうになった。
舜鈴はいきなり顔を上げ、地面を蹴ったのだ。近くにいた流星は、その勢いで彼女とぶつかりそうになったのである。
そんなこと気付いていない舜鈴は、そのまま恭弥に抱き付いた。
「元気だった? 怪我とか病気とかしてない? 勉強うまくいってる?」
「あぁ、大丈夫だ。大丈夫だから……どいてほしいんだが。これじゃ動けない」
首に腕を回されてる状態では、誰だって動けない。
それに気付いたのか、舜鈴は目をぱちぱちさせた後、そっと離れた。
「ゴメン……つい嬉しくって」
「まぁ……今まで電話やメールだけだったからな。……ん? 流星、どうした?」
固まっている流星に気付いた恭弥は首を傾げた。
「……どういう関係?」
「何が」
「おまえら」
「どういうって」
舜鈴は恭弥の右手を掴み、ぐいっと引っ張った。
よろめいた恭弥の唇に、素早く自分のそれを重ねる。
「こういう関係」
ハートマークが付きそうな言葉に、流星は再び固まった。
「……まぁいわゆる恋人関係だ」
補足するように恭弥が説明する。照れているのか、頬がほんのり赤い。
口を開閉させている流星に対し、悠はどこまでも冷静な声音で言った。
「それで、今後の対策はどうするの?」
ぴりっと空気が引き締まった。
「……まずは居間に全員集めよう。次に狙われるのはどこか、検討付けなきゃな」
「あ、そのことなんだが」
刀弥の言葉に、恭弥が真っ先に口を開いた。
「おおよその見当は付いている。候補は……二家だ」
「明日葉家と伊吹家?」
日影は目を瞬いた。
「根拠を話してくれるか?」
風馬は恭弥に尋ねた。
大広間。椿三兄妹と流星、桐生家の面々が座布団の上に座って向き合っていた。
猛はまだ体調が悪いため不参加、燐は仁奈が心配するから、ということで帰ったらしい。
「兄の話では、羽衣姫はこの戦いを劇に見立てているようです」
恭弥は話始めた。隣には舜鈴が当たり前のように座っている。
「そして、襲われた人柱を順番に並べると、実力順で並んでいる」
恭弥は後ろに控えていた氷華から大きめの紙とボールペンを受け取り、そこに襲撃された家名を書く。
「桐生家、梅見家の人柱はまだ子供で、橘家は老齢だった。兆候も現れ始めてたそうです。笹宮家の人柱も、全体的に見れば実力は低い」
「つまり、実力が低い順に襲われてんの?」
雷雲は身を乗り出した。
「あぁ。それだけじゃない。これを見てほしい」
今度は地図を広げる恭弥。どうやらここ周辺のものらしい。
「ここが桐生家、ここが梅見家、笹宮家、明日葉家、伊吹家……」
恭弥は地図に丸を書き込んでいく。
「……そしてここが椿家。これを線で繋ぐと」
ススッと線が描かれる。その途中で悠がハッとしたように「らせん」と呟いた。
「そう、悠の言う通り」
描き終えた恭弥は顔を上げた。
「桐生家から内側に向かうように、渦を巻いて存在しているんだ、人柱を持つ家は」
地図上に描かれた渦を見つめ、皆黙り込んだ。
「これはどうやら、龍脈などを考慮しての結果らしい。封印との関係は謎だが」
全員が顔を見合わせる中で、流星だけがおいてきぼりの気分だった。
「な、なぁ……龍脈って何?」
流星がぼそぼそと尋ねると、悠は目を瞬いた。
「……大地に流れる、力の流れだよ。確か風水にも使われてたはずだけど」
「ふ、ふぅん……」
聞いてもよく解らなかった。
「それにしても、龍脈で守られている家を離れるのは、かえって危険だね」
悠の言葉に、恭弥は頷いた。
「あぁ。逃げたとして、安全な場所を確保できる可能性は低い。だから……迎え撃つしかない」
恭弥は地図を指でとん、と叩いた。
「反撃の糸口が掴めない今、守りに徹するしかない。戦力を集中させ、人柱を守る」
細い指がススッと移動する。
「そしておそらく奴らの次の狙いは……ほぼ隣り合ってるこの二家だ」
恭弥の指が、二つの点を突いた。