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HUNTER  作者: 沙伊
36/137

     月と蜘蛛<下>




 いなくなった。いなくなった!?


 流星は呆然と立ち尽くした。

 視界には悠の姿も、影すら映らない。

 どこに行ったというのだ。

「流星様」

「流星! ……悠はどうした?」

 駆けつけてきた朱崋と刀弥に、流星は救いを求めるように目を向けた。

「悠が……悠がいない!」

「……! 解った、とにかく落ち着け」

 刀弥は流星の肩に左手を乗せ、朱崋の方を見た。

「朱崋。おまえなら悠の居場所解るだろう」

「おまかせください」

 朱崋は一礼し、獣耳と九本の尾を出した。

 尾を扇のように広げ、薄赤の瞳を閉じる。

 数秒の時が流れ、朱崋はパッと右手側の林を見た。

「この奥の洞窟です。連れ去ったのは、土蜘蛛のようですね」

 それを聞いたとたん、流星は走り出していた。

 刀弥の制止も聞かず、草木をかきわけていく。

 頭の中が熱い。悠を連れ去った妖魔を、今すぐ斬り裂いてやりたかった。

(……何だ?)

 全身がほでる。内側に、何か異質なものがうごめいているような、そんな感覚があった。

 激情が吹き出ていくごとに強まっていく……


「落ち着け!」


 いきなり脳天に衝撃を受けた。

 バットで殴られたのより酷い激痛に流星は倒れ、ついでに意識も失いかける。

 完全に気絶しなかったのは、二つの足音が近付いてきたからだ。

「ったく。素人が暴走すんじゃねぇ! 死にてぇのか?」

 顔を上げると、刀弥が顔を歪ませて仁王立ちしていた。

 彼の右腕を見るに、どうやら『如意ノ手』で殴られたらしい。

 さすが悠と恭弥の兄。とてつもない迫力だ。はっきり言って怖い。

「何が起こるか解らないんだ。一人で行動するのはひかえろ!」

 刀弥の叱責に、流星は頭が急速に冷えていくのを感じた。

 全く刀弥の言う通りだ。

 一人で山を走り回ったって悠は見つかるわけないし、感情に流されていてはまともに戦えるわけがない。

「ごめん、なさい」

「……解ったならいい」

 刀弥は左手を差し出した。

 流星はその手を取り、立ち上がる。

「なぁ、一つ訊きたいんだが。おまえ、いつから霊が見える?」

 服の泥を払っていた流星に、刀弥は尋ねてきた。

「いつからって……物心ついた時からですけど」

 唐突な質問に、流星は目を瞬いた。

「変なことができるようになったとか、そういうことは?」

「別に……。あ、でも」

 流星は一つ思い出したことがあった。

「何か……最近力が強くなってる気がするんですよ。空手やってるから、元々腕力は強い方なんですけど」

「……そうか。いや、急に質問して悪かった。いこうか」

 刀弥はすたすたと歩き出す。流星は首を傾げつつもその後を追った。



(封印は解けかかってる)

 刀弥は顔を苦くした。

 すでに表面化してるようなので、完全に抑え込むのは無理だろう。

 別に普段の生活に支障は無い。だがもし、先程のように激昂したら。

(悠、おまえはこいつをどうする気だ?)

 刀弥の眉間に、深いシワが寄った。

(このままだとおまえは……こいつを狩らなきゃならなくなるぞ)


   ―――


 鋏が目の前に迫る。悠は刀を持ったままバク転してそれを避けた。

『どうした月凪! 逃げてばかりではないか』

「だからっ」

 悠は刀を構え、声を張り上げた。

「私は月凪じゃないって言ってるでしょ!」

 ぶんと刀を降り下ろし、地面を叩く。

「風刃斬!」

 衝撃波が石のかけらを飛ばし、土蜘蛛に襲いかかる。

『笑止!』

 土蜘蛛は前の片足を払い、衝撃波をかき消した。

『この程度でわしを滅するなど……!?』

 土蜘蛛の言葉が途切れた。悠の姿を見失ったのだ。

「上だよ」

 悠の声に、土蜘蛛は八つ目を上に向けた。

 悠はすでに高々と跳んでおり、天井を蹴ったところだった。

「はぁっ」

 勢いをつけて落下、刀を薙ぐ。


『ぐおぉぉぉぉっ!?』


 土蜘蛛の目を四つ斬り裂いた。赤い目から、黒い血が流れる。

 土蜘蛛の頭部を蹴って着地した悠は、思わず舌打ちした。

 頭を一刀両断するつもりが、避けられてしまった。

 しかも手負いの妖魔は厄介だ。かえってまずったかもしれない。

 しかし土蜘蛛は怒り狂うこともなく、じっとこちらの様子をうかがっているようだった。

『……さすが月凪。あいかわらず見事な腕だ』

「いや、だから月凪じゃないって」

 悠の否定にも、土蜘蛛は首を横に振る。

『いいや。おまえは月凪だ。刀も声も気迫も全て、な』

 悠は一瞬むっとしたが、ふとひっかかりを抱いた。

「おまえ……もしかして目、見えてないの?」

『……なぜそう思う?』

 土蜘蛛はすっと顔を上げた。

「おまえのセリフには、容貌を表す言葉が無かった。声は聞くもの、気迫は感じるもの。この刀には独特の気配があるから、そっちはそれで解ったんでしょ」

『……』

「でも、目で見えるものは表現しなかった。となると、選択肢は二つ」

 悠はぴっと二本の指を上に向けた。

「私の顔を見てないか、目が見えないのかのどちらか。今向かい合ってるんだから前者は無い。となると、後者だよね」

 中指を折り、人差し指を土蜘蛛に向ける。

「違う?」

『……全く鋭い。僅かな言葉で、そこまで看破するとは』

 土蜘蛛はやれやれとばかりに首を振った。容姿のせいで、仕種との違和感が尋常じゃない。

『その通りだ。わしの目は、もう輪郭しか見えておらん』

「ふ……ん。なるほど」

 悠は刀を持ったまま腕を組んだ。

「……土蜘蛛。私の話、聞いてくれるかな」

 悠が尋ねると、土蜘蛛は首を傾げた。

 悠は土蜘蛛の赤い目を覗き込む。

「勿論聞きたくなければ聞かなくてもいい。聞くか否か、全ては、おまえ次第だよ」

 土蜘蛛は答えない。ただじっと、悠を見下ろす。


   ―――


 日が落ちた。闇色の空には、鮮麗な輝きを放つ満月が浮かんでいる。

「先程移動しました。おそらく頂上にいるはずです」

 先頭を行く朱崋は息も切らさず走り続けた。

 すでに呼吸が絶え絶えの流星は、返事すらできずに足だけを動かす。

「あと少しだな……!」

 隣で走っていた刀弥の足が止まった。

「ゼェ、とう、やさん……? どうし……?」

「悪ぃ。先行っててくれ!」

 刀弥は全然別の方向へ走り出す。その顔には、驚愕が浮かんでいた。

「ど、したんだろ」

「……解りません。とにかく我々は急ぎましょう」

 つられて止まってしまった流星と朱崋は再び走り出した。

 飛び出した枝や草で服が破れたり、ひっかき傷を作ったりするが、いちいち気にしていられない。

(悠、頼むから無事でいてくれっ)

 どうしようもない不安が、胸中をじわじわ侵食してくる。

 悠が負けるとは思っていない。だがもし、もしものことがあったら?

 それを想像した時、流星の全身にざぁっと恐怖が広がった。

 今にも止まりそうな足を無理矢理動かし、走り続ける。

「あそこです」

 朱崋は前方を指差した。木々の間の奥に開けた場所が見える。

 流星と朱崋はその間に飛び込んだ。


 視界が広がった。


 木も高い草も無い、平原のような場所だ。

 一瞬呆然とした流星だが、見覚えある人影を見付け、思わず声を上げる。

「悠!」

 人影は、黒髪を揺らして振り返った。

「流星……」

 こちらを向いた少女の姿を見て、流星は絶句した。

 服がボロボロだ。白い半袖のシャツはところどころ切り裂かれ、ノースリーブの黒い上着は土や泥で汚れている。黒ミニスカートはすそがばっさり切られていた。

 露出した腕は切り傷やすり傷だらけで、刀を持つ手も力無くだらんと下げられている。

 黒いニーソックスも裂けており、血がにじんでいた。

 悠の顔には疲れと虚無感が浮かんでいる。流星が近付くとぐらりとよろめいた。

「だ、大丈夫か!?」

 流星は慌てて悠を抱き止める。

「大丈夫……それより」

 悠は流星に支えてもらいながら、顔をある方向へ向けた。

 目線を追った流星はあっ、と声を上げる。

 少し離れた場所に、老人が倒れていた。

 薄茶色の狩衣の上に部分鎧を付けているが、それは無惨に砕け、衣も悠同様ボロボロだ。

 老人は灰色の目を空に向けて咳き込んだ。腹の傷から血がにじむ。

「さ、さすが月凪の……子孫。強い、な」

 満足げに笑う老人に、悠は首を横に振った。

「違う。貴方が弱くなったんだよ。生きる支えを、失ったから」

 悠の言葉に老人は一瞬目を見開き、次いでふっと笑った。

「全くだ。わしは己が異類のものであるにも関わらず、一人の女を求めた。その者がこの世にいないと知ったとたん、このざまよ」

 老人の目に、月が映った。

「のう……今日の月は綺麗か?」

 悠は老人にならうように月を見上げた。

 傷だらけだというのに月光を浴びた姿があまりにも美しくて、流星は息を飲む。

「綺麗だよ。とても綺麗な……満月だ」

 静かな悠の声につられ、流星も月を見た。

 黒夜に浮かぶ月は寒々しくも気高く、届かぬほど高い空で銀色に輝いている。

 降り注ぐ光はあくまで静かで、全てを静寂に包む光だった。

「そうか……満月か。めしいた目では、それも解らぬわ……」

 老人は夜空に向かって手を伸ばした。

「遠い、遠い」

 がふっ、と血塊を吐きながら、老人は呟く。

「結局わしは……月を、得ら、れ……なかっ」

 ぱたり、と老人の腕が落ちた。

 ぴくりとも動かなくなった老人の身体がどんどん縮んでいく。

 まばたきをしてる間に、老人の横たわっていた場所には一匹の小さな蜘蛛がいた。

 傷だらけの小蜘蛛は次第に風化し、土と同化してしまう。その場に残ったのは、悠と流星、朱崋の三人だけだった。

「……何だったんだ?」

「大したことじゃないよ」

 思わず呟いた流星に、悠は月を見上げたまま囁くように言った。

「蜘蛛の糸は月に届かなかった。ただ、それだけだよ」

 月は輝く。

 気高く美しく、遠く届かぬ空で、常に。


   ―――


 刀弥は走っていた。

 目ではなく気配で、目的の人物を追跡する。

「待てよ!」

 刀弥は声を張り上げた。

「待てっつってんだろ、姉貴ぃ!」

『如意ノ手』が追いかける人物まで伸び、足元の地面をえぐる。

 立ち止まった人物を、刀弥は奥歯を噛み締めて睨み付けた。

「なぜ逃げる。なぜ俺を避ける!」

 刀弥が必死に呼びかけるが、相手の返答は冷たかった。

「今は敵と戦う気は無いわ」

「……! そうかよ……だったらっ」

『如意ノ手』を戻し、爪を鋭くした刀弥は叫んだ。

「引っ張ってでも連れ帰ってやる!」

 だんっ、と地面を蹴り、その人物に腕を振り下ろす。

「訂正を入れとくわ」

 さっと繊手が伸びる。

「私の名は月読よ」

 繊手と『如意ノ手』がぶつかり合った。


 バチバチバチィッ


 スパーク音が響く。暗い周辺がパッと明るくなった。

 刀弥の攻撃は、受け止められていた。

 人物――月読の手が、がっちり『如意ノ手』を受け止めているのだ。

 彼女の腕は微かに発光しており、何らかの術によるものだろう。

 月読は右手で持った弓を持ち上げた。

「……『鳴弦姫』、部分解除」

 月読はぼそりと呟き、『如意ノ手』を掴んだ手をぶんっと振った。

「ぐあっ!?」

 いきなり投げられた刀弥は受け身も取れずに地面に叩き付けられる。

 動けなくなった刀弥に、月読は光の矢を向けた。

「断罪の矢……」

 ボオゥッ、と矢が大きくなる。

帝釈天(タイシャクテン)の光!」

 巨大な光の矢が発射された。

 矢は周囲の木や草を焼き焦がし、刀弥に迫る。

「うぐっ……」

 刀弥は『如意ノ手』を突き出した。

鎧壁障護(ガイヘキショウゴ)!」

『如意ノ手』がごおっと巨大化した。

 巨大化した『如意ノ手』と輝く矢がぶつかり合う。


 バヂバヂバヂバヂバチバヂバヂィッ


 再びスパーク音が響き渡った。しかし、先程の比ではない。

 電気がこの場で大爆発を起こしたような、そんな音なのだ。

「ぐ、うぅっ」

 刀弥の身体が後方に押された。靴底が滑り、踵の後ろで土が盛り上がる。

「う……うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 刀弥が叫ぶと同時に。


 バァァァァァァァァァァァァァァァン!!


 光の矢がはじけ飛んだ。

 力の競り合いに敗れ、耐えられなくなったのだろう。

 息が絶え絶えになりながら、刀弥は『如意ノ手』をを下ろして顔を上げた。


 いなかった。誰も。影すら無い。


 刀弥は呆然とした。

 先程までいたはずの月読の姿が見当たらない。見渡してみても、気配すら感じられなかった。

 一体いついなくなったのだろうか。あの矢を放った瞬間か? それとも……

 それ、とも。

「……アハハ。何、だよ、それ……」

 刀弥は目を押さえて膝を着いた。

「何だよ、それ」

 刀弥の頭の中で、一つの言葉が浮かんでいた。


 彼女はもともと、存在しなかったと。


 そんなわけないことぐらい、解っている。

 彼女は確かに存在していた。姿も声も、はっきり思い出せる。

 ただ、それを自分が幻だと思い込もうとしただけだ。

 彼女の姿は、失ったと思っていた者と、あまりにも似ていたから。

 いや、あれは同じ。失った存在そのものだった。

 それに自分の手は、届かなかった。

「……くっそおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 刀弥は左手の拳で思いっきり地面を叩いた。

「……何で、何で」

 手の甲に落ちた熱いしずくを見、空を仰ぐ。

「何で大切なモンばっか消えちまうんだ! 何で大切なモンばっか腕から滑り落ちちまうんだ!!」

 叫んでも応える者はおらず、反響が消えた後は、静寂が戻っただけだった。

「……何で、心なんてあるんだ」

 刀弥は己に問うように呟く。

 そんなものが無ければ、これほど苦しまずにすんだのに。そう、思いながら。


   ―――


「哀れだな」

 山を降りた月読はその声に振り返った。

「いたの、熾堕」

「いたも何も……元々この件は俺の担当だったからな」

 手近の木の幹にもたれかかった銀髪の美丈夫は肩をすくめた。

「もっとも、仲間に引き入れることは不可能だったが。ただの蜘蛛に成り下がっていた」

「そのただの蜘蛛に本気でキレたのは誰だったかしら」

 月読の言葉に、熾堕は「手厳しいな」と苦笑した。

「確かに、小物相手に熱くなってしまった……俺もまだ青い」

 そう言ってからいや、と首を振る。

「心がある者は成熟などできない。いつまでも未完で、未熟で、矛盾している。だからこそ、心と呼べる」

 どこか遠い目で独白する熾堕に、月読は「ところで」と切り出した。

「哀れって誰が? 土蜘蛛のことかしら」

 問うと、熾堕は静か過ぎる瞳をこちらに向けて木から背中を離した。

「おまえ以外に誰がいる?」

「私が、哀れ? 何を言ってるの」

 月読は声が震えださないよう動揺を抑え込んだ。

 それを見透かしたように、熾堕の目が月読の瞳を覗き込む。

「哀れだ。嘘で嘘を飾ってるおまえが。何より哀れで、そして愚かだ」

 熾堕の翼が広がった。闇夜だというのに、その黒翼は随分目立って見える。

「嘘をつくことは否定しない。だが、己にさえ虚構を見せるおまえの行為は、おまえの望んだものか」

「っ……!」

 ぎり、と奥歯を噛み締める月読を残し、熾堕は飛び去ってしまった。

「……貴方に」

 立ち尽くした月読は拳を握り締めた。

「何が解るっていうの? 私の、私の何が……!」

 月読の声は、全て黒夜の空に飲み込まれた。



「解るさ」

 高き空で、熾堕は呟いた。

「俺もまた……嘘で己を創り出す者だ」

 己の手を見つめ、熾堕は誰に向けるわけでもなく囁く。

「偽りの名、偽りの忠誠、偽りの同志」

 熾堕は己の両肩を抱いた。

「俺にとっての真実(ほんとう)は、この翼だけ」

 黒翼がはばたく。月光を浴び、艶やかに輝きながら。

「罪の証、罰の証。……堕天の、証」

 熾堕は両手を下ろした。

「まだ、だ。まだ星は瞬かない」

 熾堕は月を見上げる。しかしその銀の瞳に映るのは、月ではない。

「俺はまだ、偽りの道を行く」


 空に星は輝いていない。月のみが、哀し過ぎるほど白い光を降らし続ける。




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