月と蜘蛛<中>
突拍子無いことは慣れている。
悠といたら、常に驚きの連続だからだ。
でも、これは度を越してるように思う。
何で……何で……
いきなり奈良に行くんだ!?
流星は状況を把握するために視線を動かした。
幾つもの固定席。向かい合って座り、談笑する人々。天井の荷物置き場には、アタッシュケースやリュックサックが収まっている。
窓の外の風景はほんの一、二秒で移り変わる。かなりのスピードにも関わらず、揺れはあまり無い。
(当たり前か。新幹線なんだし)
自己完結し、今度はメンバー確認。
隣には悠が座っている。窓際の席で、何やらご機嫌だ。
向かいの席には、朱崋と刀弥だ。刀弥が通路側、朱崋が窓側である。
流星は次に、一時間前のことを思い出した。
マンションから出た流星は、なぜか待ち構えていた悠に捕まった。
そして刀弥の部下が運転する車に乗せられ、奈良に行くと一言言われてそのまま東京駅に行った。
で、結局問答無用で奈良行きの新幹線に乗せられたのである。
――以上。
(って、説明一つも無ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!)
流星は内心で絶叫した。
全く解らない。奈良に行く理由も、刀弥がいる理由も。
「なぁ、おい」
「何? 観光は明日にしてね」
「違ぇよ!」
流星は声を低めつつも悠にツッコんだ。
「じゃなくて! いい加減、奈良に行く理由教えろよっ」
「何だ、知らないのか?」
刀弥が文庫本の小説から顔を上げた。
「おまえ説明してなかったのか?」
刀弥の問いかけに、悠は悪戯っぽく笑った。
「だってその方が面白いでしょ」
何だそりゃ!?
流星の顎が落ちた。
(つまりあれか、遊ばれてたのか俺!?)
今更気付く流星である。
「ったく。……まぁいい。俺が説明する」
刀弥はあきれの表情を消して、真面目な顔付きになった。
流星も釣られて身を引き締める。何となく学ランの襟も直した。
「察してるとは思うが、奈良に向かうのは、妖魔を狩るためだ」
刀弥は本にしおりをはさみ、静かに閉じた。
「日本政府からの依頼でな。それでおまえらだけでなく、当主代行の俺も同行している」
「日本政府から? その依頼って何ですか?」
流星が首を傾げると、刀弥はふっと息をついた。
「政府が開拓を進めてる山に現れた土蜘蛛って妖魔を狩れとさ。退魔師達の反対を押し切って進めたもんだから、奈良に協力者がいねぇんだ」
刀弥は頭の後ろに左手を置き、そこに頭を乗せた。
「俺達の祖先が関わっているからってのも、理由の一つだがな」
「祖先?」
流星は首を傾げた。
「土蜘蛛は、私達の祖先に封印されていたんだよ」
悠の言葉に、流星は顔をそちらに向けた。
悠は窓から視線をそらさずに続ける。
「椿家に書記が残ってたよ。椿家開祖、椿月凪が土蜘蛛を封印したってね。もっとも、その書記を残したのは月凪の兄だけど」
「兄がいたのか?」
流星が訊くと、悠はなぜかにやりとした。
「そ。いたの。双子の兄で」
笑みが深まる。
「安倍晴明って名前」
流星は頬杖をつこうとして失敗した。
つるっと肘がずれて支えを失う。そのまま前倒しになり、膝と額をぶつけた。
「っ~~~!!」
「器用だね。普通ならないよ、そんな風に」
悠はによによしながら流星の頭を撫でた。
「っは、安倍晴明って妹いたの!? しかも悠達の先祖って……」
「世間じゃ知られていないけどな」
刀弥は肩をすくめた。唇がけいれんしているのは気のせいか?
「退魔師の間じゃ有名な話さ。一般人は知らねーけどな」
「何でですか? 安倍晴明ってめちゃくちゃ有名じゃないですか」
流星が言うと、刀弥は苦笑した。
困ったような、寂しいような、そんな笑い方だった。
「俺達退魔師は影の存在だ。決して表に出てはいけない」
「は、ぁ……」
「安倍晴明は例外中の例外。天皇に気に入られてたし、長命だったしな」
だが、と刀弥は少しだけ顔をうつむかせた。
「月凪は違った。自分みたいな存在が表に出てはいけないことは解っていたし、なにより人嫌いだった。名字も、晴明の妹と知られたくなくて変えたそうだし」
つまり目立つのも特別扱いも嫌いだったということだろうか。
流星は首を傾げた。よく意味が解らない。
「……ま、いずれ解るさ。それより」
刀弥は急に話を変えた。
「今回の妖魔のことなんだが。気を付けた方がいいぞ。かなりの実力らしいからな」
四人の間にピン、と張りつめた空気が漂った。
「……ま、無茶はするなよ。特に流星」
刀弥がこちらを向いたことで、流星は目を丸くした。
「お、俺?」
「戦い慣れてないからな。無理だと思ったらすぐひけ。いいな」
「は、い……」
流星は戸惑いながらも頷き、腰のホルダーに収まった小刀を握り締めた。
―――
奈良県にある都市。古い建物が並ぶ街に、その山はぴったり収まっていた。
「ここが例の山だね」
悠が木々に覆われた山を見上げた。高い位置にある太陽をバッグにした山は、暖かい空気から切り取られたように寒々しい雰囲気を放っている。
「初めて見るけど……なるほど、妖気をまとってる。強いね、この山の主」
呟く悠の隣で、流星はきょろきょろと視線を動かしていた。
「どうしたの?」
悠に尋ねられ、流星は視線を彼女に向ける。
「いや……鹿いねーなと」
流星の返答に、悠はあきれ顔になった。
「奈良全域に鹿がいるわけないじゃない」
もっともな言葉に、流星は頭をかいた。
「まぁ、初めて来たならしょうがないって」
刀弥は笑いながら左肩を揺らした。
「さて、行こうか。そう時間喰ってられねーしな」
一行が山のふもとへ向かおうとした時――
「待ちなさい!」
いきなり呼び止められた。
何だと思って振り向くと、老人と中年の男が一人ずつ、こちらに厳しい顔を向けていた。
「あんたら、あの山に行くつもりか?」
「そうですが……何か?」
刀弥が答えると、男二人はますます表情を苦くした。
顔を見合わせ、中年の方が前に進み出る。
「悪いことは言わへん。山には近付かん方がいい」
「そうはいかないんだよ」
悠は腰に拳をそえて前に出た。
「私達はあの山の主に用がある。国の依頼でね」
その言葉を聞いたとたん、男二人は目を見開いた。
「じゃ……あんたら同業者か!」
「ええ。椿家の者です」
刀弥が言うと、二人はますます目を丸くした。
「あ、あの椿家がっ」
「何でまた、東京から奈良に……」
慌てる二人に対して、悠はふん、と鼻を鳴らした。
「貴方達がおじけづいて妖魔を狩らないからじゃない」
「っ……我々はっ」
「おじけづいたんでしょ」
悠は冷めた目で二人を見つめた。
「開拓を反対したのは、妖魔の復活を恐れたから。依頼を断ったのは、妖魔と戦うのを恐れたから。違う?」
「……」
二人は何も言わない。悠のことを直接見れないのか、顔をあらぬ方向に向けている。
「どうして私の目を見ないの? 違うというならこっちを向きなよ」
悠の問いかけにも、二人は微動だにしなかった。
「……答えないならそれでもいいよ」
悠はくるっと二人に背を向けた。
「貴方達は結果を待ってればいい。震えながらね」
すたすたと歩き出す悠を慌てて流星達は追いかける。
気になって流星が振り向くと、二人の男はまだ立ち尽くしていた……
山の中は木の枝や葉、高い草で視界がせばまっていた。
「こんなとこで戦いになったら、まともに戦えねーな」
刀弥は草をかきわけながらぼやいた。
「動きを感付かれないように開拓されてない方に来たけど……失敗だったかもね」
悠は顔をしかめた。
「朱崋、何か感じる?」
悠に尋ねられ、朱崋はすっと目を閉じた。
「……頂上付近に、大きな力を感じます……周りに、小さな力も幾つか」
「小蜘蛛か」
刀弥は唇をぺろ、となめた。
「その辺りも狩らなきゃだな」
「そいつ、メス蜘蛛なんですか?」
流星は刀弥の背に問いかけた。
「いや。ただ、普通の蜘蛛に力を与える能力を持ってるらしい」
バキバキと小枝を折りながら進む刀弥。その後に悠、流星、朱崋が続く。
十数分ほど歩いただろうか。突然朱崋が周りを見渡した。
「どうした?」
流星は振り返り、朱崋の顔を見た。
朱崋は厳しい顔で木々の間を睨んでいたが、いきなり声を張り上げた。
「皆様方、敵です!」
まるでそれに応えるかのように、上空から黒い物体が飛来してきた。
蜘蛛だ。大人ほどもある巨大な蜘蛛が、何匹も落ちてくる。
「小蜘蛛襲来、てところだね」
「あれ小蜘蛛!?」
悠の言いように流星は思わず蜘蛛達を指差した。
キシャアァァァァァァァァァァァァァァッ
蜘蛛達が雄叫びを上げた。
ビリビリと空気が震える。こちらがひるんでる内に、蜘蛛達は飛びかかってきた。
「絶対小蜘蛛じゃねえぇぇぇぇぇ!」
流星は絶叫しながら小刀を抜いた。
あらわになった刀身に炎が灯り、こうこうと輝く。
「はぁっ」
流星は気合いの声を上げて小刀を振った。
炎のかまいたちが近くにいた蜘蛛の口にぶち当たる。 ギィィッ、などと悲鳴を上げ、蜘蛛はもがきながら炎に焼かれていった。
「やるじゃねぇか」
流星は感心したような声を上げた刀弥の方を見た。
右腕に鎧のような手袋をはめており、手の平は三倍ほどでかくなっている。指先は鷲のように鋭かった。
「それは?」
「あぁ。俺の退魔武器――だ!」
刀弥は右腕を振った。
襲いかかろうとしていた蜘蛛を鉤爪のような指で斬り裂き、次いで地面に叩き付ける。
「『如意ノ手』っつってな。俺の意思に応じて姿を変えるんだ」
刀弥はにっと笑い、すぐさま表情を引き締めた。
流星も周りの敵に目を向ける。まだ四匹いた。
「流星と刀兄は下がって」
刀を抜いた悠は、パッと構えた。
「試してみたい技があるの」
じりじり迫ってくる蜘蛛を前に、悠は平静そのものの声で呟いた。
「『剣姫』、部分解除」
刃を垂直に突き出し、すぅっと息を吸う。
「二の手――」
葉が一枚落ちてくる。
「百華裂刃!」
悠は刀を薙いだ。
ズババババババババババババババババババッ
一瞬何があったのか解らなかった。
斬撃音がしたと思ったら、蜘蛛の動きも風も、落ちる葉さえ停止する。
だが半瞬にして、風景は変わった。
蜘蛛の身体は原形を留めないほどバラバラになり、黒い体液をまき散らす。周りの木々が音を立てて倒れ、草はバッサリ斬られていた。 まるで、悠の前方にだけかまいたちが大量発生して通り過ぎたような光景だ。
流星達が呆然としている間に、悠は鞘に刀を収めた。
「さて。通りやすくなったし、進もうか」
誰も、異論は唱えなかった。
山の中腹辺りまで来た。
日は傾き始め、多分時間は二時か三時かぐらいになってるだろう。
「よし、いったん休憩しよう」
刀弥に言われたとたん、流星の腹が鳴った。
新幹線で昼食を取ったはずなのだが、思ったより体力を使ってしまったらしい。
「流星様、おにぎりです」
「あ、サンキュー」
朱崋から差し出された握り飯を受け取り、流星はパクついた。
「腹が減っては戦はできぬっつーが、腹八分目にしとけよ」
同じく握り飯を食べていた刀弥は言った。
「満腹だといざって時に動けないからな」
「それにしても、敵の動きが全く無いね」
刀を抱えた悠は、ぽつんと呟いた。
「こっちの動きは、もうとっくに気付いているはずなのに」
何か気になるのか、悠は厳しい表情で木々の間を睨んでいる。
流星は残りの握り飯を口に放り込み、悠にならって周りを見渡してみた。
別に何てことはない。特に変わった様子の無い森だ。
視界も広いし、ここは開けた場所だから戦いやすい。何を警戒する必要があるのだろう。
流星はそう思っていたが、現実はそう甘くはなかった。
バシュシュウゥゥッ
突然白い糸の束が視界を覆った。
あっと思う間も無く絡み付かれる――かと思いきや、悠が刀で糸を絶ち斬ったため、それはまぬがれた。
「いっ……!?」
「やっぱり待ち伏せされてたか」
目を白黒させる流星に対し、悠、刀弥、朱崋の三人は臨戦態勢に入っていた。
草むらからさっと同じような大きさの蜘蛛達が出てくる。口からは白い糸が垂れていた。
「妙だと思ったんだよ。なぜかこの辺りだけ開けた場所になってるのが。こっちを油断させようとしたんだね」
悠は刀を軽く振った。
「悪いけどそんな手には引っかからないよ。私達は間抜けじゃないからね」
……つまり俺は間抜けだと言いたいのか。
流星は肩をがっくり落とした。反論できないのが哀しい。
蜘蛛達はいっせいに糸を吐いた。まるで波のように悠達に襲いかかる。
「させるかよっ」
素早く刀弥が前に出た。
『如意ノ手』をはめた手が、黒い巨大な刃のようなものに変化する。
「はぁっ」
刃は蜘蛛の糸を一緒くたに横凪ぎにした。
刃はすぐさま手の形に戻るも、ぐんっと五指が伸び、五匹の蜘蛛を貫く。
残り数匹、というころで、思いもよらないことが起きた。
後方から蜘蛛の糸が伸び、悠の身体に巻き付いたのだ。
「え!?」
いきなり動きを封じられた悠は目を丸くする。
糸は悠の上半身と二の腕を巻き取ると、ぐいっと引っ張った。
「え、きゃっ」
悠の足が地面から離れる。
「悠!」
流星は手を伸ばすが、届かなかった。
悠は糸と共に草むらへ消えてしまう。
流星はすぐさまそこへ飛び込むも、そこには悠はいなかった。
「……え?」
糸を吐いていたはずの蜘蛛も、いない。
何も、いなかった。
―――
頭の鈍い痛みに、悠は目を覚ました。
「っつ、ここ……どこ?」
頭を押さえながら起き上がると、石の壁が目に入った。
床も天井も、全て石でできている。というか、ここは部屋というより洞窟のようだ。
うっすらとした光が辺りを照らしているので、完全に閉ざされた空間ではないらしい。
悠は立ち上がって身体に異常が無いか確かめた。
怪我は無いし、頭の鈍痛も収まってきている。動くことに支障は無いだろう。
見渡せば、少し離れた場所に『剣姫』が抜き身の状態で落ちていた。それを拾い上げ、気配を探る。
あった。一つだけ、背後に強大な力を放つ気配が。
悠は振り返り、刀を構えた。
しかし気配の主は動こうとしない。光が届かない洞窟の奥で、じっとしている。
悠は不審に思い、一歩進み出ようとした。
『嬉しや、再びあいまみえる日が来た』
重厚でおどろしい声に、悠は思わず足を止めた。
『今度こそ……貴様を手に入れようぞ』
高い天井と広い空間。そこに押し込められたような巨大な妖魔が、暗闇から姿を現した。
黒く巨大な全身、そこに付いた細い複数の脚、ぬらぬらした鋏、赤く光る八個の目玉。
外の奴らとは比べ物にならない。三、四倍はありそうな、巨躯を誇る大蜘蛛だ。
「土蜘蛛……!」
『今度こそ……今度こそこの手に。月凪!』
土蜘蛛の身体から殺気が放たれた。