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HUNTER  作者: 沙伊
33/137

     狐狂い<下>




 呪符が黒い鎧武者の姿となり、巨大な槍を突き出す。

 女はふっと笑って身をひるがえした。槍は空を貫き、女は笑みを深める。

「そんな遅い式神じゃ私を捉えられないわよ!」

 ふっ、ふっ、ふっ、と女の周りに青白い火球が浮かぶ。

「行け!」

 女が指差すと、火球は鎧武者に向かって突撃していった。

玉鼎(ギョクテイ)!」

 恭弥はもう一枚呪符を投げた。

 呪符はぐにゃりと歪み、青に変色、そしてある姿に変形する。

 長い青銀の髪に白い肌、瞳と魚の尾のような下半身も青だ。髪から突き出している耳は、白い貝のような形である。

 人魚の容貌を持つ式神は、繊手から水を放出させた。

 狐火と水がぶつかり合い、蒸発する音が空気を震わせる。

「くっ。狐火と人魚の水は相性悪いのよっ」

 女は余裕の表情を消して四つん這いになった。

 九本の金毛の尾と獣耳が現れる。

「こうなったら、人柱! 貴様を殺して羽衣姫様の手土産にしてやるっ」

 金色の尾が伸びて弾丸のようなスピードで恭弥に迫った。

 しかし恭弥は焦ること無く、新たに呪符を取り出す。

「甲奕!」

 恭弥の声と同時に、呪符は巨大な亀の姿になる。巨大亀は尾の猛攻を全て受け止めた。

 巨大亀の甲羅に攻撃を防がれ、女は舌打ちを漏らした。

「悪いが僕はまだ死ぬわけにはいかない」

 恭弥は新たな呪符を取り出し、放り投げた。

「僕にはまだ、やるべきことがある」


 ドガァッ


 巨大狼が女の首筋に喰らい付いた。

「が、あっ……」

 女は苦悶の声を上げた。首筋からだばだばと血が流れる。

 それでも狼を振りほどき、身をひるがえそうとした。

「黒鋼丸」

 恭弥の声に、鎧武者が反応した。

 床を蹴り、女の腹を槍で貫く。

「ぐあ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 女は悲鳴を上げて膝を付いた。

「ぐぁ……こ、この私が……あの男の二の舞になるなんて……」

 美貌を歪め、しばらく浅い息を繰り返していたが、やがて途切れがちに笑い出した。

「はは、はっ……私を殺したって、新しい監視役が付く……そ、それにおまえは死ぬんだ……」

 血ヘドを吐きながら狂ったように女の姿は、あまりにも凄惨だった。

「そう! たとえ殺されなくとも、おまえはいずれ狂い死ぬんだっ。己の首をかき切ってねぇ!! あは、ははは、あははははっ……」

 紅い瞳から光が消える。笑い声も段々弱々しくなっていき、やがてぷつりと途絶えた。

 それと同時に女の姿が溶けるように消えていく。後に残ったのは、首が取れかかり、腹を血で染めた一匹の大きな狐だった。

「……マジで、狐だったんだ」

 流星はいつの間にか止めていた息と一緒に、言葉を吐き出した。

「なぁ悠。結城さんはもう……」

「うん……無理だろうね」

 悠は無表情で結城を見つめた。

 結城は目を虚空に向け、血だらけの身体を放り出すように床に座り込んでいる。糸の切れた操り人形のように、生気も何も感じられない。

「私達退魔師や、流星みたいに強い霊力(ちから)を持った人間はともかく、普通の人間は一度魂を取られたら、二度と身体に戻せない」

 悠は鞘を拾って刀を収めた。

「どちらにせよ、魂はあの狐の腹で消化されてるだろう。もう取り戻せないよ」

「そんな……」

 流星は結城を眺め、呆然とした。

 一生彼女はあのままだというのか。身体が死ぬまで……

 流星は何もできない自分が腹立たしくなって唇を噛んだ。

「ま、ある意味自業自得かな」

 悠は髪を束ねていた二つのゴムを外した。

「! おまえ、そんな言い方……」

「だってこれは彼女が選んだ結果だもの」

 悠は再度結城を見つめた。

「こっくりさんなんておまじないに身を委ねた結果。頼らないって選択肢もあったはず」

「っ……」

「頼るか否か、全ては彼女次第だった。彼女は『応』を選んだ。それだけ。そう考えないと」

 悠はこちらに瞳を向けた。鋭い目に、流星は後ずさりかける。

「いちいち心に留めておいたら、精神が耐えられないよ」

「……」

 流星は悠の目に耐えきれず、そっぽを向いた。

 悠はため息をついて、流星から目線をそらす。

「後味悪いけど、そろそろここから……恭兄?」

 悠の声に不審の色が混じった。

 顔を上げると、悠は恭弥の方を見つめている。彼の方に目をやると、こちらに背を向け、立ち尽くしていた。

「恭弥?」

 流星が声をかけても返事は無い。代わりに、いきなり横倒しになった。

「恭兄っ」

「おい、どうした!?」

 悠と流星は駆け寄り、恭弥を仰向けにさせた。

 恭弥は目を閉じ、ぐったりしている。顔は紙のように白く、意識は失っていた。

「気絶、したのか……?」

 流星は恭弥の上体を起こした。影を落とすほど長いまつ毛はぴくりともしない。

 ただの気絶にしてはおかしかった。第一、何の前触れも無かったではないか。

「……まさか」

 悠の震え声に、流星は顔を上げた。

 悠は目に見えて動揺している。大きな瞳を揺らし、細い肩は小刻みに震えていた。

 こんな様子を、つい最近見たことがある。

 そう、羽衣姫と会った時……何かにおびえたような、そんな様子だ。

「そんな、もう……? 早過ぎる……」

「早過ぎるって……何がだよ?」

 流星が問いかけても、悠は答えない。

 ただもう一度、「早過ぎる」と呟いた。


   ―――


「そうか、そんなことが……」

 刀弥は悠の話に少し顔をしかめた。

「馬鹿弟め……普段冷静な分、一度感情的になると後先考えねぇ」

「恭兄らいしよ……今日も凄く怒ってた」

 悠は呟くように言った。

 椿家の邸宅。当主の間だという部屋に、流星達はいた。

 あの後、透以外の人間の記憶を改ざんし、結城と傷が残る女子生徒を病院に送った。

 あの三人の記憶には、あの場に流星達がいたことは無い。自分達のことがバレる心配は無いだろう。

 たが流星はそれより、恭弥のことが気になった。

 悠のあの様子……ただごとではない。

 何より、この兄妹の間にある空気がいやにピリピリしている。口調も苦々しい。

(それに恭弥……どう考えたって、いきなり気絶なんておかしい)

 訊きたい。だが、土足でずかずかと奥に踏み込んでいいのだろうか。

 自分は二人から見れば他人で、家族でも何でもない。

 隠したいことを訊くなんてできないし、傷付けずに聞き出す方法など解らない。

 頭では解ってる。だが、口は己の思いに正直だった。

「なぁ。……何で恭弥は倒れたんだ?」

 悠と刀弥の表情が硬化した。流星は後悔したが、口はなめらかに動く。

「最初は確かに吹っ飛ばされたけど、それ以降は怪我らしい怪我、してないし。なのに顔色は悪過ぎた」

「……」

「言ってたよな、早過ぎるって。一体、何が?」

 流星は悠は真正面から見つめた。

 悠はうつむき、何かに耐えるかのように押し黙る。

 刀弥も何も言わず、十数秒の沈黙が流れた。

 やがて顔を上げた悠の顔に、流星はどきりとする。彼女があまりにも真剣な瞳と表情だったからだ。

「……このことを知っても、恭兄を見る目を変えない?」

「確信は、できないけど……約束する」

「……そう」

 悠は再びうつむき、刀弥の方を見た。

「いいよね?」

「……あぁ。おまえがいいと思うならな」

 刀弥は淡く微笑んで頷いた。そこに僅かな影があることに気付き、流星は少し戸惑う。

 しかし悠が話し始めたことで、意識がそちらに向いた。

「人柱の呪印は彼らを守る家の人間に継承される。年齢や性別は決まってない。恭兄は三年前、中二の時に先代から受け継いだ。でも、継承を繰り返すためには、ある条件がある」

「条件?」

「そう」

 悠は顎を引き、一瞬顔を歪めた。

「その条件は……」

 一拍置き、悠はわななく唇で囁くように言った。


「人柱が己を……殺すことだよ」


 脳が停止した。

 言葉を理解するのに数十秒かかり、流星はようやく口を開く。

「そ、それって……自殺?」

「……少し違う」

 答えたのは、悠ではなく刀弥だった。

「自殺とは己の意志で己を殺すことだ。人柱の場合は、違う」

 刀弥は男らしい、大きな左手を伸ばし、傍に置かれた煙管を手に取った。

 紅の塗料と金箔で彩られた、美しい煙管だ。

「人柱は、羽衣姫と間接的に繋がっている。力を封印してんだ、当然だァな。だが、ほんの僅かな繋がりでも、羽衣姫の影響は受ける」

 煙管に火をつけ、すぅっと吸う。吐き出された煙は天井辺りを舞った。

「むしろ直接的な繋がりだった方がよかったかもな。苦しみも一瞬だ」

「何が、言いたいんですか」

「……人柱の最期は決まってる」

 刀弥の顔から表情が消えた。


「狂い死にだ」


「……えっ」

 流星は刀弥の言ってることが解らず、彼を見返した。

「狂い死にって……?」

「そのままの意味だ。羽衣姫の力に含まれる邪気にさらされ続けた人柱はやがて発狂し、己を傷付け、結果死ぬ」

 刀弥の声は淡々としていて、瞳には光は無かった。

 悠はさっきから黙ったまま、畳をじっと見つめている。どんな顔をしているか、流星からは解らなかった。

「古い呪術らしい。狂ってしまうほど魂がボロボロになり、宿主が死ぬと新たな人柱が選ばれる。逆に言えば、そうでない場合の死は、それを途絶えさせる」

「つまり、力を封じている術が解ける」

 悠がぽつりとこぼした。

「そして羽衣姫の力は戻っていく。……あと八人」

 悠はそう言って急に立ち上がる。

「刀兄、私帰るよ」

「え? あ、あぁ」

 妹の行動に、刀弥は目を瞬きつつも頷いた。

「行こう、流星」

「あ……おう」

 流星は慌てて後に続く。

「……刀兄」

 部屋を障子を開けた悠はふと立ち止まり、煙管を持つ刀弥を振り返った。

「その煙管……父さんのだよね。刀兄、タバコだったし」

「……あぁ。代理とはいえ、親父の跡を継いだんだ」

 刀弥は煙管をじぃっと見つめた。

「少しでも親父に近付きたくて、な。形だけ真似しても親父に成り代われないのは、解ってるが」

「……そうだね。でも」

 悠は淡い微笑を浮かべた。

「そんなことしなくても、刀兄は父さんに負けないぐらい凄いよ」

 悠の言葉に、刀弥は酷く驚いた顔をする。

 だが、すぐ笑みを返して「サンキューな」と囁くように言った。



 退室した悠と流星は、互いに無言だった。

 喋る気力が残ってるはずもなく、ただ廊下を歩くだけ。

「……酷ぇよな」

 流星はその沈黙に耐えられず、口を開いた。

「封印を封じるためだけに、狂い死んでいくなんて、恭弥が、そんな……」

 言葉が出てこず、結局言いよどんでしまう。

 また黙っていると、今度は悠が言葉を発した。

「今日、恭兄が倒れたのは……影響が表れ始めたんだよ。封印のバランスが崩れてきてるから」

 悠は立ち止まった。

「このままいけば……恭兄は狂い死ぬ」

「悠……」

「死ぬ、んだ……」

 悠の声は、酷く弱々しかった。普段からは考えられないほど。

「前の人柱は、全身をかきむしって死んだ。恭兄、も……」

 誰の目にも明らかな、悠の怯え。

 あの時、羽衣姫と対峙した時と同じ、奥底の弱さ。

 流星はどうしようか迷った後、手を伸ばして悠の頭を撫でた。悠の華奢な肩がぴくんと震える。

「大丈夫、大丈夫だ」

 あやすように何度も同じ言葉を繰り返すと、悠はぎゅっと抱き付いてきた。

 驚いている流星の胸に、悠は顔をうずめる。

「流星……」

「え、なっ、何だ?」

「……ありがと」

 小さくくぐもった声。でも震えは、止まっていた。


   ―――


 夜の山奥に降り立つ者が、一人。

 銀髪の美丈夫――熾堕は、目の前のほこら見下ろした。

 石でできたほこらは、しかし今は無惨に壊されている。

 辺りには真新しい血痕が散っており、肉片らしき物も落ちていた。しかし動くもの、生きてるものは見当たらない。

「ここにはいない? どこに……」

 熾堕は呟き、辺りを見渡す。

 しばらく立ち尽くしていたが、ばっと振り返った。

 目の前に迫る無数の白い糸を瞬時に呼び出した剣で横凪ぎにする。

 絶ち斬られた糸が闇に煌めいた。月光も届かない中で、それはいやに輝いて見える。

「……随分なゴアイサツだな、土蜘蛛」

 木々の間から現れた老人に、熾堕は笑いかけた。

 白髪を下ろし、しわだらけの顔に厳しい表情を浮かべた老人は、金色の瞳で熾堕を睨み付けた。

「何用だ、(わっぱ)

「童、ね……まぁいい」

 熾堕は友好的な笑みを浮かべつつ、古めかしい服を着る老人に尋ねる。

「いきなりだが、俺達の仲間にならないか?」

「……何者かは知らんが、断る。何かに所属するのは好まん。それに」

 ふと老人は遠い目をした。

「約束がある……ここを離れるわけにはいかん」

「……そうか。なら仕方ない」

 熾堕は未練無く背を向けた。

「従わなければ殺せという命令だったが、面倒だ。俺は帰らせてもらう」

「帰れると思うか」

 老人の声に、熾堕は足を止める。

「わしは今、空腹だ……先刻四人喰ろうたが足りぬ」

 老人の声が低くなった。

「貴様の血肉も喰ろうてやろう」

「……俺を、喰らう?」

 熾堕はすっぱり笑みを消し、顔だけを老人に向けた。


「頭に乗るな、小蜘蛛が」


 老人の表情が変わった。

 厳めしい顔に驚きと動揺が走り、わらじをはいた足を後ろに引く。

「たかが千数百年生きた程度で俺より格上だと思うな。一見で見抜けん愚者が」

 熾堕は黒い翼を出し、はばたかせた。

「言っておく。俺を地上の生物と比べること自体間違いだ。……意味が解るか?」

 あいにく老人は解らなかったようだ。目を見開き、喚く。

「き、貴様は何者だっ」

「教える気は毛頭無い」

 熾堕はふわっと空へ飛んだ。

「おまえは、その星に望まれていない」

 そのまま、はるか上空まで飛び立った。



 一人残された老人は、わなわなと震える節くれ立った手を見下ろした。

「何だ……あの者は」

 老人は初めて感じる恐怖に身をよじった。

(あの気配、あの目……人か? わしと同じ妖魔か?)

 いや、どちらも違う気がする。では何か。

「おぬしなら知っていようか……月凪(ツキナギ)

 老人は、見えぬ月に手を伸ばす。

 闇の中で焦がれた、月に。






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