第十一話 狐狂い<上>
暗い教室。電気もつけられず、窓からのみ明かりが入る空間に、声が響く。
「こっくりさんこっくりさん、鳥居からおこしください」
不気味な少女の声。しかし無感情に思えて、その声は切実な願いが込められていた。
「こっくりさんこっくりさん。おいででしたらはいとお答えください」
声に呼応するように、何かがこすれる音が空気を震わせた。
少女が言葉を重ねるたびにスス、とこすれる音が連続で響く。やがて息を飲む声が聞こえた。
「そんな……」
愕然とする声。しかしハッとしたのか、慌てたように再び口を開いた。
「こっくりさんこっくりさん、お帰りください」
再びこすれる音。
「か、え、ら、な、い……!?」
声が悲鳴に変わった。
「お帰りくださいお帰りくださいお帰りください、帰って、帰って帰って帰って帰って!」
『帰らない』
声が、笑みを含んで響く。
「帰って……お願い……」
悲鳴がこだまする。
「こっくりさんこっくりさんこっくりさんこっくりさんこっくりさんこっくりさん……」
声はいつしか、消えていく。
―――
流星は頭痛がしてきた。
「何、その顔」
悠はソファーに座ったまま首を傾げた。
その隣には恭弥がおり、困惑顔で悠と流星を見比べていた。
「おまえ……言ってること解ってんのか?」
流星が尋ねると、悠は細い顎を引いた。
「当然でしょ。これも仕事だと思って割り切ってよ」
「いや、仕事はいい。それよりも、だ」
流星は声のボリュームを上げた。
「何で俺が、恭弥の学校に転校しなきゃならねぇんだよ!」
流星の怒鳴り声も、悠は涼しい顔で聞き流した。
ことの発端は今朝に始まる。
日曜日ということもあって朝から事務所に来ていた流星は、偶然恭弥と鉢合わせた。
遊びに来たとかそういうわけではなく、なんと仕事の依頼だった。
恭弥の高校――晋羅高校で今、こっくりさんがはやってるらしい。
恭弥が言うには、こっくりさんは降霊術を略式化させたものだそうだ。
なので普通は力の無い者がやっても何も起きないが、こっくりさんをやった生徒が意識不明で数人病院に運ばれたらしい。しかも未だ昏睡状態だという。
これはまずいと思った恭弥は悠のところに来たのだと語った。
恭弥が解決すればいいじゃないかと流星は言ったが、人柱である以上、あまり単独行動ができないのだ。
それで悠を頼ったらしい。
……が、しかしである。悠が提示した条件は、流星にも恭弥にも驚愕ものだった。
「潜入して校内を探れだぁ? あそこの偏差値どんだけあると思ってんだよっ」
「個人偏差値四十一の流星じゃ、逆立ちしても無理だろうね」
「何でそのこと知ってんだぁぁぁ!」
絶叫する流星に対し、悠はくすくす楽しそうに笑った。
「二十四ほど足りないね。恭兄は余裕なのに」
「……幾つなんだよ」
悠の言葉に、流星は眉をひそめる。一方、恭弥は言いにくそうな顔をした。
「恭弥?」
「……ご」
「え? 何て言ったんだ?」
聞き取れなかったのでもう一度尋ねると、恭弥は驚愕の数値を言ってくれた。
「七十五だ」
……ちなみに晋羅高校の偏差値は六十五である。
つまり、恭弥はそれを十も上回ってるわけで。
流星は当然のことながら呆然とした。
「……すみません、コンピュータ搭載してるんですか?」
「いや。そんなもの搭載できるわけないだろ」
真面目に返された。
流星は額を押さえつつ、悠に向き直る。
「俺、来週からテストなんだけど」
「別の日に受ければいいでしょ」
「恭弥のとこも、中間テストあるだろ」
「恭兄のとこは再来週からだよ」
「ちょっとしか通わねぇっておかしいし」
「諸事情で少ししかいられないって言えばいいでしょ」
「勉強、付いていけねぇだろうしさ」
「一時的な編入なのに、どうして付いていく必要があるの」
「……」
万事休す。もう言いわけは残っていない。
救いを求めるように恭弥を見ても、困った顔をしただけである。
流星はがっくり肩を落とした。
―――
「……というわけで、しばらく共に学ぶことになった華鳳院 流星君だ」
嘘だらけの説明を教師がしたのを見計らい、流星はぎこちない笑みを作った。
「少しの間だけど、よろしくお願いします」
黙ったままこちらを見つめる目、目、目。
(こ、怖ぇ)
流星は内心ビクつきながらも指定された席に向かった。
席に座り、取りあえず愛想よくしなければと右隣の女子に声をかける。
「よろしく」
「……!」
声をかけられた眼鏡におさげのいかにもおとなしそうな少女は、ぴくんと肩を震わせた。
妙な反応に流星が首を傾げていると、左隣の男子が「悪ぃ」と言ってきた。
赤がかった茶髪に鳶色の瞳、精悍な顔立ちは日焼けしている。
なかなか格好いい青年だが、制服をだらなしなく着崩してるあたり、あまり真面目には見えなかった。
「結城サン、人見知りするから。気ぃ付けてやって」
「え、そうなのか?」
流星は目を瞬かせた。
「わ、悪ぃ……知らなかったから」
謝ると彼女――結城はふるふる首を振った。
「いいんです。私、結城 静奈です。彼は……」
「火神透。よろしく、華凰院」
男子生徒――透はにかっと笑った。
「あ、よろし……」
「そこ! 授業始まってるぞっ」
教師からの怒鳴り声に三人は首をすくめた。
「特に火神! 来週のテストはおまえが一番危ないんだ。少し気を引き締めろっ」
「……ウーッス」
透はやる気無さげに返事をした。
授業が終わった時には、流星は抜け殻と化していた。
やはりと言うべきか、授業には全く付いていけない。ノートすらまともに取れなかった。
机につっ伏しながら意識を手離しかけていると、黄色い悲鳴が聞こえてきた。
顔を上げると、見覚えある姿が目に映る。
「……恭弥」
「大丈夫……じゃなさそうだな」
恭弥は苦笑した。
その後ろでは数人の女子が熱い視線を飛ばしているのだが、気付いた様子は無い。
「……なぁ、後ろ」
そう言うと、恭弥は後ろを振り返り、また流星の方を向いた。
「ただの人だかりだろ」
鈍感にも程があるだろ。
そうツッコむ気にもなれず、流星はぐったり机にもたれかかった。
恭弥は何か言おうと口を開いたが、第三者によって阻まれる。
「よっす、恭弥!」
透だ。授業が終わったとたんいなくなっていたのに、いつの間に戻ってきたのか。
「クラスにいねぇと思ったら、何? 華凰院と知り合いだったのかよ」
「あぁ。……っていうか、重いんだが」
肩を組んで乗りかかってくる透に、恭弥は顔をしかめた。
「……友達だったのか」
流星は少し驚いた。
見たところ、全く接点が無さそうだが。
「おう! 中学の時からの仲だぜ。つぅか大親友だし」
透は親指をぐっと上に向けた。一方、肩を組まれたままの恭弥は苦笑を浮かべる。
だが、否定しないあたり、親友というのは嘘ではないようだ。
「……あ、そうだ流星。昼休み話せないか? 屋上でいいか」
「ん? お、おう」
恭弥の言葉に流星が頷くと同時に透が反応した。
「恭弥てめっ、親友をハブる気か!?」
「あーはいはい。来たければ来いよ」
恭弥はひらひらと手を振ってあしらった。
しかし顔はにこやかなので、特別酷い扱いだとは感じられない。
「それじゃ僕は教室に戻る。またな」
恭弥は透の腕を外して教室を出ていった。女子の集団がそれを追いかける。
「……すげぇ人気。アイドルかよ」
流星の呟きに、透は肩をすくめた。
「中学の頃からファンクラブあるくらいだからな。あの時なんて大変だったぜ」
「あの時?」
「あいつ長く休んでたことがあったんだよ。中二の時な。女子が泣くわ泣くわ」
軽く頭を振る透に、流星はふぅんと返す。
(そういやそろそろチャイム鳴る……)
時計に目をやり、気持ちが急降下を始めた。
(い、生きてるかな、俺。あと三時間……)
流星は再び机につっ伏した。
―――
五月晴れのさわやかな空の下の屋上で、なんとも似つかわしくない空気が漂っていた。
「おい、透。流星の身に何が起きたんだ?」
透と並んで座った恭弥はそっと尋ねた。
「何だか……魂が抜けているようなんだが」
流星は精根尽き果てて床に転がっていた。
レベルの高すぎる授業に付いて行けず、質問喰らうわ小テストはあるわで精神的に死の直前まで追い込まれてたのである。
昼食を食べる気にもなれず、結果床に転がっている。
「おーい、華凰院ー」
透の声にも流星は反応する気が起きない。
「……仕方がない。最終手段だ」
恭弥の声の直後に、カチカチと携帯のプッシュ音が聞こえてきた。
しばらくして恭弥の話し声。そしてピ、という電子音が鳴ったとたん――
『しゃきっとしなよ、馬鹿流星!』
流星はガバッと起き上がった。
ぐるりと振り返り、恭弥の持つ黒い携帯を凝視する。
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆ悠!?」
『どもり過ぎだよ』
あきれたような少女の声に、流星の意識が浮上した。
「おー、効果テキメン」
「だろ。絶対効くと思ったんだ」
おかしそうに笑う恭弥と透に流星はう゛、と呻いた。
『全く。恭兄からの電話で何かと思えば……。 何? 頭は毛虫並なの?』
「言うな。めちゃくちゃ傷付く」
流星は悠の言葉にふと目頭が熱くなった。
『その様子じゃ、こっくりさんの情報はゼロだね』
「うっ。まぁ、な……」
流星は言葉を途切れさせた。
今頃透の存在を思い出したのだ。
透は退魔師とも妖魔とも関係無い、恭弥の友人というだけの一般人である。
彼の前でこの話はまずい。非常にまずい。
焦った流星だが、恭弥はにこにこと口を開く。
「大丈夫。透は知ってるから」
「……は?」
「だから、退魔師のこと知ってるんだって。今回のこともな」
「……はあぁぁ!?」
流星の顎が落ちた。
「な、な、なんっ」
「何で知ってるかって?」
恭弥の代弁に、流星はこくこく頷く。
恭弥は頭をかいて苦笑した。
「昔、式神使ってるとこ見られてな。あと、妖魔を倒しているところも」
実にあっさり暴露した。
「あの時はビックリしたなぁ。特撮かと思ったし」
透はのんきに笑った。流星からすれば、信じられない光景だが。
『……話、戻したいんだけど』
悠の不機嫌な声に、男三人はハッとした。
「あぁ、悪い」
恭弥がまず謝り、携帯に向かって口を開いた。
「さっき言ってた通り、こっちは特に情報を得ていない。ただ」
恭弥は透の方を見た。
透は頷き、話し出す。
「俺んとこのクラスの女子によると、こっくりさんの使いって噂があるらしい」
『……聞いたことの無い声だね。貴方が火神 透?』
悠に尋ねられ、透は「あぁ」と返した。
『そう。続けて』
「おう。こっくりさんの代わりに、こっくりさんを信じない奴に制裁を与えるっつーんだが……具体的なことは、どうもな」
透が話をくくると、悠は『ふぅん』と唸った。
『……流星』
悠は低い声に、流星は嫌な予感がした。
『素人がちゃんと情報手に入れてるのに、君は何をしてたの?』
「……スミマセン」
『君は仕事のために、そこの学校に入ったんだよね?』
「ハイ」
『自覚あるの? 仮とはいえ、君も退魔師でしょ』
「ホントウニゴメンナサイ」
悠の声に恐怖を感じ、流星は片言になる。
恭弥と透は、その様子にため息をついた。
ひとしきり言って満足したのか、悠はようやく流星を言葉責めから解放した。
ふらふらの流星は、やつれた顔でパンをかじりだす。哀れとしか言いようがない。
『それより、火神 透の話で一つ、作戦を思い付いたよ』
悠は何ごとも無かったかのように話し出した。
「作戦? 何だ?」
恭弥は携帯の向こうにいる妹に尋ねた。
『うん。今夜、明日でもいいけど……』
悠はその作戦とやらを話し始めた……