独りぼっちの歌姫<中>
「……なぁ」
「何?」
「おまえ、オーディション受けるわけじゃねーよなぁ」
「当たり前でしょ。そんなわけないじゃない」
「そうか。なら」
流星は目の前のビルを指差した。
「何でレコード会社の前にいるんだ、俺達はっ」
灰色、というより銀色のしゃれたデザインのビル。入口へ行くための低い階段脇には、会社名が書かれたプレートと銀色に輝くオブジェがあった。
流星でも知ってるような大会社だ。なにしろ、好きな歌手が所属してるので。
「依頼人がここの歌手なんだよ。電話してきたのはマネージャーだけどね」
悠は説明しながら階段をのぼった。
流星も後に続くが、どうも気遅れしてしまう。
何でこいつはいつも堂々としてるんだ、などと思っていると、いつの間にか距離ができてしまっていた。
慌てて追いかけ、そのまま勢いでビル内に入ってしまう。
磨き抜かれた床に、吹き抜けの天井。スーツの男女が行き交う内装は、外とは別世界に思えた。
「お、俺……すげぇ場違いな気、するんだけど」
私服の人間は少なからずいた。だが誰もが美男美女な上に、服装もキマってる。
普段着で来るんじゃなかった……流星は激しく後悔した。
一方悠は超絶美少女だし、服装もばっちりなので問題無かった。
……いや、逆に問題があるかもしれない。
なにしろ、ここにいる全員が悠を盗み見ているので。
ダメージ加工された黒と青のホットパンツから伸びる白い素足など、かなりまぶしい。
「あの、すみません」
とうとう声をかける奴までっ、と思いながら振り向くと、気の弱そうな男が一人立っていた。
灰色のスーツを着た、二十代後半らしき男だ。おどおどした目でこちらを見ている。とてもじゃないが、ナンパするような人物に見えない。
「依頼人のマネージャーだね」
悠がすっと前に出た。
仕事か、と流星が安堵して再度男を見ると、彼は悠の膝あたりを見つめていた。おそらく、目のやり場に困ってるのだろう。
「依頼人は今どこに?」
「レコーディング中です。もうしばらく待っていただけますか?」
男の言葉に悠は一瞬思案顔を作った後、さらっと言った。
「レコーディング風景が見たいから連れてって」
頼む口調ではなく、どちらかといえば命令形だった。
「こ、困ります。どうかもうしばらく」
男の言葉も完全無視し、悠はすたすたと歩き出す。
結局、男は悠達を案内するはめになったのだった。
ビルの五階のあるドアを桑原は開けた。
ちなみに桑原とは先程の男の名である。
室内に入って最初に目に映ったのは、機械の前に座った数人の男達だ。
上げ下げできるレバーのようなものがあり、細長い、幾つもの画面が付いている。さっきからその中のライトが上下運動をくり返していた。
さしてその奥の部屋で、誰かが歌っている。ガラス越しに後ろ姿が見えた。
女性のようで、セミロングの薄茶色の髪の両サイドにヘッドホンを付けている。
「あの人が依頼人だね」
悠がぼそっと呟いた。
「はい、オッケー!」
男の一人が突然大声を出した。流星はびくっ、と肩を震わす。
「未來ちゃん、お疲れ様ー」
男が口にした名前に、流星はふと、片眉を上げた。
(ミライ……? どっかで聞いたことあるような)
首を傾げている内に、女性がレコーディング室から出てきた。その顔を見て、流星は目を剥く。
「あれ……? 桑原さん、その子達もしかして」
「あぁ。昨日話した退魔師の方だよ」
桑原の説明に、女性は悠と流星を見つめた。悠より少し背が低い、小柄な人だった。
「驚いた?」
悠は流星にいたずらっぽい笑みを向けた。
「驚くに決まってんだろっ。依頼人が『Milai』だなんてさ!」
流星は興奮して拳を握った。
『Milai』といえば、現在人気沸騰中のシンガーソングライターだ。
澄んだ歌声と切ない詞が人気を集め、愛くるしいルックスも相まってすでにファンクラブまでできてるらしい。
まだ曲は五曲しか出してないのに、知名度も半端じゃない。デビュー曲など、三十万枚売れたそうだ。
老若男女問わず聴かれている、注目度ナンバーワン歌手である。
かくゆう流星も、彼女のファンの一人だったりする。
流星は悠と話を進める『Milai』――本名は宮岡未來というらしい――を見つめた。
大きな黒目に人形のように整った、どこか儚げな顔立ち。
悠と並ぶと少々かすんでしまうが、それにしたってテレビで見るよりずっと可愛い。
ぼーっと見とれていると、服の裾を引っ張られた。
下を見ると、悠の不機嫌そうな表情が目に映る。
「どうした?」
「……別にっ。行くよ、他の部屋に移動するから」
悠はぷいっと顔をそむけて出ていった。
(何だ? 俺何かしたか!?)
流星は首を傾げながらも後を追った。
宮岡未來は、最近妙な視線を感じるようになったという。
「追っかけの人かと、最初は思ったんですけど」
応接室のソファーに座った未來は、歌っている時と変わらない澄んだ声で話し始めた。
「でも家にいる時も視線を感じて……。マンションの六階に住んでるんで、覗かれるはず無いし。それに、この間」
未來は一瞬、その顔に恐怖の色を浮かべた。しかし、意を決したのか話を再開する。
「帰り道、誰かが後ろからつけてくる気配がして。振り返ったら……血まみれの女の人が、身体を引きずりながら……」
その時のことを思い出したのか、未來はきゅっと目を閉じた。
「昨日も……家にいたらいきなり食器が落ちてきて……戸棚にしまっておいたのに」
未來は薄桃色の唇を震わせ、それ以上続けることは無かった。
「なるほど、霊の仕業だね」
悠は頬杖をついて未來の顔を覗き込んだ。
「悪いものではないみたいだよ。何らかの理由で貴女に気付いてほしいんでしょう。でも」
悠はそこでいぶかしげな表情をした。
「妙だね……微かに妖気を感じる。妖魔が、関わっている……?」
悠は黙り込んでしまった。だんまりしたまま、未來を見つめている。
「あ、あの……大丈夫なんですか?」
桑原がそぉっと尋ねてきた。
「……まず霊の方を何とかする。とはいえ、悪霊ではないから無理矢理ひっぺがすことはできない」
悠は肩をすくめた。
「しばらくは傍に付いているよ。何かあったらすぐ対処できるように」
悠の言葉に、桑原ははぁ、とあいまいな返事をした。
「何ですぐ霊を払わないんだ?」
ビル内の休憩室にある自動販売機を前にした流星は、悠に尋ねた。
多人数用の椅子に座りながら缶コーヒーを飲んでいた悠は流星をちらっと見た。
「悪霊みたいに人体に強い影響を与えるわけじゃないからね。とりあえず憑いた理由を考えないと」
悠はぽいっと向こう側のゴミ箱に空の缶を投げた。
普通入るはず無いのだが、丸い缶用の穴にすぽっと吸い込まれてしまった。
「……お見事」
「当然」
悠はにっと笑った後、足を組んだ。
ホットパンツなので下着が見えることはないのだが、それにしたって目に毒だろう。
目をそらしながら流星はため息をついた。
「理由っつってもなぁ。何か後悔してるとか?」
「多分ね。私はそれより、妖気の方が気になるよ」
悠は髪をかき上げた。
「朱崋には店番頼んじゃってるし、この際別行動した方がいいかもね」
「別行動?」
「そう。私は妖気の正体を。流星は」
そこで悠は顔をしかめた。が、すぐ無表情に戻る。
「宮岡未來に付いて。もしもの時は、煌炎で対応して」
「解った。……でもさ」
流星は悠の方に向き直った。
「その妖気、本当に未來さんに関わってんのか?」
「さぁね。直接関わったわけじゃないようだけど……まだ何とも」
悠は立ち上がった。
「ね、飲み物買わないの?」
「んー……やっぱやめとく」
流星は結局持っていた財布をポケットにしまった。
「煌炎は持ってるね?」
悠に訊かれ、流星は「あぁ」と頷き、腰から下げたホルダーを叩いた。
煌炎を収めるためのもので、朱崋が作ったのだという。茶色の革製で、見た目はなかなかかっこいい。
「じゃ、私は行くけど。気を付けてね」
悠は流星の二の腕にそっと触れた。
「約束、破らないでよ。死んだって、泣いてやらないんだから」
流星は悠が言ってることを読み取った。
(俺が退魔師になるって言った日の約束)
流星はふっと思い出し、にっと笑った。
「大丈夫だ。約束は守るって」
流星が保障すると、悠はいきなり抱き付いてきた。
「な゛!?」
「約束だよ。絶対、絶対に……」
悠は名残惜しそうに流星から離れると、そのまま休憩室を出ていってしまった。
一人になった流星は、ほてった顔を両手で覆った。
「あ゛ーもー! あいつはっ……」
流星は一人悶える。
(あいつ……俺が男って解ってやってんのか!?)
悠が触れてくるたび、流星は自分が思いのまま動かないように自制せねばならない。
悠を腕の中に収めたい……そんな衝動と戦う日々なのだ。
「相手は俺より子供……十四だ。まだ中学生……って、あれ?」
自分に言い聞かせている途中で、ふと疑問が生じた。
「あいつ……中学通ってねぇよな」
なぜ今まで何も思わなかったのか。幾らなんでも自分は鈍すぎる。
よくよく考えれば、中学に通いながら事務所を開くことなどできないはずだ。
それに勉強などやってる様子は無いし、制服姿も見たことない。
なぜ、学校に行ってないのか。なぜ、事務所など開いているのか。
(俺は、悠の……何も知らない)
近くにいるのに、傍にいれない。それが、もどかしい。
流星は軽く頭を振った。
「今の俺がやるべきことは、別にある」
自分にそう言い聞かせ、流星もまた、その場を後にした。
―――
悠は髪をまとめ上げ、流星からもらった髪留めで留めた。
「全く……今日は妙に暑いね」
汗が伝う白いうなじをさらしながら、悠はため息をついてぼやく。
その姿を流星が見たら卒倒しそうだが、いたとしても悠は気にしない。
エロオヤジ共の視線を嫌というほど受けたのでそちらの危機感が無いわけじゃないが、撃退できる自信がある。
それに……
「いざとなったら、朱崋に半殺しにさせるしね」
物騒な言葉を呟き、辺りを見渡す。
悠は現在、未來が住むマンション付近にいた。
霊気を感じ取ろうとして来たのだが、なぜか妖魔の気配まで感じる。
(やはり妖魔が……でも実体はどこに?)
悠は道中でじっと考え込んだ。
『……い、て……』
微かな、風にまぎれそうな声が聞こえてきた。
悠は驚いて周りを見渡す。
『き……い……』
人の声ではない。この声とこの感じは……
悠は目線を動かし、電信柱の傍で目を止める。
太陽の光から逃れるように、電信柱の影に女が一人いた。
身体をコンクリートに横たえ、頭から紅い液体が流れている。全身も着ている白い服も紅に染まっていた。
「貴女は……」
悠はその女を見つめる。
女は悠を見つめ返した。洞窟のような、虚ろで暗い目に、僅かな光を灯しながら。