祓魔の武器職人<下>
「ごちそうさまでした!」
流星は箸を置いた。
「マジうまかったです! 俺も一人暮らしなんですけど、料理はうまくできなくて……」
まさか実物を見ることがあるとは、と思っていたちゃぶ台に器を置き、素直に食事の感想を述べる。
「一人暮らし始めて、まだ日ぃ浅いんやろ。それやったらしゃぁない。慣れや慣れ」
景信はそう言って食器を下げ始めた。
手伝いましょうか、と訊いてもいい、と笑顔で返される。どうやら相当の世話好きらしい。
「しかし、流星君も大変やったなぁ」
景信は居間の奥にある洗い場で食器を洗いながら、呟くように言った。
「その歳で一人暮らしやし、何よりその」
顔だけこちらを向け、流星を見つめる。
「霊媒体質や。今まで他人に言えんような辛い思いや、怖い思いしたやろ」
「……はい」
流星はうつむいた。
確かに、昔は酷い目に何度も会った。悠と行動を共にするようになってからは、そんなこと無くなったのだが。
「しかしそんな強力な力持っとったら、とっくの昔に妖魔に喰い殺されとるはずやけど」
洗い物を再開してさらっと恐ろしいことを言う。流星はひきつった笑いを浮かべた。
「何で無事やったんか……もしかしたら……」
景信が口を開きかけた時、玄関を叩く音が聞こえた。
「何や何や。騒がしいなぁ」
景信は顔を少ししかめつつ、玄関の方へ向かった。
――そうだ。何で俺は生きてるんだろう。
流星は自身の手の平を見つめた。
家族の中で一人だけ、物心ついた時から霊が見えていた。
誰にも見えてないのになぜ自分だけ、と思ったこともあった。
姿無き者の苦しみの声を聞くことも多かったが、何もできなかった。
見えても聞こえても何もできず、恐怖と苦悩にはさまれ、息苦しい日々を送った。
家族の死も自分のせいだと知った時、どれほど苦しんだか。
――でも、今は違う。
もう、無力さに泣くことはしない。
強くなりたいから。
もう、弱くはいたくないから。
もう二度と、大切なものを失うわけにはいかないから。
「流星!」
自分の考えに浸っていた流星は、悠がいつの間にか目の前にいることにびっくりした。
「悠、どっ、どうしたんだよ」
「話は後。とにかく来て」
悠は流星の手首を掴んで小走りになった。
「景信さん、ごめんね。ろくにお礼もできなくて」
玄関で突っ立てた景信に悠が声をかけると、彼は表情を引き締めた。
「いや、それはええけど、気ぃ付けてな。わしは戦われへんから、応援しかできへんけど」
「それだけで充分だよ」
悠はふっと笑って玄関を出た。
「お、おい悠! いい加減、説明しろよっ」
「妖偽教団が居た。奴ら、梅見家の人柱を狙う気だよ」
悠の言葉に、流星は目を剥いた。
「おい、梅見って……紗矢さんの居いとこじゃねぇか!?」
「そう。梅見家の方には既に連絡してある。私達も加勢しよう」
悠は走り出した。
「この先で車に乗り込む。十分もあれば梅見家の本家に着くはずだよ」
悠は足を速めた。
「大丈夫なのか?」
「多分。でも」
悠は顔を歪めた。
「嫌な予感がする……間に合えばいいけど」
―――
燃えていく。何もかもが。
「そんな、馬鹿な」
梅見 霧彦は舘の本館に駆けつけ、呆然とした。
結界も張った。十数人の手練れも護衛として付けた。
なのに……人柱は討ち取られた。
護衛の退魔師は全員血に沈み、妖魔に身体を喰い荒らされている。
人柱の少年の死体も無惨なもので、全身を針のようなもので貫かれていた。
そしてその針は、人柱の傍に立つ妙齢の美女の服が変化したものだった。
「……あらん? 貴方なかなかの美形ね♪」
美女はくるりと振り向いた。
ぞっとするほどの美貌に、霧彦は気圧される。
しかし身体の震えを抑え、キッと女性を睨み付けた。
「貴様が羽衣姫か」
「そうよん♪ 貴方は……梅見家当主、梅見 霧彦ね」
人柱の身体から針がずるりと抜けた。
頭も無数の針で貫かれているため、服装以外での判別は不可能だった。
まだ十歳だったのに……
「夢人……すまない」
霧彦は拳を握り締め、カッと目を見開いた。
「羽衣姫! 貴様は私が討つっ」
スーツの袖から透明な糸が飛び出た。
「! それは『綾糸姫』ね。当主がそんな危ない武器使ってていいのぉ?」
「百も承知だ。しかしたとえ己の精神が喰われようと、貴様を狩る!」
「……面白い自己犠牲ねん♪ でもぉ」
シュルシュルシュル……
羽衣姫の服が一部、彼女の両手に集まる。
「貴方もまた、妾に傷すら付けられないわ♪ だって妾には」
両手の布が、ガントレットのように羽衣姫の手を包んだ。
「忌々しく、強力な防御があるんだものぉ!!」
羽衣姫は地面を蹴った。
「『綾糸姫』、部分解除」
霧彦の声に呼応するように、糸がぼうっと光を灯した。
霧彦は右手を振るう。
「大蛇の陣」
ボソッと呟くと、糸が一つに集束した。
人の胴ほどもある太さまで集まり、黒がかった青緑色の鱗が現れる。
まばたきをしているうちに、糸は巨大な蛇に変わっていた。
大蛇は大口を開け、羽衣姫に突っ込んでいった。
「愚か♪」
羽衣姫はくすっと笑って手を持ち上げた。
受け止めらた。
蛇の鋭い牙を掴み、なおも迫る大蛇の動きを細腕で抑え込んでいる。
(馬鹿なっ。あれを受け止められるなど!)
呆然としていると、羽衣姫は掴んだ大蛇の牙を握り潰した。
音を立てて牙が砕け散る。とたんに大蛇は糸に戻ってしまった。
「これで終わりじゃないわよねぇん♪」
「……無論だ」
霧彦は再び右手を、そして左手も振った。糸が空中で舞う。
「龍の陣!」
両手の糸が、一本に集束する。
グギャアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
耳をつんざく咆哮が響き渡った。
糸は、部屋の高い天井を覆うほどの巨大な龍に姿を変えていた。
青い鱗に覆われた長い身体、金色の瞳、鷹のような鉤爪、その迫力は、先程の蛇と比べ物にならない。
「行け!」
霧彦が命令すると、龍はギロリ、と羽衣姫を睨み付けた。
巨体を長虫のようにくねらせ、息を吸い込む。
黒い炎が吐き出された。
炎は部屋中に広がり、羽衣姫だけでなく周辺に居た妖魔や半妖達をも包み込んだ。
胸が悪くなるような悲鳴が上がる中、霧彦は静かに瞑目した。
半妖の中には家族を持つ者も居たろうに、哀れなことをした……
霧彦は無言でうつむく。
「この程度なのん?」
霧彦は大きく目を見開いた。
馬鹿なっ。
この炎を受けて、生きてるはずがない!
幻聴であってほしい。しかし霧彦のその願いは、簡単に打ち破られた。
炎から、無傷の羽衣姫が出てきた。
水着のような薄い服装なのに、火傷一つ、焼け焦げ一つ無い。
防いだ様子も無かった。なのに、羽衣姫は何事も無かったように目の前にいる。
悪夢のような光景に、霧彦はめまいがした。
「封印が解けかかってる妾に、傷を付けられないなんて……期待外れもいいとこねぇん」
羽衣姫はつまらなそうに謎の言葉を呟いた。
「弱い奴に興味は無いわよん。消えて」
「くっ。なめるな!」
霧彦は龍を再び羽衣姫に向けようとした。
ドスッ……
突き刺さる音が響く。
「その両側に付いてるのは飾りなのん? 妾は消えてと言ったのよ」
羽衣姫の手はいつの間にか目の前に移動し、霧彦の胸を貫き、心臓を掴んでいた。
「ぐ、あっ……」
霧彦は苦痛で呻く。
「こ、のっ……」
それでもなお、残った力を振り絞ろうと腕を持ち上げた。
「あらん♪ まだそんな元気があったの」
羽衣姫は笑った。
背筋が、いや、全身が凍り付くような嘲りの微笑だった。
「じゃぁ……動けなくしてあげる♪」
ブチブチブチブチィッ
血管が引きちぎられる音が耳に届く。
霧彦の目に最期に移ったのは、狂気に満ちた羽衣姫の笑みと、彼女の手の中にある己の心臓だった。
「すまない……みんな……」
霧彦はかすれた声で呟く。
意識が、永遠に閉ざされた。
―――
グチャックチッ……
きな臭い部屋の中で、咀嚼音が響く。
中に足を踏み入れた熾堕は、凄惨な光景を見てその美貌に僅かな嫌悪を浮かべた。
もはや誰だか解らない幾つもの焼死体。その下の床は、血で変色している。
唯一生前の姿を保っている死体も心臓を失い、焦点の合わない目を天井に向けている。
先程死んだばかりのようで、左胸からはまだ血が流れ出ていた。
手には、透明な輝く糸が幾つも握られている。
(梅見家当主、梅見 霧彦か)
熾堕は男の死体をしばらく見つめた後、目を外す。
「羽衣姫様」
表情を消し、死体の山に座る美女に一礼した。
羽衣姫は死体の一部をちぎり、口に運ぶ。絶世の美女だけに、その様子に吐き気を覚えた。
「熾堕ちゃん……♪」
屍肉をあさりながら、羽衣姫は満面の笑みを浮かべた。
「フフフ……人って、なんて愚かなのかしら♪」
「は……?」
「心だとか、意思だとか、そんなもの関係無いのにぃ♪」
すぐ傍の、半妖の頭を持ち上げる羽衣姫。
首が脆くなっていたのか、ちぎれて胴体が再び床に伏した。
「しょせん人間は肉と骨! 目に見えぬものなど、生きるのに邪魔なだけだわ♪」
フフフ……アハハハハ!
子供のように笑いだす羽衣姫を見つめていた熾堕は、少し声を張り上げた。
「ご命令通り、ピジェラを向かわせました。しかし、なぜその必要が?」
羽衣姫の笑いがぴた、と止まった。
「……この家のもう一人の姫持ちは、まだ一週間ほどしか退魔師の修行をしてないそうよ」
半妖の頭を抱えながら、羽衣姫は独り言のように言った。
「それなのに『卯杖姫』に選ばれた。今は大した力は無いようだけど、危険な芽は摘んでおかなくちゃ……♪」
クスクスと笑いながら、羽衣姫は半妖の頭蓋に歯を立てた。
―――
肩の衝撃で、紗矢は誰かにぶつかったのが解った。
すみません、と頭を下げ、また商店街の街道を走り出す。
『紗矢、急げ。気配が近付いてきてる』
ツバサの声が脳内で響いた。
(解ってる。……もっと体力作り、すればよかった)
自分の体力の無さに嘆息し、紗矢は切れる息を抑えた。
(せめて街を抜けなければ、周りを巻き込んでしまう)
手元にある杖をは抱え込む。
三十センチほどの、黒い杖だ。先端に緑色の宝玉があしらわれている。
(霧彦さん……なぜ)
自分が未来を教えたのが間違いだったのだろうか。
死の運命を教えなければ、かえって彼は助かったのではないだろうか。
『どっちにしろ、あの人は死んでたと思うぜ』
ツバサのあきれ声が響く。
『責任感強い奴だったし。おまえには逃げろっつったのに、自分達は残るって』
(……それもそうだな)
本当に、父に似た人だった……
「みぃぃぃっけぇぇ」
影が重なった。
ハッと顔を上げると、巨大なな骨のみの手がこちらを押し潰そうと迫ってきた。
地面を蹴り、ギリギリのところでよける。すぐ後ろで、衝撃を感じた。
『あっ……ぶね! もうちょっと遅かったら潰されてたよっ』
「あ、あぁ……」
思わず口に出して返事をしていると、笑い声が聞こえてきた。
子供の、女の子の声だ。
巨大な手が落ちてきたことで、周りの人間は音一つ立てられず、恐怖で固まっているのに。
「さいごの、ヒトリ……これで、そろう。ねがい、かなう」
道の奥から、人の間を縫うようにして少女が一人現れた。
茶色の髪に黄土色の瞳、顔立ちはあどけなく、頬にはそばかすが浮いている。
ピンクの子供っぽいワンピースの少女は、にっこり笑った。
「あたし、ピジェッラ。あなたのビーズ、ちょぉだい」