祓魔の武器職人<中>
車に揺られて早二時間。
今、流星達がいるのは、古い家が建ち並ぶ小さな町だった。
北側に山がそびえ、東側に大きな川が見える。
「変わってないな。五年前と、変わってないよ」
悠は窓の外を見つめて呟いた。
「この辺りでいい。後は歩くよ」
「はい」
悠に言われ、運転手は道路脇に停車させた。
黒い車から降りると、運転手は「では、後ほど」と言って車を発進させた。
「さて。この近くのはずだけど」
悠はんー、と伸びをした。黒いシャツがめくれて白い腹が見え隠れする。
目のやり場に困った流星は建物を眺めた。
「ここ……東京都内?」
「一応ね」
「マジでか」
こんな田舎が東京にあるのか、と顎が落ちる。
「じゃ、行こうか」
「お、おう」
歩き始めた悠と朱崋を追いかけるようにして続く流星は、一つ尋ねた。
「なぁ悠。今から会いに行く、その景信さんって人、どんな人なんだ」
悠は歩きながら、少しだけ首を巡らしてこちらを見た。
「いい人だよ。大阪出身の鍛冶屋なんだけどね。面倒見がよくて面白いの」
「へぇ」
大阪出身だから、面白いのは当然だろうな。
少し偏見がにじむ考え方で一人納得していると、二人が立ち止まった。
「ここだよ」
「……? 普通の民家だけど」
目の前のいかにも古風、といった家に、流星は首を傾げてしまう。
悠はインターホンを押した。 無機質な電子音の後に、家の中からドタドタという音が聞こえてきた。
「悠ちゃん! 久しぶりやなぁ」
玄関が開いたと同時に聞こえたのは、バリバリの大阪弁だった。
出てきたのは、中年の男である。
筋肉質な身体を灰色の着物と白シャツで包み、黒髪を短く刈り込んでいる。武骨な顔に浮かんでいる笑みは、親しみを覚えた。
「久しぶり、景信さん。元気そうでなによりだね」
「元気も元気。今日も元気で酒がうまい、やで。で、そっちが噂の……」
男――景信は流星を見て、笑みを深めた。
「そうか、あんたが華凰院 流星か」
「は、はい」
「わしは白杉景信や。よろしくな」
景信はごつごつした手を差し出した。
流星はおっかなびっくりその手を握る。たこだらけの、固い手だった。
「話は刀弥君から聞ぃとる。工房に案内するな」
「あ、待って」
悠は踵を返しかけた景信をひき止めた。
「私、他に用があるの。流星、頼める?」
「ええけど……もしかして修行か?」
景信が尋ねると、悠はこくんと頷いた。
「そうか。嫁入り前の大事な身体やし、無茶したらあかんで」
「解ってるよ」
悠はにこっと笑って朱崋を連れて、歩み去ってしまった。
「ほんまに解ってんのかなぁ。相変わらず何考えてんのか解らん」
景信は頭をかいた。
「まぁええわ。流星君、なか案内するわ」
「あ、はい」
流星はしばし呆然としていたが、ハッと覚醒した。
裏庭を通ると、家に繋がるようにして建てられた小屋が目に入った。
「あれが、工房ですか?」
「あぁ。煌炎、持ってるか?」
流星は肩にかけた小さいスポーツバッグから、小刀を取り出した。
「うん。見たところ錆びてへんし、半日もあれば打ち直せるな」
「そうですか!」
「待ってな。今、鍵開けるから」
景信は帯にひっかけてあった鍵束から、金色の鍵を取り外した。
それを小屋の鍵穴に差し込んで回すと、かちり、と小さい音がした。
景信が扉を横に引くと、油と鉄の臭いが鼻についた。
「さ、打ち直すか。貸してみ」
景信の差し出した手の上に、流星は煌炎を置いた。
―――
赤く燃える刃に、何度も金槌が降り下ろされる。
流星はテレビでしか見たこと無い光景を、少し離れて見物していた。
「……暑いですね」
口を開けると、思った以上にげんなりした声が出た。
入った当初は肌寒かったぐらいなのに、今やサウナ並みに暑い。
学ランを脱いでもほでるので、腕まくりして上のボタンを二、三個外した。ちっともマシにならないが。
「そうやなぁ。でも我慢しぃや。流星君にも手伝ってもらわなあかんし」
一番暑い思いをしているはずなのに、景信はけらっと笑った。
「血の提供、でしたっけ?」
流星が先程聞いた話を思い出しながら言うと、景信は頷いた。
「あぁ。刃に主の血を二、三滴吸わせな、武器は主を主と認めん。武器の能力を扱いきれん」
まるで武器が生きてるかのような口振りだ。
そのことを指摘すると、景信はははっと笑い声を上げた。
「わしら鍛冶屋にとっちゃ、武器は生き物や。精根込めて育てた子供や。使い手にとっても、共に戦う相棒やろ?」
流星はそう言われてうつむいた。
流星は武器を、ただの道具だと思っていた。
守ることも、傷付けることもできる戦いの道具。
だが景信にとっては、子供と同等なのだ。
道具だと思っていた自分が、急に浅ましく思えてきた。
「血を、吸わせるのは……認めてもらうためですか?」
「そや。まぁ、契約やな。裏切らんように。打ち直すんは、前の契約を無効化するためや」
「それって……姫シリーズもですか?」
流星はふと、疑問に思ったことを口にした。
不思議に思ったのだ。
姫シリーズは、平安時代に造られた武器のはず。
なのになぜ、現代を生きる悠が姫シリーズの一つである剣姫を扱えるのか。
ただ流星は、単純にこの人が打ち直したんだろうと思った。
だが、事実は違ったのだ。
「姫シリーズは、普通の退魔武器とちゃう」
景信は手を休めず言った。が、明らかに表情は変わっている。
「彼女らは意志を持っとる。それも人間のもんと近い自我をな」
「自我?」
流星は首を傾げた。
「そう。彼女らは誇り高い。ゆえに、使い手を選ぶんや」
景信は脇の鉄製の水桶に、真っ赤になった刃を入れた。
ジュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……
凄い音と煙を上げて、刃の色が白銀になった。
「選ばれなかった人間やったら狂い死ぬ。選ばれんかったら、持つことさえできへん」
「じゃ、悠はやっぱ凄いんだ」
複雑な気分である。
好きな女の子が自分より強く、更に自分より凄くては男として立つ瀬が無い。
「……選ばれんかった方が、幸せやったろうな」
「え?」
流星が顔を上げると、景信は刃の腹を見つめながら難しい顔をした。
「彼女らが使い手を選ぶのは、自分を扱う人間としてやない」
景信の目に、かげりが宿った。
「身体を、乗っ取るためや」
「……は?」
流星は驚いて景信を見つめた。
武器が持ち主の身体を乗っ取る? 何だ、その漫画的な展開。
反射的にそう思ったが、景信の表情は冗談を言うものではなかった。
「プライドの高い彼女らが、武器の姿で満足するわけない。自分の肉体にふさわしい身体を欲して主を選ぶんや」
かち、と刃が柄に付けられた。
「特に悠ちゃんの『剣姫』は、百年以上持ち手がおらんかったほど。あの娘にとって、それが幸やったんか不幸やったんか。しかも」
景信はため息をついた。
「選ばれ方が、あんな形やし」
あんな、形……?
流星は目を瞬いた。
「あんな形って、どういうことですか?」
今度は景信が目を瞬く番だった。
「何や。知らんのか?」
「……何がですか?」
「そうか……まだ話してないんか」
意味が解らない。
流星が顔をしかめていると、景信は首を振った。
「わしの口から話すには、少々荷が重い。時が来たら解る。それよりほら、できたで」
差し出された煌炎を、流星は近寄って手に取った。
炎は出ない。今はただの、美麗な小刀だ。
「刃を手の平に押し付けて、刃に血を吸わせて」
流星は固まった。
「え、あの……ちょっと勇気いるんですけど」
「軽くでええから」
促され、流星は恐る恐る手の平を刃で斬る。
ピリッと傷口が血が刃を伝うのが同時だった。
ボオゥッ
「! うわっ、あづ! げ、髪の毛の先焼けたー!!」
あわてふためく流星の手の中で、煌炎は刃にこうこうと炎を揺らめかせていた。
「ハハ! 成功やな」
景信はからから笑った。
「ちょ、景信さん! 鞘、マジでどこ!? 火力強すぎだしっ」
「落ち着け。火に小さくなれって念じてみ?」
言われた通り火が小さくなってほしいと思うと、ぼうぼう燃えていた炎が急激にしぼんだ。
「し、死ぬかと思った……」
「常に冷静でおらな、退魔師になられへんで。慌てたらミスるだけや」
「はい……」
一気に気が抜けた流星である。なんか、腹も減ってきた。
「時間も時間やし、ちょっと遅いけど昼飯にするか?」
流星が同意したのは、言うまでもない。
―――
町の北に位置する山は、霊山としてあがめられている。
人の出入りは禁止され、動物達ですら息をひそめてしまうほど、音は無い。
――いつもならば。
無粋にも、草をかきわけて山の中腹まで足を踏み入れている者がいる。
悠と朱崋である。
だが、二人は決して招かれざる客ではない。
悠は山の主に許可を取ってあるし、朱崋にいたっては。
「どう、朱崋? 久しぶりの故郷は」
『変わりありません。景色も空気も、何もかも』
悠の目線の先には、人間ほどの大きさの身体に白銀の毛、九本の尾を持つ巨大な狐が居た。
これが、朱崋の本来の姿である。
そして同時に、この山の主でもあった。
『悠様。頂上なら、開けた場所がございます。そこで修行なされるのがよろしいかと』
朱崋の声は鼓膜を震わせるものではなく、脳に直接響くものだ。
狐の声帯では人間の声を出すことはできないので、念を送って会話するのである。
「じゃ、そうしようか。朱崋、乗せて」
『御意』
朱崋は身を低くした。
悠はひらりと朱崋の背に乗ると、彼女の首に腕を巻き付けた。
浮遊感が来た。
高所恐怖症ではないので、身を乗り出して下を見る。
町が小さい。ジオラマみたいだ。
「流星、どうしてるかな」
思わずそう呟き、笑ってしまった。
ここまで彼の存在が、自分の中で大きくなっていたとは。
今朝、流星の幼馴染みだという高野 若菜(高野刑事の娘だろう)が言ったのだ。
流星に近付かないで、と。
勿論笑い飛ばしてやった。そんな命令する権利、貴女には無いと。
一昨日まで流星を傷付けたくないと思っていた弱気な自分が、嘘のようである。
傷付けても巻き込んでもいい、一緒に居たい。今はそう思っている。
身勝手なのは解っている。でもこれが、自分の素直な気持ちなのだ。
考えごとをしている間に、頂上に着いていた。
低い草が生えているだけで、風も弱い。
「うん。ここなら集中できるよ」
悠は朱崋から降りて、刀を抜いた。
心臓の音が、少し大きく聞こえる。
(緊張してるのかな)
悠はふっと笑った。
……らしくない。
「剣姫、部分解除」
悠がそう呟いたとたん。
刀を持った右腕に激痛が走った。
「……――っ!!」
悲鳴にならない悲鳴を上げ、それでも刀を落とさないでいると、今度は声がしてきた。
『愚かな娘。私を操れると思うたか?』
脳と視界が揺れる。足元がぐらぐら震えている気がした。
吐き気がしてくる。だがそれをこらえ、刀を持ち上げた。
『罪にまみれたおまえに、妖魔を狩る資格があるか? 罰を与える資格があるか?』
「黙り、なよっ……」
悠は両手使いで構えた。左手にも激痛が走る。
『苦しみたくなかろう? 辛い思いは嫌だろう? 楽になりたくば、私に心を預けよ』
悠はふっと笑った。
こんな痛みの中で、よく笑っていられる。私はマゾだったか?
悠は眉をひそめた。
……違う。
笑っているのは、自信からだ。この刀をねじ伏せる自信があるから。
「いい加減、喋るのを止めたら? 『剣姫』」
『何……!?』
「私は、おまえに負けない」
刀を振り上げ、悠は声を張り上げた。
「あの日誓った。私は、何にも屈しない!!」
白銀の刃が降り下ろされた。
とんでもない破壊力を持って。
ドゴオォォォォォォォォォォォォンッ
地面が割れた。
刀から放たれた衝撃波が、山を斬ったのだ。
斬られたところは、谷のように深い溝ができてしまっている。
想像以上の破壊力に、さしもの悠も唖然としてしまう。
同時に、全身の力が抜けて座り込んだ。
疲れて立ってられない。息も絶え絶えだ。
「第一関門は……クリア、か。ハァ……」
『はい。しかしこれでは、即戦力にはなりませんね』
「いや」
朱崋が歩み寄ってくると、悠は首を横に振った。
「多分次は大丈夫だよ。……それよりおまえの山、斬っちゃったけど……」
途方に暮れた声を上げる悠に、朱崋は深紅の瞳を向けた。
『この程度で崩れる山ではありません。幸い巻き込まれた動物はいないようですし』
「ならいいんだけど。……ん? あれは……」
悠は町の西側を見て、眉をひそめた。
上空に黒い雲が見える。いや……あれは雲か?
目を凝らして見つめること、数秒。
「……朱崋」
『はい?』
「今すぐ、流星のところに戻るよ。すぐにだ!」
悠は朱崋に飛び乗った。
「あれは、百鬼夜行だ」
ぎりっと奥歯を噛み締め、刀を鞘に戻した。
「あの方角には梅見家が……奴らの狙いは人柱だ!」