Ripper<下>
「……あれ?」
痛みも何も感じない。身体もくっついたままだ。
確かに何かが斬り裂かれた音がしたのに……
流星は、恐る恐る頭を上げた。
「なんとか間に合ったね」
艶やかな黒髪、綺麗な声、華奢だが力強さを感じさせる背中。
「ゆ、う……?」
「やぁ、流星。昨日振り」
悠はにっこり笑った。
「え、何で!? どうしてここに? つか、今何したんだ?」
「何って……かまいたちを刀で叩っ斬っただけだよ」
「離れ業を当たり前のように言うなっ」
流星は悠に怒鳴った。
何かめまいがする。会えて嬉しい。嬉しいんだが、どっと疲れた。
額を押さえた流星はふと、卓人のことを思い出した。
「そうだ。卓人、無事か……どぉっ!?」
「流星ぇぇぇぇ! おまっ、ヒヤヒヤさせんなよっ。死ぬかと思ったろうが!」
卓人はいきなり胸ぐらを掴んできた。
「だぁぁぁ! 落ち着けっ。つか泣きすぎだろ。うおっ、鼻水汚ねぇ!」
「どっちにしろ血まみれなんだから変わらないじゃない」
悠はぴしゃりと言った。
「それに、まだ安心はできないよ」
流星は卓人を剥がそうとやっきになりながら少年を見た。
「椿 悠ぅぅ……てめぇだけは、俺が殺す!」
「……私、君に恨まれるようなことした?」
悠は小首を傾げた。
「悠、こいつは俺の……」
声がかすれていることに気付いた流星は、唇を湿らせて言い直した。
「こいつは、俺の家族を殺した妖魔の息子らしい」
「……あぁ、なるほど」
合点がいったのか、悠は再度少年を見る。
「親子そろって半妖になるなんて、頭おかしいんじゃないの?」
「うるさい!」
少年は右手の鎌を振り上げた。
が、それより速く、悠が刀を突き出して地面を蹴る。
鈍い音を立てて、刃が少年の心臓を貫いた。
「がっ……!?」
「私、今機嫌が悪いの。君ごときと長く話すつもりは無いよ」
刀を抜くと、少年の胸からどくどくと赤黒い血が流れ出た。
「雑魚が私の命を狙うなんて、身分不相応もいいとこだね」
「そうか?」
鎌が悠の首筋めがけて横薙ぎにされた。
ガギイィィィィィィィィィィィン!!
「今のはちょっと危なかったかな」
刀の腹で鎌を受け止めた悠はくすっと笑った。
「心臓貫かれても死なないなんてね。今まで何人喰い殺してきたの?」
「……さぁな。百人超えたとこで、数えんのやめたから――な!」
少年の左手がかすむ速さで悠の頭を狙った。なんと、左手まで鎌になっている。
悠は身をギリギリまで沈める。黒髪が数本舞った。
「おまえこそ、今まで何匹妖魔を狩ってきたんだよっ」
「さぁ? 千あるか無いかくらいかな」
悠は後ろに身を投げた。それを追い、少年は地面を蹴る。
「今度こそ死ねよ! 椿 悠っ」
「君は馬鹿だね」
少年の視界から、悠の姿が消えた。
「なんっ……ぐあぅ!!」
少年の両手が飛んだ。正確には、両手の鎌が。
「風を操ってたにしては遅かったね」
悠は刀を少年の前に突き付けた。
両手首から血をだらだら流した少年は、顔をひきつらせる。
「今なら見逃してあげるよ。私が斬ったのは妖魔化した手だし、心臓もその生命力なら、再生が可能だしね」
切っ先で少年の首筋をつつく悠は、哀れなものを見るような目で言った。
「今なら人の道に戻れる。復讐なんてくだらないこと続ける気なら」
プツリ、と少年の首筋から血がつぅっと流れた。
「ぐ……! ……う!? ああああああっ」
少年は突然めちゃくちゃに走り出した。
恐怖のあまり混乱したかと思ったが、どうも違うような……
「まさか。流星! 自分とその友達の目を塞いでっ」
悠が大声で言った。
不審に思いながらも、流星は言われた通りに卓人の目を塞ぐ。
しかし、自分の方は間に合わなかった。
ブシャッ
少年の身体が唐突にバラバラになった。
複数の刃物に斬り刻まれたように、肉片になるまで。
どこが腕か、足か、頭か、解らないぐらいに。
「……え?」
さっきまで生きてたはずだ。
なのに何だ、このあっけなさは。
何だ、この……息苦しい感覚は。
「なん、で」
流星は卓人の目から手を離しそうになった。
「流星、そのまま」
「え?」
悠が卓人の前に立った。
「何だ? 何が起きてるんだ!?」
卓人が喚いた。しかし、彼は知らない方がいいかもしれない。
流星は悠がしようとしていることを感じ取り、身体を少しずらした。
「悪いけど教えられないよ。ごめんね」
悠は勢いよく卓人のみぞうちを殴った。
くたっと全身の力が抜けた卓人を、流星はなんとか支える。
傷は負ってはいるものの、座った状態だったので苦労は無かった。
「……一体、何があったんだ?」
流星は血だまりを見ないようにしながら尋ねた。
「おそらく、彼には呪いがかかってたんだよ」
悠は刀を収めて答える。
「失敗したら、自分の術が己に逆流する呪だろう。彼の身体がバラバラになったのは、彼の風の力が体内から吹き出したからだと思う」
「そんな……むごすぎる。でも、誰がそんなことを?」
流星が訊くと、悠は顔を僅かにしかめた。
「一人……というか、一団体しか思いつかないでしょ?」
「! それって……」
妖偽教団……
流星は唇を噛み締めた。
「君の友達には悪いことしたね」
悠は山下の死体に近付き、しゃがみ込んだ。
繊手を伸ばし、山下のまぶたを下ろす。ため息をついて立ち上がった。
「狙いは、多分私だよ。その一環として、流星を狙ったんだと思う」
「? 何で俺を狙う必要があるんだ?」
「それは……」
悠は急に口ごもった。
何か、微妙に顔が赤いような?
「そ、それより、これからのことを話そう」
露骨に話をそらした。
「流星、君はこれからどうしたい?」
「は?」
「私は、もう一度君にバイトをしてもらいたいと思ってる」
流星は卓人を倒しそうになった。
「マ、マジか!?」
「待って。まだ話の途中だよ」
悠は流星を押し留めた。
「その前に、流星の意志確認」
「俺の?」
「そう。君は、こっちに戻る気はあるの?」
悠はしゃがんで、上目遣いでこちらを見た。
じっと見つめられると、色々ヤバイのだが。
「もし戻ったら、もっと大変な目に会う。死ぬこともある。どうする?」
ふと、うもれていた記憶が頭をもたげた。
悠が、自分に手を差しのべてくれた時のことだ。
『こちらに来るか、否か』
「こちらに戻るか、否か」
今とあの時。状況は違うが、よく似ている。
悠は笑った。思わずどきりとしてしまうぐらい、蠱惑的に。
「全ては、君次第だよ」
このセリフを聞いたのも、久しぶりな気がする。
流星はずっと黙っていた想いを口にした。
「悠、俺……退魔師になりたい」
「え?」
「もう、目の前で誰かが死ぬのは嫌なんだ。もう、弱い自分でいたくないんだ」
家族を失って、友達も助けられなくて。
なのに自分は生きている。弱く、無力感を抱えて。
もう、こんな気持ちを持ち続けるのは嫌だ。
「悠、頼む! 退魔師にしてくれ。強くなりたいんだっ」
「……本気なの?」
悠は流星を驚き顔で見上げた。
「死ぬ確率、高くなるよ?」
「死なねぇ。絶対に」
流星は拳を握り締めた。
「誰かが死ぬ哀しさを、俺は知ってるから。だから死なねぇ」
意思表示のために拳を突き出すと、悠は眩しそうに笑った。
初めて見る笑い方だったので、流星の心臓が跳ね上がる。
「じゃ、約束ね。絶対生きるって。私も、生きるから」
悠は流星の頬に触れた。
ひんやりとした心地よい感覚に、流星は目を細める。
その様子を見て、悠は笑みを深くした。
「絶対に生きてよ。死んだら承知しないから」
「……あぁ」
流星は深く頷く。
やがて、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
―――
「また星見なの? 熾堕」
妖偽教団の本拠地にある大広間。本来は茶や会話を楽しむサロンのような部屋に立ち尽くす男に、月読は眉をひそめた。
「ところかまわずするのはやめてちょうだい。邪魔になるわ」
「……ん? あぁ、月読か」
肩を叩くと、熾堕は初めて気付いた、という顔をした。実際今気付いたんだろう。
「最近星の動きが活発になっててな。が、まだ小さい」
「そう」
興味の無い月読は、ソファーの一つに腰を下ろした。
「刹嵐……失敗したそうよ。それも『視え』てたのかしら?」
「まぁ、一応」
銀糸をかき上げ、熾堕は息を吐く。
「言ってやればよかったか?」
「別に。言っても同じことでしょう、結果は」
「……確かにな」
空気が沈みかけた時、広間の扉が開いた。
「たりない……ビーズ、まだ……」
ショートカットの女の子が入ってきた。ピンクのワンピースを着た、十歳前後の子供だ。
「ピジェッラ」
熾堕が声をかけると、少女――ピジェッラは顔を上げた。
大きな目に、そばかすの浮いた顔をしている。
「シダ。ビーズ、あとちょっとで、そろう」
つたない言葉に熾堕が「そうか」と答えると、ピジェッラはにまぁ、と笑った。
「ピジェッラのねがい、かなう。ヒメサマ、よろこぶ」
ピジェッラのワンピースのポケットから何かが落ちた。
糸を通す穴が空けられている、白い物体だ。
「あとヒトリ、ころしたら、ピジェッラのねがい、かなう!」
ピジェッラは無邪気に笑った。
己の罪も、解らないで。