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HUNTER  作者: 沙伊
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第七話 Ripper<上>






 広がるのは、赤。

 染まるのは、闇。

 叫ぶ声は遠く、倒れる姿は小さく。


「当然よ……死んで当然なの」


 母の声は、近い。手も匂いも、触れられるほど。


「あれは、死んで当然なの」


 なのになぜ? なぜ自分は独りと感じてしまうのか。

 風景が変わる。

 ほこりっぽい空間。暗い闇に半分埋まった部屋。そこに、自分と、一人の女がいる。

 頬が痛い。熱を持った頬に、熱いしずくが伝う。

 手に、何かが触れた。

 見ると、それは刀の柄だった。

 紅の、血を連想させるような色の柄だ。


『その女が憎いか』


 声が、脳内に響く。


『私の力を貸そう』


 柄を掴むと、手にしっくりときた。

 引っ張ると、鞘から自然と抜けて、白銀の刀身が姿を現す。

 目の前に立つ女が、小さく悲鳴を上げた。


『さぁ……殺れ!』


 声が一段と大きくなる。

 気付けば、走り出していた。

 そして、刃を伝って感じる、鈍い感覚。

 生あたたかい液体が、手に落ちた。

 それは涙か、それとも……

 虚ろな目が、こちらを見た。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 現実と夢の声が、重なった。

「ハァ、ハァ……ゆ、め?」

 悠は乱れた息を整えながら、ベッドから起き上がった。

 朝の日差しが、窓から差し込んでいる。

 悠は枕元に置いた携帯を開いた。

「もう、七時……」

 一時間ほど仮眠を取るつもりが、四時間も寝ていたらしい。

「あんな夢、見るなんて」

 もう、忘れたと思ってたのに、どうして今頃になって。

「……あ」

 気付けば泣いていた。

「どうして?」

 泣きたいわけじゃないのに、どうして涙が出るの?

「もう、私は弱くないのに」

 悠は、顔を両手で覆った。


   ―――


 教室内は、腐臭が覆っていた。

 直接的な意味ではなく、例えの意味で。

 負のオーラ全開の流星に、誰も近付こうとしなかった。

「り、流星の奴、一体何があったんだ?」

「聞いた話じゃ、女にフラれたとか」

「……よっぽど酷いフラれ方したな」

 机に突っ伏し、目が虚ろな流星は、さながら死体のようである。生気の欠片も感じられない。

「流星……生きてるかー?」

 卓人が声をかけても、反応無し。

 つついてみるも、動かない。

「えっと……先程まで動いてましたよね?」

「なぜ敬語?」

 元木は卓人にツッコんだ。

「おい、りゅう……」

 肩を揺さぶると、流星の身体が傾いた。


 ドダァン!


「……え?」

 椅子から転げた流星を、友人どころか、クラスメイト全員が見つめた。

 流星は、まったく動かない。


「……流星ぇーーーーーーーーーー!?」


 卓人は思わず叫び、山下に「うるさっ」と言われてしまった。



「寝てんな、こりゃ」


 そう聞いたとたん、卓人達はどたどたとこけた。

「しかし、よー寝るな」

 保険医の梅見は、ベッドに横たわる流星を見て、がりがり頭をかいた。

 三十代の髭面男だが、面倒見がいいため、生徒の信頼は厚い。

 新入生などには、胡散臭い目で見られるのだが。

「マジ寝てるだけ? 梅見っち」

「誰が梅見っちだ。昨日、よっぽど寝てないと見える。顔色悪ぃし、場合によっちゃ、早退させた方がいいかもな」

 卓人達は顔を見合わせた。

「マ、マジかよ」

「もしかしたら、だ。心配すんな。そろそろチャイム鳴んぞ」

 梅見に言われ、全員慌てて保健室を出た。

「しかし……悠嬢も酷なことをする。なぁ、朱崋」

「悠様は間違っておりません」

 背後に現れた少女に声をかけると、朱崋は表情を変えずに言った。

「だが、こいつのショックは大きいみたいだぜ。よっぽど惚れ込んでたと見た」

 梅見が苦笑すると、朱崋は少しだけ顔を曇らせた。

「流星様は、まっすぐすぎるのです。だから」

「だから、辞めさせた、か。まぁ確かにな」

 梅見はベッドの周りをカーテンで囲み、事務椅子に座った。

「しかし、惚れ込んでただけじゃあぁはならねぇ。もしかしてあいつ、退魔師目指してたんじゃねぇか?」

 朱崋が目を瞬かせるのを見て、梅見は「違うか?」と訊いた。

「それは解りません。ですが……もしそうだとしても、私には解りかねます」

「ん? 何でだ?」

「妖魔を憎む気持ちは解ります。しかし、それだけで、闇の世界に身を置こうなど……」

「本当にそれだけか?」

「え?」

「俺も、憎む気持ち一つで、退魔師になろーって馬鹿いるとは思わねーよ」

 梅見はふっと笑った。

「まぁ、言っても女にゃ解んねーな。男の気持ちは」

「……?」

「気にするな。それより、悠嬢はどうした?」

 尋ねると、朱崋は不思議そうな顔を消した。

「本家です。私は、流星様の様子を見るよう言われて」

「フッたくせに、様子が気になるのか。これが噂のツンデレってやつか?」

 ふざけて言うと、思いっきり睨まれた。無表情だから余計怖い。

「冗談だって。しかし、あの娘、いや、あの娘達も大変だな」

 梅見はふぅ、と息をついた。

「死体の無い葬式をしなきゃならんとは」


   ―――


 黒い着物を着た刀弥は、前から歩いてきた男に顔をしかめた。

 椿家のお得意の政治家だ。正直、あまり好かない。

「兄さん?」

 恭弥が後ろからつついてきた。

 無言でいると、向こうからこちらに近付いてきた。

「いやいや、このたびはご愁傷様で」

 政治家はわざとらしい悲哀の言葉を口にした。

「いえ。貴方が来てくれて、父も喜ぶでしょう。お忙しい中、ありがとうございます」


 さっさと帰りやがれ、糞ヤロー!


 ……内心ではそう思ったが、自重する。

「おや、弟君も。このたびは、ご愁傷様で」

「いえ……」

 制服姿の恭弥は軽く頭を下げる。

「しかし……最後に会ったのは六年前でしたが、ますます亡くなられたお母様に似てきましたな」

 舌なめずりするような声に、恭弥が僅かに顔をしかめるのが見えた。

 しかし、弟はすぐさま愛想笑いを浮かべ、「そうでしょうか」と返す。

 切り替えの早さは、兄の刀弥が舌を巻くほどである。

 おまけに母親譲りの美貌も相まって、その笑顔は同性ですら魅了してしまう。

 事実、相手は気分をよくしたようで、ガマガエルに似た笑みを浮かべ、その場を後にする。

「……さすが恭弥」

「……」

 刀弥が肩を軽く叩くと、恭弥はさっさと笑みを消した。

 普段は常に穏やかに微笑しているのだが、さすがに今日はそんな気分じゃないらしい。

「……兄さん」

「ん?」

「父さんの死体は……やっぱり残ってないんだな」

「……あぁ」

 妖魔に殺された退魔師は、たいがいの場合、死体が残らない。

 妖魔に身体を喰われ、骨すら残らないのが普通だ。父の奏司とて、例外では無かった。

 血の跡と退魔武器の残骸が残ったら、まだいい方だ。

「死体無き葬式、か。なんか親父が死を偽ったみてぇだな」

「でも父さんは……死んだんだ。嘘でも、何でもない」

 恭弥は拳を握り締めた。

「恭弥、昨日の話……」

「くどいな、兄さん」

 恭弥は静かに笑った。

 それはいつもと変わらない笑みだったが……いつも以上に、儚かった。

「僕の意思は変わらない。この戦いの終盤。僕は……」


 僕は、羽衣姫に殺される。


 恭弥はすたすたと歩いていく。

「自室に戻っている。葬式が始まるまで、まだ時間があるからな」

 その背中は、揺るがない。その目には、一体何が映ってるのだろうか。

「恭弥……」

 刀弥は唇を噛んだ。


   ―――


「ここにいたんですか」

 庭先に立ち尽くしていた悠は、燐の声に振り返った。

 黒スーツを着た燐は、心配そうな顔をしている。

「大丈夫ですか?」

「……さぁね」

 悠は縁側に腰を下ろした。

 黒いワンピースに黒い上着を着た悠の隣に、燐も座る。

「ねぇ」

「はい?」

「何で制服じゃなくてスーツなの?」

「僕の制服では、色的にも葬式には合わないでしょう」

 燐は肩をすくめた。

「悠、覚えてますか? 僕が貴女に告白した時のことを」

「いきなり何? ……覚えてるよ。転校していきなり『好きです!』って」

 クスクス笑う悠に、燐も苦笑を返す。

「そう。アメリカからこっちに来た時、まだ小一だった時の僕は衝撃を受けたんです。こんな綺麗な女の子がいるのかと」

「大袈裟だね」

 悠は笑い声を大きくした。

「本当ですよ。それ以来、好意を示すために、挨拶代わりに抱きついて……」

「変態呼ばわりしたんだよね、私が」

「甘酸っぱい思い出です……」

「甘酸っぱいっていうか、酸っぱいよね」

 悠はころころ笑い声を上げた。

 燐はため息をついて、肩を落とす。

「日本とアメリカの文化の違いを痛感しましたね。父の祖国では、友達と抱き合うのが挨拶になりましたから」

 燐がわざとらしく目元を押さえると、悠は笑いを引っ込めずに彼の頭を撫でてやった。

「まぁ、変態扱いしたことは謝るよ。訂正はしないけど」

「してください!」

「無理だね」

 悠は立ち上がって、思いっきり伸びをした。

「今までの行動が行動だからね」

「う……すみません。習慣が抜けなくて」

 燐は頬をかいた。

「……で。何でそんなこと言いだしたの?」

 悠が訊くと、燐はふと、真面目な顔になった。

「好きです」

「……君はそればかりだね」

 悠はくすっと笑った。

「いつも通り、答えはノーだよ。私は誰のものにもならない」

 ふと目線を上げれば、鳥が舞う姿が見えた。

「私は何にも捕らわれない。気高く、自由に生きる。それが私だよ」



 気付いてないんだ、と燐は思った。

 何にも捕らわれることなく生きれる人間はいない。

 人間だけでなく、他の生物も、何かに捕らわれて生きている。

 生命は何かに縛られることで、生きていける。

 捕らわれることで命を保っていのだ。

 捕らわれないものが居たとしたら、それは死者だけだ。

 彼女もまた、一人の人間に捕らわれているのに、過ぎ去った記憶に縛られているのに。

(どうして、気付けないんですか?)

 燐は悠の手を取った。

「燐……?」

 悠が不思議そうに見つめてきた。

 穢れを知らない黒曜石の瞳。

 自分のものにしたい。でも、それ以上に。

「本当にいいんですか?」

「……何が」

 奥底にあるのは、闇。

(この間は瞳に光があったのに、もう無い)

 悔しかった。この瞳に映るのは、自分じゃない。

「前に貴女は言いましたよね。後悔することは、今の自分を否定することだと」

「……」

「今の貴女は……後悔してるんじゃないですか?」

「……っ君に」

 悠は顔を歪めた。

「君に何が解るの。私の気持ちなんて、君に解るはず……!」

「解りますよ」

 燐はぐいっと悠を引き寄せた。

 悠はバランスを崩し、燐の腕の中に閉じ込められる。

「何してんの? 離して!」

「貴女が触れられるのが嫌なのは知ってます。でも聞いてください」

 つとめて冷静な声で言うと、悠は上目遣いできっ、と睨んだ。

「……離して」

「離したら行ってしまうでしょう。いいから聞いてください」

 悠はまた口を開きかけたが、燐はそれを遮った。

「貴女は、華凰院さんを辞めさせたことを、後悔してるんでしょう」

「してない」

「してます。だから、目が虚ろなんですよ」

 目元に触れると、思いっきり振り払われた。

「貴女の瞳に灯っていた光はどうしたんですか?」

「……知らない」

「いつもの不敵な態度は? いつも前を見据えてたのに、今は」

「やめて!」

 悠の大声に、燐は口をつぐんだ。

「……やめてよ。忘れたいのに……流星のこと……巻き込みたくないのに……」

 小さな声に、燐はしまった、と思った。

 言いすぎたかもしれない。

「あの、悠……」

 燐が再び口を開きかけたとき……


 気配を感じた。


 燐にも覚えのある気配で、悠から手を離す。

「……朱崋?」

 悠が声をかけると、妖狐の少女が姿を現した。

 そこまではいつも通りだった。問題は朱崋自身だ。

 左肩を押さえた指の間から、血が吹き出している。白いワンピースが、赤くまだらに染まっていた。

 獣耳と尾が垂れ下がり、白面には汗がにじんでいる。

「! その傷、どうしたの!?」

 悠は朱崋に駆け寄った。

「もうしわけ、ありません……妖偽教団が、流星様を……」


『……!』


 悠と燐は顔を見合わせた。

「その傷は、奴らに?」

「はい……」

 いつもならすぐ塞がるはずの傷がよっぽど深いのか、治る様子が無い。

「悠、朱崋の傷は僕が治します。早く華凰院さんのところへ!」

「え、あ……でも……」

 燐の言葉に、悠は迷う素振りをした。

「貴女らしくありませんよ、悠」

 燐は笑いかけてやった。心の奥が、じくりと痛んだが。

「自分の思ったように行動するのが、椿 悠でしょう。余計なことは、考えずに」

 悠は目を見張って、燐を見返した。

「貴女は今、何をしたいですですか?」

 目をそらさず尋ねると、悠はうつむき……そしてふっと笑った。

「ありがと、燐。目が覚めた」

 悠は朱崋に目を向けた。

 朱崋は震える手で刀を差し出す。悠はそれを受け取って、朱崋に微笑を向けた。

「どうも、父さんが死んで弱気になってたみたい。私らしくもない」

 苦笑し、悠は歩き出した。

「常に不敵で迷わない。それが私だ」

 悠は燐に魅力的な微笑を向け、だっと走り出した。

 一方燐は、赤い顔で朱崋の治療にとりかかる。

「小悪魔ですよね、まったく……人を惹き付けるのが得意というか」

「いいのですか?」

 朱崋が傷を治してもらいながら尋ねてきた。

「ライバルを応援するようなことをして」

「……あんな弱々しい悠、見たくありませんからね」

 印を切り続けると、血が止まってきた。

「……まだ、十四歳なんです」

 燐は呟くように言った。

「ちょっとしたことで、心が揺れることだってある。おまけに今回、悠は父親を失ったんですよ」

 不慮の事故や病なら、悠が心と反する行動を起こすことは無かったろう。

 しかし彼女の父親は、殺されたのだ。

 今、彼女の心中がどれほど揺れてるか、想像もつかない。

 でももし、予想以上に憎悪の感情が大きかったら。

「三年前の悲劇が、繰り返されなければいいんですが」

 燐の言葉に、朱崋の顔が曇った。






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