血塗られた夜更けに<下>
ドゴォッ
ゾンビが一体、吹き飛んだ。
流星が呆然としている間に、ゾンビ達は次々と視界から消えていく。
最後の一体の体液(臭い付き)が頬に付いてようやく現実に引き戻された流星は、どでかいハンマーを持つ少年を見上げた。
まだ十一、二歳に見える、栗色をした髪の少年は、ニヤッと笑った。
「大丈夫か? あんちゃん」
「全然大丈夫に見えないだろ」
誰かが少年の頭を後ろからどやしつけた。
少年はつんめのり、素早く振り返る。
「何すんだよ風馬!」
「大火傷の人間が、大丈夫なわけ無いだろ」
少年の頭を叩いたのは、長めの黒髪の青年だった。
きりっとした、整った顔立ちの青年で、流星より年上に見えた。
風馬と呼ばれた青年に叱られた少年は、悪びれずに言葉を返す。
「でも自業自得じゃん」
ぐっ、とつまる流星である。正直言い返せない。
「おまえは……まぁいい。君、傷の具合を見せてくれないか?」
風馬は、流星の腕に触れた。
「あっつ……!」
「酷いな、これは」
右腕全体に針が突き刺さるような痛みに、流星はまた小刀を取り落とした。
風馬は手を離すと、口の中で聞き慣れない言葉を呟き、印を切る。
とたん、右腕の激痛が引いていく。代わりに、心地よい冷たさが腕の傷に広がった。
「これは……?」
「傷を治してる。じっとしていてくれ」
風馬はそう言って、また謎の言葉を呟き始めた。
「風馬、雷雲。無事だったのね」
日影が朱崋に支えられ、近付いてきた。
「華凰院君、紹介するわね。黒いハンマー持ってるのが家鳴 雷雲。貴方の傷を治してるのが、疾風風馬。二人共、桐生家の退魔師よ」
まだ顔色は悪いが、傷は完治したらしい。血は止まっていた。
「ねぇ二人共。流亜知らない?」
日影の質問に、雷雲と風魔は顔を見合わせた。
「見てねーけど……」
「俺もだ」
二人の返答に、日影は肩を落とした。
「そう……。あいつ、どこで油売ってんだか!」
日影は叫んだ。怒ってるようである。
ルア、というのが誰か知らないが、その人も生き残りらしい。
「……君、傷治った」
「え? あ、ホントだ! ありがとうございます!」
すっかり火傷は消え、傷みも無くなっていた。曲げ伸ばししてみても、支障は無い。
服の袖は燃えてそのままのため、少し肌寒いが。
流星は立ち上がり、もう一度お礼を言おうとして、ハッと振り返った。
他の人達も気付いたらしい。武器を構えている。
日影は黒地に桜吹雪の描かれた扇、風馬は銀色の大柄な銃だ。
朱崋は耳と尾を逆立たせ、唸り声を上げた。
流星も小刀を拾って構える。今度は後ろにいよう、と考えながら。
全員が警戒していた気配は、どんどん近づいてくる。
同時に、生ぐさい臭いがしてきた。
「おえっ……何だ、この腐ったみてーな臭い?」
「戦い慣れてない流星様はお下がりください」
朱崋は両手を地面に着けて、四つん這いになった。
まるで獣だ。……あ、狐だった。
「……俺、もしかして邪魔か?」
流星も武道をかじっているので、少し解る。
戦い慣れない人間は、集団での戦闘で足手まといになる。
空手は個人戦だが、それは解ってるつもりだ。
集団の足手まといは、個人の弱点のようなものだ。そこを突かれると、こちらが不利になる。
それを解ってるからこそ、流星は素直に下がった。
気配と臭いの主は、その直後に、路地裏から現れた。
ブハァァァァァ……
それは、崩れた顔の下部分にある穴から、失神しそうなほど強烈な臭いの息を吐いた。
「! みんな、吸っちゃ駄目よっ。これは毒の息だわ!!」
日影の言葉に全員、慌てて鼻と口を塞いだ。
「空気を浄化します。皆様は距離を取りつつ、あれを」
朱崋は四方八方に狐火を放つ。
流星はというと、妖魔から目を離せなかった。
例えるなら……ゾンビの親玉。
巨体を覆う灰色の肉は泥のように崩れ、目と口は、塞がりかけた穴にしか見えない。
五メートルはありそうな巨人ゾンビの妖魔は、身体を引きずりながら近付いてきた。
「た……て……ひ……お……」
ゾンビの口から、言葉がこぼれた。しかし、意味は全く解らない。
「俺達を追ってきたのか」
「多分ね」
風馬と日影は、妖魔にそれぞれの武器を向けた。
ズガガガンッ
風馬の銃弾が、妖魔の額を貫いた。
妖魔がひるんだ瞬間、日影が前に出る。
「『桧扇姫』、部分解除」
小さく呟き、扇を振る。
「第一の舞い、火炎大蛇!」
火をまとった巨大な蛇が、妖魔の顔面に衝突した。
「第五の舞い、桜乱剣!」
更に扇を振ると、無数の花びらが現れ、妖魔に向かっていった。
ザクザクザクザクザクザクザクザクゥ!!
花びらが、刃のように妖魔の全身を斬り裂いた。
妖魔の身体から、泥水のようなものが吹き出す。
「……すけ……か……む……」
(すけ?)
流星は妖魔の声に首を傾げた。
先程から、あの妖魔は何を言っているのだろうか。
たてとすけ。たてすけ? いや、違う。
たす? たすけて……
……助けて!?
「おぉらぁ! とどめだぁっ」
雷雲がハンマーを横に振った。
衝撃波が生まれ、妖魔の頭を粉砕した。
肉片と骨が辺りに飛び散る。
「ちょっと雷雲! なにも粉々にしなくてもっ」
「いーじゃん日影。俺の『卯槌姫』が強力ってことで……うぎゃ!」
雷雲の頭頂部に、風馬の鉄拳が落ちた。
「妖魔は悪霊と違って死体は消えないんだぞ。後始末どうするんだ」
「いいじゃんか! 桐生家の人達が……。……そっか、もういないんだっけ」
しゅん、と雷雲はしぼみこんだ。日影も風馬も、顔を曇らせる。
流星は、気付いてしまった事実を言うか否か迷ってしまった。
「流星様、どうなさいました?」
それに気付いた朱崋は、そっと尋ねる。
「あ、あぁ。あの妖魔……その、助けてって、言ってた気、するんだけど」
全員、妙な顔をした。
「変ね。こういうたぐいの妖魔は、たいがい自分の意思を、持てない、は、ず……」
日影のセリフが、途中で消える。
妖魔の死体が、いつの間にか無数の髑髏に変わっていた。
「こ、これは……!?」
風馬がそれに走りよって、それを一つ手に取った。
「……これ、新しい骨だ」
風馬の言葉に、朱崋の獣耳が反応した。
「失礼します」
風馬の傍まで行き、尾で髑髏に触れる。
九本の尾をしばらく動かし、無表情のまま言った。
「桐生家の方々のものですわ」
全員固まってしまった。
「肉や目玉などは喰われたようですね。喰い砕かれた跡があります」
朱崋は別の髑髏を手に取った。右側頭部に大きな穴が開いている。
「……じゃ、さっきのは、妖魔にされた、桐生家のみんな……?」
日影はぺたんと座り込んだ。
「髑髏を使ってるということは、魂を使った術か」
風馬が苦々しげに吐き捨てた。
「魂使った術って、禁術の一つじゃんか! 妖偽教団の奴ら、外道にもほどがあるよっ」
雷雲は叫んだ。顔は今にも泣きそうに歪んでる。
流星は青ざめて立ち尽くした。
殺し、肉を貪り、更に利用する。
こんなことを、同じ人間が本当にするのだろうか。
信じられない。信じたくない。だが……否定もできなかった。
全員が黙りこくっていると、誰かが走ってくる音がした。
「あれ。ちょっと遅かったか」
「悠!!」
流星は大声を上げた。が、悠の後ろにいる燐を見て、ピシッと固まる。
「な、な、なん、何で……!?」
「あぁ。ちょっと色々あって、燐と一緒に来たの」
燐を指差す流星に、悠は説明する。
「つ、つーか! その上着、そいつのじゃっ」
悠が着てるのは白いパーカーではなく、薄水色のブレザーだった。
「来る途中で妖魔の群れに会ってね。その中で駄目にしちゃったから借りたの」
下ワンピースだから、と言ってブレザーの裾をつまむ。少しぶかぶか気味だった。
細身とはいえ、やはり悠より燐の方が体格がいいので、当然だろうが。
「もう、この町には妖魔はいないと思うよ。ところで……あの髑髏の山は何?」
悠は少し首を傾げた。
朱崋の説明を聞くと、悠は顔をしかめ、燐は憤りを現した。
「魂を使った禁術は、違法中の違法ですよ。いくら敵でも、そこまでするなんて……!」
信じられない、というように首を振る彼の横で、悠はじっと考え込んでいた。
「? どうした、悠」
「いや。……日影、怪我大丈夫なの?」
悠が尋ねると、日影はにこっと笑った。
「血が足りなくてフラフラするけど、平気よ。ところで、何か気になることでもあるの?」
日影に問われ、悠は少し顔を曇らせた。
「実は昨日、恭兄の学校で……」
悠は日影達に、恭弥の学校でのことを話しだした。
昨日、という言葉に流星が腕のデジタル時計(少し溶けてるが動いてた)を見ると、既に二時を回っていた。
ってことは、今日は悠の誕生日……
こんな最悪な日になるなんて、悠も思ってなかったろう。
兄が襲われ、父が死に、友達の家が襲撃されて。
まともな神経じゃ、耐えられない。
悠の話を聞き終わると、日影は両手を口に当てた。
「そんな……おじ様が、亡くなられた……」
「き、恭弥のにーちゃんは無事か!?」
雷雲が慌てて訊いた。
「うん。恭兄、怪我とかしてないよ」
「刀弥のにーちゃんも?」
「……うん」
雷雲は幼い顔に、ほっとした笑みを浮かべた。
悠も笑い返し、しかし顔を日影に戻した時は、真剣な表情に戻っていた。
「恭兄を襲い、父さんを殺した。だから、最初の狙いは椿家だと思ってた」
「だが、妖偽教団は桐生家を狙った、か」
風馬は胸の前で腕を組んだ。
「確かに、当主を失った椿家を落とすのはたやすいはず。なのになぜ?」
「理由は二つ考えられるよ」
悠は二本指を差し出した。
「一つは何らかの理由で、狙いを変更したか。もう一つは、注意を引き付けるため」
「注意?」
「桐生家は、昔から椿家と交流があった。それは地理的にも明らかだ」
桐生家は椿家のある町から、燐の住む町をへだてた場所にある町に存在する。車で一時間とかかってない。
「もし、策無しに桐生家を叩けば、すぐ椿家の援護が来る。そうなれば、人柱を殺すことは難しい」
「そうか。当主を殺せば、椿家の動きは封じられる。そのスキに、か……」
日影は眉間にしわを寄せた。
「できれば、前者であってほしいな」
悠はフッと笑った。しかし、目は全く笑ってない。
「もし後者なら、敵には頭のキレる奴がいるってことだからね」
誰もが口を閉ざした。
これからくる戦いに、皆背筋が凍る思いなのだ。
……しかし、流星にとってはどうでもいいことだった。
髑髏の山を見つめ、止まらない震えを抑える。
この髑髏達は、自分よりはるかに戦い慣れた退魔師だったはずだ。
なのに、今は物言わぬ屍となっている。骨になるまで、喰い尽くされてる。
流星は傷の消えた右腕に触れた。
あのまま、風馬に傷を治してもらわなかったら、自分はどうなっていた?
己の肌が燃える感覚を思い出し、流星はぞわりとした。
「……流星」
悠の声に、流星はぴくりと肩を震わせた。
「な、何だ?」
「君……」
悠は一瞬、哀しそうに顔を歪めた。しかし平常に戻し、衝撃の一言を言った。
「うちのバイト、辞めて」
脳の機能が停止した。
今、悠は何て言った?
「バイトは今日で終わり。朝になったら、家の人間に車で送らせるから」
「ちょ、待てっ。何でそんなこと言うんだよ!」
「妖偽教団との戦いに、一般人を巻き込むわけにはいかないかね」
「ふ、ふざけんな! 今まで、俺のこと振り回しといて、いきなり辞めろってそりゃねーだろっ」
流星は悠の細い肩を掴んだ。
目を見開く悠に、流星は怒鳴る。
「仕事手伝わせて、妖偽教団のこと教えて、それで関係ありませんでしたって、ありえねーだろ! 俺、俺は……」
「戦いの中でガタガタ震えてた奴が、何言ってんの?」
悠の冷たい声に、流星は言葉を見失った。
「私は弱い奴には興味無いよ。さよなら」
固まる流星を無視して、悠はすたすたと歩き出した。
「! 悠どこへ?」
燐が尋ねると、悠は一言「事務所」と言って朱崋を引き連れ歩み去ってしまった。
「……珍しいわね」
日影の言葉に、流星は振り返った。
「……何が」
「え? ……あ、何でも無いの、何でも」
慌てた様子の日影に、流星が言葉を重ねようとした時、燐がずいっと前に出た。
「皆さん、これからどうするんですか?」
「そうだな、どうするか」
風馬は頭をかいた。
「なんなら、僕の家に来ませんか? 部屋はいっぱいあるし」
「あら……でも妹さんに悪いわ」
「あの娘なら事情を解ってくれますから、大丈夫ですよ」
がやがやと意見をまとめ始める日影を確認し、燐は流星に近付いた。
「貴方は、もう少し悠の気持ちをくみ取ってください」
「え?」
流星は燐を見返した。
燐は眉をひそめると、踵を返した。
「何で悠が、貴方を傍に置くのか解りませんよ」
そう、悔しげな言葉を投げて。
―――
これでいい。これでいいんだ。
悠は自分にそう言い聞かせた。
「悠様」
背後の朱崋が、声をかけてきた。
「何」
「よかったのですか? 先程のこと」
「いいよ。最初からそうするべきだったんだ」
悠は目を軽く伏せた。
「自分の我が儘で一般人を引き入れちゃうんなんて……ほんと、馬鹿みたい」
悠は自嘲の笑みを浮かべた。
「ほんと、馬鹿だよね」
自分で自分の恋、踏みにじっちゃうなんて。
悠はぎゅう、と拳を握り締めた。
その様子を、建物の上から見つめる者が、一人。
「椿の姫君は傷心中か」
あいさつでも、と思ったが、無理のようだ。
「しょうがねー。日影んとこ戻るか」
桐生 流亜はその場を後にした。
―――
香の匂いが鼻につく。
月読と熾堕は、羽衣姫の部屋に来ていた。
黒く塗り潰された壁に、同じく黒の床と天井。羽衣姫は、その奥の椅子に座っていた。
玉座かと思うほど豪奢な椅子でくつろぐ姿は、黒いサテンのドレスで借り物の身体を包んでいる。
「桐生は手に落ちた。次はどこを攻めようかしらねぇん?」
「椿家は狙わないのですか?」
月読の問いに、羽衣姫は笑みを深くする。
「あそこはメインディッシュよ♪ 退魔師の流派の中で、あそこは最強と言われている……」
結い上げられた髪をいじりながら、羽衣姫は言った。
「結束力も固いようねぇ。一度椿家の退魔師を捕まえて拷問したけど、何も言わずに壊れちゃったしぃ」
羽衣姫は近くに待機していた侍女に目を向けた。
侍女は一礼すると、どこかへ去っていく。
「だから、弱体化させようと思うのぉ。第一の目的はクリアしたから、第二段階に入らないとねぇん♪」
「第二段階、とは?」
「熾堕ちゃんなら解るでしょぉ? 勿論、月読ちゃんもねぇん♪」
侍女が戻ってきた。手に、銀の盆を持って。
その上に乗っていたのは、血のしたたった拳大の生肉の塊だった。
「それは……」
「桐生家の当主の心臓よ♪ おいしそぉでしょぉん」
羽衣姫はそれを掴んだ。
「退魔師の心臓ほど、美味なものは無いわ♪」
小さな口が、限界まで開けられる。
バクッグチャッグチィッ……
咀嚼音を聞きながら、熾堕は再び尋ねた。
「……それで、どうするのですか?」
口の端から伝う血をなめとり、羽衣姫は含み笑いを浮かべた。
「椿 悠の心を、ズタズタに引き裂くわ♪」
「なぜ椿 悠を?」
「彼女は、椿家唯一の姫持ちであり、最強の姫持ちとまで言われる娘」
羽衣姫は頬杖をついた。
「椿の兄妹の中では、真っ先に狙うべきでしょう? 最大の障壁となる前にねぇん♪」
「……しかし、彼女の心を引き裂くというのは?」
月読は眉をひそめた。
「意味が解らないのは、無理無いわね♪ でも、いずれ解るわ」
羽衣姫は、流し目を背後に投げかけた。
「刹嵐、いるわねん?」
「はい」
突然風が起こった。
その場にいる全員の髪を持ち上げた風をまとって現れたのは、十にも満たない少年だった。
茶色の髪に、つり上がった黒い目。細長い顔には、獣じみた笑みが浮かんでいた。
「よぉ、熾堕。相変わらず長い髪してんな。切ってやろぉか?」
「断る。おまえに切らせたら、何が起こるか解らんし」
きっぱり言う熾堕に、残念、と刹嵐は肩をすくめた。
「で、何の用ですか、主?」
刹嵐は羽衣姫に向き直った。
「頼みたいことがあるの。とぉっても重要なことよん♪」
羽衣姫はにっこり微笑した。
「それにぃ……貴方のお父様にも関わることなの♪」
「親父に?」
へらへらしていた刹嵐の表情ががらりと変わった。
それを見て、羽衣姫は満足げに笑う。
「そ。頼みを聞いたらぁ……仇討ちができるかもよん?」
「その頼みって!?」
刹嵐は身を乗り出した。
それを見た羽衣姫は、裂けんばかりに唇の端を持ち上げた。
「華凰院流星を、殺せ」