Crimson<下>
椿家宅の居間には、重苦しい空気が漂っていた。
畳の上に座り込みながら、流星は横に腰を下ろす悠を見る。
うつむき、初めて見る弱々しい表情は、あまりにも痛々しい。
その顔にさえときめいてしまう自分に、嫌気がさした。
「……駄目だ。やはり繋がらない」
黒い携帯に耳を押し当てている恭弥は小さく呻いた。
「刀兄……仕事とか大学行ってるときは、携帯の電源切ってるからね。父さんに至っては、携帯持ってないし」
ぼそっと呟かれた悠の言葉に、恭弥も「あぁ」と返す。
しばらくの沈黙。それを破ったのは恭弥だった。
「! 繋がった」
「……!」
「もしもし、兄さん?」
安堵した顔で恭弥は携帯の向こうにいる兄に話かけてた。
最初はほっとした顔をしていた恭弥だったが、じわじわと、端正な顔に驚愕が広がていく。
「それは……でも、確かなのか? ……うん、解った」
恭弥は通話を切ると、息をついた。
「悠」
「……何?」
悠が僅かに身を乗り出すと、恭弥は唇を湿らせて、言った。
「父さんが、死んだ」
悠の肩が震えた。
瞳は光を失い、顔色は青くなる。
やがてうつむき、絞り出すように呟いた。
「そんな気、してた」
悠は膝を抱えた。
「恭兄の予感、よく当たるからね。特に悪い方は」
「ゆ……」
「触らないで」
手を伸ばしかけた流星は、拒絶の言葉に固まった。
「部屋、戻る。もう眠い」
悠は立ち上がって、居間を出た。
「悠……」
「一人にしてやってくれ」
恭弥はジーンズのズボンのポケットに携帯を入れて言った。
「誰かがいたら、あの娘は泣けない」
「え……」
「強い人間は、強くあろうとする人間は、人に弱みを見せない」
恭弥は机の上にある湯飲みを手に取り、すっかり冷めた緑茶をすすった。
「だから、一人じゃないと、あの娘は泣けないんだ。強いから、強くあろうとするから、な」
「……恭弥は?」
顔を上げ、問いかけると、恭弥は困ったように笑った。
「僕は、涙を枯らしててな。泣かない、というより、泣けないんだ」
「強いから、じゃなくて?」
「……僕は弱いよ」
恭弥は微笑を、哀しげなものに変えた。
訊いてはいけないことだったか。流星は少し慌てる。
それに気付いた恭弥が「気にするな」と言ったので、結局口を閉じたが。
「あと、父さんが死んだ理由だが……」
言いかけた恭弥は言葉を切った。
「やはり、悠がいる時にしよう。妖偽教団も関わってるし」
「あ、うん。俺、あんま関係無いもんな」
「え、何で?」
「は?」
きょとんとした恭弥を、流星は見返した。
「いや、だから俺関係無ぇし」
「だが、君は悠のところでバイトしてるんだろう」
「いや、してるよ? してるけど、俺退魔師じゃ……」
「それは解っている。だが、悠と一緒にいる以上、無関係ではいられないだろう?」
「……あ」
そうだった。
悠には、関係大アリだった。
「あ゛ー、そうだった! 俺のアホッ。悠と一緒にいてたら、巻き込まれる可能性大じゃん。どうしよー! バイト辞めるか? でも、うぅ……」
頭を抱えて悩んでいる流星を、恭弥は面白いものを見るように観察する。
それに気付いた流星は、慌てて話題を変えた。
「そういえばまだ訊いてなかったよなっ」
首を傾げる恭弥に、流星は尋ねた。
「葵って、誰なんだ?」
恭弥の表情が硬化した。
しかしやがて息をつくと、静かな声で話始める。
「葵は……椿 葵は、僕らの姉だった人だ」
「だった?」
「……葵姉さんは、四年前に亡くなった」
「え……!?」
「夫と一緒にある山に巣食う妖魔を狩りに行って、そいつに……」
恭弥は言葉を詰まらせた。
先の言葉は容易に想像できる。
「何か……ごめん」
「何で謝る。事実だからな。それに過ぎたことだ。……いや」
ここで恭弥は顔をしかめた。
「過ぎたことだった、と言うべきか」
言い直した恭弥に、流星も眉をひそめる。
「……あの女の人、何者だろうな。その、お姉さんに似てたみたいだけど」
「解らない。ただの他人の空似なのか、それとも……。どちらにせよ、悠は相当キツいだろうな」
恭弥は拳を口元に当てて考えるような素振りをした。
「葵姉さんに一番なついてたの、悠だからな」
―――
ベッドに寝転ぶと、自然とまぶたが落ちた。
しかし、頭はさえていて、眠れない。
「父さんが……死んだ」
口の中で、繰り返す。
悠はふ、と息をついた。
わけが解らない。
死んでいたはずの者が生きていて、生きていた人間が死んで……
「葵姉……」
浮かんだのは、優しかった姉の姿だった。
椿 葵。
椿家の長子であり、悠の腹違いの姉だった。
しかし四年前、妖魔と戦い、命を落とした。共に戦った夫と共に。
まだ二十三歳だった。伴侶であり、幼馴染みだった雪宮静流も同い年だった。
十一歳だった悠は、実感がわかず、姉の死に泣けなかった。
そして今、父の死に対しては。
「……最悪の誕生日になりそう」
もう一度目を開けると、夜の暗闇に染まった自室が広がった。
白を基調にした家具の中で、木の茶色が映える部屋。一年前、家を出た時と変わらない、部屋。
この空間は変わらないのに、自分は、周りは変わっていく。
止められない。止まることなど無い。
やがて、つうぅ、と頬に涙が伝う。
悠は涙を服の袖で拭い、起き上がった。
「何の用? 朱崋」
部屋の一角に、朱崋がすぅ、と現れた。
「申しわけありません。お邪魔をしました」
「いい。それで、用件は?」
「はい」
朱崋は一礼して、重苦しく言った。
「桐生家が攻撃されました」
「! 何だって」
悠はベッドから飛び下りた。
「それで、人柱はどうなったの?」
「……殺されたようです」
「そんな……」
呆然とした悠だが、それは一瞬のことで、すぐさま別の質問をする。
「桐生家の姫持ちはどうなったの?」
「桐生 日影様と家鳴雷雲様はご無事です。『桧扇姫』も『卯槌姫』も、お二方が所持しております」
「そう……よかった」
友人の生存を聞き、悠は胸を撫で下ろした。
「日影達はこっちに向かってるの?」
「おそらく。迎えを送りますか?」
「私が直接行く。今から出よう」
悠は壁に設置されたハンガーから白いパーカーを取って羽織った。
「! 悠、出かけんのか?」
廊下を歩いていた流星は、小走りの悠と朱崋を見て声をかけた。
「友達が大変なの。助けに行かなきゃ」
「! おま……友達いたのか!?」
腹に一発入れられた。
「失礼だよ、君」
「ゲホッ……だって意外過ぎ……あ、スミマセン、斬らないでください」
刀を振り上げた悠を見て、流星はへこへこした。
俺って立場弱いなー、と今更ながら泣けてくる。
「ふんっ。……そうだ。流星も来て」
「……は?」
流星は悠が言ってる意味が解らず、首を傾げた。
「朱崋、あれを」
「はい」
朱崋はさっと紅い棒を差し出した。
いや、棒ではない。小刀だ。
紅に金の装飾が付いた、美しい脇差だった。
「これ、『煌炎』っていうの。私が昔使ってたんだ」
「悠が……」
「で、あげる」
「あ、ありが……はい!?」
手の上に乗せられた小刀を見て、流星は目を大皿並に大きくした。
「ほら、行くよ」
「ちょ、待て待て! 俺、空手はできるけど、武器使うのはできねぇってっ」
「そんなの関係無いよ。行こう」
「どうしろっつうんだよ、これ! おぉい!?」
流星の絶叫は、悠にも朱崋にも無視されたのだった。
―――
「僕はいつまで生きられると思う?」
そう訊くと、電話の向こうの刀弥は一瞬言葉を失ったようだった。
庭の奥に建てられた倉にやってきた恭弥は、鍵を開けて中に入った。
『いきなり何言ってんだ? おまえを死なせるわけねぇだろ!?』
「死なない生き物はいないよ、兄さん」
恭弥は入口付近で止まったまま言った。
「……兄さん。僕は人柱だ。奴らは必ず、僕を狙うだろう」
『……あぁ』
「だが僕を狙うのは、おそらく最後のはずだ」
『? どういうことだ』
刀弥不思議そうな声に、恭弥は自分の考えを口にした。
「兄さんの話を聞くと、羽衣姫はこの戦いを劇として見ている」
『あぁ』
「そういう奴は、更に戦いを盛り上げようとするだろう。いわゆる愉快犯だ。なら、人柱最強といわれる僕は、最後になるはずだ」
『……なるほど。弱い者を倒していき、最後に最強を倒す、か。RPGみたいだな』
「奴にとっては実際そうだろう。人柱を殺すたびに、封印は解けていくんだからな」
だが、こちらもただでは殺されない。
恭弥は携帯を握り締めた。
この方法を取れば、僕は……
だが、もしまた羽衣姫を封印しても、同じことを繰り返すだけだ。
(他の人柱達に恨まれるだろうか。だが、これ以上の悲劇を招かないためにも)
「兄さん」
向こうにいる兄に声をかけると、『何だ?』と訊き返してくる。
恭弥は倉の入口近くに積まれた本を一冊手に取って言った。
「結界と封印の共通点、知ってる?」