Crimson<中>
「これは……!?」
刀弥は愕然として、近くの炭化した柱に手を付けた。
暗くて気付かなかったが、苔むしってる。
「……これ、ここ二、三日で焼けたわけじゃねーな」
周りを見渡してみても、煙らしきものは見えない。それどころか、死体の一つも無い。
死体はともかく、血の跡すら無いのは、明らかに不自然だ。
「おそらく一ヶ月……二ヶ月……いや、もっと経ってるかもしれない」
奏司は焼け野原に足を踏み入れた。
ジャリ、と小石混じりの土が音を立てる。僅かだが、雑草が生えていた。
「妙だ。使いが来たのは昨日だぞ。なのになぜ?」
刀弥は眉をひそめた。
「今まで連絡が途絶えたことも無いな。しかし……」
奏司は突然立ち止まり、人差し指で印を切る。
音叉のような音を立てて、空中から一本の槍が出現した。
紅色の柄に、広い刃は赤がかった銀色をしている。
奏司はそれを掴み、構えた。
「刀弥、気を付けなさい。……いるぞ」
「解ってるよ」
刀弥はポケットから手袋を取り出した。
黒革の、手の甲部分に青い宝玉の付いた手袋で、はめると二の腕辺りまで覆った。
「解除」
呟くように言うと、手袋の姿が変わった。
肩まで覆うようになり、材質も硬質な鎧のようになる。
数秒もしないうちに、右腕全体を覆う鎧手袋になった。
「俺は戦闘準備万端だぜ」
「そうか。あちらも態勢が整ったようだ」
ククク……ハハハ……
微かな笑い声が、二人の鼓膜を震わす。
前後左右から幾つもの気配が、二人を囲むように迫ってくる。
「来い、妖魔共」
刀弥の声が合図だったように――
幾つもの影が、二人に覆い被さった。
―――
銀の双眸が、はるか上空から地上を見下ろす。
「ふん。品も無くがっつきやがって」
熾堕は空中で鼻を鳴らした。
彼の背からは、黒い翼が生えている。それを時折はばたかせ、銀の美しい髪を風に晒す。
地上で炎が舞った。
あそこにいる妖魔や半妖共に、炎を操れる奴はいない。ということは。
「あれが椿家現当主、椿 奏司の退魔武器、『火尖槍』か。そして」
妖魔がまとまって数体吹っ飛んだ。
それをなした、遠目でも解るほど巨大な黒い手を操る青年を見つめ、熾堕はふむ、と唸る。
「あれが椿 刀弥。そして奴が操る『如意ノ手』か。能力は書いて字の如し、だな」
すぅ、と微笑し、戦況を見つめる。
「今のところ妖魔側が劣勢か。だが」
左手に目をやり、熾堕は笑みをさっさと消した。
「星の運命には逆らえない。人である限り、さだめからは逃れられない」
瞳を閉じ、芝居がかった口調で、囁くように言う。
「古き星よ。おまえの光は、今日消える」
風が強くなった。
―――
「雑魚は引っ込んでろ!」
「がっ」
鋭い鉤爪のようになった退魔武器、『如意ノ手』を横に振ると、妖魔が一体血に沈んだ。
「大分減ったな」
刃に炎をまとわせた『火尖槍』を振り回していた奏司は呟いた。
戦い始めてまだ十分と経ってないが、既に半数以上の妖魔が地に伏していた。
何体か半妖もいたようだが、気にしていられない。
二人は常人レベルを超えた実力者だが、殺気を持つ相手に気を抜けば、殺られるのだ。
「なぁ。例の使者の奴、裏切り者じゃねーのか?」
刀弥は背中合わせになって尋ねると、奏司は「おそらく」と答えた。
「暗号も知ってたしな。しかしなぜ、ここが壊滅したことを隠していたのか、なぜその場で我々を襲わなかったのか……」
「余興よん♪」
突然響いた女の声に、二人はハッと顔を上げた。
「せっかくの劇だもの、殺陣には主だった役者が居なくちゃ、盛り上がらないでしょぉ?」
ふざけた、甘い口調なのに、刀弥は背筋が粟立つのを感じた。
「だ、誰だ!?」
勇気をかき立てるつもりで出した声も、無様に震えていた。
恐怖? 恐れているのかっ、俺は!?
刀弥は舌打ちをして構え直した。
「フフ……妾を封印した憎き退魔師の子孫とあいまみえる日が、ようやく来た……♪」
妖魔の群れが割れた。
「初めまして。椿の子達♪」
現れたのは、妙齢の美女だった。
漆黒の髪をくるぶしまで伸ばし、瞳は深淵のように深い黒をしている。パーツ一つ一つが丁寧に造られたかのような、日本人形のような顔をしていた。絶世の美女、と言ってもさしつかえないだろう。
着ているのは、平安時代の貴族女性が着ていた十二単だ。色とりどりの柄が美しい。
「……何者だ、貴様は?」
奏司は槍を構え直しながら女性に尋ねた。
穏やかな口調だが、居住まいを正せるような凄みがある。実際妖魔が何匹か後ずさった。
しかし奏司の睨みに、女は何の反応も示さなかった。
口元に扇を当て、微笑しながら衝撃の一言を発する。
「妾は……羽衣姫」
「何……!?」
奏司の目が見開かれた。
「んなわけねぇだろ!」
刀弥は声を張り上げた。
「『羽衣姫』は武器だ。人じゃねぇっ」
刀弥の言葉に、女は声を上げて笑った。
「ホホホホ……人間の身体を乗っとるなんて、妾には造作もないことよん♪」
「何っ……」
「それにぃ、貴方達も知ってるでしょぉ? 姫シリーズの危なぁい性質をねん♪」
んふ、と含み笑いを浮かべる女に、刀弥は顔を歪めた。
「……なるほど。そういうことか」
奏司は静かな声で言った。
「しかし、一体いつ復活した? 女、いや、羽衣姫よ」
「四年前の冬よ。ちなみにこの身体は、この村の巫女のを借りたのぉ」
女は唇の端を持ち上げた。
「結界が張られてたから妾も出られなかったけど、この娘が来てホントよかったわ♪ あと、裏切り者もね」
まぁ妾が呼んだんだけど、と言ってクスクス笑う女――羽衣姫。
「ここを壊滅させた後、ここがまだ存在してるように偽ったのはおまえか?」
「ええ、そうよ♪ ……さて、話はこれくらいかしらん?」
羽衣姫のまとう着物が変わっていった。
布地が薄くなり、裾が短くなる。色も黒に変わる。
ほんの数秒で、暑苦しい十二単から、装飾の付いた黒いレオタードのようなものに変化した。
「妾が外に出てすぐ行動を起こさなかったのは、外の知識を吸収するため」
赤い唇が、酷薄な笑みを刻んだ。
「ずっと、ずぅっと我慢してたのよ……」
羽衣姫の姿が消えた。
ハッと目を見張る刀弥の眼前に、拳が迫る。
『如意ノ手』で受け止めるも、衝撃と一緒に殴り飛ばされた。
「――っ!!」
少なくとも五メートルはぶっ飛ばされた。
背中が地面を削り、音を立てて瓦礫の山に突っ込む。
肺腑の中の酸素が、全部外に吐き出された気がした。
「刀弥!」
父の叫ぶ声が遠くから聞こえる。
「気絶してっ……たまっかよっ……」
頭を振り、なんとか立ち上がる。足がダメージで震えた。
「ふ、ふふ……あはは! もう開放しちゃっていいのよねぇ!! この殺人衝動をさぁ♪」
高笑いする羽衣姫に、奏司は刃先を向けた。
「燃えて鎮まれ! 悪しき意思よっ」
刃が炎に包まれ、その容量を増やしていく。
そして。
ゴオォォォォォォォォォォォォォォォ!!
空気を焼く灼熱の炎が、羽衣姫に覆い被さった。
遠くからでも解るほどの温度変化に、刀弥の頬に汗が伝った。
我が父ながら恐ろしい……しかし、そう思えたのは一瞬だった。
「ほむら火かしらん?」
炎が引いた後に居たのは、無傷の羽衣姫だった。
服装に変化は無い。晒された白い肌には、火傷一つ無い。
「マジ、かよ……」
刀弥は呆然と立ち尽くしてしまった。
父の実力は、嫌というほど知ってる。
その父の力が及ばない敵が現れるなんて、考えたこと無かった。
これは現実か?
悪い夢じゃないのか?
こんな、こんなことって……
「絶望しているの?」
刀弥はびくりと身体を震わせた。
「当然よね。お父様の力でも妾は殺せないんだもの」
羽衣姫の慈愛の笑みに、しかし刀弥は背筋が逆撫でされたような悪寒に襲われた。
「……刀弥」
奏司の声に、刀弥は顔を上げた。
「刀弥、逃げろ」
「な……!」
目を見開く刀弥に、奏司は繰り返し同じ言葉を放つ。
「逃げろ、早く」
「お、親父置いていけるかよ!!」
「早くしろ! これは当主命令だ」
初めて聞いた父の激した声に、刀弥は一瞬身を固めた。
しかしすぐ、唇を噛んで奏司に背を向ける。
「……生きてくれよ」
父の声に、刀弥は振り向きそうになりながら、全速力で走った。
「親父の馬鹿野郎」
森に入った刀弥は、足を止めず呟いた。
「お袋、姉貴の次は親父かよ……恭弥や悠に何て説明すりゃいいんだよっ……」
「……よく逃がしたな」
槍を構え直した奏司は穏やかに言った。
「妾が求めるのは、悲劇」
羽衣姫は魅力的な微笑を浮かべた。
「死ぬ者がいる一方で、生き残る者がいるからこそ、悲劇は成り立つ」
両手を広げ、芝居がかった仕草をする。
「悲劇に彩られた妾の完全復活。美しい劇になると思わない?」
「思わんな。少なくとも私は」
「あらん、残念♪」
さほど残念そうでもない羽衣姫は、両手を下ろした。
「もしかしてと思うけど……妾と相討ちを狙ってるのかしらん?」
「……」
「図星のようね♪」
ころころ笑う羽衣姫に対し、奏司は腰を低くした。
「今の妾は確かに力はほとんど無いけど、傷付けることは叶わないわよん?」
返答は咆哮で返した。
槍全体に炎をまとい、常人離れしたスピードで走る。
道を阻む妖魔達を炎で蹴散らし、羽衣姫のすぐ前まで迫る。
槍を振り上げ、首筋を狙った。
本体である着物を貫くことはできずとも、操られた身体なら、と思った攻撃だった。
あと数センチ、そう思った瞬間、奏司が見たのは、羽衣姫の微笑と――
ずぐっ……
「……がはっ」
奏司は血を吐き出した。
槍は、羽衣姫の首筋で止まっていた。
刃は白い肌に喰い込んでいるのに、斬り裂くどころか、血すら出てない。
奏司はぎぎっと、錆びた機械のように首を下に向けた。
自分の腹を貫く細腕を、残された力で掴む。
「だから言ったのにぃん♪」
腕をもの凄い力で掴まれてるにも関わらず、羽衣姫の表情は揺るがなかった。
「ホント、人間って愚かな生き物……自分が死ぬことなんて考えないんだから」
ズブッ……
「あ゛……!!」
「さようなら、椿のの♪」
心臓を貫くと、奏司は身体をビクリと震わせ、だらりと手を下に下ろした。
羽衣姫が両腕を抜くと、奏司の身体は土の中に倒れ込む。
「羽衣姫様……」
妖魔がじりじりと、奏司の死体に近付くのを見て、羽衣姫は血で濡れた手を振った。
とたん、十数体の妖魔がそれに被さる。
肉がちぎれる音と血をすする音を聞きながら、羽衣姫は上空に目を向けた。
「降りてきたらどぉ? 熾堕ちゃん♪」
そう言うと、銀髪の美丈夫が翼をはばたかせて地面に降り立った。
「お気付きになられてましたか」
「まぁねん♪」
羽衣姫はくすくす笑った。
「月読ちゃん……今回のこと知ったら、どういう顔するかしらねぇん?」
ちろりと目線を投げられ、熾堕は肩をすくめた。
「何とも思わないんじゃないですか? 彼女は過去の記憶を失ってますから」
「フフ……それもそうね♪」
羽衣姫は紅い唇で弧を描いた。
「ハァ……血、紅いあかぁい血……。退魔師の、血……」
自分の両手を見つめ、羽衣姫は色っぽい吐息をついた。
「もっと、もっと……紅く、紅く紅く……空も、大地も、全部ぜぇんぶ紅に……フフ」
こらえきれない、というように、羽衣姫は笑った。
狂ったように、喉を逸らして、大声で。
「アハ、ハハハハハハハハハハハハハハハ! フハハハハ、ア、ハハハハ、フフフフ、ハハ、アハ、ハ、ハハハハ、アハハハ、ハハハハ、アハハハハハハハハハハハ!!」
笑い声が響く闇空に浮かぶのは、無数の星と、血のように紅い月。
「星が、動く」
熾堕はその空を見上げ、呟く。
しかしその呟きは、笑い声の中にかき消された。