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HUNTER  作者: 沙伊
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      枯椿〈中〉




「斬れ、黒鉄丸(クロガネマル)

 椿恭弥の放った呪符が、黒い鎧の武者へと変化する。鎧武者は手にした大太刀をエドワードの頭上へ降り下ろした。

 重さを伴った、速い一撃。しかし、エドワードには避けるに充分な速度である。エドワードは後方に飛んだ。

 しかし、余裕を持って避けたにも関わらず、エドワードは戦慄することになる。

 鈍い音を立てて砕ける床。そこは、エドワードが先ほどまで立っていた場所だった。それ自体は、大したことではない。

 問題は、その後だった。

 びきびきという音と共に、砕けた場所を中心に波状していくひび(・・)。それはエドワードの足元にさえ至り、最終的には彼のはるか後方にまで至る。

 それに気付いたのは、足元が崩れた後だった。

 ひび割れた場所から、床が崩壊を始めたのである。

 うわ、と声を上げてしまうエドワード。床と共に体勢を崩した彼に代わり、恭弥に迫ったのは、クラウディオだった。

 床が崩れきる前に跳躍、壁を蹴り、更に上空へ、三段跳びで鎧武者の頭上を越え、恭弥めがけて手にしたナイフを振り下ろす。

 恭弥はそれを、半歩下がって回避した。目の前を刃が通り過ぎていくのには頓着せず、がら空きのクラウディオの腹へ回し蹴りを見舞う。

 空中で動けないはずのクラウディオは、しかし、無理矢理身体をひねり、蹴りを肘で迎え撃った。鈍い音と共に、両者の顔が歪む。

 クラウディオは蹴られた威力を殺すようなことはしなかった。そのまま吹っ飛ばされることを選んだのである。しかし、床に叩き付けられるような無様なことはせず、猫のように空中でくるりと回転し、軽やかに着地した。

 恭弥は、それらの動作をただ見届けた。クラウディオが着地する前に間合いを詰めるなり、鎧武者に襲わせるなり、幾らでも方法はあっただろうに。

「……貴様、馬鹿にしているのか?」

 クラウディオは、低く呻いた。人形のような美貌が、大げさにしかめられている。

 一方、恭弥はそれこそ人形のような無表情だった。

「そういうわけではない。ただ、判じかねていた」

「何を」

「操られているのかいないのか、敵対すべきかすべきでないのか」

「……判ずるまでもないでしょう」

 体勢を立て直したエドワードは、不愉快そうに眉をひそめた。

「僕達は意思を持った敵対者です。己の意思で君に刃を、殺意を、何より敵意を向けている。どうしたって、どうしようもなく、敵です」

「……そうか」

 恭弥はため息をついた。ただそれだけの動作だというのに、あまりにも様になっている。否、どちらかというと、絵になっていると言った方がいいだろう。

 絵に描いたような美貌。

 絵に描いたより美的な美貌。

 それに飲まれては、突け込まれる。

 エドワードは直感する。

 本人にその気があるのかどうかはともかく――確実に無いだろうが――彼の容姿さえ術の一種なのだろう。

 術師の中にはそういう者もいる。というより、そういう術師しかいない。

 あのシスターが、そうだったから。

 種類は違えど、同じ術者に、変わりはないから。

 ため息をついた後の恭弥は、無表情のまま、しかし目元だけは寂しげに下げながら、次の呪符を取り出した。

「式神形変術、『草薙ノ剣』」

 言葉と共に、細長い物体に変化していく呪符。恭弥がそれを構えた頃には、古めかしい剣に変じていた。

「ならば、遠慮は、しない」

 勢いよく踏み込む恭弥。向かう先であるクラウディオもまた、無言でナイフを構えていた。


   ―――


 どうして、と天地は思った。

 忌々しい存在。憎々しい存在。しかし、弱々しい存在。

 そんな奴が、なぜ自分と互角の戦いができるのだろう。

 目の前の青年。華鳳院流星。

 平凡な男と聞いていた。同時に中途半端な男だとも聞いていた。黒か白なら、灰色。表から裏なら、境界線。そんな男だと。

 そんな男が、自分と戦闘を繰り広げている。

 右斜め上から足を振り下ろせば、左手で受け止められ、左から蹴り上げれば右足で迎え撃たれる。

 その全てが、手足どころか鋼さえ粉々に砕く一撃だというのに、彼の手は砕けるどころか揺るぎもしない。

 しかし、それも当然だろう。

 彼自身の身体が、ただの人間のそれであれば、今頃骨どころか腕そのものを吹き飛ばすことができたかもしれないが、彼の身体は、特に腕は、鬼の硬度を持っている。ちょっとやそっとではびくともしないだろう。

 だが、天地は焦らないし、慌てない。

 天地は意識を脚――脚を覆う紅の結晶に集中させる。びきびきと音を立てる結晶に警戒したのか、流星は即座に身体の前で腕をクロスさせた。

 しかし、天地はその防御など頓着せず、そのまま、むしろその防御に向かって脚を降り下ろした。

 クロスされた流星の腕。硬質な、一見すると黒い籠手のような表皮に覆われたそれに変異している腕。

 その腕を、その表皮を、天地は蹴り砕いた。

「っ、な!?」

 流星の目が見開かれた。黒い表皮がひび割れ、隙間から赤黒い血が吹き出す。その下から、紅い肉が垣間見えた。

 崩れた防御の合間を縫うように、天地は流星の胴に爪先を突き当てる。鋭い一撃は、彼の体勢を崩すのには充分だった。

 がはっ、と吐き出されたのは、透明な唾液ではなく、目にも鮮やかな血液だった。血の線を残して、流星は後ろへと倒れる。

「残念。おまえがただの人間で、なおかつ経験の積んだ退魔師だったら勝てたかもな。けど、おまえは経験が無い上に、鬼童子だ」

 にい、と笑った天地は、起き上がろうとしてもがく流星の胸を踏みつけた。骨がきしむ音と共に、流星の息が詰まる。

「あたしのこれは、おまえのような存在を狩るためのものだ。おまえ達みたいな、妖魔を狩るためのねぇ。だから、おまえが勝てる道理なんて無いのさ」

「っ、の」

「妖魔は妖魔らしく、退魔師に狩られろよ」

 天地は流星から足の裏を離す。しかしそれを下ろすことなく、ぐい、と振り上げた。

「じゃあな、鬼童子」

 勢いよく降り下ろされるのは、脚。紅い水晶に包まれた脚。しかし、その脚はライフルから放たれた弾丸以上の威力を持っている。

 それが、流星の腹を貫く――

「……何だと?」

 ――ことは、無かった。

 紅い水晶の脚は、彼の身体を貫くことも、それどころか、降り下ろしきることもできなかった。

 紅い脚は、流星に掴まれ、空中で浮くことになったのである。

「妖魔妖魔うるせぇよ」

 紅い脚のふくらはぎ部分を両手で掴み、腕を震わせつつも固定してしまった流星は、ぎろりと天地を睨み上げた。

「俺は、人間だっ」

 ぴしり、と、音を立てて砕ける水晶。くしくも、それは流星の腕が砕けた光景に似ていた。

 片脚を封じられ、動けない天地の脇腹に、流星は無理矢理身体をひねって膝を叩き込む。唾と息を吐き出す天地に、流星は第二撃を放った。放った膝を伸ばし、足の甲で天地の肩を蹴り飛ばしたのである。

 これは、あまり深く入らなかった。天地は攻撃に合わせて上体をほとんど垂直に倒したのである。完全に回避はできなかったものの、肩の骨が破壊されるのは免れる。

 だが、体勢は大きく崩れることになった。片足を中途半端に上げた状態で上半身を横倒しにしたのである。無理もなかった。

 その隙を、流星は見逃さなかった。なおも脚を離さずに、否、むしろこちらへと引き寄せる。それによりますます天地の身体は均衡を保てなくなり、完全に地面に倒れてしまった。

 そこでようやく、脚が解放される。しかしそれと同時に襲いかかったのは、流星の拳だった。流星は起き上がると共に腕を降り下ろしたのだ。

 腹を狙った拳。天地はとっさに素手で受け止めた。

 しかし、これがよくなかった。

 そもそも天地は、身体能力は常人離れしているが、肉体強度が超人的であるわけではない。式神で覆った脚を覗けば、文字通り十代の少女の脆さである。

 それは、頭の中では解っていた。しかし、理解は反射に追い付けなかった。

 流星の、鬼童子の拳を受け止めた天地の手は、見事に破壊された。

 骨が砕けた音が響く。それを追うようにして、皮膚が、肉が裂け、血が噴き出す。

 誰の目から見ても、まともな状態ではなかった。医者にかかるまでもなく、もう使い物にならないだろうことが明白だった。

「あ、あ、ああ、あが、あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 ほとばしる悲鳴。それが自らの喉から絞り出されていることに天地が気付いたのは、悲鳴が呼気に変わった後だった。

 痛かった。今まで受けた痛みなど比べ物にならないほどの痛みだった。激痛など生ぬるい。いっそ腕を失った方がよかったと思えるほどの痛みが、天地の手を、否全身を駆け巡った。

 一方、天地の手を完膚なきまでに破壊した張本人である流星は、苦い顔で立ち尽くしていた。

 自らの行いを悔いているのかもしれない。敵とはいえ、人間の身体の一部を破壊したことを猛省しているのかもしれない。

 しかし、謝罪の言葉を口にはしなかった。唇を開かないようにか、強く噛み締め、天地をじっと見下ろしていた。

 まるで痛みに耐えているような。

 天地よりもずっと痛い思いをこらえているのかのような、そんな表情だった。

「それで、もう戦えないだろ。脚のも砕いたし、その手じゃ何もできない」

「……なめんじゃないよ」

 天地は上体をねじり、肘を着いて起き上がらせた。

「あたしは己の血を式神にしている。幾ら砕こうとあたしの血がある限り再生できるし、この手だって、むしろ強くすることができるんだよっ」

 びしり、と、脚の傷から流れる血が硬化し始めた。舜鈴の銃によってつけられた銃創は、未だ癒えていない。

 そして勿論、手の傷は消えていない。それどころか、完全に癒えるかどうかさえ不明だった。否、おそらくは完全に癒えることはないだろうし、例え式神で防護しても悪化することは免れないだろう。

 それでも、天地は立ち上がった。

 それはもはや執念だった。

 流星を倒すことに対して、ではない。彼女が見ているのはあくまで、椿悠だった。

 流星を倒した先にいる、悠だった。

 土御門天地にとって、椿悠という存在は己の身を削るに値する存在だった。

 だが、天地のその執念は、己を省みない覚悟は、全て無駄になった。

「っ……!?」

 ずりゅり、と。

 天地の足元の影が動いた。年度のようにその形を変え、姿を変え、天地の身体を飲み込む。

「シ、シスター!?」

 天地は未だ自由な上体をねじり、背後で戦っているはずのシスターを振り返った。

 振り返った先にあったのは、膝を着き、風馬に銃を突き付けられたシスターの姿だった。両の太ももにある銃創から、脚を封じられたことが解る。

 そんな彼女の姿も、自らの影に飲まれつつあった。

 風馬は攻撃を与えあぐねいているらしい。じり、と後ずさるのが見えた。

「潮時よ。中の同志から連絡があったの。土御門の面々は皆抹殺した、と」

「抹殺、だと?」

 風馬が上擦った声を上げた。

「どういうことだ!?」

「もともと私達の目的は、土御門家を潰すこと。椿家との潰し合いにしたかったけれど、思ったより彼らが弱かったから、私達が直接介入したのよ」

 にっこりと、銃弾の痕を負っているとは思えない笑顔を浮かべたシスターは、あっさり目的を話し始めた。

「そしてその後、天地と彼の兄を我らが同志として受け入れる。それが最終的なビジョン。椿家を潰せなかったことは心残りだけれど、それ以上の収穫があったから、よしとしましょう」

 ずぶずぶと影に沈んでいくシスターの身体。天地の身体も、もはや胸元まで沈みきっていた。

「疾風風馬――君。名前、覚えておくわ。それに、椿悠、ちゃん」

「行かせるか!」

 風馬の銃が破裂音を上げた。その音に合わせて、シスターの身体がぐらりと揺れる。どうやら、胸骨に当たったようだった。

 しかし、それでもシスターは揺るがない。銃痕を幾つも作りながら、倒されるどころか、倒れもしない。ただ笑いながら、影へと沈んでいく。

「流星、風馬!」

 悠の声が上がった。そちらに目をやれば、刀を構えた悠が未だ意識の戻らぬ日影達の傍にしゃがみこんでいる。

「いったんそのふたりは放っておいて、まずは刀兄や恭兄の安否を確かめよう!」

「このまま行かせるのか!?」

「どうしようもない。もう止めることができないのは、見ての通りだ」

 忌々しげに呟く悠。視線はシスターに、意識は流星と風馬に向けられている。

 天地には、微塵も気を向けていない。

「っ……」

 天地はぎり、と歯を噛み締める。

 脚も手も費やして、それでも華鳳院流星を狩ることはできず、悠から気にされることも無い。それは、とても屈辱的なことだった。屈辱的でしかなかった。

 天地は、もはや顎まで沈んだ状態で、悠を睨んだ。睨み続けた。

 しかし結局――視線は、最後まで交わることはなかった。




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