第四十六話 枯れ椿<上>
土御門天地にとって、親族は信頼すべき存在ではなく、また、親愛なる存在でもなかった。
彼女にとって、彼らは同じ血が流れる他人でしかなかったのである。両親や、兄の護縵も例外ではない。
天地にとって、己の全ては戦いの中にしかなかった。闘争こそが生きがいであり、戦闘こそが生存理由であり、戦争こそが生涯だった。
だからこそ、彼女にとって椿悠は興味を引く人物だった。
自分に殺されない、倒されない、それどころか互角ですらある同い年の少女は、天地の心を大いにわかせた。
会うたび、戦いたいと思った。
戦うたび、ずっと続けばいいと思った。
終わるたび、戦い足りないと思った。
やがて天地の欲求は、渇きへと変わる。満たされない欲望の器は巨大化し、あふれるどころか満杯になることすら難しくなっていた。
同時に、少なくない虚しさも感じていた。戦うことに対して、ではない。戦うことを空虚だと思う部分を、天地は物心つくより前に捨てていた。
彼女が虚しさを覚えたのは、椿悠に対してだった。
悠は、天地のように戦いに熱中することはなかった。ただ淡々と、勝利することだけを模索しているようだった。悠にとって、天地は自身を高めるための通過点でしかなかったのである。
全て天地の一方通行。天地の独りよがり。
それでも天地は、椿悠との戦いを望む。
例えそれが、己が家族の終焉を早めるものだとしても。
―――
こと切れた藤堂と伏したままの子繰を一瞥した天地は、内心で冷えたものを感じていた。
ふたりに対して、彼女は大して感慨などは抱いていない。血の繋がりは希薄で、彼らに大しての感情も特にあるわけではなく、ただ同じ組織に属する人間であるということぐらいしか、認識していなかった。
だから、ふたりが倒されようと、天地にとっては何の問題も無い。むしろ、生きていようと邪魔にしかならないだろう。
それよりも、彼女にとって大切なのは、椿悠と戦うことである。
「さあて、と。あんま時間も無いし、ちゃっちゃと再開しましょうかね」
「時間が無い? ……何のこと?」
悠の眉がひそめられた。わけが解らないと言いたげな表情だ。ただ、不吉な予感は感じたのか、後ろの青年――華鳳院流星に背中を寄せる。
それが、天地にとっては不愉快だった。
そもそも、天地にとって流星の存在は忌々しいものなのである。
何が、というわけではないが、そのものが、と言いたくなるぐらいには。
天地は力強く地面を踏み付け、悠との距離を一息で詰めた。立てた悠の刀を蹴り付け、彼女の身体ごと吹き飛ばす。がら空きになった流星の背中だが、しかしその背には目もくれず、天地は悠を追った。
その様は、いっそ偏執的だった。
彼女はただ、執拗に悠だけを狙っていた。
しかし、悠がそのことに頓着することはない。
すぐさま体勢を立て直した悠は、天地の蹴りを刀で受け止めた。ただ受け止めたのではなく、自らも刀を振るい、迎撃したのである。
結果、威力を相殺された天地の身体は、衝撃で一瞬止まる。そして、その一瞬を悠が見逃すはずもない。
悠は、天地と同様ほとんど動かないであろう身体を無理矢理後ろに引き、何の逡巡も無く、何のためらいも無く、隙だらけな彼女の脇腹を斬り裂いた。
「っ、が、あっ」
入りは、浅い。しかし、傷以上の痛みが、天地の脇腹から全身へ、血液と共に巡っていく。その巡りは、明らかに早過ぎた。
それに、身の内がただれたような痛みは、斬撃の痛みというより――
「……十の手、火華輪廻」
悠は取って付けたように呟いた。
「炎の宿った刃、さ。しばらくそうして身悶えてなよ」
どうでもよさそうに言った後、悠は天地に背を向ける。それがどれだけ天地の精神を抉るか、知らずに。
それでも、天地は何もできない。悠の言う通り、身悶えることしかできない。
悠はそのまま、天地ではなく傘の女に声をかけた。
「訊こうか。おまえは誰だ」
悠は冷たい声で尋ねた。それに対し、傘の女は笑むだけである。
悠の眉間にしわが寄るが、彼女が何か言うより早く、女が口を開いた。
「素敵ね、貴女」
「……は?」
「天地が執心するのも、解る気がする」
天地の名前が出たとたん、悠の表情が変わった。目を見張った流星と共に、天地を振り替える。それに複雑な表情を浮かべつつも、天地は女に苦言を呈した。
「シスター、いいの? 言っちゃってさ」
天地の言葉に、女――シスターの表情は変わらない。強いて言うなら瞳が楽しそうに細められたことぐらいだった。
「おまえ達、知り合いなのか……ということは、今回の件も」
「立案は、私――いえ、私達よ。本当は土御門と椿の潰し合いにしたかっのだけれど、あてが外れたわ」
「私達が、温室育ちの連中に潰されるとでも? 片腹痛いよ。弱体化した土御門に、椿家に対抗する戦力は、そもそも無かったんだから」
「対抗はできなくとも抵抗はできたでしょう。現実、貴女の仲間は操られた末に意識は闇の中だわ」
「……」
悠は何も言わなかった。反論の言葉が出なかったのか、シスターの隙を狙っているのか。後者だろうな、と、天地は結論付ける。舌先三寸においても、悠は目を見張るものがあった。
「ともあれ、もう必要無いわね。土御門が潰せただけでも、よしとしましょう」
そう言ってシスターは、特に表情を変えることなく、何の前ふりも無く傘を振るい。
子繰の首を、切り落とした。
息を飲んだのは、流星ひとりである。天地も悠も、一瞬で行われた惨殺に、眉どころか表情筋一つ変えなかった。ただし、天地は彼女の死をどうでもいいと思い、悠は付け入る隙を与えないためという理由の違いがあったが。
だが、悠の表情は、すぐさま冷徹さを保てなくなる。
「この子達も……もう用済みよね」
シスターが傘で指し示したのは、倒れたままの仲間達だった。さ、と、悠と流星の顔から、色が無くなる。
それに満足したように、シスターは笑みを深めた。
「何を驚いているの? 貴女達は私の敵なのだから殺されて当然でしょう。意識の無い敵を殺すのに、どんなためらいが必要なのかしら?」
艶やかな笑みのまま、シスターが持ち上げたのは、面々の中で最も軽いであろう雷雲だった。
未だ意識を埋もらせている雷雲は、辛うじて槌は手離さなかったものの、だらりと四肢を重力に任せている。乱暴に拾い上げられても、ぴくりともしなかった。
「小さな子……こんな子が戦場に出るなんて、なんて哀しいことでしょう。なんて虚しいことでしょう」
「っく……!」
悠が走り出した。天地は引き留めようとするが、届かない。
しかし、悠がどれだけ速く走ろうと、彼女の手もまた、シスターに届かない。刃も、また。
「こんな子でも、我らが神は、受け入れてくださるわ」
肉を斬り裂き、骨を断ち斬る漆黒の傘が、雷雲の腕に食い込んだ。
「……何をしている」
食い込んで――そのまま弾き飛ばされた。
全員が共通して認識したのは、勢いよく後方へ飛んでいった傘と、そのほんの僅か前に響いた破裂音である。
最初、何が起こったのか、誰も理解していなかった。おそらく一番混乱していたのは、傘を弾かれたシスターだろう。彼女は、雷雲を持ち上げたまま、小刻みに震える手を呆然と見下ろしていた。
そして、それらが経過して、ようやく。
「……何をしている」
そう言った人物を、認識することができた。
「風馬……」
ぽつん、と呟いた悠の言葉通り、声の主は疾風風馬だった。
片膝を立て、長銃を構えた彼は、寝起きのような不機嫌な顔をしていた。
否、寝起きなのは間違いないが、表情の理由はそれではないだろう。彼の表情の理由は、雷雲以外にほかならない。
問題は。
「貴方……そのライフル、どこに」
シスターの質問には答えず、風馬は長銃を捨て、突貫した。その両手には、すでに別の銃が握られている。
大振りの二丁銃。その銃を、シスターに向ける。距離は、ほとんど零に等しい。
目を見開いたシスターに向け、引き金を引く。響いた音は、先ほどの比ではなかった。
二つの風穴を胸に空け、よろめくシスター。一方の風馬は、銃を捨ててすぐさま距離を取った。
「風馬、君――」
「雷雲や日影達が先だ! おまえらはみんなを見てろっ」
悠を叱責した風馬は、どこから出したのか、再び長銃を手にしていた。先ほどのライフルよりは、やや小振りの銃の先は、よろよろと揺らめいているシスターに向けられている。
シスターの様子と、風馬の緊張解けぬ様子に、天地は何とも言えない気持ちになった。
風馬の行動は正しい。あのシスターが、銃弾二つで死ぬはずがない。
そして、悠を自分から引き剥がしたことも、天地からすれば口惜しいが、正しいことだった。彼女が天地に忙殺されれば、戦況は彼らにとって思わしくない方向へ向かうだろう。
だが、華凰院流星を残したことはどうだろうか?
悠が風馬の指示に従って日影達の傍に向かうのを見届けて、天地は立ち上がる。
激痛は未だ残っている。まともに戦うことは難しいだろう。だが、無防備に背中を向けている、天地からすれば素人の戦士を仕留めるには、充分だった。
無言、無音で、天地は脚を振りかぶる。ありったけの殺気は込めたが、どちらにしろ、死角からの攻撃に反応が間に合うはずもない。天地は、頭部を蹴撃されて無惨に頭を弾かせる青年の姿を一瞬見た。
だからこそ、反応しきれなかったのは当然のことだった。
「……がっ!?」
最初、天地は何が起きたのか解らなかった。自分が上げたのが苦悶の声であることも、空中に投げ出されたことも理解できないまま、ただ呆然としていた。
その二つを理解したのは背中が地面に着いたからであり、それでもなお、己の身に起きたことは理解できなかった。
混乱のまま、上体だけを起こし、ようやく天地は、己の失敗を悟った。
無防備であったことには違いない。天地に比べれば素人だという見方も、妥当である。
しかし、華凰院流星は決して常人ではなかった。
「……ああ、そうか」
天地は笑った。ひきつった笑いだった。陽気とはほど遠い、歪みきった笑顔だった。
「おまえはそうだった。生まれながらだったなあ……鬼童子ぃ」
黒い、硬質な皮膚と化した両腕を構え、苦々しい表情を浮かべる流星に、天地は吐き捨てた。
その響きは、煉獄のような熱を帯びていた。