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HUNTER  作者: 沙伊
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      血椿<下>




 悠は視界に入った光景に、目の前の死闘と天地の存在を忘れ、手にした刀や身に付いた戦闘における心得を隅に追いやり、見入った。

 飛ぶ、男の頭。よろめく、残った身体。舞う、紅い血。ひらめく、黒いコート。揺れる、漆黒の傘。立ち尽くす、広い背中。

 そして。

「全ては神の、(おん)ために」

 見慣れない唇から紡がれる、神の名。

 背中が粟立った。聞いてはいけないものを、見てはいけないものを、認識してしまった気分だった。

 気付けば、常に心がけている冷静さを無くした声で叫んでいた。

「避けろ!」

 はたして――声は、届いていた。

 呆然と立ち尽くしていた流星は、悠の声に呼応するように身体を縮め、前へと倒れ込んだ。眼前に迫っていた傘は、流星の頭上をかすめて通り過ぎる。

「……あら?」

 意外そうな顔をしたのは、女だった。回避されるとは思っていなかったようで、振り切った状態からそのまま一瞬停止する。

 流星にとってその一瞬は突くには充分だった。彼は倒れ込んだ状態から跳ね上がるようにして、女の右脇腹に蹴りをねじ込んだ。

 細い身体が吹っ飛ぶのを見送った悠は、我に返って刀を盾にする。直後に、天地の紅い脚が叩き込まれた。

 ふと、天地の顔を見た悠は、彼女の顔を見て片眉を上げることになる。天地は、戦闘に意識は集中しているものの、その表情は先ほどまでの楽しそうなものではなかった。淡々と、戦闘を処理しようとする機械のようなそれだった。

「……何を考えている。土御門天地」

 紅い脚を押し返そうと腕に力を込めながら、悠は眉根を寄せた。

 天地は答えない。ただ無機質な表情から一変、酷くつまらなそうなそれに変えただけだった。

 それが何を意味するのか悠には解らないし、解りたいとも思わない。けれど、突然現れた黒衣の女が原因であることは確かだった。

 悠には理解できないことが多い。理解するには材料が足りない。圧倒的に情報不足だ。

「……ふん」

 悠は鼻を鳴らすと、腕の力を抜いた。

 拮抗していた力が消え、天地はバランスを崩す。なんとか体勢は整えたようだが、その直後に悠の拳がわき腹に叩き込まれた。

 華奢な身体が吹き飛ぶ。その様を視界の隅に映しながら、悠は天地との戦闘を放棄して流星に駆け寄った。

「流星!」

「悠……怪我は?」

「無傷だよ。君は」

「俺も同じく。けど、何なんだよ、あれ」

 流星は女に視線を送った。

 女は空中で体勢を整えていたようで、すでに何ごとも無かったかのように地上にたたずんでいる。その手にある黒い傘は、血でぬらぬらと光っていた。

「刺すならともかく、傘で斬れるなんて、聞いてないぞ。どんな凶器だ」

「ただの傘じゃないのは、君の察している通りだよ」

 悠は女を見つめ、顔をしかめた。

「多分……あれは姫シリーズの一つだ」

「姫シリーズ……って、確か」

 流星の目に、悠の刀――『剣姫(ツルギヒメ)』に映ったのを確認し、悠は片眉を歪めて笑った。

「ああ……連中、外国に散ってた姫シリーズを集めて手に入れたみたいだね」

「そういや、大半が海外に流れたんだっけか……」

「あれはおそらく『衣笠(キヌガサ)姫』だよ。見た目の滑稽さとは裏腹に、攻守共に強力な武器だ」

 悠が言うと、流星は何とも言えない複雑な顔をした。

「何ていうか、蹴鞠辺りで思ってたけど……何でもありだな」

「傘なんてまだ序の口だよ。腕環とかピアスとか……靴まであるんだから」

「まじでか」

「色物の中で一番ましなのは、鎧かな」

「どこに武器の要素があるんだ」

 流星は頭を抱えた。小声なのは、傘の威力を目の当たりにして、強くツッコめないからかもしれない。

 ともあれ、状況は変わらない。

 片や、黒コートの謎の姫持ち。片や、土御門家の紅い狂戦士。

 ひとり相手にするだけでも厄介なのに、それがふたりもいる。更に、日影達は未だ地面に伏したまま動かない。最悪とまではいかないものの、悠と流星はそれなりに追い込まれた形となった。

 もし、誰かを人質に取られでもしたら、どうしようもできない。一番悪いのは、人質という考慮も無く、皆殺しという場合だった。天地は勿論、黒コートの女もそちらの可能性の方が高そうである。

「ふむ……まあ、どうしようもないか」

 悠は少し首を傾げ、笑った。

 ひきつれたような笑いだった。


   ―――


 貫いた感覚は無かった。手には、何の感触も無かった。

 刀弥は、虚しい気持ちで『如意ノ手』を付けた腕を引いた。

 ずりゅり、と異音を立て、引き抜かれた腕は、思ったより血に濡れてはいなかった。もとより真っ赤だった刀弥の全身の方が血まみれだったし、遅れて吹き出した鮮血の量の方がよっぽど多かった。

 鮮血。鮮やかな、血。

 人としてのありとあらゆる無形の何かを捨て切った護縵の血は、刀弥と同様紅かった。

「俺の勝ちだ、土御門護縵」

 刀弥は一歩、二歩と下がりながら、静かに言い放った。それはまるで、死刑宣告のように冷厳だった。

 否、死刑宣告でないはずがないのだ。刀弥の言葉は、そのまま護縵の死を意味していた。

 それを理解しているのか、それともそもそも聞こえていないのか、護縵の目は虚ろで、まとった式神のおかげか倒れこそしないものの、立てられたトランプのように頼りないものだった。もしかしたら立ったまま死んでいるのかもしれない、と、刀弥に思わせてしまう。

 しかし、護縵は死んではいなかった。なぜなら、その口元に笑みを浮かべ、錆びたブリキのような動きで顔を上げたからだ。

「言いましたね」

「あ?」

「呼びましたね」

「……何を?」

「……私の、ささやかな望み」

 護縵は胸に空いた風穴に手をやった。穴を塞ぐわけでもなく、血を止めようとするわけでもなく、ただ、手を添えたのである。

「私は、人間です……異形ではありましたが、異常ではありましたが、半妖ではなく、人間です……そんな私を、貴方は殺した」

「……」

「ふ、ふふ……これで君は、私を忘れない」

 護縵は笑う。心底嬉しそうに、笑っている。

 それは、痛々しいと言うほかなかった。

「どんな形でもいい、名前も顔も、忘れてしまっていいから……私という個人を、覚えていてほしかった」

「……」

「ふふふふふ……あきれますか? こんなこと……で、仲間を動かすなんて、て……そう、ですね、私の行為は、土御門家に対する、裏切り……個人的な、それも、限りなくくだらない理由で、負け戦に導いてしまった……」

 はあ、と吐き出された息は、血の臭いをまとっていた。胸の穴から逆流したのか、次いで吐き出された血は、やけに粘っこい。床に落ちたそれは、広がらずにその形を保っていた。

「別、に……殺される必要は、無かったのですがね……貴方に私を刻みさえできるなら、私が勝ってもよかったんです……どうせ失う、命です、から……」

「……どういうことだ?」

 初めて、刀弥は口を挟んだ。このまま護縵の言葉を聞くつもりだったのに、思わず止めてしまった。

 聞き逃すことができなかったのである。

「どうせ失う……とは、どういうことなんだ。おまえは、一体何を言っている?」

「理解しなくて結構。理解したところで」

 護縵の笑みが、消える。

「最終的に、全て終わる」

「っ……!」

 刀弥は後ろに腕を振るった。何かに気付いたわけでも、感付いたわけでもない。ただ、そうしなければ死ぬと、悟った上での反応だった。

 結果、その動きは刀弥を救った。

「……何や、死なへんの」

『如意ノ手』を通して伝わる、力の波紋。腕そのものをしびれさせるそれは、生身であれば腕を潰しかねなかったことを刀弥に伝えた。

 そして、そんな衝撃を刀弥に与えたのは。


「面倒なことになってんなあ、護縵君」


 刀弥の見覚えのある人物だった。

 見たことの無い黒のコートをまとい、露出した肌のところどころを鱗のような硬質の黒羽根が覆っているが、刀弥は確かに彼が自分の知る人物だと確信した。

景親(カゲチカ)……?」

 刀弥が呟いた名に、男は反応した。ゆっくりと、視線を合わせたのである。

 交わった目線は、気抜けするほど弱かった。

「……久し振りやな、刀弥」

 男はとん、と軽やかな音を立てて跳躍し、刀弥との間合いを取る。体勢を直したその立ち姿を、やはり刀弥は知っていた。

 もう二度と見ることが叶わないと思っていた姿だ。

「景親? 何で、おまえ、それに、その姿……!」

「悪いなあ。答える暇は、無いんよ。気も、無いけどな」

 男は、面倒そうに頭をかき、ふと、首を巡らせた。

「風馬は……外か? あいつとは、昔からうまく会われへんかったな、そういえば。ま、また後で会えるやろ。死体で、やろうけど」

 こともなげに放たれた言葉に、刀弥はあ然とする。知人が友人の死を平然と予測する思考が、彼には理解できなかった。

 だが、刀弥の頭は瞬時に切り替えられる。動揺は、ほんの一瞬にも満たない。

 考えるのは、この場を切り抜ける方法。生き残り、逃げ切る方法。血だらけの、弱体化した身体。無傷の敵。慣れない場所。出口の見えない迷路。

 活路は、無い。

 普通なら。

「……ん、まあいけるか」

 刀弥は一つ、頷いた。何でもないような仕種だった。

「景親、話は後で色々訊くよ。おまえがどうしてここにいるのかとか、その姿は何だとか。まあ色々。けど今は、生き残らせてもらう」

「……できると思うか?」

 男は――景親と呼ばれた男は、やや焦点の合わない目で、刀弥を見据えた。その奥に宿った剣呑な光を、刀弥は確認する。

 口元には、自然と笑みが浮かんだ。獲物を狩らんとする、手負いの獣の目だ。

「できるさ」

 他人から見れば、根拠の無い発言。しかし刀弥は、確信を持って言い切った。


   ―――


 土御門の屋敷の廊下を、恭弥(キョウヤ)はひとり走っていた。

 捕らえられていた部屋から出た後、舜鈴(シュンリン)達とは別行動を取った恭弥だが、勿論目的あっての行動である。無意味な行動は、恭弥からは縁遠い存在だった。

 そんな恭弥だからこそ、土御門のいかにも考え無しの集団行動が理解しがたかった。まさか土御門護縵たったひとりの『我が儘』だとは、いかに恭弥といえど考えつくまい。

 長い廊下がその長さゆえに無限回廊などとまんまな名で呼ばれていることは、勿論恭弥の知らぬことだが、その呼び名に違わぬ長さの廊下をようやく半ばまで走りきったところで、恭弥は足を止めた。人影を認めたからである。

 廊下の途中で誰かにばったり出会うことは、実は今回が初めてではない。たびたび、不規則ではあるが土御門の人間にぶつかることがあった。その時は、足を止めずにすれ違いざまに気絶させる程度でとどめていた。

 彼が停止したのは、人影が二つであること、もう一つは、片方の人影に覚えがあったからである。

「……」

「……驚かないんですね」

 意外のような当たり前ような、と首を緩やかに傾けるのは、つい最近クラスメイトになった青年。

「エドワード・ブラウン……」

「ええ、そうです。こんにちは」

 名を呼ぶと、人影――エドワードはにっこり微笑んだ。普段通りの、穏やかな笑みだった。

 恭弥はエドワードをしばらく眺めた後、隣の小柄な人影に目を向けた。

 額を覆うほどに厚く長い金色の髪、人形のように整った顔立ち、華奢な身体。恭弥は会ったことの無い人物だった。

 けれど、ふたりが着ているのは黒い、装飾されたそろいのコートだ。それはふたりが何かしら同じ組織に所属していることを教えてくれた。

 恭弥は無言で呪符を取り出した。武器を取り上げられた(タケル)達と違い、身体のいたるところに呪符や武器を隠していた恭弥や舜鈴は奪われることはなかった。ゆえに、戦うことに苦は無い。

 とはいえ、戸惑いが無いわけではなかった。

 どうしてエドワードがここにいるか、どうしてコートなど着用しているのか、どうして見覚えの無い人間と一緒にいるのか――

 ぐるぐる頭の中で考えを巡らせ、しかし、すぐさま考えることをやめる。考える意味を見いだせなかったのもあるし、今更考えたところで結論は同じ(・・・・・)だと思ったのだ。

 結論は同じ。恭弥にとって、とうにエドワードに対する結論は出ているのである。

 ただ、一応確認するべきことはあった。

「立ちはだかるということは、敵という認識でかまわないな」

「……言うまでもないでしょう?」

 エドワードの笑みが深まったのを受け、恭弥は彼をじっ、と見据えた。エドワードは、ひるまない。

「では、()りましょうか」

 その言葉が、戦闘開始の合図だった。





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