第四十五話 血椿<上>
椿悠と土御門天地。二人の因縁は、あるようで無く、無いようである、そんなあいまいなものである。
椿と土御門という血筋そのものの因果が無ければ、そもそも出会わなかったかもしれない――否、はっきりと出会わなかった、と言えるような間柄だった。
それでも、この二人の少女の実力は伯仲していた。
互角だった。それこそ、示し合わせたように拮抗していた。
それを、お互いどう思っていたのか。それは、本人達のみぞ知る事実である。
誰にも推しはかることはできはしないのだ。二人の兄達でさえ。
そんな二人に差違があるとすれば。
決定的な隔たりがあるとすれば。
それは――
―――
悠の刀が、不意に光を帯びた。
切っ先から柄頭に致まで、ぼう、と光に覆われる。それは、悠が何ごとかを呟くのと同時だった。
流星がそれに驚いて目を瞬いていると、その間に悠は走り出してしまう。それは、思わず閉口してしまうほどの速度だった。
一歩踏み出す時。この時悠は、地面を滑るようにして跳躍していた。二歩目を踏み出した時には、すでに天地の前である。
流星の耳には、天地の息を飲む声がはっきりと聞こえた。
悠はその場で半回転するように刀を振るう。刃がかすんで見え、天地の横腹を襲った。ためらいも迷いも無い、斬り捨ててしまおうという意思が、そこにはあった。
しかし、天地はそれを防いだ。右の槍の柄で刃を受け止め、左の槍を振り上げる。
しかし、それだけだった。槍は、中途半端なところで止まる。
というのも、天地自身が吹っ飛ばされてしまったせいだ。攻撃を防げはしても、威力を殺すことはできなかったようである。
結果、天地は元の場所から十メートルも離れた場所に転がることになった。
「流星、君はそのまま、奴らの相手をしてて。天地は、あれくらいじゃやられない」
悠は流星にそれだけ言うと、天地に向かって再び突進していった。
流星は小刀を構え、敵二人の様子を確認する。藤堂と子繰は、じ、とこちらを睨め付けていた。
傀儡となった者達は、依然倒れたままだった。悠の攻撃が効いているのか、子繰があえて動かさないのかは判然としない。
さてどうするか、と考えたところで、流星はふと思った。
相手を殺さず倒すのであれば、何も手加減する必要は無いのではないか。
殺さず倒すことは、流星にとって当たり前の行為なのだ。
流星は小刀を鞘に収め、腰のホルダーにしまった。藤堂と子繰の表情がいぶかしげなものに変わる。
「何だ。降参、のつもりか」
「んなわけねぇだろうが。ただ」
腰を低く落とした流星は、静かに構えを取った。
「自分の得意なやり方で、戦うだけだ」
「あぁ、そうかい。じゃあ自分なりに死にな!」
子繰は片手をぐるりと回した。
がくん、と動く傀儡達。向かってきたのは、日影他流星の仲間達だった。
「仲間を気遣ったんだろうけど、失敗だったねぇ。こいつらはおまえに気遣いも手加減もしないよ! 今のこれらは、ただの人形だっ」
「気遣いはするさ。けど、手加減はしねぇ」
流星は真っ先に突っ込んできた文奈の鉄球をかわし、懐に入った。
相手は長身の流星に比べて小柄の少女である。同い年であるはずの悠より、なお小さいぐらいなのだ。体格のいい流星では、懐に入るのは難しい。
しかし、彼女の武器は鉄球。しかも、長い鎖に繋がった二つの巨大な代物である。その間合いは広い。
広い分、懐は大きい。同時に、隙も大きい。
大きい隙は、入り込みやすいし、付け入りやすい。
流星には、それで充分である。
ひゅっ、という短い呼気が流星の喉からもれる。その一瞬後に、一発の掌底が文奈の腹に叩き込まれた。
軽い少女の身体はたやすく吹き飛ばされる。ゆうに十メートルは空に投げ出され、ようやく地面に落ちた。
ひくり、と子繰の顔がひきつった。同時に傀儡の動きも止まる。
流星は掌底を放った右手を引いて、構えを直した。
「相手を殺す戦場には死んでも出たくないし、相手を狩る狩り場にも、俺は不慣れだ。けど、相手を倒す試合場なら、俺の見せ場だぜ」
「き、さまっ」
「幾らでも来いよ。殺し合いはしねぇ。だが、試合は相手になってやる。それとも」
流星は根を張るように地面を踏み付ける足をずり、と動かした。
「俺から動いた方がいいか?」
言うが早いが、流星は走り出した。一番近くにいた雷雲の槌を蹴り飛ばす。空高く上げた槌には目もくれず、流星は雷雲の腹に拳を叩き込んだ。
文奈と同じく、遠くで転がる小さな身体。それを見届けた流星を、思い出したように反撃が襲った。
向けられた二つの銃口。それに気付いた流星は、慌てて後ろに飛び退いた。直後、流星がいた地面に弾丸が喰い込む。
風馬の手に握られた二丁の銃を確認して、流星は彼に向かっていった。
銃相手に、何も考えず正面から突進するのは、下策である。しかし、流星を狙っているはずの弾丸は、ことごとく外れた。
風馬が自らの意思で外した――わけではない。
これは、全面的に子繰のせいだった。
一言で言えば、子繰は恐れたのである。銃をかえりみない流星のことを。
子繰とて、退魔師である以前に人間である。本能的に、無意識の内に銃を恐れている。
しかし、ひるがえって流星はどうだろう。彼は銃におびえるどころか、自ら突っ込んでいっているではないか。
その恐れが、風馬を操る子繰の手先を狂わせた。
勿論、流星とて、無謀でそんな行為を行ったのではない。彼にとって、今や銃は脅威の対象ではないのだ。
銃創はもはや数分で治る傷だったし、いざという時は鬼童子になってもいい。流星はそんなことを思っていた。
――とはいえ、実際はそんな気楽であれるほど、風馬の銃の威力は甘くはない。銃弾も、銃そのものも、妖魔を倒すために作られた強力な退魔武器である。威力だけをとっても、大型銃となんら遜色無い。
しかし、流星と子繰の認識の差は、この場においては大きく出た。
間合いを詰めた流星は、下から拳を突き上げた。右の銃がはじき飛ばされ、それを追うように手を伸ばした風馬の脇腹に、回し蹴りを叩き込む。横倒しになった風馬には目もくれず、流星は次に日影との距離を縮めた。
焦ったのは、勿論子繰の方である。
「っ、調子に乗んじゃないわよ!」
子繰は右手をぐるりと動かした。
操られた日影が扇を構え、それを横に凪ぐ。しゃがみ込んでそれを回避した流星は、そのまま身体をひねるようにして脚払いをかけた。
地面に倒れる日影を見届け、流星は立ち上がる。同時に走り出した。
次の相手に選ばれたのは、紗矢である。
紗矢は杖を振り上げ、間近まで迫った流星を殴りつけようとした。
流星はそれを、右手で受け止める。痛みがはじけた手に顔をしかめつつも、左の手刀で紗矢の右手を打った。
離された杖を投げ捨て、流星は膝を紗矢の腹に叩き込む。後ろに倒れる紗矢を無視し、流星は跳躍した。
向かう先は――子繰である。
「っ、な」
「仲間相手に本気で殴ってみろ――とでも言いたげな戦略だな、おいっ」
すでに彼女の頭上へと移動した流星は、空中で彼女を怒鳴りつけた。
流星は、怒っていた。当然のように、激怒していた。
許せなかったのだ。仲間が操られたこともそうだが、先ほどの日影の動きが、何より許せなかった。
五人の武器も動きも、まるで生かされていなかった。
単調なその動きは、彼らを軽んじているようでもあった。
それが――流星には許せない。
信頼している仲間を嘲られたように感じたのか、単純に戦う者として看過できなかったのかは、本人も自覚は無かったが。
ただひとつ、確実なこと。
子繰は、実戦経験がとぼしかった。
おかしな話だが、流星よりも、圧倒的に足りなかった。
土御門家は表舞台には立っていたが矢面に立ったことは無い。それは、椿家の役目だった。代を重ねるごとに、名のみを売り、全てを秘することに徹したのである。
結果、彼らは技のみを磨き、反面、妖魔を狩ることが無くなった。
それは藤堂にも言えることであり、また彼の部下にも言えることであり、ほぼ全ての者にも言えることだった。
これは、その結果。
経験の差、実戦経験の差が、如実に出た。
「あいにく俺は、殺さない戦いにも、人間相手の戦いにも慣れてる。あんたはどうだ? 何だよ、さっきのは」
「あ、あ、あ……」
「俺は年下だけど言わせてもらうぜ――零歳から戦り直しやがれ!」
流星の踵落としが、子繰の脳天に墜落した。
―――
土御門家には実戦経験が足りない――ならばなぜ、彼らは今回の戦いに踏み切ったのか。
ひとつは、単なる世間知らず。表舞台には出ても矢面に立たぬ彼らは、いつしか世間を知ることを拒絶した。世俗と関わると術が汚れる――そんな風に考える者が多かったのである。
そんな彼らのもうひとつの理由は、自信。
実戦経験は、確かに圧倒的に不足している――しかしそれを補ってありあまるだけの術を、土御門は幾つも持っていた。
秘し、改良され、改悪され、洗練された術は、ひとりの力を十人分にも二十人分にもした。ただ、彼らにそれを扱うだけの技量が無かっただけで。
そんな彼らが、式神と融合する術を手に入れたのは、ある意味順当と言えるだろう。
しかし、今のところその術に耐えられるのは、たったふたりだけである。
地面がえくれた。紅い脚を中心に、小規模なクレーターが作り出される。
その衝撃に、悠は思わず体勢を崩しそうになった。何とか持ちこたえはしたものの、刀の切っ先は頼りなく揺れる。
その隙を、天地が見逃すはずがない。
「うおぅら!」
少女ににつかわしくない雄叫びを上げ、天地は紅い結晶体に覆われた脚を薙いだ。
紅い結晶体に覆われた脚。刀弥達を相手取った時に使った、彼女の式神である。
悠はほぼ同時に、脚が向かうのと同じ方向へ跳んだ。しかし、少し遅かったらしい。
天地の脚が、悠の横腹をとらえた。
腹を中心に全身へ広がる痛みに、悠は身を固くする。しかしあえて逆らうことはせず、勢いのままに吹っ飛ばされた。
空中を舞う己の身体をひねり、着地に成功した悠は、すぐさま立ち上がろうとした。が、膝に力が入らない。
脚に来たか、と、舌打ちしたい気持ちを抑え、そのまま構えを取る。
天地は、にぃ、と笑っていた。
「立てないの? 手を貸してあげようか? ん?」
「あいにく――手を借りる予定は入れない主義でね」
「あ、そう。ざーねん」
肩をすくめる天地に、悠は今度こそ舌打ちをもらした。
土御門家は経験が足りない――それが、彼らの共通する弱点である。しかし、例外というのはどの組織にもいるものだ。
それが、悠の目の前にいる天地、そして当主である土御門護縵だった。悠は、それをよく知っている。
なぜなら――悠が天地の実戦相手なのだから。
ふたりはいつもそうだった。仲が悪いわけでも、互いが気に入らないのでもない。無関係でないにしろ、どうでもいいとすら思っていた。
けれど、まるで示し合わせたように、ふたりは顔を合わせるたびに戦った。
子供じみた喧嘩でもなく、みっともない取っ組み合いでもなく、本気の殺し合いだった。
そうなったきっかけは、果たして何だったのか。悠は、全く覚えていなかった。きっかけがあったかどうかさえ、記憶に無い。
言えることはひとつ――今の殺し合いは、今までのものとは、意味合いが異なる。
悠にとってこの戦いは、すでに負けられない戦いへと昇華されていた。
兄達のため、というのも大きいだろう。しかし、一番の理由は、近くで戦う流星の存在だった。
彼にだけは、無様な姿は見せたくないのだ。
流星が悠にふさわしくなりたいと思うのと、同様に。
「……あは」
悠は、小さく笑った。自嘲の笑みなのかどうかは、彼女自身にも解らない。
ただ、立ち上がってもなお、その笑みは消えなかった。
「……何、その笑顔。ちょっとむかつく」
「そう。それは悪かったね。謝りついでに」
刀を持ち、垂直に構える。笑顔の種類も切り替わった。
今度は――得意の、不敵な笑みだ。
「本気を出すよ」
――恋人が力になるなんて。
私もまだまだ、小娘ってことか。
内心では、そんなことを考えていたけれど。