土椿<中>
晴明神社に着いた時には、まだ決着は着いていなかった。
だがぼろぼろの恭弥を見れば、どちらが劣勢なのかはすぐ解った。
「恭弥!?」
流星が思わず声を上げると、前に倒れかかっていた恭弥はこちらに視線を向けた。
同時に、彼と相対していた異形もこちらを見る。
黒い、てらてらと鈍く光る肌が、半ば剥がれ落ちている肌色の皮の下から剥き出しになっていた。顔と形はかろうじて人の姿をしているが、人間の皮膚ではない。
「あ、あいつ、半妖か?」
流星は呆然と呟き、すぐさまそれが間違いであることに気が付いた。
妖気を感じないのである。
元は完全な人間である半妖だろうと、内に妖魔を取り込めば妖気を放つ。ゆえに、半妖は半妖と呼ばれる。
しかし、あの異形からは妖気を感じない。人の気配ではないが、妖魔の気配でもない。
しかし、恭弥と相対しているということは――
「土御門、護縵」
ぎり、と、隣の悠がはぎしりする音が聞こえた。
道中、流星は彼女から土御門当主である護縵とは面識があると聞いた。彼女が言うなら、まさしく土御門護縵本人なのだろう。
しかし、だとしたらあの姿は何だ?
「おや――久しいですね、椿の姫」
異形が――護縵が流星と悠の方へ視線を向けた。白い、能面のような顔には、表情らしい表情は無い。
「お隣は――どちらでしょう。あぁ、教えなくて結構。椿の姫と共にいるということは、鳳の鬼なのでしょう」
「お……おおとり?」
目を瞬く流星に、あだ名だよ、と悠が付け加えた。
「あの人は他人の名を呼ばない。必ず自分なりのあだ名を付けるんだ。私は椿の姫、恭兄は椿の君、て具合にね。君のは名字の華鳳院から取ったんでしょ」
「……刀弥さんは?」
「刀兄は……」
悠の言葉が詰まった。言いにくそうな、言いたくないというような、微妙な表情である。
流星が不審に思う間もなく、ため息が聞こえてきた。
護縵である。
「多勢に無勢ですね。今の私では、貴方がたに勝つのは無理でしょう」
構えを解いた彼は、酷く無防備だった。なのに誰も、そんな彼を攻撃することができない。
その場で立ち尽くしていても全く意味が無いというのに、動けないでいる。
これは――威圧か?
「おい、そこの化物」
その声に、全員の緊張が解けた。
振り返ると、のんきに煙管をふかしながら、しかし視線は射殺さんばかりに鋭い青年が一人。
「刀弥、さん……」
「人の弟に、手ぇ出してんじゃねぇよ」
彼の武器である『如意ノ手』は、今ははめられていない。
だというのに、瞳から発せられる護縵とは別種の威圧に、流星は後ずさりしたくなった。
向けられていない流星でこれである。まともにあびている護縵はひとたまりも無いはずである。
だが。
「私はあくまで自分の身を守ったのみ。不可抗力というものですよ」
護縵の表情は変わらなかった。変わらず、能面のような顔をたもち続けていた。
「弟は理由も無く攻撃したりしねぇ。非はてめぇにあった」
「それは信頼でしょうか? それとも――盲目でしょうか?」
「ほざけ」
刀弥は一歩踏み出した。左手には、すでに『如意ノ手』が握られている。
それをはめ、戦闘態勢に入ろうとした時だった。
「はぁい、きょーせーしゅーりょー」
刀弥と護縵の間に、一つの影が割り込んできた。
どこか高いところから飛び降りてきたのだろう。護縵寄りの地点に着地した彼女は、手にした二槍で両者を指した。
「兄貴ぃ、なぁに本性さらしちゃってんの。椿刀弥ぁ、それ以上近付けさせないよ」
オレンジ色の、量の多い髪を赤いリボンで束ね上げた少女だった。
歳は悠と同じくらいか。赤いワンピースに赤いサンダル、手にした二槍も柄から穂先に至るまで真っ赤だ。
表情も粗野で、野性味あふれるものである。虎や豹を連想させられた。
「土御門天地。参戦させてもらうよ――って、言いたいところなんだけども」
少女――天地はちろり、と視線を周りに漂わせた。
「四対二じゃ、さすがにきついよ。あたし、戦うのは好きだけど、一対一が好きだもん」
「あいかわらず――ふざけた言い種だね」
気付けば悠は、刀を抜いていた。切っ先は、天地に向いている。
「むかつくよ、本当に」
「んー? ……お、悠ちゃんじゃん。おっ久ぁ。あいかわらず綺麗だねっ。うらやましいぞ、このヤロー」
天地はにやにやと笑っていた。笑って悠にふざけた物言いをし、槍をもてあそんでいる。
「あんたとくんずほぐれつ――ってのも楽しそうだが、あいにくあたしの一存じゃ戦う相手は決められなくてねぇ……つうわけで兄貴、指示を」
「……共に退きましょう、我が紅姫」
護縵の言葉に満足そうに頷いた天地は、二槍をバトンのように振り回し始めた。
「双土龍」
二槍の回転が土を巻き上げ始める。視界を覆う土煙に、全員後ずさった。
「では、またいずれ」
「じゃーに」
土御門兄妹の声に、真っ先に反応したのは悠だった。砂嵐に押されながらも、中心部へ走り出す。
制止をかけようとした流星だったが、とても喋れる状態ではなく、その場に踏みとどまるしかなかった。
しばらくして、ようやく砂煙は収まった。鮮明な視界に、土御門兄妹はいない。代わりに、抜き身の刀を持った悠が立っていた。
「悠、大丈夫か!?」
流星が駆け寄ると、悠はしかめっ面をこちらに向けた。表情はいいものではないが、怪我はしていないようだ。
「悠?」
「……しくじった」
「あ?」
何を? と流星が尋ねると、悠は自身の髪を一房持ち上げて見せた。
毛先が不自然に切りそろえられた黒髪。流星は片眉を持ち上げるが、次の言葉で得心がいった。
「彼女の槍、避けきれなかった」
「あぁ……なるほど」
どうやらあの砂嵐の中、天地と刃を交えたらしい。時間にして十数秒ほどだったというのに――
「ま、こっちもただでは斬られなかったけど」
悠はそう言いながら、手の中のオレンジ色の髪をくるくる回した。天地の髪だ。
どうやら悠の方も、相手の髪を斬ったらしい。さすが悠、ただではやられない。
「それにしても、どこに行ったんだ?」
流星はすっかり平常に戻った晴明神社を見渡した。
人の気配は無い。本当にあの二人はここから離れたようだ。
しかし、だとしたらどこに逃げたというのだろう。
「……土御門本家だろうな」
と。
恭弥がよろめきながら歩み寄ってきた。流星は慌てて彼を支える。
ありがとう、と微笑み、しかしすぐ笑みを消した恭弥は、軽く目を伏せた。
「氷華の調べで、場所の見当はついている。ただ結界で遮断されてて……簡単に入れそうにもない」
「それに破ったところで敵の懐だ。そうやすやすと突破できるかどうか解らん」
刀弥が呻くように呟いた。『如意ノ手』はすでに外されている。
「かと言って、あまり時間もかけられないな。さて、どうするか」
「……ねぇ、刀兄」
と。突然悠が口を開いた。刀弥を見上げ、目を細める。
「姫持ちは全員、ここ京都に来てるんだよね」
「あ? あぁ」
「なら、西野紗矢も来てるよね」
「……あ」
刀弥は目を丸くして悠を見下ろした。
「そうか。創造師……」
「それに巫女でもある。結界も人員も、そう難しいことじゃない」
にやり、と笑った悠を、流星は首を傾げながら見やった。
「難しくないって……どういうことだよ」
「西野紗矢がいれば、突破自体は難しくないってことだよ」
悠は笑んだまま携帯を取り出した。
「まず巫女の先見の能力で敵の人員を視てもらう。これは透視に近いかな。次に入口を創造してもらう。侵入と敵をさばくこと自体は簡単になるはずだ。問題は人員の面々だけど……」
ふと、悠の顔から笑みが消えた。
「土御門の十華は、当然組み込まれているだろうね……」
「十華?」
流星は眉をひそめた。
「何だ、それ」
「土御門の精鋭だよ。名の通り十人いる。最近の土御門の内情はよく知らないけど、少なくともころは無くならないと思う」
第一、と言って、悠は斬られた髪先をいじった。
「土御門天地も、その十華の一人だしね」
「あいつも……」
「それに、土御門護縵のあの姿のこともある」
悠は携帯を操作し始めた。
「あんな風の人間が他にいない可能性は、ゼロじゃない」
携帯を耳に当てた悠の眉間には、深いしわが寄っていた。
「先手、打たれてなきゃいいけど」
悠の声が、いやに流星の脳に響いた。
―――
「解った。じゃあそちらに行く。あぁ、また後で」
西野紗矢はそう言って通話を切った。携帯を折りたたみ、そっとため息をつく。
「先手なら、もうとっくに打たれているんだがな」
紗矢がいるのは、人通りの少ない裏通りだった。
辺りに立った人間はいない。ただし、視界を落とせば人間はいた。
倒れた人間が、多勢。
皆共通して法衣姿で、手にしたものは殺傷力を秘めた武器だった。
京都はさすがに僧が多いな、などとのんきなことは言えまい。
もっとも、紗矢は彼らに取り囲まれた時、そんなのんきなことを言ったのだが。
「土御門家の人間。しかし、詳しいことは知らなかったみたいだな」
ふむ、と唸りつつ、紗矢は創り出していた木製の棒を消した。
勿論全員殺していない。が、かと言って彼らをこのまま放置するわけにもいかないだろう。
どうしたものか、と考えていると、不意に人の気配を感じた。
振り返ってみるも、誰もいない。気のせいかとも思ったが、気配は一向に消えなかった。
紗矢は視線を巡らせ、ため息をついた。
「何というか……なめられてるな。まぁ、ほんの数ヶ月までは一般人だったし」
若干諦めをにじませて呟きつつ、紗矢は手を伸ばした。
すると、何も無いはずの空中に、ぽっかり穴があく。紗矢はそこにためらいなく腕を突っ込んだ。
しばらくごそごそと動かした後、腕を引っ張り出す。手には漆黒の鉄杖――『卯杖姫』が握られていた。
『卯杖姫』を取り出した紗矢は、すぅ、と静かに息を吸った。
そして。
「雷神招来、雷撃刀」
杖から放たれた雷の刃を振るった。
すぐ隣の建物に。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
悲鳴が上がった。まだ若い、おそらく青年と言えるほどの若い声だった。
紗矢の耳に、建物が崩れる音が届く――ことはなく、代わりにその悲鳴が鼓膜を揺さぶる。
しかし紗矢は驚くことなく、雷の刃を放った方を見やった。
そこに建物は――無い。
どころか、建物があった形跡すら、無い。
あるのは――というより、いるのは。
「う、く、くぅぅう」
全身裂傷に覆われた、一人の男のみ。
白いTシャツに黒のガーコパンツ、両手にはぎらぎらと手首を飾り立てる幾つものブレスレット――しかしどれも今は裂け、血にまみれている。
顔立ちはいい方に見えるが、頬や額、顎にいたるまで傷と血だらけで、いまいち判別しずらい。
紗矢は男を見下ろし、ふん、と鼻を鳴らした。
「大した術だな。あたしも今の今まで気付かなかった。が、所詮人が作った幻。思考がだだもれだ」
「う、く、ちくしょっ……」
男は膝を着いたまま呻いた。どうやら防御はできなかったらしく、まともに喰らったようである。
「おまえは……事情を知っているみたいだな。幹部か……ふぅん、十華な。またあれなネーミングだな。狙いは姫持ちとしてではないか」
「っ、何で、おまえ」
「また思考がだだもれだ」
紗矢は杖を軽く振った。
「前情報はあったはずだ。それぐらい解るだろう。それから」
男から視線を外し、紗矢は辺りを見渡した。
「隠れている四人、すぐ出てこい。いるのは解っている」
そう言うと、僅かに空気が揺れた。が、誰も現れない。
「何なら場所を当ててやろうか? 先程の雷で」
ここまで言えばでてくるだろう、と紗矢は再び視線を漂わせた。
紗矢の予想通り、五人は現れた。建物の影だったり先程の青年のように幻に隠れていたりしていたが、きっちり五人。
服装も年齢もばらばらだった。共通していることは、全員男であるぐらいか。
それから、殺意。
「思考も気配も殺気もだだもれだ。手に取るように解る」
やれやれとばかりに首を振った紗矢は、軽く両手を広げた。
「来いよ。全員まとめて相手してやる」
言うや否や、男達は紗矢に飛びかかった。