古都<中>
「流星、おまえ随分イライラしてねぇ?」
バスの中、友人の指摘を受けた流星はますます苦々しい気持ちになった。
修学旅行当日、流星はあろうことかクラウディオと同じ班になってしまった。
なってしまった、とは言ったものの、この班割は夏休み前から決まっており、一人だった彼を親切心で入れてやったのは、ほかならぬ流星である。
流星はその時の自分を全力で殴りたくなった。
隣にいるのが彼じゃないだけ、まだ心安らかである。
クラウディオに対する猜疑心は、まだ消えてはいなかった。
――とはいえ、純粋に楽しみにしているクラスメイト達に水を差すつもりは無い。
だから何でもない、と言ってごまかし、開いていた本に目を落とした。
日曜に悠にすすめられた小説で、なかなか面白い。
大衆文学らしく、その中でも推理ものを得意としている作家らしかった。
悠が推すだけあって、流星もそれなりのペースで読み進めている。
ただ、何だろう――この救われなさは。
確実にハッピーエンドに繋がりそうにないストーリー展開のせいか、主人公の空虚な性格のせいか。
……暇潰しにはなるけど、楽しい空気には向かないな。
そう結論付け、本を閉じる。勿論しおりをはさむのは忘れなかった。
「最初は京都だっけ? けど修学旅行に京都とか……」
「ありきたり過ぎだよなー」
代わりに修学旅行のプリントを開いて言うと、同意の声が返ってきた。
「京都って絶対暑いだろ。せめて北海道がよかったなー」
「だよなー。ぜってーすずしいって」
「京都と奈良って何あるんだよ。寺とか神社以外に。……名物何だっけ?」
「……八つ橋?」
「ぐらい……だよな」
顔を見合わせると、苦笑しか出てこない。
悠からはおいしい甘味処を教えられたが、男である自分が行くには気が引けた。
流星が唯一行きたいと思えたのは、せいぜい一ヶ所ぐらいである。
「ここには……行ってみたいけど」
地図を広げ、流星はある一点を指差した。
友人は指し示された場所を見、眉をひそめた。
「晴明神社ぁ? 何でまた、んなところに?」
「え、えっと……この前雑誌に載ってて、興味持ってさ」
とっさに嘘をつく。実際はそんな記事、一度も見たことが無い。
本当は、悠の祖先である月凪の兄だという安倍晴明に興味を持っただけである。
安倍晴明。日本で最も有名な陰陽師――もとい、退魔師である。
悠いわく、彼ほど派手な退魔師はいないという。
本人の意思は関係無く、彼は有名になり過ぎたのだ。
というのに、妹であった月凪の名は一切世に出ていないのだから、不思議なものである。
彼女の性質ゆえらしいが、流星はよく知らない。
流星は、椿家のことを何も知らないのだ。
だから何か発見があるかもしれないと、晴明神社に行くことを望んだのだが――
……行ったって。
何も解らないかもしれないが。
椿家のことを知りたいと思ったのは、ほんのささいな好奇心だった。
悠が生まれた家。
恭弥が生まれた家。
刀弥が生まれた家。
あの兄姉をはぐくんだ家を、知りたいと思ったのだ。
どこまでも強い――強過ぎる兄妹を産み出した家。
その祖先の兄だったという安倍晴明。
安易な理由ではある。けれど知りたいと思ったのだ。
それが、あの兄妹のことを更に知るきっかけになる気がして。
「……浅はかだよなぁ」
流星は友人に聞こえないように、口の中で自嘲した。
―――
京都という場所は、どの時代においても政治の中心をになっていた。
現在はそうではないものの、少なくとも江戸時代まではそうだった。
それは、この地に天皇と呼ばれる存在がいたからである。
天皇に認められて初めて、天下を取ることができた。
形式的なものではあるものの、その流れは現代でも受け継がれている。
あくまで形式のみだし、天皇はもう京都にはいないのだが。
しかし、平安時代から都として、政治の舞台として、戦の中心として、天下人の踏み台として鎮座していたのは事実である。
だが、今やその頃の面影は無い。
現在は、観光地としてにぎわいを見せるのみである。
――表向きは。
裏に置いては、妖魔がはびこる魔都である。これは、都が造られた時から変わらない。
京都という土地はその地形上、妖魔にとって住みやすい場所らしい。
建設時は魔を祓うと言われた構造が実は魔が集まりやすい造りだったいうオチだ。
ちなみにこれは流星の知識ではない。受け売りというというわけでもない。
「だから京都は、ある意味日本で最も危険な場所なんだよね」
目の前で京料理をつまむ悠の話である。
……何でいるの?
さかのぼること三十分前、集団行動を終え、班行動に移行したのだが、そこで問題が起こった。
クラウディオがいなくなったのである。
さっきまであの目立つ金髪が視界にちらついていたというのに、いついなくなったというのだろう。
「あいつどこ行ったんだよ。班行動が基本だろ?」
「おまえ何マジメなこと言ってんの?」
友人達のやり取りを聞きながら、流星は内心ほっとしていた。
四六時中クラウディオと一緒にいたら息が詰まりそうだ。
せめて今だけでも一緒じゃない方が気が楽だ。
そんなことを考えていると、友人二人が固まっているのに気付いた。
「どうした?」
流星が声をかけると、友人は勢いよく振り返った。
「り、流星! あ、ああああああの娘」
「あん?」
友人が指差した先。その場所には、古びた店があった。
ここから見る限り、どうやら扇を売っているようだ。
その店から、長い黒髪の少女が出てきた。
すらりとした体型にまとっているのは京都に似合わない派手な服装だが、顔立ちは古都にふさわしい優美をかね備えていて――
「って悠ぅぅぅぅううう!?」
「……おや」
流星の絶叫に気付いたのが、少女――悠がこちらを見た。
一瞬首を傾げたようだが、次いで納得したように一つ頷く。
「あぁ、そういえば修学旅行京都だっけ、一日目」
悠はハイヒールを慣らしながらこちらに近付いてきた。
もの凄く嬉しそうな笑みを浮かべて。
「でも、まさか会えるなんて思わなかったな」
「え、えーと。悠、何でここに……?」
「その前に」
悠は笑みを深めて、流星の胸に顔をうずめてきた。
「っ……!?」
「一日しかいないって聞いてたから、会えないだろうなって思ってたのに……会えて、嬉しいな」
「……」
流星は押し黙った。
内心は台風上陸のごとく暴風が巻き起こっていたが。
何だその笑顔はとかそのセリフ本心かとか思いながら、悠のそんな様子に昇天しかけていたのである。
先週といい今日といい――悠のデレ度が上がっている気がする。
にやけそうになるのを必死で抑えながらも、手はしっかり背中に回している流星だった。
そうすると更に嬉しそうにすり寄ってくるものだから、流星の頭の中は暴発寸前だった。
友人達などすっかり忘れ、二人の世界に突入しかけている流星と悠。
しかし、一応ここは人通りのある街中である。近くにはまだ同級生や教師達もいるわけで――
「華鳳院……」
苗字を呼ばれ、流星は現実に引き戻された。
恐る恐る振り返ると、呆然とした教師の顔。
「……あ」
現在の状況を思い出し、流星は羞恥の念を思い出した。
「あ、ああああああああのこれはですね……」
「んー……? ……あー」
悠は胸から顔を離し、教師を見た。そして呻くような声を上げる。
学ランのすそを引っ張られたので目をやると、悪戯っぽい笑みを向けられた。
「逃げちゃおっか」
「は?」
「愛の逃避行みたいな?」
身体を離した悠は流星の手を取った。
「はい?」
「流星、借りてくよ」
そう言って、悠は走り出した。
流星の手を掴んだままで。
「ちょ、ちょっと待てえぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
流星の絶叫虚しく、悠は手を握ったままその場を立ち去ってしまった。
そして現在、いかにも高級料理店という感じの店の個室で、二人は京料理を食べていた。
「これさ、さっきのお店で売ってた鉄扇。綺麗でしょ?」
桐の箱に入っていた扇を取り出し、悠は楽しそうに笑う。
それに相槌を打ちながらも、流星はそれで、と切り出した。
「何でここにいるんだ?」
「……もうちょっと恋人な雰囲気楽しんでもいいじゃないか」
悠はむくれながら口元に鉄扇をやった。
飾り緒の付いたそれは確かに美麗で、悠が持つと姫君のような印象を受ける。
「解ったよ。話す」
「……何かめちゃ不機嫌じゃね?」
「当たり前でしょ」
悠はふん、と鼻を鳴らすと、鉄扇を机に置いた。
「こっちで不穏な動きがあるって聞いてね。姫持ち達が今、京都に集まっている」
「あ? ってことは猛達も?」
「うん。その不穏な動きっていうのがさ、どうも身内みたいなんだよね」
食事を取りつつ、悠は不機嫌な顔のまま話を進めた。
「例の異能者達のこともあるし、早々に片付けたくてさ」
「……ちょ、待て。身内ってことは、退魔師なのか?」
流星が慌てて尋ねると、悠はこくりと頷いた。
「まぁね。しかも、椿家に密接に関係した家の奴らだ」
どくり、と。
流星の心臓が高鳴った。
知りたいと思っていた家。
その家に関係を持つ家。
これは、関わるべきだろうか。
知るために、巻き込まれるべきだろうか。
例え悠が拒んでも、行くべきだろうか。
「……悠」
流星は箸を起き、身を乗り出した。
何も言わなくても解ったのだろう。悠の片眉がぴくりと動いた。
何かを考える素振りを見せた後、紅い唇が開く――
バタアァァァァァンッ
突然。
個室の襖が、内側に向けて倒れてきた。
離れていたため襖に倒されることは無かったものの、風圧で髪がふわりと浮く。
「何、だっ……」
流星が呻くのと、しゃらん、という金属音が鳴るのはほぼ同時だった。
悠はすでに動いていた。机の上の鉄扇を手に取り、振り上げる。
その鉄扇に、何かが振り下ろされた。
金属同士がぶつかる鈍い音が、個室に響き渡る。
目を見張った流星は、振り下ろされたのは錫杖であること、振り下ろしたのは法衣姿の男であること視認した。
黒髪を後ろに撫でつけた冷たい目の男は、攻撃を受け止められたことが意外だったのか、眉間にしわを寄せた。
「そんなもので……私の一撃を受け止めるとは」
「知らないの? 鉄扇って武器になるんだよ」
一方悠は小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、座したまま男に足払いをかけた。
男は顔しかめながら後ろに下がる。悠は立ち上がったものの、追撃はしなかった。
「知ってて襲ったんだろうけど、一応名乗っとこうか」
悠は鉄扇を軽く降った。
ばんっ、と勢いよく開かれた鉄扇には、紅い椿が鮮やかに描かれていた。
「私は椿悠。貴方は?」
「……土御門家第六子」
男は錫杖を構え、誇らしげに言った。
「土御門陰流だ」