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HUNTER  作者: 沙伊
120/137

     異能者<下>




 深夜。月光さえ届かない山奥では、人間は動き回ることはできないだろう。

 もっとも、一般人に限った話ではあるが。

 一般人ならざる半鳥の男は、闇に閉ざされた山奥であろうと関係無く行動していた。

 足取りに迷いは感じられない。道すら無いというのに、彼は考える素振りも見せず前へ前へと進んでいた。

 闇を恐れる様子も無い。実際、彼は闇など恐れていないのだ。

 彼にとって、闇は己の一部でもあるのだから。

「……しかしなぁ」

 男は間延びした声を出し、足を止めた。辺りを見回し、嘆息する。

「ほんまは俺、こんなんしたくないねん。面倒やからな。シスターおらんからしかたなくやっとるけど、そもそもまとめ役とかむいてへんのや。下っ端属性やから」

 特に声を抑えることもせず、むしろ割合大きな声で、男は喋っていた。

 まるで誰かに話しかけているかのような口振りだが、辺りに人の気配は無い。

 それでも、男は喋り続ける。

「そもそも俺、こんな身体じゃなかったら今頃退魔師やってたかもしれん男や。こんなんやってられん……やってられんわ……」

 男は、腕環の付いた右手を振り上げた。

 側面に複雑な模様が描かれた黒光りする腕環で、紅く輝く大きな石があしらわれていた。

「裏切り者の抹殺なんて、ほんま性に合わん」

 右手には手の甲まで黒い硬質な羽根で覆われており、しかし僅かに素肌が見えている。

 その手が、爪先まで浸食されるように羽根に覆われた。

 漆黒に染まった腕を、男は無造作に振り下ろす。

 とたん、腕から突風が放たれた。

 大した勢いがあったわけではない。そもそも腕を振り下ろしただけで風が起こるわけがない。なのに、不可視の力が込められていたかのように腕は風を巻き起こしたのだ。

 それだけではない。突風は目の前の木々を薙ぎ倒し、音を立てながら走り抜けていく。

 更に、倒れた木々が腐り出した(・・・・・)

 異臭を放ちながらぐじゅぐじゅと崩れ出し、地面の土と区別が付かなくなる。その土も、水分を失ったかのようにひからびてしまった。

「っち。避けよったか」

 男は舌打ちをもらし、辺りを見渡した。

「いまいち解らんわ……俺の感覚にも引っかからんとは、ほんと大したもんやで」

「……おかしな男だよな、あんたは」

 突然だった。

 空気と共に、流れるように山中に声が響いたのである。

 男はきょろきょろと視線を巡らすが、その声は四方八方から響いてきており、声の主の場所を特定するのは難しい。

「とてつもない力の持ち主なのにそれを感じさせない。飄々としているというか、何というか。面倒臭がりなのも、それに拍車をかけているのか?」

「んなこと言われてもなぁ……」

 男はがりがりと頭をかいて声に答えた。

「俺はおまえが言うほど上等な兵士じゃない。ただの一兵卒や。だからこんな面倒なことやらされとる」

「よく言う……シスターから聞いたぞ」

 声はあきれたように、男の過去を暴露した。

「数人の退魔師が寄ってたかっても傷一つ付けられなかった悪魔――こっちじゃ妖魔だったか? それを唯一生き残ったおまえが倒したと。その姿は、その代償だってな」

「……」

「その悪魔の血をあびたのも、おまえが直接倒したからだろ。でなきゃ返り血(・・・)なんてあびないからな。それに」

「一つ訂正させてくれ」

 男は両手を広げ、すぅ、と息を吸った。

「倒した、やない。狩った、や」

 男が両腕をクロスするように振り上げたとたん。


 ゴオ゛ォォォッ!


 業風が辺りを吹き抜けた。

 いや、そんな可愛いものではない。それだけではおさまらない。

 なぜなら、風を受けた木々がいっせいに腐り出したのだから。

 薙ぎ倒すまでもない。薙ぎ倒す前に、木は腐り出している。

 数秒もしない内に、男を中心に半径十メートルほどの木々が完全に腐りきり、辺りは焼け野原のようになっていた。

 実際は何も燃えてはいない。ただ、幾つもの木が腐っただけに過ぎないのだ。

 なのに、跡形も無くなってしまったその場所は、何とも形容しがたいほど凄惨だった。

「……ん。逃げおったか、あいつ」

 何も無くなった代わりに異臭を漂わせる周囲を見渡しながら、男は他人事のように呟いた。

「逃げ足の速い奴やな……全く、面倒なこっちゃ」

 一歩踏み出すと、安全靴をはいた足裏にぐにゃりとした感触があった。

 腐った木か草を踏んだのだろうと特に気にせず、ずんずん進んでいく。

 本当は、さっさと終わらせたいんだけどな。

 男は心の内で一人ごちた。

 長時間戦っていると、嫌なことを思い出す。

 本当に、嫌なことを――


「むごいことをするな」


 そう、声をかけられた。

 誰もいなかったはずの正面から。

「っ……!?」

 男の身体が強張った。

 ありえない、と頭の中で何度もくり返す。

 もう聞くはずが無いと思ったのに。

 奴は死んだと思ったのに――!

「ここの草木に罪は無かったろうに、一人殺すのにこれとは。いささかやり過ぎだろう」

「貴様――熾堕(シダ)!?」

 男は呻き、目の前に突然現れた美丈夫を睨み付けた。

 月明かりをバックにして輝く長い銀の髪にしなやかな長身にまとった黒衣、こちらを見抜くように煌めく銀の双眸、彫刻のように整った顔立ち。

 間違いようがない。彼はかつて、妖偽教団に幹部として在籍していた男である。

 いや、男であるかどうか微妙なところだ。妖魔でもなく人間でもない。存在自体が謎。それが彼だった。

「生きとったんか……てっきり死んだかと思っとったわ」

「色々準備があってな。それが一段落したから、こうやって死亡説を払拭しに来たんだよ」

「さよか」

 男は軽く返すも、内心では焦っていた。

 こいつには、自分の羽根も毒も効かない。どのような攻撃も、彼を傷付けはしても殺しはできないのだ。

 常にどこか手を抜いたような彼がもし本気になりでもしたら、自分はまともに戦えるかどうか。

「ところで」

 熾堕は白く薄い唇に微笑を浮かべた。穏やかで優しい笑みだが、男の背筋は凍り付く。

「おまえ、こんなところで何をしてるんだ?」

「それ、は」

「山中の一部分を毒風でこうも腐らせるなんて、ただごとじゃないよな。こんな見通しをよくして、何かを探しているのか? あるいは誰かを。こんなことをやれば何もかも腐っちまうから、目的は抹殺か」

「っ……!」

 よくもまぁずばずばと、見てもいないのに的確に当てられるものである。

 あるいは、先程の会話を見聞きしていたのか。しかしこちらに気付かせずに?

 または、一番ありえないが――

「知ってるんか? 何から何まで」

「――ってことは、さっきの予想は全て当たりか」

 熾堕は笑みを深めた。

 全て予想なのか。だとしたら、鋭過ぎる。

 妖偽教団にもぐり込んでいた時から思っていたが、こいつの底は知れない。

 本当に、こいつは――

「おまえ、ほんま何なん?」

 男は少しだけ後ずさりしながら熾堕に尋ねた。

「何、とは?」

「何者なんやと訊いてる。人ではない。妖魔でもない。じゃ、自分は何なんや?」

「……何だ、気付いてないのか?」

 熾堕はきょとんとした顔をして首を傾げた。

「おかしいな。会った・・・)ことが無いのか? あるいは信じられないか……それとも本当に気付いてないだけ?」

「どういう……意味や」

「う~ん。あぁ、そっか。なるほどなるほど。そうだよな。形が同じでも(・・・・・・)色は違う(・・・・)からな。人の恣意的な目では気付かないか」

「だから、どういう」

「待て」

 熾堕は片手を上げ、男を制した。

「おまえは今回のこと、一人で片付けようとしたのか?」

「? 当たり前や。こんなかったるの、やりたがる奴はおらんかったからな。餓鬼共は休ませてやりたかったし」

「ふーん。じゃ、招かれざる客か、そいつ」

 何のことだ、問おうとした時だった。


「あら、バレてたの」


 聞きなれた声が、男の影から聞こえてきた。

 男が慌てて振り返ると、伸びた影から人の頭が出てきた。ウェーブがかった黒髪に美しい顔立ちをした頭だ。

 首、肩、胸、腹と順に出てきた彼女(・・)は、熾堕を見て楽しそうに笑った。

「お久しぶり、でいいのかしらね」

「あぁ。元気そうで何より」

 彼女――シスターがにこやかにあいさつをすると、熾堕も目を細めて頷いた。

 あまりにもなごやかなやり取りだが、風景が腐臭漂う荒原というのだから何ともシュールだった。

「……っていうか、シスター。いつまで俺の影からはえてるんですか。俺、動けないんやけど」

「あら、失礼」

 シスターはくすりと笑い、完全に影から出てきた。その手には、一本の黒い傘が握られている。

 長く黒い柄の頭部分には紅い石があしらわれており、黒い骨に張られた布も黒い。しかしよく見れば、美麗な刺繍がほどこされていた。

「久しぶりで悪いけど、私達はそろそろおいとまさせてもらうわよ」

 シスターは小首を傾げ、にっこり微笑んだ。それに対し、熾堕もまた笑みを返す。

「いいのか? 誰かを抹殺しに来たんだろ?」

「心配には及ばないわ」

 シスターは微笑んだまましゃがみ、先程自分が出てきた男の影に手を突っ込む。

 とぷり、と沈む繊手。引き上げる際はほんの僅かに眉根が寄ったものの、終始笑顔だった。

 笑顔のまま、人喰いの男の死体を引き上げた。

 自分の影から死体が引き上げられたことに男は硬直するが、熾堕は特に変わった様子は見せない。

 ただ、視線がほんの僅かに鋭くなった。

「彼が裏切ったって聞いて、来たのよ」

 死体を完全に影から引き上げ、シスターは笑みを深めた。

「影を伝って場所を探し当てて、殺したの」

 死体の首は、ありえない方向にねじまがっている。目は見開かれ、手の指も全て折られているようだった。

「彼は他人に認識されないほどに己の気配をほぼ無にできるけど、己の影を無くすことはできないものねぇ」

 シスターはくすくす笑いながら死体を地面に落とした。

「さて、と……ねぇ、熾堕」

 死体に腰を下ろし、雨も降っていないのに傘をさしたシスターは、熾堕を見つめた。

「貴方の話を聞いた我らが神が、貴方を仲間に引き入れ」

「却下」

 話の途中で、熾堕はきっぱり拒絶の言葉を口にした。

 さしものシスターも驚いたらしく、え? と目を丸くしている。

「その誘いなぁ……随分昔にそいつ(・・・)から直接言われたぞ。その時も言ったが、応じるつもりは無い」

「か、神をそいつ呼ばわりって……」

 男の顔がひきつった。

 本当にこいつは何者なのか。それより今、とんでもないことを言われたような……

「ふふ……神、ねぇ」

 と。突然熾堕が笑い出した。

 一体何なのか、と思わず彼を見ると、視線がかち合った。

 驚いている内に、熾堕は笑みを深めて口を開いた。

「おまえはその神を信じているのか?」

「あ、当たり前やろ。でなきゃ、使徒なんてやってられへん」

「ん……いや、言い方が悪かったかな」

 熾堕は片目だけを細め、白く細い指を向けてきた。

「おまえはその神とやらを信仰してるのかって言ってるんだよ」

「……な、に」

「存在を信じる信じないは別にして、おまえはその教えを信じているのか? 言っとくが、存在を信じるのと教えを信じるとじゃ、全く別ものだぜ」

「知ったような口を」

 答えたのは男ではない。

 立ち上がったシスターだ。

「勿論我らは神の教えを信じているわ。だからこその使徒よ」

 ねぇ? と、シスターが視線をこちらに向けてきた。

 瞳から不可視の力がこちらに働きかけてきているような気がして、男は思わず頷く。

 シスターは嬉しそうに笑った。

「ほらね。だから貴方の戯言は、私達にとって何の意味も無いのよ」

「俺の言葉を戯言と判断するのは、おまえごとき愚者じゃない」

 熾堕は嘲笑った。心底愚かだと言いたげな、冷たい笑みだった。

「判ずるのは、聞く耳を持った者――あるいは神だ。おまえ達の信じる偽りの神ではなく、真なる神だがな」

「……邪教徒め」

 この時初めて、シスターの余裕の表情が崩れた。

 美しい顔を憎々しげに歪め、黒髪を風になびかせる姿は、まるで般若のようだ。

 男はその恐ろしさに身体を硬直させる。しかしなぜか、先程まで感じていた威圧は消えていた。

「貴方は、妖偽教団にいる時に殺しておくべきだったわね」

「ほぉ? 俺を殺すとは異なことを言う」

 熾堕は笑みを浮かべたまま両腕を広げた。

「ならばやってみるがいい。本当に俺を殺せるかどうかな。その影で? お得意の催眠術で? その傘で? それとも、そっちが俺を殺すか?」

「っ……」

 視線がこちらに向いた。シスターとは別種の威圧が全身に覆いかぶさり、男は金縛りにあったように動けなくなる。

 視線はすぐに外れたため、その感覚は無くなったが。

「それとも、今すぐここから立ち去るか? どれでもいいぞ。俺は止めはしない。ただし、前者を選んだ時は情け容赦無く抵抗(・・)させてもらう」

 どうする? と首を傾げる熾堕は一見すると酷く無防備だが、男から見れば脅威にしか映らない。

 それはシスターも同じだったらしく、厳しい顔で傘を下ろした。

「下がるわよ。これ以上は益が無い」

「……おう」

 男は正直ほっとしていた。

 やっとこの場から逃れられると思うと、深い安堵感がじわじわと心の内ににじんでくる。

 足が自身の影に沈み始めた。シスターと人喰いの死体もまた同様だ。

「貴方のこと、我らが神にご報告させてもらうわ。その美しい笑みが見られるのも、これで最後ね」

「さて、どうかな。俺は姿は見せたが、居場所を教えたわけじゃない」

 熾堕はなおも笑っていた。その姿が、かげろうのように揺らめく。

「し、熾堕……!?」

「俺は実体がここにあるとは一言も言って無いぞ」

 だが、と、熾堕は視線を周囲に巡らせた。

「部下は、何人か配置してるがな」

「用意周到なこっちゃな」

 男は皮肉げに呟いた。熾堕は肩をすくめるだけ。

 すでに腹の半分ほど影に沈んでいる。けれど、とうに銀の美丈夫は消えてしまっていた。


   ―――


 目を開けると、そこは腐臭の漂う荒地――ではなく、今にも崩れそうな建築物だった。

 元は教会だったのだろう。ところどころ崩れ、壊れた木の床や壁は、泥で汚れきっている。

 その中で、白い聖母像だけがその美しさを保っていた。

 ところどころ汚れ、欠けたりしている。それでも、赤ん坊を抱えた神々しい姿に、人々は祈りをささげずにはいられないだろう。

 その祈りは、神にも聖母にも届かないというのに。

「この地でやるべきことも無くなった。幾つかは奪われてしまったが、及第点と言ったところだろう」

 銀の髪を後ろに払い、彼は再び目を閉じた。

 今度は、己自身に誓うために。

「今度こそ、倒す。全てを、終わらす。全ては――神の(おん)ために」


 真なる神の、御ために。


 彼は一人、そう呟いた。





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