回りだした歯車<下>
晋羅高校の一角。普通より大きな体育館には、歓声がこだましていた。
そしてそのほとんどが……
「キャーー!! 椿くーん!!」
真隣の黄色い声に、流星は飛び上がった。
「す、凄ぇ……恭弥まだ出てきてねぇ、つうか戦ってねぇのに」
「恭兄モテるからね」
体育館の二階部分にある、一階を見渡せる観戦席に座った悠はクスッと笑った。
「顔よし、頭よし、運動神経よし、おまけに性格よし。これでモテなかったら詐欺でしょ」
「た、確かに……」
流星は大いに納得した。
椿家家宅で色々話したが、恭弥は口数は少ないものの、女子だけでなく男にもモテるような、さっぱりした性格の持ち主だった。
実際、応援には男子の姿もある。妙な雰囲気醸す奴もいるけど。
……しかしだ。
女子が圧倒的に多い。なぜか恭弥の名前が書かれたうちわを持ってる者もいる。
ここはアイドルのコンサート会場かっ、とツッコみたくなる。
出番を待つ恭弥は、遠目からでも不快そうな顔をしていた。
「ハハ、恭兄顔しかめてる。当然だけど」
「だよなー。しかしこれじゃ、敵だけじゃなくて味方も戦いにくいぜ……」
悠と一緒になって笑っていると、向こうの高校が一本取った。
「あーあ。副将負けちゃった。流星、耳塞いだ方がいいよ」
「は?」
流星が首を傾げていると、恭弥が面を被って立ち上がった。
いよいよか、と思って身を乗り出そうとしたその時。
『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
体育館が揺れたかと思うほど(ていうか実際揺れた)の黄色い悲鳴が沸き起こった。
まともにそれを受けた流星はふらっとよろめく。
「だから言ったのに」
悠のあきれ声も、悲鳴に埋もれた。
ドサッ
真後ろで何かが倒れる音がした。
「! どうしたんだ?」
女子生徒だ。どういうわけか、横倒しになって白目を剥いている。
ただの気絶にしては、様子がおかしい。
「お、おい。どうし……」
手を伸ばしかけた流星を、何かに気付いた悠が怒鳴った。
「流星、彼女に触れるんじゃない!」
「え?」
思わず手を引いた流星の目の前で、女子生徒の肌が変色していく。
すーっと広がるように黒くなり、露出した肌全てがどす黒くなった。そして。
ブシャッ
黒い肉片と生温い血が、流星の頬に飛んだ。
女生徒は、身体を破裂させて、血と肉をそこら中にまき散らした。
形を残した腕が、流星の爪先に当たる。
血の臭いと一緒に、何か別の臭いが漂ってきた。
腐敗した肉と卵を生ゴミと混ぜたような悪臭だ。
「鼻と口を塞いで。これは毒ガスだよ!!」
悠の必死の声で、無意識に言われた通りにした。
「な、何!?」
「人が、人が爆発したぁ!」
近くの人間が現状に気付いて騒ぎだした。
が、すぐすぐバタバタと倒れだした。
肌が黒くなっていく。流星は目を逸らして離れる。
幾つもの破裂音に、流星は目を固く閉じた。
「朱華、いるね」
「はい」
悠が呼びかけると、朱華がどこからともなく現れた。
「空気を浄化して。これ以上被害が広がる前に!」
「はい」
朱華が一礼すると、狐の尾と獣耳が現れた。
ポッポッポッポッポッ……
そこら中に青白い炎が浮かび上がった。
「うわ!? って、熱く、ない?」
手元近くに炎が浮かんで驚き、手をひっこめた流星だが、自分が火傷してないことに気付いた。
「この炎は空気中の毒素は燃やすけど、人体には無害だから大丈夫だよ」
悠はそう言って、一階に声をかけようとした。
「恭に……キャッ」
下を覗き込もうとした悠が突然後ろに倒れかかった。
それより半瞬遅く、何かが飛んでくる。
後方の壁に突き刺さったそれを、流星は振り返った。
「!? 木?」
太い木の枝を見つめ、流星は眉をひそめる。
何でこんなのが……
「恭兄!?」
悠の悲鳴に近い声に、流星はそちらを向いた。
悠は再び下を覗き込んでいた。
彼女にならって下を見ると、見知らぬ男が恭弥の喉を掴んでいた。
「! な、何だあのおっさんっ」
「あの人、確か剣道部の顧問だよっ。恭兄が入部する前からの……でも、何で!?」
悠の焦り声を聞いていた流星は、一階の惨状に息を飲んだ。
一階にいる人間で、恭弥の首を絞めている男以外に立っている者はいなかった。
皆喉を裂かれたり、腹を貫かれたりして血の海に例外無く沈んでいる。
「ククッ……もう我慢できねぇ」
男の声が聞こえてきた。
「き、さま……せ、んせいじゃな、いなっ」
男の手首を掴んだ恭弥が呻いた。
「まだしゃべれるか。……あぁそうだ。俺はこの『顔』の持ち主じゃない」
男は自分の頭頂に空いた左手をかけた。
ズルリ、とマスクを取った下にあった顔は、見覚えのある顔だった。
「あ、あいつ確か!」
流星は身を乗り出した。
「連続殺人事件犯人の高島竜介! 二十人殺して今も逃走中だってテレビで」
「あの男、生皮被ってたみたいだよ」
悠の言葉に、流星は「え?」と訊き返した。
「生皮って……あれマスクじゃねぇのか!?」
「遠目だけど多分そう。死体から頭部分の皮を全部剥いだんだ」
悠はなぜか冷静な声音で言った。
「顔の持ち主を一ヶ月前に殺しておまえの近くにいたのに、まったく気付かんとは、間抜けだな」
男――高島竜介はにやっと笑った。
「あの方は殺さず監視していろと言っていたが、まぁ今殺しても……」
「あの方とは誰だ?」
全然別の方から声がした。
驚いたのか、高島が振り返ると、恭弥が壁にもたれかかって腕を組んでいた。
「ど、どういうことだ!? 確かにおまえは俺に……!」
自分の腕に視線を戻した高島の目が、大きく見開かれた。
彼が掴んでいたのは、人の形をした呪符だったのだ。
「何でだ!? さっきは確かに恭弥だったのにっ」
流星は思わず身を乗り出した。
「さっきの恭兄は身代わりだよ。本物はあっち」
悠は、余裕の表情で高島と対峙する恭弥を指差した。
「身代わりに気付かないとは、貴様、大した実力じゃないな」
「っ、黙れ! その減らず口、閉ざしてやる!!」
高島は呪符を投げ捨て、両手を突き出した。
バキバキバキィッ
高島の腕が変質しだした。
腕が茶褐色に変わり、硬質になる。
数秒で枯木のようになった腕が、増殖するように恭弥へ伸びた。
腕は本物の木のように無数に枝分かれして恭弥に襲いかかる。
恭弥は慌てることなく、懐から何かを取り出した。
さっきと同じ、人型の呪符だ。それを前に投げる。
ズドドドドドドドドド!!
高島の腕から伸びた枝が、矢のように恭弥に向かっていく。
破壊された壁の土煙で、恭弥の姿が見えなくなった。
「はっは。生意気言うからだ! 見ろ、ボロ雑巾のように……!?」
高島の小さい目が、皿のように大きくなる。
土煙が晴れて見えたのは、無傷の恭弥と、彼を守るように空中に浮かぶ巨大な亀だった。
黒緑の甲羅、四肢の爪は、肉食獣のように鋭かった。
「な、何だ、あれ!?」
「式神だよ」
驚く流星の横で、悠は唇の端を持ち上げた。
「恭兄は式神使いなんだよ。それも凄腕のね。……まぁ」
悠はふ、と笑みを消し、頬杖をついた。
「自分の命を守るためなんだし、当然なんだけど」
「え?」
流星は恭弥から目を離し、悠の横顔を見つめた。
「自分を守るため? 妖魔を倒すためじゃなくてか?」
そう訊くと、ぞっとするほど底冷えした悠の目が、こちらに向けられた。
「流星は、人の業を知らないんだよ」
「ど、ゆう……?」
悠はそれ以上何も言わず、恭弥に目を戻していた。
高島は唯一変化していない顔を汗まみれにした。
「な、なぜだ……俺の攻撃は、コンクリートも貫くんだぞ!」
恭弥は狼狽する高島に冷徹な目を向けた。
「その程度の攻撃、僕の甲奕には通用しない。諦めろ」
「っ……なめるな、餓鬼ぃ!!」
高島の腕が再び変形していく。
枝同士がくっつき、一本の槍のようになった。
「死ね! おまえの身体を引き裂いて、内蔵貪り喰ってやるっ」
「接近戦なら殺れると思ったか? 愚かな……」
飛びかかる高島を冷たく見つめながら、恭弥はもう一枚呪符を取り出した。
「走れ、走嵐」
言葉に反応したかのように、呪符が高島に向かって飛んだ。
ドンッ
呪符が突然巨大な狼になり、高島の腰に食らい付いた。
「な、がっ」
高島は狼を引き剥がそうともがくが叶わず、下半身を食いちぎられた。
「ひ、ぎゃああああ! お、俺のあし、足があぁぁ」
胸が悪くなるような悲鳴に、流星は顔をひきつらせた。
「か、身体が真っ二つに!」
「あれくらいじゃ死なないよ、彼。どうやら半妖のようだし」
悠は残酷なほど無表情で言った。
「は、半妖……?」
「顔剥ぎさんの佐野和子やあの男みたいに、妖魔の力を手に入れた人間のこと。人でもなければ、妖魔でもない奴らのことだよ」
悠は二階の手すりを飛び越えた。
目を剥く流星だが、悠は空中で猫のように四回転し、一階に着地した。
「やっほ、恭兄。そいつどうするの?」
「悠か。半妖である以上、警察に突き出すわけにもいかない。が、はっきりさせなければならないことがある」
恭弥は、血まみれの床に這いつくばる高島を見下ろした。
腹から下を失い、血と内蔵を引きずりながらも逃げようとしている。
遠目で見ていた流星は、その凄惨な男の様を、背筋が凍る思いで見つめていた。
「なぜ僕を狙った? 僕を監視するよう、誰かに命令されていたようだが」
恭弥の言葉に、高島は何も言わなかった。
あるいは、喋れないのかもしれない。
半身を失ったのだ。当然だろう。
「……く、くく。あははははははは!」
高島は突然笑いだした。
ぞっとするほど、凶気に満ち溢れた笑い声だ。
「なぜ、だって? わかりきってんだろ!? 人の平和のために生け贄になった、人柱が!!」
「――!!」
悠と恭弥の身体が、一瞬震えた。
「ひと、ばしら……?」
流星が眉をひそめた時だった。
ドスッ
何かが突き刺さる鈍い音が、体育館内に響いた。
「……が、は!?」
高島はびくり、と身体を大きく震わせた。
高島の背には、一本の矢が突き刺さっていた。
矢は、空中に霧散したかのように消えたが、変わりに、新たな人影が姿を現す。
「喋りすぎよ、高島」
一階の、外に通じる扉が開き、一人の女性が弓を携え入ってきた。
漆黒の長い髪を束ね、巫女装束の上に黒コートを羽織っている。
切れ長の瞳と整った顔立ちに、流星は見覚えがあった。
(あの人……前に街でぶつかった人か?)
流星は下を覗き込んだ。
「……嘘」
悠の呟く声が聞こえる。信じられない、という声音だった。
「何で……何で生きてるの? 葵姉!」
体育館に、悠の叫びがこだました。
運命の歯車は廻り始める。
その先にあるのは、悲劇か喜劇か。