異能者<中>
異変は、戦闘が再開してしばらくしてからだった。
「あ、ぐぁっ」
突然フードの方が呻いたのである。
喉からしぼり出したようなその声に、相手をしていた風馬は勿論、日影や日影と戦っていた仮面の男も動きをとめる。
「っ、まずい」
仮面は受け止めていた日影の扇をはじき飛ばし、だっと走り出した。
離れていたはずの風馬との距離を瞬く間に詰め、氷でコーティングされた爪を突き出す。
「う、おっ!?」
目を狙った攻撃を、風馬はぎりぎり回避した。代わりに髪が数本舞う。
それには目もくれず、仮面は体勢の崩れた風馬の肩を掴み、地面を蹴った。
掴んだ手を支点に、足を振り上げるようにして風馬の肩上でバク転。彼の背後に降り立つ。
背後を取られたためか、風馬の表情が強張る。それでも、後方に蹴りを放った。
しかし仮面はそれをひらりと避け、フードの傍へ移動した。
「大丈夫ですか?」
仮面の問いかけに、フードは答えない。ナイフを持ったまま、自分を抱くように自身の肩を掴む。
その手が蜃気楼のように揺らめいているのを見て、日影ははっとした。
「手が、発熱してる?」
日影の呟きに、仮面が唇を噛むのが見えた。しかしその後、すぐさま口を開く。
「タイムオーバーですね。これ以上戦うわけにはいきません」
「逃げる気!?」
「戦術的撤退ですよ。どちらにせよ、我々がするべきことはなくなりました」
「どっちにしたところで、逃げることに変わりないでしょう?」
日影は扇を構え、ふん、と鼻を鳴らした。
「そんなことで挑発しているつもりですか? 女性にこんなことを言いたくありませんが、幼稚ですね」
「なっ……」
「おまえが逆に挑発されてどうする」
あきれ顔で日影を制し、風馬は仮面に向き直った。
「俺達が、そう簡単におまえらを逃がすと思うか?」
「思いません。正直驚きましたよ、貴方がたの実力に」
ですが、と言って、仮面は左の手の平を向けた。
「我々は、ここで終わるわけにはいかないんですよ」
言下と共に、周囲の空気が凍り付く。真夏においてありえない気温変化に、薄着の日影と風馬は身体を震わせた。
更に、視界が白に染まっていく。急激な気温低下のせいか、霧が発生したのだ。
「え、なっ……」
「ま、まさかそんな」
慌てて辺りを見渡す二人に、仮面のかすれ声がかかる。
「僕の能力が、氷を作り出すだけのものだと? そんな短絡的だから、貴方がたは神に選ばれなかったのですよ」
そんな謎の言葉を残して、二人の姿は霧にまぎれて消えてしまった。
「神に選ばれなかった、ねぇ」
事件の翌日。町を警察に任せ、一同は椿家の屋敷の大広間に集まっていた。
昨日のあらましを聞いた悠は、そんな風に呟いて畳を指で叩く。
「馬鹿馬鹿しい。神が実在するものか。実在していたとしても、大量虐殺なんて望むかな」
「俺も同感。正直眉ツバもんだぜ。神だの使徒だの。聖書や神話じゃあるまいし」
猛が片手を上げて同意した。
「けど、無視はできないな」
刀弥が左手で煙管をもてあそびながら唸った。
「異能者がいることが、これで確定したんだし。油断はできない。昨日の失態が、いい証拠だ」
ぐっ、と息を詰める声が聞こえた。日影だ。
よほど昨日のことが悔しかったのか、うつむき加減の顔は紅潮している。
隣に座る雷雲は、ふてくされてるのか風馬に隠れるようにくっついている。風馬もまた、表情は固い。
「異能者か」
恭弥がぽつりと呟いた。腕を組んで瞑目しており、何を考えているかは解らない。ただ、唇にはいつもの笑みが無かった。
その呟きを最後に、全員が黙り込む。冷房機が無いにも関わらず部屋は過ごしやすい環境に保たれているため、じっとしていても苦にはならない。が、その沈黙はあまりにも重かった。
部屋の重量が倍になったかのようだ。声をもらすこともはばかれるような空気は、とても耐えられるものではない。かと言って、この均衡を崩そうとも思えなかった。
一体どれほどそんな状態が続いただろうか。実際は十分とたっていないかもしれないが、体感的には数時間経過したような気分だ。
そんなことを思いながら、流星はおずおずと挙手した。
全員の視線がこちらに向く。それに思わずのけぞるも、流星は口を開いた。
……正直これは、ここで訊くことではない。
しかしこのまま放置していれば、どんどん話が進んで、ますますわけが解らなくなる。疑問は、早くに解消するべきだろう。
聞くは一時の恥。昔の人はいいことを言った。
「イノウシャって、何?」
『……』
空気から重苦しい雰囲気が消えた。ついでに緊張感も消えた。
悠など、今それ言う? と声に出さずに唇を動かしている。読唇術など使えない流星だが、なぜかそれだけは解った。
「えっと……え、えぇぇ?」
刀弥が珍しくひきつった表情を浮かべていた。口を開閉し、意味にならない呻きをくり返している。
猛は呆然とした顔で身体を揺らしているし、日影の顔からは表情が抜け落ちていた。雷雲はその場でずっこけたのか風馬の背中に顔を預けているし、風馬は両手で頭を抱えている。
おのおの、思い思いの脱力を見せてくれた。ただ一人、恭弥を除いて。
「あぁ、異能者というのはだな――」
「待て! 超待て恭弥! おまえなに何ごともなく会話を進めようとする!?」
刀弥が慌てて恭弥を遮った。それに対し、恭弥はきょとんとした表情で首を傾げる。
「駄目なのか?」
「まずツッコめ!」
「ここでも発揮……恭兄の天然……」
悠は呟き、ため息をついた。
しばらく椿家の兄二人によるコントのような会話が続いたが、最終的に刀弥が肩を落とした。
「もういい……俺が説明する」
「? あぁ」
いまいちよく解っていない恭弥を一瞥すると、刀弥はせき払いをした。
「あー……異能者ってのは、書いて字のごとし、本来人間には無い力を持った奴らのことだ」
「人間に無い力……超能力とかスか?」
「それも一つだな。定義には少し外れるが、おまえも異能者と呼べなくない」
刀弥はぴ、と煙管で流星を指した。
「異能者は肉体は人間だが、超人的な力を持っている。どうしてそういう奴が生まれるのか、理由は判然しないがな――戦うのに有効だからか、退魔師になる奴が多いかな」
「俺みたいに、スか」
「さっきも言った通り、定義からは外れるがな。おまえは一応理由が解っているし、どちらかといえば半妖に近い」
刀弥はそう言って、じ、と流星を見つめた。
悠や恭弥と同じ、澄んだ黒水晶の瞳に見つめられて、流星はすこしたじらぐ。それでも、視線は外さなかった。
それに対し、刀弥は小さく笑う。そして話を再開した。
「例の使徒とかいう奴らの能力はフードの奴が炎、仮面の奴が氷、シスターと呼ばれる女が影から影への移動。この間の竈内や半鳥の男は半妖だろう。人喰い男は人間の新種、かな。どれもこれも、一般人に太刀打ちできるものじゃない」
「あ、そのことなんだけど」
悠が思い出したように挙手した。
「半鳥の男の……身元、というか何というか、正体が解って」
「何っ?」
刀弥の片眉が上がった。
「誰だったんだ?」
「……刀兄も恭兄も知ってる人の親族だった。流星も知ってる。朱崋に調べさせたし、本人にも訊いたから間違い無い」
「俺も知ってる?」
流星は目を瞬いた。
「誰の親族なんだよ」
「……流星は、白杉景信さんのこと、覚えてる?」
悠の質問に流星は一度首を傾げ、次いで頷いた。
「あぁ、勿論。『煌炎』打ち直してくれた、人……」
言葉が不自然に途切れた。
思い至った事実に、しぼり出した声が震える。
「まさか、景信さんの?」
「そのまさか。半鳥の男は、景信さんの息子だ」
再びその場が静まり返った。
白杉景信。退魔師の使う武器、退魔武器を造る武器職人である。
実を言うと、刀弥の『如意ノ手』と風馬の銃四丁を造ったのも、景信である。他にも、椿家の退魔師の大半が彼の造った武器を使用しているのだ。
そちらの世界では、現代の名工の一人と数えられている。ちなみに他の名工と呼ばれる職人達はほぼ全員が京都に在住している。素材がそろえやすいのだ。
しかし、武器を造っているということは、それを使っている者の武力を知っているも同然である。多量に使われているのであれば、それは勢力を知っているに等しい。
そんな人間の息子が、敵にいようとは。
「……妖偽教団に寝返った退魔師達ほどでないにせよ、こちらの手はある程度知っているだろうな」
刀弥は呻いた。
「しかし……俺は、あの人は死んだって聞いたが」
「景信さんもそう思ってた。行方不明になったのは十年も前だからね、普通そう思う」
悠は半眼になってそう言った後、こちらが疑問に思ったことに気付いたらしい。ていねいに説明してくれた。
「景信さんの息子はね、十年前に行方不明になっててね。遺書も書き置きも無くて、目撃情報も無いから、景信さんも諦めてたんだよ。まさかこんな形で生きてることが解るとは思わなかったけど」
「……その人、元からその……半妖だった?」
自分や竈内のように、生まれつき半妖だったのかと問うたのだが、悠の答えは否だった。
「いや、後天性の半妖だよ。とはいえ、自分の意思ではないようだけどね」
「……どういうことだ?」
「一言で言うと、呪いだよ」
悠は不愉快そうに言った。
「狂熱に由来する呪いは本人の、他者の肉体さえ変質させる。もっとも、これは人だけがなせるものじゃない」
「……妖魔も使えるってか」
「妖魔だけじゃなく、ただの動物にも使える」
悠は嘲るような笑みを浮かべた。
「例えば、カエルを理不尽に踏み潰すよね。カエルは当然踏み潰した奴を憎む。すると憎まれた人間は、カエルの呪いにかかるというわけ。もっとも、動物の場合は半分憑依なんだけど」
「……ホラー漫画?」
「残念ながらリアルだよ」
悠は肩をすくめ、しかしふと表情を消した。
「彼は、元々退魔師見習いだった。流星と似たような立場だね。だから師事していた退魔師の手伝いをしていたんだけど、ある時倒した妖鳥の血を全身にかぶったのがまずかった」
「血?」
「その妖鳥、毒鳥だったんだよ。羽根一本だけで人を十人殺すほどの猛毒鳥だ。退魔師は妖魔の毒に耐えられるよう訓練を受けているけど、さすがに全身じゃあね。しかも返り血、死に際の血だから、強い怨念がこもってた。体内に入らなかっただけ、まだ幸運と言えるかもしれないけど」
「彼は数週間、全身を炎に焼かれるような痛みに襲われた。その間は、一睡もできなかったらしい」
悠の言葉を、刀弥が引き継いだ。
「なんとか一命はとりとめたが、そこから数日は意識不明、その間に彼の全身にはウロコみたいな羽根がはえ始めてな。目が覚めた時に半身が羽根で覆われた自分の身体を見たあの人は、この世の終わりみたいな顔してたよ」
「……刀弥さん、その人のこと知ってるんですか?」
流星が思わず尋ねると、刀弥は淡く微笑んだ。
「うちの退魔師だったんだよ、その人の師匠。その退魔師は、毒鳥を狩った時に死んじまったが、その人のことはよく覚えてる」
「私……顔覚えてなかった。だから解んなかったのかな」
「僕にいたっては、会ったことすら無いな」
刀弥の言葉に、妹と弟は何とも言えない顔をする。しかし、煙管をくわえた兄を見て、表情を引き締めた。
「とはいえ、手を抜く理由にはならない。むしろ気を引き締める理由にはなるだろう」
煙管に火をつけ、吸う。吐き出された紫煙は、ゆらゆら揺れて空気の中に消えた。
「殺せとは言わない。むしろ殺すな。俺達が狩るべきは妖魔だ。それを忘れるな。ただし」
刀弥は全員の顔を見渡した。皆、その表情に緩みは無い。まっすぐ刀弥を見つめている。
刀弥は煙管を軽く振った。
「奴らを許せないと思うなら、奴らを止めたいと思うなら、本気で戦え」
誰も返事を返さない。皆黙ったままだ。
ただ座したまま、軽く低頭した。