第四十話 異能者<上>
「どうしてでしょうかね――どうしてうまくいかないんでしょうね」
エドワードは呟く。心底そう思っているように。
「いつもいつもいつもいつもいいところで邪魔されるんです。別に君を責めているわけではないですよ? むしろ逆です。逆なんですけど……こう、自分の運の悪さに嫌になってきて」
「……」
対し、クラウディオは答えない。いや、答えられない。
退魔師との戦闘を離脱した二人は、人気の無い路地裏にいた。
もっとも、今現在この町に人気などあるはずがないのだが――それはともかく。
「大丈夫ですか?」
エドワードは抱えたクラウディオに尋ねた。しかし、クラウディオはなおも答えられない。
絶え絶えに息を切らせているからだ。額には脂汗が浮き、見開かれた目は焦点が合っていない。
「やはり、本気で――炎を使って戦うのは、十分が限界ですか」
「……っ」
「オーバーヒートしてしまいますもんね。肉体ではなく、精神が」
「……Grazie」
なだめるように背中を撫でると、そんな言葉が返ってきた。エドワードは一瞬首を傾げるが、すぐさま笑顔になる。
「どういたしまして。これぐらい当然じゃないですか。僕達親友でしょう?」
「……そんな設定だったか?」
ようやく息を整えられたらしい。いつもの調子の声が返ってきた。
身体を離すと、クラウディオは汗をぬぐう。
「いつもすまない」
「いえいえ。君の炎に耐えられるのは僕だけですから。ところで」
エドワードはさっと笑みを消した。
「『種』は、ちゃんと仕込んでますよね」
「ぬかりない。あと……五分ほどか」
クラウディオの瞳が細められた。
「気付いても、退魔師には止められない。全て、焼滅する」
―――
言葉が出てこなかった。
人喰いの男を倒し、敵らしき二人を退かせて、それで全て終わったはずだった。
終わった、はずなのに。
「何で、燃えて……」
流星は呆然と、民宿を見つめた。
正確には、民宿だったものである。
目の前のそれは、ただの黒焦げた残骸だった。
壁も、柱も、中も、外も、全てを炎に蹂躙された火事の跡だった。
しかもここだけではない。この町のありとあらゆる場所で、ここと同じ状態の建物があるのだという。
全て同時に燃え上がり、そして同時に燃え尽きたのだ。
「な、中の人は……どうなった?」
猛が上ずった声を上げた。
「中の人は、逃げられたのか?」
「……」
日影が無言で首を横に振った。その顔は、今にも泣きそうである。
「……避難させる暇も無かった。あっという間に炎がこの建物を包んでいた、から」
風馬が苦々しげに呻いた。服に焼け焦げた跡があるものの、本人に怪我は無いようだ。
逆に重傷なのは雷雲で、折られた上にヤケドまで負わされた腕をかばいながら座り込んでいる。先程まで気絶していたらしく、その顔色は悪い。
けれど流星には、それを気にしている余裕は無かった。
誰も助からなかった。誰の避難も間に合わなかった。
それはつまり、皆死んでしまったということだ。
あの老婦人も、たまたま遊びに来ていた友達も。
みんな、死んだ――
「流星!?」
突然耳元で響いた声に、流星は我に返った。
気付けば悠に身体を支えられ、倒れ込みそうになっていた。
「あ、ゆ……」
「……顔色悪いよ。どこかで休んだ方がいい」
悠はそう言って、猛の方を見た。
「後、頼める?」
「あぁ」
短い答えに頷きを返し、悠は流星を離れた。
連れてこられたのは、どうやら林のようだった。辺りには木々が並んでいるが、遠くに町の姿が見える。
「流星、大丈夫?」
悠が手を伸ばして頬に触れてきた。
「顔色、凄く悪い」
「……悠」
見下ろした彼女の顔は、心配そうな表情を浮かべていた。
今の自分は、彼女にそんな表情をさせるような酷い顔をしているのだろうか。
考えてみると、幾らでも理由は思い至る。
あまりに急な喪失に、最初は頭が付いていなかった。
けれど、完全に理解しきった今は、あまりに急に知り合いがいなくなってしまったことに脳がしびれてしまったかのような感覚を覚えている。
神経をごっそり奪われてしまったかのような疲労感をうったえていた身体は、それさえ無くなってしまったかのように動かない。
今が夏であることを忘れそうになるぐらい、全身が冷えている。頬に触れる悠の手だけが、確かなぬくもりを持っていた。
「あそこに、依頼人がいたんだ」
「うん」
「俺の友達も、いたんだ」
「……うん」
「みんな、いたんだ」
なのに、跡形も無くなっていた。
死体すら見当たらなくて、あるのは炭と灰だけで。
「今は、もう、いないんだ」
「っ……流星」
慌てたような悠の声。
気付けば、流星は悠を抱き締めていた。
確かにそこに悠はいるのだと確かめたくて。
それは抱き締めるというよりも、すがり付くようなものだった。弱々しく、けれど力だけは込めて。
「りゅせ……苦しっ……」
「どうして、いなくなっちまうんだよ」
流星は悠の首元に顔をうずめた。
「父さんも母さんもじいちゃんも、友達も、みんないなくなっちまう。俺は、ただ一緒にいたいだけなのに、どうしてっ」
視界がにじむ。歪む風景を見たくなくて、流星は目を閉じた。
腕の中の悠はしばらくもがいていたが、少ししておとなしくなり、されるがままになる。
抱き締め返すわけでもなく、ただ突っ立っていいる悠を、流星は更に自分へと引き寄せた。
だんだん身体の感覚が戻ってくる。人喰いの男から受けた傷がまた痛み出したが、それでも抱く力はゆるめなかった。
「……流星」
いつまでそうしていただろうか。悠の声がいやに近い。
薄く目を開けると、悠は流星の耳元に唇を寄せていた。
「流星は……奴らに、使徒に、復讐したいと思う?」
「……」
鈍った頭で少し考えた後、流星は首を横に振る。
失いたくないものを奪われ、どうしようもない喪失感を味合わされ、それでもなお、流星の中に憎しみは産まれなかった。
自分はそれほど友人達を大切に思っていなかったのだろうかと考えてしまい、更に気分が暗く閉ざされてしまう。
だが、悠の口から出たのは、意外な言葉だった。
「よかった」
「……え?」
流星は思わず顔を上げた。悠は流星の肩に額を寄せる。
「流星はさっき、あの人喰い男に向かって、救ってやるって言ったでしょ?」
「……あぁ」
「復讐を考えていないってことは、今でもそれは変わらないんだね?」
「それ、は」
流星は口ごもった。
もう救おうとは思っていない、と言えば嘘になる。けれど、不安に思ったのだ。
自分は、本当に彼らを救うことができるのだろうか。
自分の同類。人外ではないが、同じ異形を持つ者達。
そんな彼らが全てに否定された存在だというなら、自分だけでも肯定してやろうと思う。
けれどあの惨状を目の当たりにして、それさえ難しいことなのだと痛感した。
家族とはいえ、自分を肯定してくれた両親と祖父の強さに、心底感服する。
どうしてそこまでしてくれたのか。そう問うと、どんな返事が返ってきたのだろう。
息子だから、孫だから、家族だから。そう言ってしまえばそれまでだが、逆にそれだけで自分のことを認められるものだろうか。
ましてや他人を認められるものだろうか。
「大丈夫。できるよ」
悠の細腕が背中に回った。抱き締め返されたことで、流星は身じろぎする。
「もう、できてるから」
「できて、る?」
「私のこと、認めてくれてるじゃない」
すり寄ってくる悠に、流星は少し戸惑う。精神状態が通常に戻りつつあるせいでもある。
それでも、悠を離そうとは思わなかったが。
「だって、私は母さんを殺してて、私自身も普通じゃなくて、どうしようもなく異常で」
「違う!」
流星がいきなり大声を出したせいか、悠の身体がぴくりと震えた。
「悠は……確かにちょっと変わってるけどっ、でも普通の女の子だ!」
「……他は? あの人喰い男や竈内とか」
「それは……。……やっぱりただの人間だよ」
流星は少しだけ身体を離し、悠の顔を見た。彼女の目を見て話さなければならない、そんな気がして。
「俺もそうだけど、化物みたいな力持ってさ、人間じゃない姿してさ、でも、根本的なとこは、みんな同じなんだよ。それに」
妖偽教団との戦いのさなか、龍の刺青をしたあの男にも言ったこと。
死の間際に死にたくないと呟く直前の彼に言ってやった言葉を、悠にも言った。
「自分を化物だとか考えてる時点で、そいつは人間なんだよ」
自分が何者なのかと考えるのは、人間だけだ。
その他の動物や妖魔は、そもそもそんなことで悩まない。自分の存在を疑ったり否定したりしないからだ。
自分だって、鬼童子と解った時からさんざん悩んだものである。
けれど、ある時開き直った。
これだけ悩んで答えが出ないのなら、結局自分は人間なのだと思えた。
そう伝えると、悠はなぜかきょとんとした表情を浮かべた。それから流星の胸元に額を当て、くすくす笑い出す。
「ゆ、悠?」
「ひ、開き直るって、君ねぇ」
声が震えている。笑い声を抑え込もうとしているようだ。
「普通、そんな風に向き合えないよ。自分の特異性にさ」
「……そうなの?」
「そうなの」
悠は顔を上げ、笑みをかたどった唇を頬に寄せてきた。
「でも、そういうところが好き」
「っ……」
流星の背中がざわりと揺れた。
しびれに似たそれに、一瞬頭が動かなくなる。
「流星?」
顔を離し、こちらを見上げる黒水晶の瞳。それに吸い寄せられるように、流星は悠の紅い唇に触れた。
自分の唇で。
「……え?」
見開かれた大きな目。離れた唇からは珍しく気の抜けた声がもれる。自分の唇にはまだ彼女の唇の柔らかさが残っていて――
「って何してんだ俺ぇぇぇええええええ!?」
流星は絶叫して悠の身体から離れた。二、三歩後ずさったところで足がもつれ、後ろに倒れる。
けっこうな勢い付きで。
「ぶへっ」
後頭部を打ち付け、流星は悲鳴を上げた。
今更ながら肉体の疲労も思い出し、頭を押さえてうずくまる。
「え、ちょ……流星……」
「ご、ごめっ……」
「何で謝るの? ていうかそれより、頭大丈夫? むしろ全身大丈夫?」
悠は傍らに膝を着き、こちらの顔を覗き込んだ。流星は慌てて顔をそらす。
「……何でそらすの」
「……いや、何かもぉ……何もかもごめん」
「だから、何で謝るの?」
わけが解らないよ、と悠は呻いた。本気で解らないようだ。
「だってさ、こんな格好悪ぃ姿さらして、しかもキ、キキキキ」
「猿か、君は。何でキスでそこまでどもるかな」
「……ああぁぁぁぁぁぁぁ」
今度は流星が呻く番だった。
「俺もう最悪。友達死んで……頭ん中ぐちゃぐちゃ」
「ぐちゃぐちゃで当たり前だよ」
くしゃり、と頭がなでられた。顔を上げると、悠は微笑んで流星の髪をかきまぜる。
「目の前で急に友達がいなくなって、冷静でいられるはずがない。格好悪くなって、当然だよ」
「……」
「ただまぁ……キスに関してはも少し考えてやってほしかったな」
「……うぅ」
彼女はなぐさめたいのか追い討ちをかけたいのかどっちなんだ。流星は頭を抱えた。
「もうちょっと状況とか……ムードとか……まぁいいや」
悠は流星の頭から手を離し、その手を差し出した。
「この手を取れば、君は使徒という、君の愚かな同類と向き合わなければいけない。それはつまり、今回のようなことがまた目の前で起こることを覚悟しなければならない」
「……」
「さて、どうする? 手を取るか否か、全ては、君次第だよ」
「……おまえって、意地悪ぃよな」
流星は痛む上体を起こし、その手を取った。
「俺はあいつらを止める。復讐のためじゃない。止めなきゃいけないんだ。これ以上、こんなことさせるわけにはいかないんだ」
「そうこなくちゃね」
悠はくすり、と笑い、流星を引き起こした。
「……もう、大丈夫だね?」
「まだちょっと混乱してるけど……もう少ししたら」
流星は軽く目を伏せた。
ありがとうと言ってくれた老婦人。
友達だった同級生。
見たことも会ったこともしない人々も含めて、みんな死んでしまった。
それを思うと、胸に言いようの無い痛みが走る。
けれどそれにとらわれていては、彼らを止めることはできない。
「……大丈夫。もう、大丈夫だ」
流星は目を開き、目の前の悠に微笑みかけた。彼女の瞳に映った自分の顔は、酷く哀しげなものだったけれど。
「……行こう」
さようなら、と心の中で呟いた。
ごめんなさい、と今度は口の中で呟いた。