同族<中>
男は背がざわりとあわ立つのを感じた。
この気配は――刀を持った少女のものでも、槍をかついだ少年のものでもない。
あと残るのは――いや、しかしまさか。
「追い詰めたぜ」
低い、青年の声。
背後から――ではない。目の前から――でもない。
「っ……!?」
男は顔を上げた。まさか、と思ったが本当に――
上空から――だった。
頭上より更に高い位置に現れた青年は、異形と化した腕を振り下ろした。
「うらぁ!」
型も何も無い、ただの拳。男は受け止めようか逡巡したが、すぐさまその考えを捨てた。
こんなもの受けたら、骨が折れるどころかこなごなに砕ける――!
「う、おっ……」
男はぎりぎり、身を横に投げることでそれを回避した。しかしそれは回避とは言えない、とても無様なものだった。
おまけに、代わりに殴られたコンクリートが破壊され、その下の土があらわになる。その震動は、とても立ってはいられないものだった。
「……あ。やり過ぎた」
しかも当の本人が一番驚いていた。こいつは何がしたいんだろうか。
「あー……えっと。すんません」
「……なぜ謝る」
男は体勢を立て直し、あきれ顔を作った。しかし、内心は酷く動揺している。
鬼童子……聞いていたものよりかなり強大で、凶悪だ。
クラウディオ、おまえはこんなものを相手取っているのか――
俺達の化物具合もたいがいだが、こいつは正真正銘の化物だぞ――
「まさかとは思うが、ここに来て俺を殺さないなんて阿呆なこと、言うんじゃないだろうな」
「うっ……!」
言うつもりらしかった。ため息が出る。
「なぁ、同類。俺は人を殺し、更にその肉を喰った男だぞ。憎めよ。それとも許すのか?」
「許せねぇよ。許せるわけねぇ」
青年は首を横に振った。その後方で少女と少年が突っ立っている。
少年が不安そうな顔なのに対し、少女は心配などみじんも感じていないようだった。
どころか、笑ってやがる。昨日現れた時にも浮かべていた、あの不敵な笑みを。
見せつけるように。あるいは、魅せつけるように。
「けど、さ。あー、うん。偽善でも何でも思ってくれてかまわないから、聞いてくれる?」
「……あぁ」
どちらにせよ、時間かせぎをせねばならないのだ。向こうが勝手に長話をしてくれるなら、それはそれで都合がいい。
あとは、奴らが気付かないよう気を配るだけだ。
「まず、俺は直接間接合わせて、少なくとも五人殺してる」
「……ほう」
「三回、殺したことになるかな。一回目は俺の家族。父さんと母さんとじいちゃん。大好きな家族。でも、俺のせいで死んだ」
青年の顔に、表情は無かった。ただあきらめたような空気を漂わせていた。
「俺を狙った奴が、俺がいなかったって理由で、行きがけの駄賃みたいに、家族を喰っていったんだ。悠は」
青年は振り返り、視線を少女に向けた。少女はやれやれと言いたげな顔をしている。
「俺のせいじゃないって言ってくれたけど、やっぱり、どうひいき目に見ても、俺のせいなんだよな。こんな風に言えるの、もうふんぎりが付いたからかな」
「……さぁな」
「な。話を少しそらすけど、あんた家族は?」
「人間に狩られた」
こともなげにそう言うと、青年は平凡な顔に驚きの色を含めた。
「さんざ人を狩ったんだ。末路としてはふさわしい。俺も、同じ末路をたどるんだろう」
「運命ってやつか?」
「いや。日本語では確か……自業自得と言うんだったかな」
「あー……」
青年は何とも言えない顔をした。
「話、戻すな。四人目だが、二度目は直接俺が殺した。半妖なんだけど、半妖って何か解る?」
「おまえと似て非なるもの――だろう?」
「うん。そんなとこ。そいつと戦って、俺は勝った。狩ったんだ。だからそいつは、こなごなになった」
「……」
「正確にはそいつにかけられた呪いのせい――らしいんだけど、俺に負けたから呪いが発動したんだから、これは直接に勘定してもいいと思う。そしてもう一人は」
「……ティスか」
「ティス?」
「竈内と言った方が、おまえには解りやすいかな」
「あぁ……そういえば、マンティスとか言ってたっけ」
青年は思い出したというような仕種をした。演技――ではないようだ。感情表現が素直な青年である。
「しかし、あいつが自決したのは椿刀弥が原因と聞いたが」
「刀弥さんは俺の見舞いに来たんだぜ。一番の原因は俺だろ」
「それは……さすがに無理があるんじゃないか?」
自然、男の口調は青年をかばうようなものになった。
なぜ彼をかばう必要がある?
彼は――獲物だろう。
「いや、俺なんだよ。そもそもそいつ、あ、いや――その人俺を狙ってたんだから」
「確かに、それは……」
「話を進めさせてくれよ。俺が人を殺したくない理由、ここから先にあるんだから」
そう言われると、男は黙らざるをえない。気付けば、自分は彼の話を聞く姿勢を取っていた。
「その人が死んだ時、俺は言いようの無い気分になった。最初は動揺したのかと思った。でも、それだけで叫ぶのはおかしい。そしてさっき、思い至った。俺は竈内や、そしてあんたみたいな存在を、同族として見てる」
「ど――同族?」
この子供、今何と言ったか。
同族、だと? 俺達と、こいつが?
「ふ、ふざけ――」
「同族意識を持ってるからかな。あんたらを憎むとか嫌うとか、そういう感情持てない。好きじゃねぇけど、無関心じゃいられねぇっていうか。勿論、かと言って同調はしてねぇ。誰が人殺しになるかよ」
「なら、なぜ俺達を――」
「助けるため――かな」
青年はどこかあきらめたような笑顔を浮かべた。
「俺だから解る。俺達は異形であっても人外じゃねぇ。まぁ、だからあっさり足を取られちまうんだろうけど、助けられる範囲だぜ、そりゃ」
「っ……!」
「俺が泥沼から掬ってやる。地獄から救ってやる。だから」
「黙れえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
絶叫した。
喉が裂けんばかりに、声がかれんばかりに、肺の空気を全て吐き出さんばかりに。
怒号でも咆哮でもなく、絶叫した。
そこに込められた感情は何なのか、男自身も解らない。けれど青年の言葉を遮りたかった。
この感情は何だ。何だというのだ。
まさか、この青年の言葉に心が動かされたわけではあるまい。
もし青年の言葉が可能ならば、俺達はとうにそれを実現できたはずだ。
何も知らないくせに。
何も知らないくせに!
「殺してやる」
心からあふれ出すこの感情は、怒りか殺意か。
わけの解らない感情にかられたまま、男は青年に殺意を向ける。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す肉も皮も骨も脳髄も骨も何もかも噛み砕いて喰い殺してやる――!」
「やってみろよ」
けれど青年は、男の絶叫に取り合わなかった。
対称的な静かな声に、男は一瞬毒気を抜かれる。だがすぐ、唇が歪むのを感じた。
「ははは……」
「……何で笑ってんだよ」
「いや、いや、いや。おかしいんだ。おまえ――」
男は目を細め、青年を見つめた。
「やっぱり俺達とは解り合えそうにない」
それが合図だったかのように。
男と青年は、無手のままぶつかり合った。
「……いいのかよ」
猛は目の前で始まった戦いから目をそらさずに、隣の幼馴染みに声をかけた。
「流星を止めなかったこと?」
「違ぇよ」
「ふぅん。じゃあ何?」
悠もまた、戦いから目をそらそうとはしなかった。自分の恋人が獣と戦うのを見つめている。
「もう一人は――今は二人か。ほっといていいのかっつってんの。ぜってーおとりだぜ、あいつ」
「だろうね」
「だったら」
「君は私をみくびってないかい?」
悠は笑ったようだった。声に笑みが含まれているように聞こえる。
「私がそんなことに気付かないまま、放っておいてると思う?」
「それは……」
「勿論否、だ」
悠はくすくすと楽しげに笑った。
「ちゃんと返し手を打ってあるさ。看過してもよかったが、このままじゃこの町が地図から消えそうだったものでね」
「大げさな……」
「君、最近のニュースは気にしてる?」
唐突な質問。猛は肯定しかけ、口をつぐんだ。
「……裏の方は、さっぱり。橘家の情報網が使えなくなっちまってるもんで」
「だろうね。じゃあ知らないよね」
悠の声から、笑みが消えた。
「街が一つ無くなったって」
「……え?」
猛は戦いから目をそらし、悠を見た。
悠は目を細め、未だ戦いを見守っている。
「小さな街ではあったけどね、けれど誰一人、何一つだって生きてなかった。建物はほとんど壊れてなかったけど、生物という生物が殺されていた」
「……街の規模は?」
「この町とあまり大差無い」
「……笑えねー」
猛は頭を抱えた。
「何だよ、何なんだよ。妖魔相手の方がよほど楽だ。化物じみた人間と戦うって……気ぃ重……」
「言うと思ったよ」
悠は肩をすくめた。
「とりあえずまぁ、そういう理由で見過ごすわけにはいかないんだ。一度作戦をくじけば、次からは慎重になる。慎重になるってことは、大規模な行動をひかえるってことだからね」
「……ところでさ」
猛はため息をつきながら目の前の戦いに視線を戻した。
ちょうど流星の蹴りが外れ、逆に男の拳が流星の腹に決まったところである。
「一体誰だよ。おまえの言う援軍ってのは」
「ん?」
顔は見えないが、悠はきっと笑っているのだろう。次の言葉を聞いて、猛は思った。
「私の親友」
―――
勢いよく扇を開くと、敵はこちらを見た。
二人だ。一人はフード、もう一人は仮面で顔を隠している。
桐生日影は、そんな二人に扇を向けた。
「そんなところで、何をやってるのかしらね」
そんなところ、とは、民宿の前だった。しかも、悠や流星、猛の三人が泊まっている宿である。
彼らの目的は何なのか。少なくとも悠達がいない時の宿に用があるようだ。
「何にしろ、例の奴らであることに間違い無いだろう」
疾風風馬は二丁の銃を腰のホルダーから抜いた。
「全く、まさか人間と本気で狩り合う日が来るとは思わなかったぞ」
「でも、ただの人間じゃないんだよな」
家鳴雷雲は大槌を持ってその二人を見据えた。
「異能者だって、悠は言ってたんだろ」
「ええ。あの悠がしりぞけるだけでいいって言ったのよ。気を付けるべきね」
日影はとんとんと、右足の爪先で地面を蹴った。
「風馬、援護頼むわよ」
「おう」
風馬は頷き、二人の敵に向かって銃弾を放った。
当然避ける二人の敵。それを、日影と雷雲は追う。
日影が追いかけたのは、仮面の方だった。黒い手袋をはめ、体格の解りにくいだぼだぼのシャツを着ている。
日影は扇を横薙ぎにした。後退して避ける仮面に、今度は蹴りを叩き込む。
今度は避けられなかった。が、当たりもしなかった。
仮面は、日影の蹴りを受け止めたのである。スニーカーをはいた脚をかっちりホールドされ、動くに動けない。
更に仮面は、掴んだ脚を日影ごと放り投げた。
「え、え? ふわっ」
突然空中に放り出され、日影は目を白黒させる。それでも何とか体勢を立て直し、地面に降り立つも、仮面は間髪入れず突貫してきた。
光り輝く爪を見、日影はそれを扇でさばいて距離を取る。そして眉をひそめた。
「……何? その指」
輝いているのは、爪ではなかった。指先である。もっと言うなら、指先を覆う氷だ。
鉤爪の形をした、長く鋭い氷。それは、仮面の十指全てを覆っていた。
「異能か……なるほど。氷を操る力ね。長期戦に持ち込んでも、溶けそうにないわね」
「……長期戦にすらなりませんよ」
仮面が、この場に置いて初めて口を開いた。
しかしそれは、おそらく元の声とはかけ離れたものだろう。事前に喉を潰しておいたらしい、信じられないほどかすれた声だった。
「実力差がありますから」
「……なめられてるわねぇ」
木のきしむような声に、思わず苦笑がもれた。
「馬鹿にしないで。こっちは毎日化物と戦ってるのよ。人間の相手なんてっ――きゃっ!」
日影は突然背中に衝撃を受け、前に倒れ込んだ。
攻撃を受けた――わけではない。何か、大きなものをぶつけられたような……
「……え?」
大きなもの。それは日影の上にいた。
「ら、雷雲!」
日影は少年を自身の背中から下ろし、彼の様子を見つめた。
雷雲は、気絶しているようだった。息が荒く、ところどころ服が焼け焦げている。
しかし、それより、右腕が酷い状態だった。
ひじと手首の間に、大きなヤケドを負っている。それだけならまだしも、その腕がありえない場所で、奇妙な方向に折れまがっていた。
「な、これっ……」
「ぐっ!」
地面を勢いよくすべる音と共に、風馬が後退してきた。
「ふ、風馬っ」
「油断した……あの餓鬼、なんて強さだ」
風馬は右手の銃を投げ捨てた。
捨てられた銃は、銃身が半ばから無くなっている。見る限り、どうやら斬り落とされたようだ。
日影は風馬が先程までいたであろう方向を見た。
フードを目深にかぶった小柄な人物が、悠然とそこにたたずんでいる。それだけなら、日影は彼を恐れはしなかっただろう。
日影が驚いたのは、彼の両手にたずさえられたものである。
両手にはそれぞれ、あきらかに戦闘用の大柄で凶悪なデザインのナイフが握られていた。
武骨で鋭い、人間どころか象の皮だって引き裂きそうな二振りの大型ナイフに、日影はぞっとする。
「あ、あんなのを、あの体格で?」
なめていたのは、馬鹿にしていたのは、こちらの方だった。
羽衣姫との戦いとその後の戦歴が、日影を慢心させていたようだ。
日影だけではない。雷雲もまた、そうだったのだろう。
だから、こんな大怪我を負ってしまった。
「……あーあ」
けれど。
「失念してたわ。妖魔は人を襲う人外だけど、その妖魔を創り出すのも、狩るのも、人間なのよね」
そんなことで、日影の心は折れたりしない。
「風馬、代わりの銃は?」
「勿論持ってる」
風馬は懐から新しい銃を取り出した。
彼は常に銃を四つ携帯しているため、特に驚くことではない。これで、先程と変わりなく戦える。
「私って馬鹿ね」
日影は扇を一旦閉じた。
「悠に言われてたじゃない。油断するなって」
大切な親友に任せられた。頼ってもらった。
だから、私はそれに応えてみせる。
「『桧扇姫』、部分解除」
日影はばんっ、と扇を勢いよく開いた。