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HUNTER  作者: 沙伊
113/137

      喰人<中>




 男からは妖気は感じられなかった。容姿も、取り立てて醜悪というわけではない。

 けれど、流星は男に恐怖した。

 それは猛獣を相手にした時のような感覚で、ある意味妖魔より恐ろしく感じた。

 流星は『煌炎』を抜く。刃の炎で、死なない程度の軽い火傷を負わせるつもりだった。

 だが、そんなことをする余裕はすぐ無くなった。

 男は人間とは思えない俊敏さで流星の首元に喰らい付こうとしたのだ。

 大きく開いた口から見えた、異様に長く鋭い犬歯にぞっとし、流星は慌てて後ろに身を引いた。

 だが男はすぐさま距離を詰め、今度は流星の右腕に喰らい付く。

 あまりに意外な行動に、流星はろくに反応もできないままその攻撃を受けることになった。

 攻撃と言っても人間による、ただの噛み付きで、あまりにも原始的である。

 なのに。


 バキィッ


 流星の腕は、いともたやすく噛み砕かれた。

「ぐ、っあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 流星は絶叫した。

 己の骨が砕ける音、こなごなになる感覚――それらが、流星の痛覚を刺激する。

 男の歯――否、もはや牙と言ってもさしつかえないだろうそれは、腕がまだくっついてるのが不思議なくらい深々と突き刺さっていた。

 が、腕が噛みちぎられるのも時間の問題だった。

 もはや悲鳴も上げられず、流星はかすれた声を出した。

 自分の腕が使い物にならなくなる感覚。このままいけば、その感覚は現実となるだろう。

 痛みのせいで、頭がうまく回らない。どうすればいい? どうすればどうすればどうすれば――

「はっ!」

 その時だった。

 短い呼気と共に猛が突貫してきた。

 槍を突き出し、男のわき腹を突き刺さんとする。

 結果を行ってしまうと、攻撃はかわされてしまった。

 男は流星の腕から口を離し、猛から距離を取ったのだ。

 ただ、流星の腕がちぎれずにすんだのは、不幸中の幸いと言うべきだろう。

「っ、く、うぅ……悪ぃ、猛。助かった……」

「礼はいらないッス。今ので、話しながら戦える相手じゃないって解ったじゃないスか」

 猛は振り向きもせず、槍を構え直した。

 確かに、気を抜いている暇を与えてくれるような相手には見えない。腕の傷がいい証拠だ。

 流星はだらりとぶら下がった自身の腕を見下ろし、舌打ちしたい気分になった。

 激痛は今なお腕――どころか全身を駆け巡っているが、先程よりましだ。

 問題は、この状態でどう戦うかである。腕はちぎれなかったが、肉は幾らか喰われてしまった。手が動くので神経は切れてないようだが、今は使い物にならない。

 小刀は軽いため片手でも充分だが、確実に動きは鈍るだろう。

 それに――血が流れ続けているからだろうか、頭がぼんやりとしてきた。

 痛みのおかげで気絶はまぬがれているが、これでは確実に足手まといだ。

 ……いや、待て。

 流星は一つ思い出した。

 この状況を打破する方法を。

「猛、しばらく時間かせいでくれ。俺は、自分の傷を治す」

「何言って……治癒の術は、自分には使えないんスよ? いくら流星さんが鬼童子だからって……」

「術じゃねぇ。とにかく、頼む」

 流星が強く言うと、猛は一秒間を置いてため息をついた。

「何かあった時、悠に怒られんの俺なんスからね」

「大丈夫だって」

 流星が保障すると、またもやため息。この少年、とことん自分を信用してないようだ。

「あぁもう――知らないッスよ!」

 猛はあきらめたような動作をした後、だんっと地面を蹴った。

 槍を振り上げ、穂先を男の腹に向ける。男は紙一重でそれを避け、拳を猛の顔面めがけて放った。

 猛はそれを上体を傾けて避けるも、髪をかすめる。猛の髪が数本舞った。

 流星が見ていたのはそこまでである。その後は目を閉じ、鬼童子の力を解放し始めた。

 猛の言う通り、治癒の術は自身には使えない。どちらにせよ、人間で修得している者は僅かだけの高度な術を、流星が使えるはずがないのだ。

 むしろこれから行うことは、自分に対してでしか使えないものであり、他人を治すことはできないのだ。

 鬼童子の力を使った自己回復力の向上。やろうとしていることは、言うなればそれだった。

 今の流星は、常人よりはるかに高い自己治癒力を持っている。多少の怪我など、十分もあれば跡すら残らない。

 けれど、今回の怪我はそうはいかない。すぐに治るだろうが、それは今すぐではない。少なくとも二日三日はかかるだろう。

 ならば、本格的に鬼童子の力を開放させて治るスピードを上げるしかない。一種の賭けだが、成功率はほぼ百パーセントと言っていい。

 事実、どくどくと流れていた血がもう止まっている。このままいけば、傷口を塞ぐぐらいは――

「っ……!?」

 流星は傷口に向けていた意識を背後へやった。

 同時に向かってくる貫手。目を狙ったそれを、流星は背中から地面に倒れ込むように回避した。

 背中が地面に付いたところで、脚を振り上げる。顎を蹴り上げるつもりが、向こう(・・・)は予測していたように軽やかなバックステップでかわしてしまった。

 流星は腕をかばいながらも、間髪入れず立ち上がる。

 そこまでで一瞬――流星はようやく、相手の姿を確認した。

 夏にもかかわらず長そでのパーカーを着て、フードを目深にかぶっている。顔は解らない。フードのせいもあるが、うつむいているのも理由の一つだ。

「……誰だ、おまえ」

 流星は左肩を押さえながら唸った。傷口は、未だ開いたままである。

 相手は答えなかった。答えないまま、飛びかかってきた。

 突き出された拳。流星は片手でそれを受け止め、思った以上の力に体勢を崩しかける。

 なんとかこらえたものの、ほっとする間も無く膝蹴りが流星の腹をとらえた。

 呼吸が止まり、息を詰まらせる流星に追い討ちをかけるように、わき腹への回し蹴り。それによってよろめいた流星の左肩に、今度は踵落としが決まった。

「っ――!」

 負傷した腕に直接響く一撃に、流星は膝を着く。

 それでも起き上がろうとした流星のうなじを、相手は踏み付けた。

 完全に起き上がることができなくなってしまい、それでも何とか顔だけでも視認しようと首を巡らす。

 顔は、炎と日光の逆光になって解らなかった。ただ、相手が何かを言っている。

 けれど、音になっていないのか、何を言っているかはさっぱり解らなかった。

 何を言ってるんだろう。それは、自分に対して言っているのか? それともただの独り言?

 自分はここで死ぬんだろうか、と、流星はぼんやり考えた。

 別に死ぬが怖いとか、そういうことは思っていない。自分の場合、それ以前の問題なのだから。

 死んだら家族に会えるのだろうか。自分を置いていったあの家族に。

 会いたいなぁ……

「……けど」

 もし自分が死んだら、どうなるんだろう。

 哀しんでくれる奴はすぐ思い浮かぶ。怒ってくれる奴もすぐ思い至る。

 別にそれが嫌なわけじゃない。何があったって、それは自分が死んだ後のことだ。

 けれど一人、独りにしてはいけないと思う奴がいる。

 あいつは俺が死んだら、どうするんだろう。

「……怒るよなぁ」

 すぐにその姿が思い浮かんで、流星は苦笑した。

 苦笑して――無理矢理身体を跳ね上げた。

 怪我を負った左腕も使って、全身の筋肉を使っての跳ね起きに、相手も驚いたらしい。足を離して大きく間合いを取った。

 その判断は、しゃくだが正しい。跳ね起きる際、流星は彼のむこうずねに裏拳を放とうとしたのだから。

 流星はひりひりするうなじを押さえながら、自分を踏んづけていた相手を睨み付けた。

「こっちは怪我人だってのによぉ……人を地面か階段みたく踏み付けやがって。んなことはマゾ相手にやれ」

「……」

「怪我なんて気にしてられねぇよな、全く。腕もげる覚悟でやらせてもらうぜ」

 左腕をかばうことはせず、両腕を使って構える。左腕をかばって動いた方が、バランスが崩れて危険だからという判断だった。

 だがその判断も――片腕が使い物にならなくなるかもしれないことに対する覚悟も、無駄に終わった。

 相手は身じろぎした後、一言何かを発したのだ。

 何と言ったかは判別できなかったが、それにより、後ろで行われていた戦いが中断されたらしい。

「あ、おい待て!」

 猛の声がしたかと思うと、流星の横を、あの男が通り過ぎていった。

 男は彼(かどうかは解らないがとりあえず彼)の傍まで行くと、不満そうな顔をした。

 それを意に介する様子も無く、彼は顎をしゃくる。何かを指しているようだが――でも、何を?

「……OK」

 男は顔をしかめて頷いた後、身体をひるがえして走った。

 流星と猛に背を向けて。

 逃走だった。

 そしてもう一人、彼もまた、同じようなことをした。

 ただ、方向は違う。ばらばらに逃げるつもりなのか、右手側の燃え尽きた家に向かって走っていった。

 そのまま跳躍、塀を足場にして更に跳躍、更に更に燃え残った脆そうな柱を足場にして跳躍し、向こう側へと消えてしまう。

 確かに体格は流星にも猛にも劣るものだったが――それにしたってとんでもない身軽さだ。中国雑技団も顔向けである。

「……ふぅん」

 と。感嘆したというような、聞き覚えのある唸りに、流星は勢いよく振り返る。

 思い描いていた姿が、そこにあった。

「なるほど――ね。ただ者じゃないってわけだね。常人の動きじゃない」

「……悠」

 流星が名前を呼ぶと、彼女――悠は、艶やかな長い黒髪を揺らした。

「馬鹿じゃない? 油断してそんな怪我して。くっついているからいいものの、取れたらどうするの? 義手にするのかい?」

「ごめん。でも」

「言いわけはいい。……こんなことなら、一緒に行けばよかったよ」

 悠はそう言って、流星の首に抱き付いた。

「無事で、よかった」

 震えた声。回された腕も、目下にある肩も、頬に触れる頭も、全部震えている。

 怒るかもしれない、と思った。自分が死んだら、きっと怒るだろうと。

 けれど、この娘はきっと泣いてもくれる。自分の死を、哀しんでくれるんだ。

「約束、破るんじゃないかって思ったんだよ」

「約束……? ……あぁ、してたな」

 そういえば、と言うと、容赦無くみぞうちを殴られた。

「ぐぉっ……!」

「忘れてたんだね、君――記憶力ざるなんじゃない?」

 悠は心配して損した、と言わんばかりに顔をしかめ、流星から離れる。視界の端で、猛がうわぁ、という顔をしていた。

「全く……一度君の頭の中を覗いてみたいものだよ。どんな構造になってるんだが」

「お、おまえ……少しは手加減っ……」

「あーあ。せっかくここまで来たのにさ。本当――嫌になるな。このまま帰ろうかな……なんて」

 悠の表情が、ふと真剣なものに変わった。

「そういうわけにはいかないよね。敵も、いつまでここにいるか解んないし」

「……どういうことだ?」

「常人が張った非常線が、異常に勝てると思う? 慎重になってるとしても、すぐ突破されるに違いない。なのに、今のところそんな報告は無い」

「……ていうことは、奴らはこの場に、何か用があるってことか?」

 猛が悠の横に移動しながら首を傾げた。

 怪我らしい怪我は負っていない。流星とは違い、油断していなかったのだろう。

 ただ、ぎりぎりの戦いだったのは確かだ。精悍な顔には疲れが見えている。

「俺達を狙った行動――じゃあないのか?」

「確かにそっちの方が濃厚だけど――だったら最初から二対二に持ち込めばいいでしょ、今回は」

 悠はすでに収まりかけている炎を見つめた。

 さっきまであんなに燃え盛っていたのに――まるであの二人がいなくなったから(・・・・・・・・)炎が収束しているようだ。

「第一、おびき出すんじゃなくて闇討ちでもいいだろうし、おびき出すにしてもこんな派手じゃなくてもいいでしょ。余計な付属品まで付いてくるんだから」

「付属品?」

 流星と猛は顔を見合わせた。

 付属品とは、一体何だろう。

 と。

「君達、何をしている!」

 突然の大声に、流星は驚いて振り返った。

 警察の制服を着た人間が、集団でこちらに向かってくる。気を抜きかけた流星だが、はたと気付いた。

 これは……もの凄くまずい状況ではないだろうか。

 左腕を負傷し、小刀を持った高校生、長槍を軽々と肩にかつぐ中学生、紫の布にくるまれた棒状の物(おそらく刀)を持つ超絶美少女、そして辺りに散乱した死体多数――

 あ、俺の人生これで終わりかも――流星は頭の隅で結論を出す。

 流星が軽く現実逃避し始めたのに対し、悠と猛は面倒臭そうな顔で突っ立っていた。





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