第三十七話 仮面<上>
遺骨を包んだ上着を渡すと、清は泣き崩れた。上着にすがり付き、声を押し殺して涙を流している。
その様子に何も言えず、流星はずぶぬれのまま立ち尽くしていた。
フロントでそんな状態でいるものだから、数人の宿泊客は何だとこちらを見ている。その中には、卓人の姿もあった。
「流星、おまえ、その格好……」
「……悪ぃ。二人共、助けられなかった」
話しかけてきた卓人に、流星は頭を下げた。
「本当……ごめん――」
言葉が続かなかった。
もっと早く駆け付けていれば。
もっと早く見付けていれば。
いや、そもそも――もっと早く問題を解決していれば。
こんなことには、ならなかったのに――
「ありがとう、ございます」
唐突の礼だった。
さっきまで遺骨を抱き締め、肩を震わせていた清が、顔を上げて泣き笑いを浮かべていたのだ。
「姉を見付けていただき、本当に、ありがとうございます」
「……」
「これで姉を、ちゃんと墓に入れて上げることができます。これで、やっと……」
清は再び遺骨を強く抱き締めた。
一方、流星は呆然とする。
まさか、礼を言われるとは思っていなかった。
この状況で。
人が死んだ状況で。
何を、言っているんだ――
「俺は……」
こんなずさんな状態で、礼を言われてもいいのだろうか。
もっとちゃんとできたはずだ。悠なら、悠がいてくれたら――
「っ……」
流星は突然視界が歪んだことに目を見開いた。
何だ、今のは――
一瞬のことだったが、視界が紙のようにぐしゃぐしゃになったような……
「流星?」
「え……」
卓人の声に、流星は我に返った。
「……何」
「何って……おまえ、顔真っ青だぞ」
「……何でもねぇよ」
肩に触れようとした卓人の手を振り払い、流星は頭を押さえた。
何とか精神を安定させなければ。鬼童子の力が出てきてはまずい――
――悠。
俺は、どうすればいいんだよ――
流星は再び視界が歪むのを感じ、目を閉じた。
―――
手応えは無かった。
避けられたと気付いたのは、手応えの無さを感じた半瞬後である。
「危ない危ない」
流星の姿をした誰かは、にやにやしたまま後ろに跳びのいていた。
「奇襲なんてやめときなー。僕には通じないよぉ」
「……ふん」
振り切った体勢を元に戻し、悠は刀を構え直した。
「奇襲が通じない、ね。なら、これはどうかな」
悠は刀を上段に構え、そして振り下ろした。
「初の手――風刃斬」
地を這う衝撃波。『彼』は、横に飛ぶことでそれを回避する。
それに合わせ、悠は『彼』の背後に回り込んだ。
大きな隙ができた背中に斬り付けようという魂胆だった――のだが。
「僕には通じないよぉ」
『彼』はなんと、上体をひねって刀に裏拳を放ってきたのだ。
刀の腹を殴られ、悠はバランスを崩す。しかし続けて放たれた蹴りと突きを回避し、バク転の要領で距離を取った。
「……なるほど」
悠は刀を下段に構えながら、頭の中で結論を出した。
もしやと思っていたが――おそらく違いない。
この男――いや男と呼べるかは解らないが、しかし。
「君、思考を読みとれるんだね」
確信を持って静かに言うと、『彼』はにぃ、と笑った。
流星の顔でそんな風に笑われると――胸の辺りがむかむかしてくる。
「へぇ? 今度は当てずっぽうじゃぁないね。どうして解ったの?」
「思考を読むくせに、わざわざ訊くなよ」
あきれながらも、悠は口を開いた。
「きっかけは最初の問答だ。その時の段階では読心術を使った可能性もあったから、確定はしていなかったが……けど、さっきのやり合いで確信を得た」
「へぇ」
「私の攻撃を避けたあの動き――あれは反射による反応速度じゃなかった。だとすればこちらの動きを読んだと考えるのが自然だろう」
悠は刀を軽く振った。
「けど、先読みできるほどの実力者とは思えない。君、戦闘そのものは素人だろ。だとすれば残りはただ一つ。こちらの考えを読んだとしか思えない。つまりは、思考を読み取る能力者しか考えられなんだ」
「……百点満点」
『彼』は肩をすくめた。
「普通、そんなこと解んないんだけどなぁ」
「常識は捨てろ――退魔師の基本なもんでね」
悠はふん、と鼻を鳴らした。
「現状を受け入れられない退魔師なんて、ばたばた死んでいくからね。おかげで退魔師は万年人手不足だ」
――もっとも。
悠がこれほどまで早く『彼』の能力に気付いたのは、他にも理由がある。
思考を読み取る能力の持ち主なら、もう一人知っている。
おそらく――彼女の方がずっと強力だろう。
「しかし、ますます解らないな。どうして私と戦いに来たのか」
悠が眉をひそめると、『彼』は「んー」と唸った。
「簡単に言うと、試合かな」
「……試合?」
「そう」
『彼』は楽しそうに笑った。
子供のように無邪気に。
「シスターのお気に入りは、たいがいきれーで強いからね。あいつみたいに」
「あいつ?」
「おっと。危ない危ない」
『彼』は両手で口を押さえた。
「駄目だなー、僕は。あやうく仲間のこと言うところだったよ。口の軽さはどうしようもないねぇ」
「の、ようだね」
悠は唇を緩めた。
「お、笑った。ねー、そっちの方がいーんじゃない? がかわいーし」
「それは流星本人に言ってもらいたいものだね。さて」
悠は唇の端をつり上げた。
いつも浮かべる、不敵な笑みだ。
「うえぇ。その顔は苦手だなぁ」
『彼』は心底嫌そうな顔をした。
「何か怖いよ」
「そう? 私はこの表情の方が自分にぴったりだと思うけど」
それより、と悠は一歩踏み出した。
「そろそろ――再開と行こうか」
二歩目は、むしろ踏み付けるような勢いで踏み込んだ。三歩目を出す時には、すでに間合いは消えている。
「い、いぃぃ!?」
何をするかは解っても、この速度は読めなかったらしい。『彼』は、先程とは打って変わって慌てたように後退した。
「遅い」
だが悠は、相手が後退しきる前に刀を薙いだ。『彼』の胸元の服が裂け、血がにじむ。
『彼』は目を剥きながら、悲鳴めいた声を上げた。
「そ、そんな……嘘!? さっきより……断然速い!?」
それでも何とか距離を取った『彼』の間合いを、悠は一瞬で取り去った。
どころか――相手の懐に入り込んだ。
「っえ、え……!」
「だから、遅いって」
悠は刀の柄頭で『彼』のみぞうちを打った。間髪入れず、下から顎へ、突き上げるように掌底を放つ。
後ろに倒れ込もうとした相手に、悠は追い討ちをかけるように全身を使った回し蹴りを喰らわせた。
吹っ飛ぶ『彼』。道路の向かい側にある建物の壁にぶつかり、その下に倒れ込んだ。
死にはしなくとも気絶はしているだろうと思いきや、思ったより頑丈な身体らしい。すぐに起き上がった。
とはいえ、それは起き上がったと言うにはあまりも弱々しい、いっそ這い起きると形容した方がいいような状態だったが。
「へぇ。思ったよりタフじゃないか。そうこなくちゃね」
「う、ぐっ……で、でたらめだ」
『彼』は壁に寄りかかりながら、呻いた。
「な、何で、こんなに急にスピードが……」
「上がったかって?」
悠は笑みを深めながら刀を持ち直した。
「上がったんじゃない、上げたんだよ。思考を読む相手なら、相手より速く動けばいい。勿論思考速度も上げなければならないが……即断即決は得意でね」
「け、けど! だからって一気に加速するなんてそんな、こと……」
『彼』の反論が止まった。
思考を読み取れるなら、もっと早く気付いてもよかったようなものだが――よほど動揺していたようである。
「スピードを抑えて……? そんな……あれで?」
『彼』は震えていた。
先程まで見えていた余裕は、とっくに吹き飛んでいる。
「何だよおまえ……何なんだよ」
「ん?」
「あんなスピード、常人で出せるはずない! 僕達だって、肉体は常人のそれを越えられないのに!」
「……君、思考を読む以外はてんで駄目だね」
流星でも、ここまで頭の巡りは悪くないよ。
悠は深々とため息をつく。
「そんなの、全身の筋肉を使えば造作も無いよ」
厳密に言うと、悠が上げたのは速度ではない。瞬発力だ。
速度そのものを上げようとすれば、まだ成長途中である悠の身体は悲鳴を上げるだろう。
だが、一瞬だけならば身体にかかる負担は少ない。相手は突然速度が上がったと感じるだろうから、意表も突けるだろう。
それらを知れば、向こうは余裕を取り戻すのではないかと思ったが、そんなことは無かった。
相手は驚きの表情を顔に張り付けたまま、立ち尽くしていた。
流星の姿で、立ちすくんでいた。
「……いい加減、姿変えたら?」
悠は笑みを浮かべたまま、内心では少しいら立ちながら、『彼』に声をかけた。
「その『面』は他のものに姿を変えれるだろう。どうも嫌な感じがしてならない」
「……」
『彼』はたっぷり間を置いて顔を上げた。
「また、当てずっぽう……だけど、どうして」
「知りたければ、私の記憶でも読めば?」
悠はせせら笑った。『彼』の顔が歪む。
「来なよ。サトリもどき。少しなら、私の本気を見せてもいい。その姿で来た罰だ」
「っ……」
「試合じゃ生ぬるい。殺し合いといこうじゃないか。勿論、戦うか否か、全ては、君次第だけどね」
悠は刀を片手で刀を持ち、指で『彼』を誘った。
「……おまえは、一体」
「何者かって? 化物だと答えてほしい? あいにくだね、私はただの人間だよ」
悠は笑う。おそらく皮肉げなものになっていると思いながら。
「少し異常な、ただの人間だ」