母校<中>
刀弥は椿家当主代理についてから、退魔師としての仕事を全くと言っていいほどしていなかった。
当然と言えば当然だが、経験不足なままで当主の座にい続けるのは性格上、不満がある。
自分が未熟なのは自覚していたし、まだまだ実力向上が望める気もしていた。だから時に、一退魔師としての仕事をこなしたいと思っていた。
しかし、それは一種の焦りかもしれない――刀弥はそう自己分析する。
遅れを取り戻そうとしているのだ。なぜなら自分は、高校までは普通の人間だったのだから。
「もう四年生か。まさか母校に教育実習とはなぁ」
刀弥がそう言うと、旧友である堀内一は日に焼けた顔で笑い返した。
「まぁな。おかげでやりやすかったよ」
「英語担当だっけ? 英語得意だったからな、おまえ」
刀弥は目の前の校舎を見上げた。
二人がいるのは、学生時代を過ごした高校だった。
夏休みであるため、誰もいない。いるのは刀弥と一だけだ。一は一学期の時に教育実習生としてここにいたらしく、その目は特に感慨などは映っていない。
「おまえは何でも得意だたよな」
一はどこか皮肉めいた笑みを浮かべた。
「勉強も運動もできて顔もいいし、人当たりもよかったからモテるモテる。彼女もしょっちゅう変わってたしな」
「昔の話だ」
刀弥は苦笑した。
「今は特に付き合ってる奴はいねぇし……相変わらず、右腕は動かねぇしな」
「……そうか」
一の表情が少しだけ動いた。
刀弥の右腕は、生まれつき動かない。微動だにしないわけではないが、ひじから上は力を入れることさえできないのだ。
だからこそ、刀弥は腕全体を覆う『如意ノ手』を使う。そうすれば、腕を自由に動かすことができるのだから。
勿論、普段の日常に支障が無い程度には動かせる。でなければ介護人――とまではいかなくとも、手助けが必要になるだろう。
一はそのことを知っている。一番の親友だった彼には、大抵のことは話していた。
家のこと以外は。
「あれ。刀弥、おまえ煙管だっけ? 大学の時はタバコだったけど……」
「あぁ……」
刀弥は懐から取り出した煙管を見下ろした。
「……親父の形見だよ。少しでも親父に近付けるようにってな」
「え……でもおまえ」
一は今度は、目を見開いた。それほどに意外だったのかもしれない。
「親父さんのこと……嫌いだっつってなかったか?」
「……それこそ、昔の話だ」
刀弥は微笑して、煙管に火をつけた。
学校の生徒である二人の男女が消えた。家にも帰らず、目下行方不明なのだ。
そこまではまだいい。家出なり駆け落ちなり、どうとでも理由は付けられるだろう。
問題は、学校で見付かったものだ。
「大量の、二人の血か……」
刀弥は煙管をふかしながら眉をひそめた。教室の一点に今なお残る赤黒いシミを見つめ、一に向き直る。
「いなくなた二人のに間違い無いのか?」
「警察が調べた。間違い無い。……どっちも失血死してておかしくない量だって」
一は気分でも悪いのか、青い顔で答えた。
「……おい。無理に付いて来なくても」
「いや、俺も知りたいんだ。何が起きたのか」
刀弥は気遣うも、一は首を横に振った。
「実習の時、あの二人を受け持っていたんだ。だから……」
「……そうか」
刀弥は煙管から口を離した。
「しかし……一体何があったっていうんだ。何か、そういうたぐいの怪談あったか?」
「俺達の時には無かった。けど……最近生徒達の噂になってる話がある」
「へぇ。どんなだ?」
「放送室でさ、昔あったろ」
一は声をひそめた。そんなことをしなくとも、別に聞いている人間はいないのだが。
「その……殺人事件」
「……あったな」
刀弥は軽く目を伏せた。
今でも覚えている。むしろ忘れられるはずが無い。
彼女を発見したのは、自分なのだから――
「それがどういう風に伝わったのか、怪談話になっていてさ。下半身の無い幽霊で、夜居残った生徒を放送室に引きずり込んで、その身体を引きちぎるっていうんだ」
「……ちょっと待て」
刀弥は引っかかりを覚えて、話を遮った。
「あの時の彼女には、ちゃんと下半身があったぞ。俺は見たんだから」
「あぁ、知ってる。だから、そこがおかしいんだ。どこでどうねじまがったかは知らないが、俺が来てからそういう話が広まってな」
「そうか……」
刀弥は教室の扉を振り返った。
「……ここには、俺とおまえ以外いないんだよな」
「え……そのはずだけど」
「いや……違うな」
刀弥は肩を見つめた。
耳を澄ますと、足音が聞こえてくる。おそらく、ハイヒールの音だろう。
「ま、まさかさっきの話の……」
「馬鹿。それは下半身が無いんだろうが」
震える一にため息をつきつつも、刀弥は扉に近付いた。そのまま迷うことなく、煙管を持ったまま扉に手をかける。
からり、と引っかかることなく開いた扉の前には、一人の女性が立っていた。
ウェーブがかった長い茶髪に、けばけばしくない程度の化粧をほどこした愛らしい顔立ち。幼く見えるが、おそらく生徒ではないだろう。白いシャツに紺のタイトスカート、さりげなく付けられたらネックレスやブレスレットを見るに――
「あれ? 宮先生」
一が首を傾げた。どうやら、やはりこの女性は教師らしい。
「どうしたんですか? 今日は教員も入れないって」
「明日までに完成させなければいけないものがあって……ていうか、貴方……」
女性は刀弥と一を見比べた。
「宮先生、こいつは例の……」
「あ……友人の霊媒師とかいう」
「……退魔師です」
ちょっとおしかった。
「椿刀弥です。初めまして。えっと……」
「宮姫です。初め、まし……て……」
女性――姫の声が消えていった。刀弥を見上げ、顔を赤くしている。
しばらくその状態で固まっていたが、後ろに移動してきた一の腕を引っ張り、彼に耳打ちした。声をひそめているつもりらしいが、ばっちり刀弥に聞こえている。
「ちょっと。聞いてないわよ、こんな格好いいなんて!」
「会わないのに言う必要あるんですか?」
「紹介ぐらいしてくれたっていいじゃないっ」
「あれ? 宮先生彼氏いるって……」
「別れたわよ」
何だか最後のセリフがやたらにトーン落ちしている気がするのは、気のせいだろうか。
「ていうか……俺仕事で来たんだけどな」
刀弥は取り残された気分になって、煙管を吸った。
なし崩しに姫まで同行することになり、三人は放送室に行くことにした。
浮かれていてもそこは教師、姫に校内は全域禁煙だと指摘されたので、煙管はしまっている。
ちょっと口寂しいが……まぁいいか。
刀弥は口元に触れた後、ため息をついた。
ヘビースモーカーではないが、禁止されると無性に吸いたくなってしまう。愛煙家の哀しい性だった。
「しかしおまえも、罪作りなところは変わらねぇよな」
一の言葉に、刀弥は眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「……宮先生だよ」
一はこっそり姫を指差す。
「あー……弟ほどじゃねぇよ」
刀弥は軽く流すことにした。
それに、実際弟は、そちらの方面には男女問わず惹き付けてしまう。しかも自覚が無いのだから余計たちが悪い。
舜鈴と付き合っていなければ、もっと酷いことになっていたかもしれない。まぁ、それは妹にも言えることだが。
全く――二人に比べたら、自分なんて普通そのものだ。
才能があるわけでも。
選ばれているわけでもない。
ただ、俺は――少しずれているだけなのだ。
「……刀弥?」
我に返った。
振り返ると、一と姫が放送室の前に立っている。どうやら自分は行き過ぎてしまったらしい。
「悪ぃ。ぼーっとしてた」
「それはいいけど……大丈夫か? まさか煙管吸えないからとか言うんじゃねぇだろうな」
「阿呆。んなわけねぇだろ」
一を小突き、刀弥は放送室の中に入った。
とたん、ほこりの臭いにまじって流れてきた血の臭いに眉をひそめる。次いで目の前に飛び込んできた光景に目を見開いた。
「ひっ……」
一が後ろで悲鳴を上げ、姫は声も出せずに後ずさる。
無理も無い、と刀弥は思う。こんなものを見て、普通の人間が冷静でいられるはずがないのだ。
刀弥は目の前のそれに、一歩だけ近付いた。しかし、それ以上は血だまりにはばまれて進めない。
「マジかよ……」
刀弥は呻き、それを見つめる。
そこにあったのは、下半身の無い、男の死体だった。
―――
警察が来たのは、通報して三十分のことだった。
「……つまり、二人の生徒がいなくなったのは霊の仕業で、あの死体もその霊の仕業だって言うのか?」
見付けるまでの経緯を話すと、岡田と名乗った刑事は疑わしそうな顔をした。
警察が来たとたん校舎を追い出された刀弥達は、とりあえず警察の質問に答えたのだが、全く信じてもらえなかった。
まぁ理由があまりにも非現実的なのでしかたがないのだが、しかし事実は事実である。
刀弥がどうしようか考えあぐねいていると、岡田の表情がけげんそうなものに変わったのに気が付いた。
「あの」
「おまえ……どこかで会わなかったか?」
「え?」
刀弥は目を瞬いた。
「いえ……初対面だと思いますけど」
「いや、どこかで会った。しかし、どこで……」
岡田は考え込んだ。刀弥も記憶を引っ張り出すが、やはり覚えが無い。
警察にこんな初老の知り合いがいただろうか――
「……あ」
岡田が目を見開いた。
「おまえ、あの時の……」
「? 何ですか」
「あの時の第一発見者だろ? 五年前に起きた殺人の……」
岡田の言葉に、刀弥は身体中の筋肉が硬直した気がした。
ちょうど、あの事件を思い出していたところだった。こんな偶然、あるものなのか。
「俺は遠目でおまえのことを見ただけだからな……おまえが俺を覚えてないのも無理無い」
「あ、あの」
と。姫がそろり、と声を上げた。
「五年前って、あの事件のことですか? その、ここで起きた、生徒殺害事件の」
「あぁ。彼は第一発見者だ。被害者は彼の」
「そんなことより」
刀弥は岡田の声を遮った。これ以上あの話はしたくない。
「今回亡くなったのは、誰なんですか?」
「あぁ。井川要。免許証が落ちていたよ」
「免許証……」
刀弥はそこで眉をひそめた。
刀弥は記憶力に自信がある。しかしはたして、その場に免許証はあっただろうか。自分の記憶では、免許証は無かったと思うのだが。
「井川先生、だったんですか?」
姫が青い顔で呟いた。今にも倒れそうな表情だ。
「そんな……」
「もしかして、ここの教員なんですか?」
刀弥が訪ねると、姫はこくりと頷いた。
「数学を担当していて、そういえば、昨日学校に行くと、話して……」
「それはいつの話ですか?」
「昨日の……夕方だったと思います。近くの横断歩道で会って、それで……」
姫の言葉がつまった。目の端から涙のつぶが膨れ上がり、彼女はそれを隠すようにうつむく。
「大丈夫ですか?」
刀弥がハンカチを差し出すと、姫は無言でそれを受け取った。
「昨日の夕方には生きていた、か……」
となると、昨日の夕方から今朝にかけて殺されたことになる。死体を見た限り、昼間ということはあるまい。
問題は、誰に、どうして殺されたかだ。しかし、おおかたの見当は付く。
「一。俺が今日来ることは、教員全員知ってるんだよな」
「あ? あぁ」
「……ということは、その井川って人も知っていたことになるな」
刀弥はふむ、と頷いた。
「あぁ……あー、うん。なるほどなるほど。いや、そりゃそうだよな。普通はそうだよな」
「……刀弥?」
「解ったぜ。大体な」
刀弥は軽く目を伏せた。
本当に……今日は厄日だ。
「狩り対象は、定まった」




