望まれぬ人<下>
放った拳は、正確に竈内の腹に叩き込まれた。
吹っ飛び、遠く離れた壁にぶつかる彼を見ながら、流星は深呼吸した。
見なくても解る。すでに自分は、半分鬼になりかけている。
感情の高ぶりを抑えながら、鬼童子としての能力を意識して使う。悠に教えられたことだ。
数珠無しでも戦えるようになるため――何より、自分の能力に向き合うために。
悠によれば、鬼童子の能力を使って戦った退魔師も少なからずいるらしい。彼らは自分の力を、うまく扱えたようだ。
先人にできたのだから、流星だってできる――悠はそう言っていた。
ここ一ヶ月で、かなり扱えるようになった――しかし、十全ではない。
流星は額に――正確には額から突き出ているツノに触れた。
この大きさからすると、まだ十分の二ぐらいか。まだいけるだろうか……
「なる、ほどな……」
と。竈内が起き上がった。しかし立てないのか、その場に座り込んだままだ。
「鬼童子の力、これほどまでとは……同類だから油断はしてなかったつもりだったのに、やはり格が違うのか」
「……同類?」
流星は眉をひそめた。
そういえば先程も同じことを言っていた。
同類の俺におまえが殺されるのは――と。
「どういう意味だ。俺はこんななりだが、人間だぞ。半妖じゃない」
「半妖? ……それは自分の意思で悪魔の力を取り込んだ馬鹿共だろう。俺は、俺達は……そうじゃない。それどころじゃない」
竈内は皮肉げな笑みを浮かべた。皮肉と言うよりは――自虐の笑みか。
「俺達使徒の大半は、おまえと同じように生まれつき悪魔の――おまえ達の言う妖魔の力を持っている『人間』だ」
「……え?」
「俺達の親は、悪魔の落とし子なんて呼んだけどな」
竈内はよろけながらも立ち上がった。
「使徒は神が与えたもうた試練のため、こんな能力を得、一般人達から忌み子として扱われてきた。おまえと同い歳で、親に悪魔と呼ばれ続けた同志もいる」
「そ、そんな……で、でも」
流星はうろたえていた。
目の前に自分と同類がいる。周りには誰一人としていなかった同類が、よりによって敵として。
しかも、彼の話を信じるなら、同じような人間が大勢いることになる――しかも組織的にだ。
「とはいえ、全員が俺やおまえのような異形の人間というわけではない。特殊な能力を持つだけにとどまっている奴もいる」
「……」
「ただの人間もいるが……それでもやはり、普通と違う。だから俺達は、迫害を受けてきた。他人からも、家族からも」
「そんな……」
家族までもなんて。
そんなことがあるのだろうか。
だって自分の家族は、自分を『人間』として育ててくれた。
『人間』として見てくれた――
「おまえのような奴はまれなんだよ」
流星の考えを見透かしたように、竈内は睨み付けてきた。とても苦々しげな顔で。
「おまえみたいに、家族に恵まれた奴は」
「っ……」
「普通の人間は普通じゃない人間を忌み嫌う。忌み嫌うまではいかなくとも、畏怖はするだろう。特に俺達のような異形は」
竈内は両腕の刃を構えた。
「悪しきものとみなされ、殺される。生きていても、化物扱いだ。死んで地獄、生きても地獄。俺達は、好きでこんな姿になったわけじゃないのに」
それは。
それは、俺も同じだ。
流星は思う。
俺は好きでこうなったわけじゃない。
好きで鬼の力を得たわけじゃない。
好きで異形になったわけじゃない。
こんな。
こんな力。
俺はいらなかったのに。
俺は。
俺は――
「甘ったれた奴とはいえ、同類。仲間になる話も持ち上がったが、しかし、おまえは俺達の敵になりうる奴の仲間になった。ゆえにおまえは」
流星が気付いた時には。
「敵だ」
竈内は、目の前にいた。
ドンッ
貫く音が聞こえた。顔に血が飛び、流星は我に返る。
「う、あ゛っ」
竈内の振り上げられた右腕は、何かに貫かれていた。
黒い棒のようなものだ。硬質だが金属のようには見えない。
これは一体――
「何をしてるんだ? そこのおまえ」
と。聞き覚えのある声が聞こえた。
声の方を見ると、一人の黒髪の青年が、黒い鎧のような手袋をはめた片腕をこちらに向けていた。よく見れば中指が異常に伸びており、それが竈内の腕を貫いているようだった。
「そいつ、妹の大切な奴なんだ。殺させはしねぇよ」
黒髪の青年――椿刀弥は、魅力的な笑みを浮かべた。
「と、刀弥さん……何で……」
「や、単におまえの見舞いに来たんだが……いいタイミングで来ちまったみたいだな」
刀弥は腕を引いた。鎧の指が竈内の腕から引き抜かれる。
いためた腕を下ろし、竈内は焦りの見える目で刀弥を睨んだ。
「椿家当主――椿刀弥か」
「まだ代理だっての」
「どちらにせよ、椿家を統括しているのはおまえだろう」
竈内は赤黒い血を流す腕を見下ろし、苦々しげに吐き捨てた。
「邪教徒が……なぜ俺の邪魔をする」
「言ったろう。流星は妹の大切な奴なんだ」
刀弥は鎧の指の長さを戻し、前に進み出た。
「手前勝手な理由で病院騒がせたんだ。手前勝手な理由で邪魔されても文句は言わせねぇよ」
流星の傍まで来た刀弥は、竈内に向かって鎧の腕を振り上げた。竈内はそれに応戦するように無事な方の手を上げ、それを受け止める。
ぶつかり合う二本の腕。しかし、腕の刃にヒビが入ったのを見て、竈内は目を剥いて後ろに跳びのいた。刀弥はそれを追撃する。
右足を蹴り上げ、竈内の顎に打撃を与えた刀弥は、更に鎧の腕で竈内のわき腹を殴り飛ばした。
骨の折れる音と共に吹っ飛ぶ竈内。刀弥の容赦無い攻撃に、味方である流星の方が唖然としてしまう。
「キレてしまわれたようですね」
朱崋の呟きに振り返る。彼女は、こんな時でもやはり無表情だった。
「流星様。椿家最強はどなたか、お解りになりますか?」
「え? えーと……悠かな。あ、いや、恭弥の式神もけっこーなもんだし」
「刀弥様です」
きっぱり言われた言葉に、流星は言葉を失ってしまった。
「普段は飄々となさっていて、そのような所作を見せることはありませんが、刀弥様の力量は三兄妹――いえ、四姉弟の中で最たる実力者。もっとも恐ろしいのは、今なお成長途中という点でしょう」
「……」
これまで、目鼻立ちが整い過ぎた弟と妹がいるからなのか、不幸な過去が特に無いからなのか、流星の刀弥に対する印象は、悠や恭弥に比べて薄いものだった。
しかし、その印象は間違いだったことを悟る。能あるタカは爪を隠す――ではないが、刀弥はその実力を流星に全く感じさせなかった。
しかも、姫シリーズを扱う悠や葵よりも強いと言うのだから更に驚きである。
「普段は性格ゆえに抑えていますが、怒ればそれも取れてしまいますか」
朱崋がそう言ってため息をついたのは、刀弥の鎧の腕が竈内の右腕をこなごなに砕いたところだった。
「人間というのは、本当にわけが解りませんね」
右腕を押さえ、呻く竈内。刀弥は追い討ちをかけず、鋭さを増した切れ長の瞳で彼を見据えた。
「貴様は一体何者だ? なぜ流星を狙った」
「……」
「……答えないならそれでもいい」
刀弥の鎧の腕が巨大な刃へと姿を変えた。
「どちらにせよ、おまえをこのまま放っておくわけにはいかねぇな」
刃が竈内の脳天に振り下ろされる――
「……」
しかし。
「……何のつもりだ――流星」
流星は、刀弥のその腕を掴み、動きを止めた。
流星にもなぜそうしたのかよく解らない。
ただ反射的に、思わず身体が動いてしまっただけだ。
それは、竈内の言葉に心動かされたからなのか。
同類。
忌み嫌われた存在。
それは、一つ間違えば流星もたどっていたであろう末路だった。
同情しているのだろうか。
彼らに?
こんな、たくさんの人を殺そうとする奴らに?
本来抱くべき感情は、哀れみではなく怒りだろう。
あるいは――憎悪か。
なのに、どうしてだろう。
先程まで自分を殺そうとしていた竈内をどうしても憎みきれなかった。
許すまではいかないけれど。
なぜか、そのままにしておけなかった。
そして何より、流星にとって何より驚いたことは――
驚きというより、むしろ恐ろしさだが――
竈内より刀弥の方が――
誰よりも、敵に見えた。
どうしてだ。
刀弥さんは味方で、竈内は敵なのに。
どうして俺は――
「流星、手を離せ」
刀弥の声に、流星は首を横に振る。どうしてそうしたかは、やはり解らなかった。
「大丈夫だ。もう攻撃しない。それにこれは、『如意ノ手』は退魔武器だ。おまえの身体には毒だろう」
言われ、気付く。自分の手の平にじりじりと痛みが広がっていることに。流星は黙ってその手を離した。
刀弥は自由になった腕を下ろし、竈内を睨んだ。
「流星に感謝するんだな。止めてもらわなければ今ごろ、おまえは確実に竹割りだぜ」
「……感謝?」
竈内の眉間にしわが寄った。いかにも不愉快そうに。むしろ不快そうに。
「邪教徒に助けられるなんて、むしろ誇りを傷付けられたようなもの。なぜ感謝する必要がある」
「何だと」
「我々をなめるな。使徒をなめるな。神に仕える我々をなめるな」
がち、という音が、竈内の口から聞こえてきた。
「任務は失敗した……貴様を倒すことは不可能だし、逃げることもてきないだろう……なら、この命は、不必要……」
ごぼり、と、竈内は血を吐いた。黒い、汚泥のような血塊だった。
「我々の機密をまも、守るため……全て、は神の――御ため……」
竈内は膝を着いた。目はすでに何も見ていない。
「神よ……僕に、救いを……」
竈内の身体が前めのりに倒れた時だった。
ゴオォッ
彼の身体が突然燃え上がった。
いきなりのできごとに、流星も刀弥も、朱崋でさえ動けなくなる。
竈内の身体は燃え上がり、燃え盛り、その勢いは思わず後ずさるほどだったが、消えるのも突然だった。
倒れた身体は一回り小さくなって、元の色がわからないほどに炭化していた。白衣も肌も何もかも焼けてしまって、もうそれは炭と形容するしかなかった。
生きていないことは確かだ。
もう、動かない。
「う……」
自分を同類と呼んだ男。
忌み嫌われたと言った男。
同じ境遇の男が――死んだ。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
流星は絶叫した。
なぜ絶叫しているかも、解らずに。
―――
人だかりのできた病院の前にパトカーが停まった。それを視界に収めつつ、クラウディオは自分が燃やした男を思い出す。
毒ですでに死んでいたようだが、証拠を残さないために焼いた。
同志を燃やすことにためらいはない。まして、死体を焼くことにいちいち思うことなど無い。
『使徒』は神の御ためにあるもの。死など恐れないし、いくら屍を踏みにじってもかまわない。
ただ、かけるべき言葉を思い付かないほど、同志に対してクラウディオも冷淡ではない。
「Buonanotte――我が同志」
それは穏やかな口調とは裏腹に、酷く底冷えた声だった。