望まれぬ人<中>
悠は屋上まで一息で駆け上がり、鉄製の扉を勢いよく開けた。
そして男女の二人組を確認し、眉をひそめる。
女は西洋人、男は東洋人――いや、日本人のようだ。どちらもそろいの黒いコートを着ている。
「てっきり、逃げたかと思ったけど」
悠は小刀を構えながら首を傾げた。
「待ち構えてるとはね。鉢合わせになるかもしれないとは考えていたけど」
「逃げる必要を、私達は持たないわ」
女の方が口を開いた。
「貴女を待っていたのよ」
「……やっぱり私のことを知っているか。それに――巧妙に隠しているけど、妖気を感じるね」
「……」
女は笑みを深めた。同時に妖気も強まる。
「妖偽教団の残党か」
「違うわ。所属していたことは確かだけれどね」
女は目を細め、悠を見つめた。
「我々は使徒。崇高なる目的のため動く者達よ」
「……さっきの狙撃もその一環?」
悠は女の後ろにいる、銃を抱えた男に目をやった。
黒いコートは使徒とやらの服装なのか。今は夏にも関わらず、随分暑苦しい。
黒いコート――まるで死神の装束のようだ。
悠はそう重いながら、女の方に視線を戻した。
「どうなの」
「――彼女達は候補生だったのよ。でも、使えなかったわ。力があったからいけると思ったんだけど……駄目ね、日本の子供は」
女はやれやれとばかりに首を振った。
「なまぬるいわ。知らないのよ、覚悟と――絶望というものを。平和に侵されて腐蝕した箱庭に生きている人間は、我々の邪魔になるだけだわ」
「……まぁ、前半は賛同するよ」
悠は小刀の柄頭で頭をかいた。
「日本は同じ平和な国の中でも危機管理能力が極端に低い。楽観主義かつ理想主義。自分に災厄は降りかからないと思っている。同じ日本人として、吐き気がするよ」
「あらあら……」
「もっと吐き気がするのは」
悠は小刀の切っ先を男女に向けた。
「おまえ達のような、腐るぐらいの平和に波風を立てる奴らだよ」
「……」
「人を殺した人間に崇高も何もあるものか。犠牲が必要だから――とか言うなら、私は怒るよ」
「犠牲が出るのは哀しいかしら」
「まさか。ただ、大量虐殺の上でなり立つ目的なんて、虚しいと思ってるだけだ」
悠は不快さを隠さずに吐き捨てた。
「私が怒りたいのは、経過と手段だよ。妖魔の力を得て目的を達成したって、その先が見えてるじゃないか。話にならないね」
「……ふ」
女の笑みが深まった。
なぜこんな場面で笑みを浮かべるのか、全く解らない。
「やっぱり思った通りだわ。それが世界と人間にも向けば最高なんだけど――それは高望みというものね」
「……? 何を言っている」
「今は解らなくていいわ。そう、そうね。三ヶ月はどうかしら」
「何が」
「貴女の返事よ」
女は目を細めた。
「しばらく私は日本から離れるの。その間、じっくり考えておいてちょうだい」
「……まさか仲間になれって?」
「そう」
「断る」
悠はきっぱり言い放った。
「敵とみなした奴の味方なんて、誰がするか」
「どちらでもかまわないわ。ただ、考えてちょうだい。私達の目的を」
女は綺麗に微笑み。
とぷん
屋上の床に沈んだ。
正確には、自身の影に。
「なっ!」
「またね、椿悠」
驚いている間に、女の姿は影に飲まれ、消えた。屋上に残ったのは、悠と男のみ。
「……やっぱり面倒なことになったわ」
男がけだるそうにため息をついた。
悠はその男の方を見、そこで気付く。男の肌には、鱗のように硬そうな黒い羽根が生えていることに。
なるほど――妖鳥の半妖か。
「気ぃ付けや、おまえ。シスターは選ぶ権利あるみたいなこと言ってたけど、実際はどんな手使ってもおまえを仲間にしたいはずやから」
「……関西弁? それに、シスターって」
「俺は大阪出身や。それと、シスターってのはあの人の呼び名。……あぁ、話すのもめんどくせぇなぁ」
男は再びため息をつくと、両手を広げた。
「飛ぶのもめんどくせぇ」
はばたくような動きと共に、男の身体が浮き上がった。
「……まんま鳥人間だね」
悠の呟きに反応したわけではないだろうが男は「そうだ」と、何かを思い出したように見下ろした。
「俺の親父に伝えといてくれ。迷惑かけてすまんって」
「……は?」
親父って……誰だ。
自分の知り合いだろうか――いや、待て。この関西弁は、もしかして。
「じゃぁな」
男はそのまま、腕をはばたかせて飛び去ってしまった。しかし――なかなかシュールな図だ。
追いかけようか迷ったが、どうせ攻撃は避けられるだろうし、第一飛び道具など持っていない。
『剣姫』を持っていたら話は別だろうが――
と。
「椿!」
どたどたという足音が聞こえてきたと思うと、扉が開いて次郎が現れた。
「やぁ、高野刑事。一人?」
「まぁな。……狙撃犯はどうした?」
「逃げたよ。妖魔だった」
悠は太もものホルダーに小刀を収めた。
「妖鳥と……多分、影法師。二人組の男女だよ。片方は西洋人だった」
「解った。後でモンタージュを作るから警察に来てくれ」
「勿論だよ」
「それから――非常に言いにくいんだが……」
次郎は言葉を濁し、表情を苦々しいものに変えた。
「華凰院早音が、遺体で発見された。死亡時刻は――一昨日から昨日にかけてだ」
―――
『華凰院早音』がその路地裏に来た時には、女――シスターはすでにその場所にたたずんでいた。
「あら、遅かったわね」
「すぐ来れるわけないじゃん。警察わんさかいたんだからさぁ」
「そのかっこで動こうとするからやろ」
と。半妖鳥のような男が彼女の隣に降り立った。
「その仮面は色んな姿に変えられんねんから、近く通った通行人にでも化ければいいやろが」
「あ、そっか」
ぽんと手を打つ彼女に、男は「面倒な奴」と呟いた。
「今回はいいけど、他のことでうっかりはやめてちょうだいね」
シスターは微笑をたたえながら言った。
「しばらく私はここを離れるんだし、フォローできないのよ」
「確か――『あの方々』に呼ばれたんでしたっけ?」
男の言葉に、シスターは頷く。
「そう。報告のためにね。あと、他の指揮も少し」
「大変やなぁ。いやほんと、俺下っ端でよかったわ」
「下っ端ね……まぁいいわ。ところで」
シスターは彼女に向き直った。
「椿悠の様子はどうだった?」
「……それがぁ」
彼女は頭をかいて苦笑いした。
「あの娘、僕の正体に気付いちゃったんだよねぇ。さすがに僕が偽物だってことは気付かなかったみたいだけどぉ」
「……へぇ」
シスターは笑みを深めた。
「さすがね――いえ当然と言うべきかしら。フレッドの正体に感付くなんて……死体もそろそろ見付かる頃合いでしょうし、貴方の正体にも気付くんじゃないかしら」
「いやいやいや」
彼女は笑いながら己の顔に触れた。
その顔が――外れる。
まるで仮面を外すように。
否――実際その『顔』は、仮面だった。
肌の質感は消え、その代わりに黒い、大理石のような仮面が姿を現す。
人の形をした、しかし目も口も開いていない、不気味な仮面だった。
「まさか僕達がこれを所有してるなんて、だぁれも思わないさ」
その下から現れたのは、男にも女にも見える、金髪の子供だった。十歳ほどの背丈で、口調は少年のようだ。少しぶかぶかになったワンピースのような制服が、よく似合っている。
性別を超越したような愛らしさ――と言うより、性別を失ったかのような気味悪さを感じる容貌だった。
「本来僕達のような存在を狩るためのものなんだもん。退魔武器だっけ」
「そうよ。銘は……何だったかしら」
シスターに視線を向けられ、男はしぶしぶという体で口を開いた。
「……『面模姫』や。平安初期に創られた退魔武器」
「時期なんてどうでもいーよ」
子供は長めの髪を指に巻き付けた。
「よーはここにあることが重要なんでしょ。そして僕が使えることでしょ」
「……」
男は黙り込んだ。その面の危険性を知っているだけに、それを素直に肯定できないのだ。
しかし、シスターの方はそうでもないらしい。
「その通りよ。私がいない間、諜報面は任せられそうね」
シスターはそっと子供の頭を撫で、背を向けた。
「それじゃ、後のことは任せたわよ」
シスターの足が、建物の影に沈んだ。そのままずぶずぶ飲まれていき、その姿は消えてしまう。
「……任せた、ねぇ」
男は一人ごちながらそでをまくり上げ、自身の両腕にはまった腕環を見つめた。
黒い金属でできた、いかにも重そうな腕環で、禍々しい色をした赤い宝玉が一つはめ込まれている。
こんなものに頼っている俺達は――
そうすることで力を得られるとはいえ――
これを外した時、俺は――
「……」
男は考えるのが面倒になって、思考を停止した。
最近着け始めたものにあれこれ考えてもしょうがないだろう。
「……めんどくせぇ」
男は口癖を呟き、目を閉じた。
全ての考えを、頭から追い出すように。