第四話 回りだした歯車<上>
学校閉鎖は終わり、ようやく授業が行われるようになった。
……大半の生徒にとっては、ありがた迷惑だが。
で、その大半の一人である流星は、机で友人の会話を聞いていた。
「一週間何してた?」
「俺、お袋に捕まってさー……一歩も外に出してもらえなかった」
「うわっ、最悪じゃん!」
「俺も勉強させられたー。隠れてゲームしてたけど」
「ゲームって言えばさ、新作出たの知ってる? あのシリーズの……」
「あー、俺やったこと無いわ」
「マジで!? 買えよ! 金無ぇの?」
「……つぅか、流星一言も喋んねーな」
友人の一人、山下の言葉に、全員流星を見る。
流星は爆睡中だった。
「……寝てんじゃん!」
「え、さっきまで起きてたよな?」
「うわ、マジ寝だし」
友人それぞれが好き勝手なことを言う。やがて、全員にやりと笑った。
しばらくして――
「……ぎゃはははははは、やめっだっうわ! もーギブっ。ギブだって! ひーっ」
友人五人によるくすぐり地獄に、流星は飛び上がった。
女子がまた馬鹿やってる、と言いたげな目で見てきたが、誰も気にしない。
「やめっマジで……このっ」
流星の拳が、友人達の頭に例外無く落ちた。
「やめろっつってんのにおまえらはっ……」
息を切らした流星は五人を睨んだ。
「あっだ~……。おまえ、ちょっとは手加減しろよ、空手部!」
元木が叫んだ。
「ても最近じゃユーレイ部員だよな」
卓人が頭をさすりながら言った。
「バイトしてんだろ。アンティークショップの」
「まぁ、一応……」
実際は退魔師という、妖魔を狩る職業の手伝いなのだが。
「でも、今日は行く。久しぶりにバイト、休みだし」
「久しぶりって……休み中、ずっとバイトしてたのかよ!?」
「いや、二日だけ」
流星は顔を曇らせた。
七日前、急にバイトはしばらく休みだと言われたのだ。
朱崋のことで怒ってるのかと思いきや、どうも違うらしい。
『西野紗矢が気になることを言ってたんでね、調べたいんだよ』
そう言う悠の顔は、厳しいものになっていた。
紗矢は、梅見霧彦という男性に引き取られ、現在は退魔師の修業をしているはずだ。
長身にスーツを着た、優しそうな男性だった。悠も信頼しているようだし、彼女は大丈夫だろう。
しかし、問題は悠だ。あんな切迫した顔、見たこと無い。
一体何があったんだろう。
黙り込んだ流星を見て、友人達は焦ったように顔を見合わせた。
「あー! そういやさ」
木下が声を上げ、山下の肩を叩いた。
期待を込めて残り三人が見つめる中、木下は心なし胸を張った。
「俺、山下とコンビ組んだんだ。コンビ名はダブル下下!」
「サブいよおまえら」
卓人に一蹴され、ダブル下下は解散した。
「そうだ。今日空手部行くんだったら、剣道部の練習試合見れんじゃん」
草太の言葉に、流星は顔を上げた。
「練習試合?」
「今日、うちの剣道部が他校と交流試合するんだ。空手部と体育館半々で使ってるから、試合見れるぜ」
「ちなみにどことだよ」
「晋羅高校」
「マジ!? 超エリート校じゃねーか!」
木下は目を見開いた。
「でも剣道部の実力はどうよ?」
「えー、微妙じゃね?」
また好き勝手言い出す友人達の声を聞きながら、流星は晋羅高校ね、と口の中で呟いていた。
―――
「久しぶりだな、華鳳院」
空手部の顧問、冬木はからっと笑った。
今年で五十五になるらしい彼の頭は禿げ上がっている。ただ、身体付きはさすが体育教師だけあってたくましかった。
ごつさでは高野次郎といい勝負だろう。
「ずっと来なかったから、心配してたんだぞ」
「すみません。ずっとバイトだったもんで」
道着を着た流星は頬をかいた。
他の部員は、すでに組手を行っている。
「まぁいい。柳田! こいつの相手してくれ」
「うっす」
部内でも一、ニを争うほどごつい柳田は、体格に合ったでかい声で返事をした。
流星が彼の前に立つと、身長差が歴然とする。
流星は百八十一センチと高い方なのだが、柳田は百九十センチ越えしている。
で、あるのにもかかわらず、柳田は流星に対して必要以上に警戒していた。
なぜかというと、流星の実力に問題がある。
流星はさっと構え、柳田が構えるのを待った。
柳田は流星と同じ構えをとる。
(……隙だらけだな)
流星は間合いを一息で詰め、正拳突きを放った。
狙いは外れず、柳田の腹の真ん中に拳は吸い込まれる。
しかし、当たる寸前で拳は止まった。
試合以外で技を決めることは、部内で禁止されているからだ。
「……はぁぁっ。か、華鳳院先輩! マジで当たるかと思ったじゃないですか!!」
「あ、悪ぃ」
流星は柳田に苦笑いを向けた。一応、柳田の方が年下である。
実は、流星は空手部でも一、ニを争う実力者で、三年にも一目置かれている。
一年に慕われるほどなのだが、今のところ、悠にいいところは見せれていない。
――と。
バシィィッ
小気味よい音が響き渡った。
音の方を見ると、剣道部が交流試合の相手の面を取ったところだった。
「今の副将だな。次大将戦だぜ」
卓人が後ろからやってきた。彼も空手部なのである。
「もうそこまで進んでたのかよ。気付かなかったぜ」
「おまえが着替えてる間に、ほとんど全部終わっちまったんだよ」
卓人は肩をすくめた。
「そっか。草太は?」
「あそこで応援」
「試合出てねーじゃん」
二人で笑って試合を見つめる。
互いの大将が立ち上がった。
面を付けているため、顔はわからない。
しかし、晋羅高校の大将に目をやったとたん、流星はぞくりとした。
普通の高校生が放つことのできない、こちらを圧倒するような気迫を感じたからだ。
構えにもまるで隙がなく、対峙していないのに、流星の頬に冷たい汗が伝った。
こちらの高校の大将は、気迫に飲み込まれたのか全く動かない。
それを周りが不審がる前に、相手がゆらりと動いた。
バシィィンッ
音がしたと思ったら、大将の立ち位置が入れ替わっていた。
向こうの大将の構えからして、こちら側は胴を打たれたらしい。
いつ打ったのか、と思うほどのスピードだった。
こちら側のメンバーは呆然としていたが、晋羅高校は当然といった顔で澄ましていた。
……とんでもない奴がいるもんだ。
流星がそう思っていると、仲間の元に戻った敵方の大将が面を脱いだ。
その下の顔を見て、流星は目を剥く。
……悠!?
艶やかな黒い髪、黒曜石のような切れ長の瞳、信じらないほど整った顔立ち……
似てる、なんてものじゃない。瓜二つだ。
流星は目をこすって大将の顔を見直した。
やはり似ている。髪は短いし、顔立ちはどちらかと言えば男性的ではあるが。
他人がここまで似ることがあるんだろうか。もしかしたら、前に聞いた悠の兄貴かもしれない。
流星は声をかけて確かめようとした。
――目が合った。
悠と同じ、黒曜石のように澄んだ瞳がこちらを捉えた。
深沈とした表情は全ての感情が抜け落ちたかのようで、流星は少しぞっとする。
「椿、行くぞ」
仲間の一人が、悠の兄(推定)に声をかけた。
彼は流星から目を離し、背を向ける。
流星は無意識に止めていた息を吐き出した。
やはり彼は、悠の兄貴だ。椿と呼ばれていたし、それに。
(悠と、同じ目だった)
悠さっきの彼も瞳には常に強い意思を秘めていて、そして、僅かな影があった。
「……今の奴、凄ぇ美形だったなー」
卓人の呟きで、流星は彼がいることを思い出した。
それどころか、部活中だということすら忘れていた。
「何か女みたいな顔だったな。あんなに強ぇとは思えねーや」
「人は見かけに寄らないもんだぜ」
流星は卓人にそう返した。
悠と会ってから、流星はそれが身に染みて解っていた。
「あ、先輩達、集合かかってますよ」
柳田が言った。
流星はふ、と息を吐くと、冬木の元に歩み寄った。
―――
「恭弥、おまえ何見てたんだ?」
友人にそう問われ、紺色の制服に腕を通していた椿恭弥は顔を上げた。
「……妹の知り合いがいたんだ」
「あれ? おまえ妹いたっけ」
「前話したろうが。もう忘れたのか」
恭弥はあきれのため息をついた。
「そんなんだから勉強できないんだぞ」
「それ言うなって!」
友人はぎゃんぎゃん喚く。
「そう騒ぐな。事実だろう」
竹刀でつつくと、友人は「やーめーろー」と叫んだ。おそらくポーズだろうが。
「置いてくぞ」
「うおっ、待てって! 俺まだズボン……どわっ」
友人はずっこけてロッカーに頭を突っ込んだ。
「……阿呆」
恭弥は黒のスポーツバッグを肩にかけて、更衣室を出た。
華鳳院流星か……
恭弥の脳裏に、先程の青年が浮かび上がった。
「とんでもない奴を手元に置くものだな、悠」
妹の行動に、恭弥は眉間にしわを寄せた。
「椿」
急に呼び止められ、恭弥は立ち止まった。
「先生……」
「さっきの試合、さすがだな。瞬殺だった」
顧問はにこにこと笑いながら恭弥の細い肩に手を置いた。
「本当に……強いな」
「……? はい……」
様子がおかしい。
この、狂ったような、血走った目は何だ?
「失礼します」
恭弥はそれを振り払い、その場を立ち去った。
「本当に強く美しい……壊したいぐらいにな」
顧問の笹木は、ククッと笑った。
「もうそろそろ……我慢も限界だ」
―――
朱崋に集めさせた資料を長机に放り投げ、悠はソファーに身体をうずめた。
「やっぱり……妖偽教団の動きが活発化してる」
一人呟き、顔をしかめる。
妖偽教団。退魔師の敵。
退魔師の敵は、妖魔だけではない。
どんなものにも反対の性質を持つものはあるもので、退魔師と対極に位置する者達も、当然いるわけだ。
その集まりが、妖偽教団である。
禁術で妖魔の力を利用し、または自身が妖魔となって闇に生きる者達。
同じ裏の世界の住人でありながら、その性質は退魔師と全く異なっていた。
悠は奴らのことを「政治家や金持ち以下のクズ」と位置付けている。
己の欲のためだけに禁術に手を出す奴は、ゴミより格下だとさえ思っているのだ。
妖魔になっても悲劇しか生まないのに、それに気付かない馬鹿な奴ら。
もっとも、そんなクズ共より厄介な奴がいるようだが。
『銀髪の男に気を付けて』
紗矢の、あの別れ際の言葉が気になる。
彼女の話では、母に退魔師の存在を教えた男らしい。
紗矢はちらっと見ただけだが、その男の気配は、人と違うものだったという。
おそらく妖魔、もしくは半妖だろうが、何者だろうか。
妖偽教団と何か関係があるのか?
沈思していると、長机の上の携帯が震えだした。
「ん? 電話……」
悠は手を伸ばして携帯を取った。
前回のことがあるので、誰かからかを確かめる。
「あれ? 恭兄からだ……」
珍しい。刀弥と違い、口数の少ない恭弥が電話してくるのはまれだ。
とりあえず、通話ボタンをプッシュする。
「もしもし、恭兄?」
『久しぶりだな、悠』
少し低音の声。間違い無い、恭弥だ。
「久しぶり。でも、一体どうしたの? 珍しいよね、恭兄が電話くれるの」
『あぁ。実は今日、おまえが言ってた奴を見た』
「……流星に会ったの?」
『剣道部の交流試合で見かけた。隣の空手部にいたよ』
「だろうね。彼、空手部所属だもん。……で?」
悠は寝転んだまま、頬杖をついた。
「流星を見た感想をどぉぞ?」
『……おまえの言う通りだった』
恭弥の声が少し低くなった。電話で内緒話でもしてるかのようで、悠は少しおかしみを感じる。
しかし恭弥の声は、真剣そのものだった。
『あれは危ない。よく十七年間生きていられたものだ』
「恭兄もそう思った? 多分、封印か何かほどこされてたんだろうね。でも」
『その封印が解けかかっている、か?』
「うん。だからあんなことが起きたんだよ。……ところで、封印で思い出したんだけど」
悠は声をひそめ、尋ねる。
「恭兄、最近身体の方は大丈夫?」
『あぁ。だが、それがどうした?』
「……うぅん。大丈夫ならいいの」
恭兄が大丈夫なら、アレの心配も必要無いだろう。
退魔師が守り続けた、アレ。
決して妖偽教団に渡してはいけない。
もし彼らの手に渡ったら、恭兄は……
『……悠? どうかしたのか?』
恭弥の声で、悠は現実に引き戻された。
「ごめん、何でもない」
『……ならいいが。で、華鳳院流星の力はちゃんと抑えてるんだろうな』
恭弥の質問に、悠は「うん」と答えた。
「今はとりあえず、呪をかけてある。でも近いうちに使い方を教えないとね」
『だな。……あぁそうだ』
恭弥は思い出した、というような声を上げた。
『おまえ、いつ帰ってくるんだ? 明後日誕生日だろう』
「あ……忘れてた」
悠は思わず口に手を当てた。
「明日帰ろっかな」
『だったら、僕の学校でやる剣道部の練習試合、見に来るか?』
「! 行くっ。流星も連れてっていい?」
返答は無かった。無言で尋ねられていた。
「流星と恭兄、同い年でしょ。仲良くなれるんじゃない?」
『……どうかな』
ため息混じりの言葉は許可だと、悠は知っていた。
「じゃ、また明日ね」
『あぁ。……悠』
「ん?」
電話を切りかけた悠は、ふと手を止めた。
「何?」
『……がんばれよ』
切れた。向こうからツーツー、という無機質な音が流れる。
「……どういう意味?」
悠はぽかんと携帯を見つめた。
まぁ、それはともかく。
妖偽教団の動きが活発化してるのは、奴らの中で何か起きたからだろう。
それが何かはわからないが、アレに関係してるのは確かだ。
……しかし、今は放っておいても大禍あるまい。
少なくともこの時は、悠はそう思っていた。
自分の考えが甘かったと知るのは、そう遠くない。