第一話 顔剥ぎさん<上>
初めてファンフィクション以外を書きます。気に入っていただけたら幸いです。
暗い廊下が、無限に続くように感じる。
「ハァ、ハァ……」
乱れた息を必死で抑え、少女は恐怖で染まった心をなんとか静めようとした。
どうしてこうなったの?
何で私がこんな目に会うの?
私は、ただ……
少女は手近なドアに手をかけた。ここはいつも鍵が開いている。今夜も例外ではなかった。
教室は当然のことながら誰もいない。ドアをと閉め、ゆるゆると息を吐く。
ひとまずは安心だ。アレも、まさか自分が閉じられてるはずの教室にいるとは思うまい――
「見ぃ~つけたぁ」
全身の筋肉が硬直した。
背後から嫌な気配を感じ、じっとりとした汗が伝う。
少女は振り向き、その巨体を見上げた。張り付いた笑顔が、自分を見下ろす。
「いっ……」
熊の手ほどもある『彼女』の手が、迫ってくる。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
少女の悲鳴が、闇に飲まれた。
―――
平穏なんて、簡単にぶっ壊れちまうもんだ。
華鳳院流星は心底そう思った。
名前の割に特徴の無い、平凡な容姿の彼は、クラスメイト達と一緒に廊下の人だかりに参加している。
ざわめく周囲の中で、流星は比較的落ち着いていた。
しかし、あくまで周りと比べてである。この状況で冷静でいられる人間は少ないだろう。
校舎内の薄暗い廊下、灰色の床に、一人の女子生徒が横たわっていた。
乱れた制服、投げだされた手足、乱雑に散った髪。
これだけを聞けば、誰かに無理矢理行為に及ばされたのかと思うが、全然違う。
なぜなら……彼女は死んでいるのだから。
頭を中心に血だまりが広がり、茶色に染められた髪にべっとり付いている。血は黒ずんでいて、遠目でも乾いているのが解った。
そして、その血は彼女の皮を剥がされた顔から出ていたらしかった。皮ごと顔の肉も剥ぎ取られたらしく、ところどころ頭蓋骨が剥き出しになってる。
女子生徒の死体の周りは、ぽっかり空いていて、近寄る者は誰もいない。
死体、それもグロテスクなものにわざわざ近寄る奴はいないだろう。
いるとすれば、死体好きの狂った奴か、今来た警察ぐらいだ。
「ほら、道開けて!」
スーツや制服姿の警官達は、野次馬の生徒達をかきわけて死体に近付いた。その中に、流星は見知った顔を見つける。
「おじさん!」
「パパ!」
隣の女子生徒が、流星と同時に声を上げた。流星の幼馴染み、高野若菜だ。
先頭を行く中年の大柄な男性がこちらを向いた。白髪混じりの頭だが、その精悍な顔は実年齢より十歳若く見える。
若菜の父、高野次郎である。
「若菜、流星……。悪いが下がっていてくれ。すぐ解決すると思うから。……多分」
めちゃくちゃ不安になる言葉を残し、次郎は現場に向かった。
流星は顔をしかめながら、聞こえてくる周囲の会話を聞いていた。
「ヒデーよな。顔、見れたもんじゃねーよ」
「あれじゃ、誰か解んないよねー」
「ホント、ホント。誰があんなことしたんだか」
誰一人として、少女に同情していない。死を悼む気持ちも、無い。
あるのは恐怖と、好奇の心だけ。
更に顔を苦くしていると、耳にある会話が飛び込んできた。
「ねぇ、これってさぁ……アレだよね」
「あの話、マジだったんだ」
「ああ、『顔剥ぎさん』ね」
流星はぐるりと首を巡らせた。いきなり回したからぐきっ、と音を立てて激痛が走ったりしたが。
「カオハギサンって、何?」
首の後ろをさすりながら尋ねると、後ろにいたクラスメイトは目を瞬かせた。
「おまえ、知らないのか? 今けっこー話題だぞ」
「そうなのか?」
流星は首を傾げて若菜を見た。
肯定するように見返す幼馴染みを見て頬をかく。
「それより、そのカオハギサンって?」
「おう。昔、交通事故にある女子高校生が巻き込まれたんだと。その娘、命は助かったんだけど、顔が手術でも治せないぐらいグチャグチャになっちまったんだ」
「……その後どうなったんだ?」
「失踪したんだってさ。で、それ以来、その娘は顔のいい女の子妬んで、その娘の顔を剥いじまうんだと」
「都市伝説よね。馬鹿馬鹿しいわ」
若菜は首を振った。
しかし、流星は別の考えが頭にあった。
顔をしかめ、クラスメイト達から視線をそらす。
もし、その話が本当なら、警察には解決できない。
「あいつに、相談するかな……」
流星は小さく呟き、何も無い空間を眺めた。
―――
街で一番服飾関係の店が多い大通りで、その店はエラく目立っていた。
まず、その店はそういうたぐいの店ではなく、アンティークを扱う店であること。
白い看板には蒼い字で『プリンセスロード』と書かれており、白の扉は開け放たれている。他の店は自動ドアなので、そこも違う点の一つだ。
流星は入り口をくぐって店に入った。
けっして広いとは言えない店内には、凝った装飾の置物やガラス細工が木の棚や丸机に置かれている。
ここに置かれている物は美術的価値の高い物ばかりらしいが、流星にはよく解らない。
一応ここでバイトをしてるのだから、そういうのは知るべきだろうかと時々思う。思うだけで、一切勉強はしてないが。
「いらっしゃいませ。……あら、流星様でしたか」
奥のレジにたたずんでいた少女は、顔を上げた。
肩上で切り揃えられた茶髪に薄赤の大きな瞳、顔立ちは愛らしいが、表情は無い。着ているのだって、飾り気の無い白のワンピースだ。素っ気無い、というか愛想の無い格好である。
「よう、朱崋。悠いるか?」
「上の事務所です」
幼女のような容姿に似合わず、大人びた対応で朱崋はレジの後ろの階段を示した。
流星は短く礼を言うと、階段を登っていった。
二階は、木の廊下に白い壁のシンプルな造りで、扉は二つしかない。
流星は手前の木製の扉を開くと、中の少女に声をかけた。
「悠、話があるんだけど」
ソファーに座っていた椿悠は婉然と微笑んだ。
「何の用? 流星」
綺麗なソプラノの声が、流星を迎える。
いつものことながら……目の覚めるような美少女ぶりだ。
光沢を放つ長い黒髪は細い腰のあたりでわだかまり、陶磁器のような滑らかな白い肌を際立たせている。顔立ちは非の打ちどころが無く、彫刻のように完成度が高い。
特に目を惹かれるのは、大きな切れ長の瞳だ。
黒水晶の瞳は息を飲むほど澄んでいて、吸い込まれそうなほど美しい。
悠は笑みを紅い唇に浮かべたまま、足を組んだ。
ミニスカートだから白い太ももがあらわになって目のやり場に困る。
「その様子だと仕事の依頼みたいだけど、君のは後回しだよ」
「え?」
思わず首を傾げてると、悠は年下とは思えない、大人びた動作でくすりと笑った。
「客が来た」
事務所の扉がゆっくり、ぎこちなく開いた。
「ようこそ、椿事務所へ」
悠は扉の傍で立ちすくむ客に目を向けた。
流星と同じ学校の生徒のようだ。紺色のセーラー服を着ている。
女子生徒は一瞬戸惑ったような顔をした後、後ろのドアを閉めた。
「貴方が、退魔師……?」
「そうだよ。依頼人さん」
悠は頬杖をついた。
退魔師。闇から生まれる異形のモノを狩る者達だ。悠はその一人である。
人は、誰しも心に闇を持っている。怒りや哀しみ、憎しみに一生無縁でいられるはずない。
そして強い負の感情は、時に具現化して人々を襲うのだ。
それらは総称して、『妖魔』と呼ばれている。それらの起こす事件を解決、そして狩るのが、悠達退魔師の役目だ。
霊や妖怪なども妖魔の一種である。妖怪とは人々の闇に対する恐怖に実体を持たせた存在だが、あながち想像上の存在ではないのである。
そして性質上、妖魔の力は人の心に影響して強くも弱くもなるのだ。
もっとも、例外もいるにはいるのだが。
「ソファーに。で、貴女は私に何を依頼したいの?」
悠に促され、女子生徒はソファーに座り、口を開いた。
「……私の通ってる学校で」
彼女はちろっと、悠の後ろに立つ流星を見た。
「彼と同じ学校なんだけど……友達が殺されたの。木野リサって娘」
そういえばそういう名前だと担任が言っていた、と流星は思う。友達が可愛かったのなんだの騒いでいた。
「それで私、顔剥ぎさんっていう怪談話を別の友達から聞いて、もしかして関係あるんじゃないかと思って」
「ふぅん。ここに来た経緯は?」
「パソコンのサイトで、前からここのことは知ってたの。まさか来る機会があるとは思わなかったけど……」
「パソコン?」
「オカルトサイト。友達がやってて」
どーゆー友達だ、それは。
流星は反射的にそう思った。さすがに口にはしないが。
「なるほどね。で、私に真相を確かめてほしいと」
「ええ」
「……解った。朱崋!」
悠は少し声を張り上げた。
聞こえるはずないのに、朱崋がすぐさまドアを開けて入ってくる。
「契約書を」
「はい」
短いやりとりをして、朱崋は窓を背にして置かれた事務机に近寄った。引き出しを引き、朱崋が中から一枚の紙を取り出す。
細かい文字が並んだ紙面を一瞥し、悠はペンと一緒にそれを受け取った。
「ここに貴女の名前を書いて」
悠は一番下の、空白の部分を指差した。
女子生徒は不安そうに顔を歪めたものの、すぐ契約書とペンを受け取った。
「あ。そうそう、言っとくけど」
ペンが契約書に付く直前、悠は思い出したように言った。
「それに名前を書いたら、後戻りはできないよ」
「え?」
「どんな事実が待ってようと、どんな恐怖が襲ってこようと、こっちは責任取れないってこと」
悠は唇の端を持ち上げた。どこか楽しげに。
「別に止めたってかまわないよ。それでもいいならね」
楽しげな悠の顔を見て、流星は小さくため息をつく。
彼女は解ってるんだろうか。自分の言葉が、拒否という選択肢を奪っていることに。
自分の声が、人を惑わす魔力を持っていることに。
「契約するか否か。全ては、貴女次第だよ」
この言葉を言ってしまえば、依頼人が取る行動は一つだ。
女子生徒は一瞬固まったが、すぐに震える手で、己の名を書き込んだ。
「契約成立」
悠の笑みが深くなった。
「雪野紗菜、ね。とりあえず今日は帰っていいよ。進展があったら、連絡する」
悠はメモ帳を朱崋から受け取り、雪野紗菜に携帯番号を書かせた。
紗菜が帰った後、悠は流星を見上げた。
「で、流星の話は何?」
「え?」
一瞬何を言われたのか解らなかったが、すぐ思い至る。
「あぁ。さっきの奴と同じだよ。もう必要なさそうだけどな」
「確かにね」
悠は髪を後ろに払って、朱崋を見た。
「朱崋、木野リサの交友関係調べて」
「はい」
一礼すると、朱崋はまた出ていった。
「……何で殺された娘のこと調べるんだ?」
流星が尋ねると、悠は肩をすくめた。
「顔剥ぎさんを真似た殺人だって可能性もあるでしょ? だったら私の担当外だよ」
「まぁ、な」
流星はぽりぽりと首筋をかいた。確かにそうだが、少し冷たいのではないだろうか。
しかし、悠が妖しげな笑みを浮かべたのを見て、手を止めた。
「ま、そうであることを祈ろうか」
悠は唇に妖艶な笑みを刻んだ。
「第二第三の犠牲者を出さないために、ね」
初めましての人もそうじゃない人も、こんにちは、沙伊です。
今までリボーンのファンフィクション(しかも連載)しか書いてなかった私がこの作品を書くことになったのは、一時の気の迷いです(泣)
しかし書いた以上、最後までがんばるので応援のほどよろしくお願いします!!