【後篇】アワワ!うっかり毒薬を盛ってしまいましたが、王太子さまは許してくださるでしょうか…
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確かに手を掴んでいたはずなのに。
ジョーンズ家主催の<仮面の夜>で見つけた怪しい男。あれだけ婦女からの注目を集めているにも関わらず、自分の脳梁に刻まれていない、あの男。
若者が中心の夜会、とはいえ有力貴族の子息たちが集まる会だ。他国から、機密情報を盗もうと密偵が送り込まれたのかもしれん。
そう思い、後を追って中庭に出たところまでは良かった。
だが、突如その男の身体から煙が立ち上ったかと思えば、奴はいつの間にか消えてしまった。そして、今目の前に言えるのは……。
「あの、痛いですわ、お手を放してもらっても良くて?」
女だった。
混乱した頭を一瞬で整理し「いや、まだ離すべきでない」と結論を出したまでは良かったが
「どなたかは知りませんが、貴族の一員たる殿方が、婚約前の女子の身体をそう馴れ馴れしく触るものではないのではありませんの?」
そう、反論されてしまえば、何も言うことが出来なかった。
失礼、と手を離すと女はそそくさと去っていき、間抜け面で佇む自分だけが残された。
「おい、ディートリヒいきなりどうしたんだよ」
「確かに…掴んだ…よな?」
「好みのご令嬢でもいたのかい?」
「いや男だ」
えっ!と面白いおもちゃでも見つけたかのような、満面の笑みを浮かべる友人は放っておいて、頭の中で改めて情報を整理した。
今日一番に婦人たちの耳目を集めていた男、そいつはそれだけ華やかな見た目をしていながら、俺の記憶にはない――王国で一番の記憶力を持つ自分ですら覚えていない――謎の男。
そして掴んでいたはずの手は突如として、女のものへと代わっていた。
何が起きたかはわからないが、あの女は、見覚えがある。
「はあ堅物のお前も、ついに…ついに1歩踏み出すんだな…何なら100歩くらい先のレベルまで行ってしまうんだな」
「追ってみるか」
「おおっ!!応援するぞ!何気にすることない、今どき性別がどうした――」
「オルガ領は北だったな」「え」
薄氷のように透き通った肌と、凍てつく白銀の髪。
「久しぶりの視察だ、シャルド お前も準備しろ」
「えええええ⁉ 寒いの無理なんだけど!」
俺が立てた仮設が正しいのなら…久しぶりに面白い奴に会えそうだ。
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モンターナ城の朝は、いつものように伯爵の怒声で始まる……ことはなかった。
「ねえ、あなた、ミリアはどうしちゃったのかしら」
「わからん、だが夜会から帰ったきり、自室に籠って出て来んのだ。おおかた、またいつものように悪巧みをしてるのだと、思ったのだが…」
普段、まったくミリアを心配の「し」を発音するときの「s」の口をすることもないほど心配しないモンターナ伯爵ですら、ここ1週間のミリアの異変には、胸がざわつくものがあった。
「お前たちは何か聞いてないのかい」他の兄妹たちに尋ねてみるも
「いいえ、トレーニング中に突然スポイトで汗を吸われたのが最後です」と長男のシバ。
「私も、モテる殿方の口癖を利かれましたので『うるせえ!』と答えましたわ」長女のウタ。
「お前、お願いだから変な男につかまらないでくれよ…」
「お姉さまがムキムキになってて、たかいたか―いしてくれましたわ!」と双子たち。
ん?ムキムキ?
何だかわかりそうで、わからない手がかりを聞きながら、ため息を一つ零した時、執事長が慌てた面持ちで居間に入って来た。
「旦那さま……!お客様がいらっしゃいました。王家のご嫡男ディートリヒ・ルクセンさまと、南の名家バーナード公爵家のご長男シャルドさまでございます」
この国で彼らの名前を知らない者はいないだろう。
王太子として次期国王と名高い鬼才ディートリヒはもちろんのこと、南のバーナード公爵家といえば 北のモンターナ伯爵家と対をなす、この国きっての有力貴族。その長男シャルドは、堅物と名高いディートリヒと唯一心を通わせる友人として、彼が王位を継承した後も、右腕として執政を支えるのではないかと囁かれている。
そんな大物2人の突然の来訪に、一同が言葉を失う中、執事長はなお言葉を続ける。
「何でも、ミリアお嬢様に御用があるとのことです」
「み、ミリア…⁉」
いったいウチの娘は何をしでかしてくれたのだ、といつものように叫びたいところをグッと堪え、モンターナ伯爵は当主らしく毅然とした態度で一言、こう答えた。
「お通ししろ、丁重にな」
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やってしまった。
あんな、注目を集める真似をして、挙句密偵かと怪しまれ 剣を抜かれそうになるとは・・・。これじゃ、王太子ルートを回避しても、死亡ルートに変わりないではないか。
「バカなのか、私は…」
普段自分を責めることがないミリアも、この時ばかりは自分を諫めることを止められなかった。
どんなきっかけで死亡ルートに乗ってしまうのかわからないのだから、目立つべきではなかった。怪しまれたからといって、焦って女の姿に戻るべきではなかった。そもそもなぜ夜会に行ってしまったのか、万が一王太子がいたらどうするつもりだったのか……と言ったら、まあ年相応に遊びたかったのと研究成果を試したかったからなのだけれど。
どちらにせよ、万全を期すべきであった。
なぜなら王太子にまつわる選択1つ1つが、私だけでなく――家族の命運を分けるのだから。
彼らを、守らなくてはいけない。
この世界に来る前、私は腐女子であると同時に、孤独でもあった。
家族とは正月に会うか会わないか、定期的に会う友達もいない、彼氏もいない。1度と声をかけてきたホストにホイホイ付いていって、20万円も貢いでしまったことがある。仕事だとわかっているのに。そのくらい人との関りに飢えていた私が、今、この世界で、家族のおかげで毎日本当に幸せだというのに。
彼らを不幸にすることは、できない。せめて、殺されるなら私だけで……。
この世界のミリアらしくない感傷に耽っていると、トントンとドアを叩く音がした。
「お嬢さま、お客さまがいらっしゃっております」
嫌な予感は、なんとなくした。真冬のオルガ領に赴くような自殺志願者は、まず存在しない――特別な用事があるものを除いて。
「どちらさまかしら」
「それが…ディートリヒ・ルクセンさまと、シャルド・バーナードさまです」
その瞬間全てを悟った。私の後悔が杞憂ではなかったこと。愚かのことを、してしまったこと。
きっと あの一瞬の邂逅で、私の魅力に籠絡されてしまったのね。
あの時、女の姿に戻ったのと同時に、パイの大きさも元に戻っていた。結局、隠しきれなかったということか――。
私が描いた物語通りに、私に魅了されてしまった王太子に執着され、姦通という不義を犯してしまい、それゆえにモンターヌが王家転覆の造反を企てたと疑られ、挙句の果てに殺されてしまうのね。
ごめんなさい、お父さま、お母さま。
愚かで、ワガママで、それでいて可愛げもあって、聖女の生き写しのように美しい反面、たまに融通の効かないところがあるけど、やっぱり愛しい娘でごめんなさい。
嗚呼、こんなにも罪深い私を、おふたりは なお愛してくださるのでしょうね。ご安心くださいまし。私は、愛する家族だけは、守ってみせましてよ。
数秒目を閉じ、心を落ち着けると、決意が固まった。
「ヤられる前に、ヤりかえす。100倍返しですわ!!」
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北の城塞都市オルガ、小規模ながら社会福祉や公衆衛生等の管理が行き届いているところを見ると、モンターナ伯爵の手腕が伺える。
辺境の地という土地柄、王家との交友はあまり深くなかったものの、モンターナは「伯爵」という中位の貴族でありながら、その安定した貢物量と裏の人脈の広さで 公爵家たるシャルドの生家と肩を並べる影響力を持っているのだ。今後を思えば、是非とも手の内に入れておきたい傑物だ。
城の門戸をくぐると、黒檀を基調とした飾り気のない応接間に通された。
「ここでしばし、お待ちくださいませ」 無駄のない動きで一礼をすると、スチュワードは奥へと下がっていった。
「…お前の無茶振りは今に始まったことじゃないけどさ、どうして僕までここに連れてきたわけ」「それはだな」
「お待たせしましたわ。はじめまして、私はミリア・モンターヌでございます」
辺境の極寒地帯オルガの民は、みな無骨で粗野な者が多いと聞いていたが……。
伯爵令嬢なだけあって、指先まで神経を巡らせていることが伝わってくる、完璧なカーテシーだった。
「事前の断りもなしに押し掛ける形になってしまい、申し訳ない。私はディートリヒ・ルクセンだ」
「私は忠犬シャルドと申します、お嬢さま」
…自分で忠犬というだけあって、ウインク意外の無駄なことはせず、簡潔に口を閉じたから許そう。
「では、早速本題なのだが、貴」
「そういえば、外のご様子はいかがなものでしたか?」
「ああ少し寒いが不自由ない。では、早速本題なの」
「やはり!そうですよね!ここにいらっしゃる皆さま、口をそろえて そうおっしゃりますの!」
「だが湿度が低くカラッとしているので、過ごしやすい。では、早速本」
「おふたりとも、慣れない寒冷地でお身体崩されたら大変だわ!直ぐに温かいお茶をお出ししますわ!」
「心遣い感謝する。しかし大丈夫なので、早」
「アン~~~~~~~~!!!アン~~~~~~~~~~~~~~~~!カモミールティーを!お持ちして~~~~~~~~!!!!」
……。これは同じ世界の生物なのだろうか、もしかしたら異世界から来た別の種族では、ないのだろうか?
あまりの話の通じなさに呆れつつも、ありがたく茶とやらを貰った方が早いなと思い、やりたいようにさせた。
ゴクン。
「それでは、本題に入らせて貰うとだな」
「あの…何かお気持ちに変化などはございまして?」
「ん…あ? いや何もないが」
「本当でございますの? 私のこと どう思っていらっしゃいますか? 正直におっしゃってくださいませ! 胸の鼓動などは ありませんよね? 脈拍を図っても……」
ご令嬢の前なのだからと堪えていたのだが、あまりの喧しさに痺れを切らし、いつもの悪癖が出てしまった。
「ええい!やかましい!私の気持ちは変わっとらんと言っているだろう!俺が!宮廷魔道師になれ!!と言っているのだから!黙って王宮に来んかい!!!」
ミリア・モンターナは、ポカンとしている。
大声で怒鳴りつけ息を切らしているとシャルドがすかさずフォローに入る。
「ごめんねえ、ミリアちゃん。この人ったら本当 亭主関白でさあ。身分の高いご令嬢を婚約者にすると毎回お相手のプライドと衝突して破談になっちゃうぐらいヤバいの。しょうがないから、格下の男爵令嬢ちゃんを新しい婚約者にして、今は何とか破談にならずに済んでるけど、周りからの評価は引くほど高いのに、身内の前ではモラハラなの笑っちゃうよねえ」
ケラケラと笑いながら、ほら落ち着きなよとカモミールティーを勧めてくる。本当にウザい男だが、いざという時の鎮静化要員として連れてきてよかったと思う。
「あーごほん。すまん、つい口が滑ってしまったが、つまりそういうことだ、宮廷魔導士になってくれ」
ミリア嬢は依然、ポカンとしている。
「俺が聞いているだから早く答えろ」
「あ、はい」
えーと、あーと とか言いながら話を続ける。
「確認なんですが、婚約者に、ではなく宮廷魔導士になってくれ、という申し出なのですね?」
「そうだ、なぜ俺がお前のようなじゃじゃ馬を娶らねばならん」
「私のおっぱいについては どのようにお考えで?」
「ちぎって投げて遊んだら楽しそうだな」
「モンターナ家を造反の罪で処刑したりは…?」
「背信行為があるなら斬って捨てるが、ここに来る前に調べたところ、そのような事実はなかった。ないなら別に何もする気はない」
ミリアは依然、訝しげに眉をひそめている。
「……何か勘違いしているようだが、先の夜会にて一瞬のうちに性別を変えてみせたお前の奇怪な魔術。を見て興味を持った。この国では魔力の存在が広く認知されている反面、それを応用する技術が著しく未発達だ。まだ王宮でも一部の者しか知らない話ではあるが、魔力は 森羅万象を再現し得る、無限の可能性に満ち溢れた領域だ。王国の発展のため、王宮魔術師として、お前の技術が――――欲しいのだ」
ここまで伝えると、ミリアは それまでと一転して泣き始めた。それはもう、赤子のようにウワアンと。誤解が解けたなら何よりだが、喜怒哀楽すべてが喧しい女だとは……一層 婚約者にするのはあり得ないと思った。
「申し訳ございません。自分が殺されないとわかったら、ホッとしてしまい。ましてや、誰も気にもとめてくださらなかった私の発明を、そこまで求めて下さっているなんて…ウッあぅ…ふえぇえええええん」
「うん、喧しくてしかたないが、答えはイエスということで受け取っておこう。準備が出来次第、明日にでも王宮に来い」
「あっ、あの」
はあ、まだあるのか。この令嬢は本当に…
「私、おふたりを勘違いしていたみたいで、つい粗茶に毒薬を盛ってしまったのですが……大丈夫でしたでしょうか?」
……。
バタッと音を立てて、隣にいたシャルドが崩れ落ちた。
「てめぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」
その日、実に久しぶりにガルド領の風物詩が鳴り響いたのであった。
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ミリアが去ったオルガ領の朝は――少し様変わりしていた。
「ほら!あんた朝よ!早く起きなさい」
「まだだよ、伯爵さまのお声が聞こえないもの」
少年は目をこすりながらも、母親から顔を背け、再び眠りにつこうとする。
「あら、これスイッチを押していないからじゃない。ほら、こうしたら…」
『てめぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!』
何度も繰り返されるその音声を前に、眠るのは不可能だと白旗を上げた少年は、渋々起き上がって食卓についた。
耳をすませば、他の家からも同じ声が聞こえてくる。
『てめぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!』
『てめぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!』
『てめぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!』
どんな怠け者も飛び跳ね、起きる。
小さく丸い、不思議な魔動機。
何でもとある魔術師が生み出したようで、その名は<目覚まし>というらしい。
お読みいただき、誠にありがとうございました!!
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