2話
旅立ってからいつも見る夢。
遠くにソフィアの後姿を見つける。声をかけても届かず、近づこうと必死に走っても追いつけず、手を伸ばしても空虚を掴むだけ。
「あなたの隣にはいつも私が居ます。」
いつか聞いたソフィアの声。それと共にはるか向こうのソフィアが振り返ってくれる。
その表情は今やはるか昔に感じるあの頃に見た笑顔。
この国は常に複数の他国からの侵攻に怯えていた。それだけ他国にとっては欲しいと思える領土なのだろう。
俺が住んでいた村はそんな国の国境付近に位置してるため、決して他人事では無かった。
それ故に村に徴兵のお触れが出たのもうなずける。国の領土とはいえ自分たちの村を守るのだから、そこから徴兵されるのは理にかなっている。
国の中心である街に赴き、役所にて手続きを済ませて軍隊へ入隊と成った。
入りたての新兵がやることなんか雑用と訓練のみ。それらを黙々とこなす。
同期らしい人たちは、ていの良い口減らしだったり、楽して稼ごうだったり、決して崇高な意思の持ち主ばかりではなかった。
自分にしても稼ぎたいという建前はある。しかしその本心はあまり良い物ではなくなっていた。
人の集まる場所であれば当然情報も数多手に入る。その中には知って得する物も有れば、知らなかった方が良かった物も有る。
とある貴族の夫人がソフィアと同じ様に出産後に臥せってしまったらしい。
しかし、貴族であるその夫人は医者に適切な処置をしてもらい助かったらしい。
ソフィアの時とその夫人の時が状況が全く一緒だったという訳ではないが、もしかしたらを考えてしまう。
もし、あの時の自分に医者に掛かるだけのお金や医者とのコネが有ったなら。
お金が無かった事や医者とのコネが無かった事が偶然ではなく、自分が招いた必然だとしたら。
あんな事になる前にもっと自分がしっかりしていれば、最悪の結果は防げたかもしれない。
ソフィアを亡くならせてしまった咎は遥かに重い。その報いを俺は受けなければならない。
いつまでたっても山の神の使者は訪れてくれないのなら、自らでこの体と心を罰する事にしよう。
過剰な訓練に体のあちこちから悲鳴が聞こえるが、それらを黙殺して体を動かす。
訓練を終えて休みを欲する体に更に自主訓練を課して、毎日気を失うまで体を動かす。
自分の理性が届く限りは自分を痛め追い込み続けた。まるでそれが自分に課せられた罰かのように。
そんな理性が届かない夢の中。いつも見る夢。
遠くに見えるソフィアの後姿。声をかけようとしても喉につまり声がうまく出せない。
はるか向こうのソフィアが振り返ってくれる。
その表情が笑顔だったのはいつ頃までだっただろうか。
今ではすっかりその表情は怒りに満ちている。
「あなたの事をいつまでも見ていますから。ずっとあなたの隣で。」
凍り付くような冷たい声。
ソフィアはきっと、俺を許してくれていないのだろう。
だからいつも夢の中で俺に対して怒りや蔑みといった負の感情をぶつけてくる。
それがまた俺に罪の意識を再確認させ、体を壊そうとがむしゃらに訓練を続けさせる。
理由は別にして、努力は結果をもたらす。
他国からの侵攻により、国境付近で何度か争いが起こりそこに派遣された。
訓練で培われた反射神経は遺憾なく発揮され、飛んでくる矢や振り下ろされる剣を最低限の動きで避ける。
そして反撃の矢はより遠くに届き、剣はより重い一撃と成った。
傷を負うことはどんどん減り、代わりに倒した敵の躯の山がうず高くなる。
気が付けば戦場で一目置かれる存在に成ってしまっていた。
自分が行けば味方は鼓舞され、敵は及び腰になる。
誰が言い出したのか「英雄」なんて大仰な二つ名まで冠されてしまった。
軍の中での評価も上がり、数人の部下を持つ分隊長まで登ってしまった。
そんな事まったく望んでいなかったのにも関わらず。
他国からの侵攻がひと段落して、休む間もなく訓練に明け暮れる。
いつものように訓練をこなし体を痛めつけ、気絶するように睡眠を取る。
その時の夢はいつもと調子が違った。
ソフィアがまっすぐにこちらを見据える。その表情がやはり硬い。
「お前はなぜまだ生きてる?」
どこまでも冷たい一言。
「私を殺しておきながら、のうのうと。そんなにも生きる事に執着するのか?そんなにもやり残した事が有るのか?」
「すまない。ソフィア、すまない。」
自分にできる事は懺悔だけだった。
「そんなに謝るのならば、死地に赴けばいい。そしてその命を無残に散らせばいい。」
「それで許してくれるのなら、俺は何だってしよう。」
「丁度私たちが育った村に、他国の侵攻が迫っているのだろう。」
先日入ってきたばかりの情報で隣国が侵攻の準備を進めているらしい。それもかなりの大部隊で隣国の本気度がよくわかる。
侵攻が現実となった時、真っ先に襲われるのはあの村付近であることは容易に想像できる。
「今すぐ上官にそこでの防衛戦に参加したい旨を伝えてこい。お前の今までの功績から採用されるだろう。
行きたくなければそれでも良い。私だけでなく今度はフェデリコやニコールやマッテオが死んでいくのを黙って見過ごすだけの度胸があるんだったらな。」
冷たくあざ笑う声が響く。その響きが消えないうちに俺は目を覚ました。
「俺のすべき事・・・。」
それを自分が思いついたのか、それとも夢の中でソフィアからのお告げなのか、それは分からなかったがやらなけらばならない事だという確信が自分の中にあった。
訓練の合間、休憩時間に上官の元を訪ねて自らの希望を告げた。
「ふむ、たしかにお前が行けば、現地の士気は上がるだろう。防衛戦も多少は楽になるかもしれない。」
「では、」
「だが戦場に成りそうな場所はそこだけでは無い。まずは別の場所に赴いてもらう。そこがある程度片が付いたら転戦という形で、この場所へ赴く事を許可しよう。」
私情を抜きにしてみるとその作戦は理にかなっている。まずは敵の補給経路に成りそうな拠点を攻め落とし、補給路を断った上で敵本陣とぶつかる。
しかし、その時間が惜しく感じる。すぐにでもあの村に行って防衛に参加したいのに。
こうして敵の補給経路としての拠点への攻略作戦に参加した。
攻略自体はそれほど時間はかからなかった。こちらの人数に対して敵軍はそこまでの数を配置していなかったので、順当な勝ち星を上げる。
しかし、こちらからの拠点攻撃がきっかけとなって、敵軍本陣の侵攻も始まってしまった。
その情報に焦り憔悴しながらも、勝利後の休憩もそこそこに村に向けて移動を始める。
こんな上官の私情で動かされる部下たちには申し訳なく思ったが、それでも彼らは笑顔で付いて来てくれた。
村についた時には既に村は半壊していた。敵軍の本格的な侵攻の第一波を何とか防ぎ切ったもののその代償で村はぼろぼろになった。
「よー、久しぶりだな。再会がこんな形になっちまったけど。」
「ああ、フェデリコ、すまない。俺が遅れたばっかりに。」
フェデリコは気丈に振る舞うが、その体は幾重にも包帯で覆われ寝床に横たわっている。
「軍人が独断専行で動けない事ぐらい知ってるよ。そんな事責める気にもならない。
しかし、まあ、タイミングは良かった。もうこの村には次の侵攻耐えきれるだけの人も物も残ってない。
お前ら軍隊が来なかったらまず間違いなく終わってた。」
フェデリコは近隣の村に残っている動ける人達を集めて、民兵部隊を組織として最前線で戦っていてくれたらしい。
彼や彼の民兵部隊がいなければ、この村を含め近隣の村は蹂躙されていただろう。
彼自身重傷を負いながらなんとか、抑え切ったという感じらしい。
そこにニコールが現れ、その後ろに幼子が付いて来る。
「パパ、大丈夫?」
「おお、大丈夫だぞ。なんたってパパは強いからな。」
「良かった。この人は?」
俺の方を向いて幼子がフェデリコに聞く。
「いつも話てる、ガブリエーレパパだよ。」
「じゃあ僕たちを守る為に、軍人になったガブリエーレパパなの。」
こちらを輝きのこもった瞳で見つめて、憧れを持って聞いてきてくれた。
「そう、だけど。ガブリエーレパパっていうのは?」
「僕にはね特別にパパとママが二人づつ居るんだ。フェデリコパパとニコールママ。それに僕を産んですぐに病気で死んじゃったソフィアママと、僕たちの安全を守ってくれるガブリエーレパパ。」
「じゃあ、君がマッテオ?」
言われてから気が付くのは親としてどうかとは思うが、単純にソフィアの妹であるニコールの子供だと思い込んでいた。
何となくソフィアの面影を感じた。
「どうだ。数年ぶりに対面する、自分の息子は。」
フェデリコが笑いながら聞いてくる。
「笑顔がソフィアそっくりだ。」
「困り顔はお前そっくりだけどな。」
昔のようにけたけたと笑うフェデリコ。
「ガブリエーレパパはこの村の英雄なんでしょ?この村で生まれ育った、この村の誇りなんだってフェデリコパパも村の皆も言ってたし。」
「どうだろう。この村で生まれ育ったのは本当だけど、村の英雄なんて柄じゃないし、戦場では逃げてばっかりだよ。」
やんわりと否定して訂正するも、フェデリコが被せてくる。
「ガブリエーレパパはこうやって否定してるけど、本当は凄いんだぞ。こいつが居ればたちまちに敵が逃げていくんだ。」
「すごーい。じゃあ今度悪い奴らが来たら、パパやママや村の皆を守ってね。約束だよ。」
子供ながら真剣な表情で約束を迫られる。無論そのつもりでここに来た訳だが、改めてその重責をひしひしと感じる。
「ああ、わかった。フェデリコもニコールもマッテオも村の皆にも決して危害を加えさせない。約束する。」
その約束を完全に果たすのは難しいかもしれないが、それでもこの体が動くうちはその使命を果たす。それが今ここに自分がいる理由だ。
話がひと段落して所で、フェデリコがニコールにアイコンタクトを送り意思疎通をする。
「さて、マッテオそろそろこっちに来なさい。フェデリコパパとガブリエーレパパは大切なお話があるんだって。」
「えーもっと一緒に居たい。」
「お話が終わってからね。」
そう言っていやがるマッテオを引っ張り、奥へとニコールとマッテオは消えていった。
その姿を笑顔で見送って、真顔に戻ったフェデリコ。
「俺自身この状態だし、民兵の部隊の奴らも大半は同じような状態だ。でもまだ戦える奴らがいる。
あいつらの事だから両軍の激突が始まれば勝手に参加するだろう。それじゃあただの無駄死にしかならない。
そこで、お前の分隊に入れてやってお前が指揮をしてくれないか。
この村の英雄であるお前の言うことなら、素直に従うはずだ。」
「しかし、我々正規軍が到着した以上民兵が出てこなくても。」
「当然ながら先日の戦いで民兵にも犠牲者も出てるんだよ。生き残った奴らの兄弟とか幼馴染とか友達とか。」
「・・・。」
「奴らに仇討ちの機会を作ってやってくれないか。
メリットはもちろんある。単純な頭数以外にも、この辺は当然奴らの庭だ。敵に見つからないように進軍するのはお手の物だ。」
「・・・今すぐには返事はできないが、上官にはその旨を報告してみる。」
「それで十分だ。」
重傷を負っているフェデリコをあまり喋らせるわけにもいかないので、適当な所で切り上げてフェデリコの家を辞退することにする。
「じゃあ、またなマッテオ。」
「じゃあねガブリエーレパパ。悪い奴らをやっつけてね。」
「わかった。マッテオが安心して暮らせるように頑張ってくるよ。」
手を振るマッテオに見送られて、軍の陣に戻る。
ただただ死に場所を求めるように軍隊に入ったはずなのに、今では何が何でも守りたいと思えるものができてしまった。
相変わらず自分の命になんら価値を見出せないが、それでも自分が戦場で戦うことで誰かを守れるのであれば、それは十分に有意義な事に思える。
軍の陣で作戦会議が行われ、翌日の総がかり戦の作戦内容が言い渡される。
「君の申し出通り、君の分隊に民兵の部隊も合流させよう。
今や君は村々の英雄だ。君と共に戦場を駆け巡れば彼らの士気は十二分に上がるだろう。」
「その上でこの作戦ですか。」
「英雄である君と君の混成部隊でなければできない重要な任務だ。不満があるかね?」
「いえ、ありません。この任務拝命しました。」
「よろしい。」
敬礼をして上官の元から立ち去る。自分の陣に戻りながら考え込む。
この作戦どう転んでも俺は死ぬだろう。
自分が死ぬのは別に気にしない。むしろやっと死に場所が用意できたとも感じている。
しかし、運悪く俺の部下に配属されたせいで、転戦を余儀なくされた彼らはどうだろう。
また、いきなりこんな状況に駆り出される民兵の彼らはどうだろう。
彼らをこんな死地に送り込む権利が自分なんかにあるのだろうか。
きっと部下の奴らも民兵の彼らも、喜んで付いて来てしまうのだろう。彼らを盲信させる自分の過去の戦歴が疎ましい。
彼らに死刑を言い渡す気分を感じて、胸が締め付けられる。
寝苦しい気分のまま寝床に横になった。